第7話 エデナの森の花畑
(どこに行っちゃったんだ、みんな……!)
キリアンと並んで歩くリュアンの頭の中には、考えたくもない不吉な推測が渦巻いている。
(余計なことを考えるな!今はみんなを見つけることに集中だ!)
エデナの森は、入ってすぐのあたりは木々の間隔もまばらで、陽の光も多く差し込んでくるので比較的遠くまで見通せる。
今リュアン達が歩いている道は二人並んで歩いてもまだ余裕があるほどの道幅があり、路面も踏みならされていて歩きやすい。
森に入ってからはリュアンもキリアンも一言も口にせず注意深く左右を確認しながら進んでいる。
今のところはカイル達の姿も、手がかりになりそうなものも見つかっていない。
(早くみつけたい……!)
という気持ちからリュアンの足が次第に速くなっていく。
「リュアン!」
キリアンが鋭く呼びかけた。
「焦ってたら見つかるものも見つからないよ」
「……は、はい」
キリアンの言葉にリュアンは歩みを緩め、ゆっくりと深呼吸をした。
(そうだ、落ち着かなくちゃ……!)
「道の脇の下草に踏まれた跡がないか注意して見るんだ」
「はい」
「低木が掻き分けられてたりするかもしれない」
「はい」
キリアンに言われたとおりにリュアンは下草や低木に注意を集中した。
どれくらい歩いたか定かではなかったが、恐らくは一時間も歩いてはいないだろう、木々の間隔が密になり暗さを感じるようになった頃、
(……!)
それまで嗅いでいた木々や草の匂いとは別の匂いに気がついた。
「キリアンさん……!」
リュアンが鋭く囁くと、
「うん、この匂いは……」
キリアンもその匂いに気づいたようで、立ち止まって匂いの出どころを探して顔を巡らした。
それは甘い匂いだった。
だが花の匂いとは違う、果物のような甘い匂いだ。
だが、だが普段口にしている果物のどれとも似ていない。
「こっちの方だ」
キリアンが匂いの出どころにアタリをつけて右前方に進んだ。
見るとそこは、下草に踏まれた跡があり低木も掻き分けられたようになっている。
「行くよ、気をつけて」
「はい」
二人は低木を掻き分けながら道なき道を進んでいった。
進むにつれて甘い匂いは強くなっていき、次第にむせ返るような甘ったるい匂いが鼻どころか口の中にまで充満した。
「リュアン」
そう言ってキリアンはポケットから麻布を取り出し、三角形に折りたたんで顔の下半分を覆った。
「はい」
リュアンもキリアンを倣って鼻から下を麻布で覆った。
なおも進んでいくと木々の間が明るくなり、その先が見通せるようにった。
「どうやら開けた場所があるみたいだ」
そう言ってキリアンはリュアンより先に、明るい場所へ向かって進んで行った。
そして木々の間を抜けてたどり着いたのは、王宮の中庭ほどもあろうかという空き地だった。
そこは、
「花畑……?」
と思わずリュアンが口にしてしまったほどの、明るい色の花が咲き誇る場所だった。
「鮮やかだね、花の色も、匂いも……」
そう言って、覆面をしていてもなお強烈に鼻を襲う匂いに、キリアンは手で鼻と口を覆いながら花畑に足を踏み入れた。
そこは緩やかに盛り上がってちょっとした丘のようになっていた。
咲き誇る花は背が高く、中には胸のあたりまで伸びているものもあった。
「それにしてもすごい匂いだな」
キリアンが花の茎を掻き分けながらボヤくように言い、
「あまり長くいるとまずいことになりそうだ」
と肩越しに後ろのリュアンに言った。
「はい」
本来、花のというものは人々に心地よい癒しを与えてくれるものだ。
庭を美しい花で満たしたり室内に飾ったり。また、花弁を使って香油を作ったりもできる。
リュアンの実家サグアス男爵領でも、少ないながらも花弁から香油を生産しており、貴重な収入源になっている。
そんな生まれた時から花の香に慣れ親しんでいるリュアンにとっても、今嗅いでいる匂いは異質で強烈なものだった。
むせ返るような甘い匂いに耐えながら緩やかな丘を中心に向かって歩いていると、花の茎の間にチラッと何かが見えた。
(……!)
リュアンは足を速めて花の茎を掻き分けていった。
そしてリュアンはそこに濃いブロンドの髪の男が座り込んでいるのを見つけた。
カイルだった。
「キリアンさん!」
リュアンは大声でキリアンを呼び、カイルの横に膝をついて彼の肩を揺すった。
「カイルさん!カイルさん!!」
リュアンに肩を揺さぶられて首をガクガクさせられても、カイルはさほど気にした様子もなく、ゆっくりとリュアンの方に顔を向けた。
「……ああ……お前か……えっと……誰だっけ?」
そう言うカイルはどこか目の焦点が合っていないようにも見えるが、表情は穏やかな笑みで満ちている。
それは、この世のあらゆる苦痛と無縁の幸福の極みにいる、そんな顔だった。
「カイルさん……」
そんなカイルを見てリュアンは心臓を
「カイルさん!?」
そこにキリアンが駆けつけてきた。
「き、キリアンさん……こ、これは……」
リュアンは声どころか身体全体が震えてしまっていた。
「とりあえず、彼をここから外に出そう!」
そう言うとキリアンはポケットから小瓶を取り出した。
「リュアンこれを一口飲むんだ」
「これは……?」
「気付け薬だ。幻覚状態になりにくくなる」
そう言ってキリアンは小瓶をリュアンに渡した。
「後でカイルさんにも飲ませてみてくれ」
そう言うと、キリアンは今いるところから円を描くようにして丘の上を目指し始めた。
「後の二人は俺が探す。君はカイルさんを連れて道まで出るんだ!」
「はい!」
リュアンは小瓶の中身を一口飲んだ。
(うっ、にっが!)
そしてカイルの腕を自分の肩に載せて花畑の外へ向かった。
カイルはリュアンよりも頭一つ大きい。その上日頃鍛えているおかげでその身体は筋肉質だ。当然重い。
だがここでもリュアンの貧しさが役に立った。
十歳にも満たない頃から当たり前のように力仕事をしてきたリュアンは、平均よりもやや小さい身体ながらも強靭な肉体を持っていた。
その上今は少しでも早くカイルを安全な場所に、という必死な思いがより一層リュアンに力を与えていた。
木々の間を抜け道に出ると、甘い匂いがしなくなる場所までカイルを運び、木の根元に彼を腰掛けさせた。
「カイルさん、カイルさん」
「んーー……」
「これを一口飲んでください」
そう言ってリュアンはキリアンに渡された小瓶をカイルの口にあてた。
「……んぐ」
口の端から少しこぼれたがなんとか飲ませることができたところ、
「……んが!」
今目が覚めたといった様子でカイルが顔上げた。
「カイルさん、俺が分かりますか?」
「え……お前は……リュアン、だよな?」
「はい!」
(よかった!)
リュアンはホッと胸をなでおろした。
「なんだが頭がボォーっとするな……」
「しばらくここで休んでいてください」
そう言ってリュアンは立ち上がった。
「ど、どこ行くんだ?」
「レナートさんとユリエン君を探しに行きます!」
そう言い残してリュアンは再び花畑へ向かった。
リュアンが花畑のところに戻ると、キリアンが二人の人を、恐らくはレナートとユリエンを両肩で支えて引きずるようにして歩いてくるところだった。
「キリアンさん!」
そう叫びながらリュアンは花の茎を掻き分けてキリアンの
「ふたりとも近いところにいてよかったよ」
汗に濡れた顔に笑みを浮かべてキリアンが言った。
「あとは任せてください」
そう言ってリュアンはレナートとユリエンの二人の腕を両肩に載せて、左右の腕で二人の胴体を抱えた。
「さすがだねぇーー」
「力仕事なら任せてください」
驚くキリアンと笑顔を交わしてリュアンは二人を抱えて歩き出した。
森を抜けてカイルが休んでいるところに着くと、まだ足腰がおぼつかないカイルをキリアンが抱えて、野営地までなんとかして戻った。
「これはかなり深刻な状況だと思う」
カイル達三人を降ろして休ませるとキリアンが言った。
「レナート達がいたところの奥にも何人かいたんだよ」
「他にもいたんですか!?」
「うん、そばに行って様子を見た限りではまだ生きていた」
「よかった……」
「俺は馬を飛ばして王都に知らせに行ってくる。途中で警備隊に会ったらここに来てくれるように言うつもりだ」
「はい」
「すまないけど、それまではリュアンがここでカイルさん達を見ていてくれるかい?」
「はい、任せてください」
手早く馬具を着けて馬に
「もしかしたら、俺の仕事仲間に来てもらえるかもしれない」
「キリアンさんの仲間、ですか?」
「うん、確かなことは言えないけどね。その時は色々と頼りにするといいよ」
そう言い残してキリアンは文字通り颯爽と王都へと向かって馬を走らせた。
(キリアンさんに来てもらって本当によかった!)
遠ざかるキリアンの姿を見送りながら、リュアンは心からそう思った。
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