一話 国一番の悪女

第1話

興栄国において代々皇帝の妃を排出する四代名家。ヨウ家、チン家、チョウ家――シュウ家。

 周家はその中で突出した勢力を誇り、皇帝の正妃、つまり皇后の座を、三代連続で維持している。


 しかし、権力のためならばいかなる汚い手を使うこともいとわなかったため、他の名家から反感を買っていた。

 いつ抗争になってもおかしくはないと噂されるほど。


 そして七年前、新たに即位した皇帝、 孫雁ソンガンの正妃となったのも、周家の娘――樹蘭ジュランであった。

 しかしながら樹蘭は、傾国の美姫と謳われる美貌を持つこと以外には、何ひとつとして褒めるところのない――悪女だった。


 今日は年に一度、冬に皇后が主催する宴の日。夏至の祭事は皇帝、冬至の祭事は皇后が取り仕切る慣例であった。

 四代名家はもちろんのこと、上級官僚を務める名家の家長と長子らが天和宮に集まる。

 天和宮は、皇居と官庁を併せた国で最も大きな建築物。女官や宦官を含め、一万人近くが居住している。

 祭典のための祈年殿は、贅を極めた華やかな装飾が施されていた。


があって、皇后陛下は長らく床に伏せっていたと聞いたが、もう体調はよろしいのだろうか」


 あのような事件、というのは二月前に、樹蘭が絞殺されかけた上に、胸を七箇所もかんざしで刺された凄惨な事件のこと。

 一度は監察医が死亡したのを確認したにも関わらず――実はそれが誤診で、奇跡的に生き延びていたのである。


「ああ。相変わらず後宮で好き放題しているらしい。――そのまま永遠に眠り続けてくださればいいものを」

「ここは宮殿の宴の場。誰が聞いているか分からぬゆえ、そのような不敬を口にするべきではない。だが……そうだな。憎まれっ子世に憚ると昔からよく言ったものだ」


 座卓にはご馳走が所狭しと並ぶ。参集者たちは食事を楽しむふりをしながら、ひそひそと噂話に花を咲かせた。

 彼らが話の種にするのは、樹蘭のことばかり。

 横暴な性格で、女官や宦官たちに辛く当たり、国民の血税を使って贅沢三昧する。国民への慈悲の心も、皇后としての責任感も何もかも持ち合わせていない女だった。


 宴が始まって四半刻が経とうとしているのに、主催であるはずの樹蘭は一向に姿を見せず。

 舞を披露するはずだった踊り子たちも、舞台の上で待ちぼうけを食らっている。



「――皇后陛下のおなーり!」



 そのときようやく、官吏の仰々しい合図の声が上がり、人々は一斉に振り返った。


 悪女として忌み嫌われる樹蘭だが、その姿をひと目見た者たちは揃って息を飲み、憧憬の念を瞳に映した。


 絹糸のように艶やかな漆黒の髪。

 色素の薄い琥珀色の瞳。

 薄すぎず、厚すぎずの程よい形の唇。


 赤を基調とした衣の裾を翻しながら優美に歩く彼女。人々は完璧な美貌には思わず「美しい」と感嘆の息を漏らした。

 そして皆、叩頭こうとうして敬意を示す。


 だが、そこに立っているのは樹蘭本人ではなかった。樹蘭はふた月前のあの事件によって――本当に死んでいた。

 今、人々の視線を集めているのは、皇后になりすました、見た目は瓜二つだが年齢も性格も育ちも違う異世界人――宮瀬らんかだった。


(いかなる相手に対しても傲岸不遜で、決して笑顔を見せない。冷酷無慈悲の嫌われ者。それが私の――新しい役)


 らんかは誰とも視線を合わせることなく、まっすぐに自分の席へと歩んだ。遅れてきたことに対する反省の色も隙も一切見せない。

 その途中、恭しくこちらに頭を下げている下女にわざとらしくぶつかる。


「邪魔だ。ここがわらわの通る道だと分からぬのか?」

「きゃっ……」


 よろめいた彼女はそのままばたんと転ぶ。その様子に、「あの態度を見たか?」と参集者たちが目配せし合うが、らんかは一切お構いなし。


 そのまま席に着き、目の前の豪勢な食事に視線を落とした。

 餃子や湯円タンエンなど、冬の伝統料理が所狭しと並ぶ。


(美味しそう、お腹空いた……。でも樹蘭ならここでがっついたりしないだろうしなぁ)


 よだれが垂れそうになるのを耐え、自分の心を諌める。らんかは今、樹蘭として人の前にいる。その役を全うしなければ。


 注目が集まる中、おもむろに豆腐の煮物に箸を取って入れる。ひと口口に含むと、香辛料の風味が鼻腔に広がり、柔らかな豆腐が舌の上で溶ける。美味しい。非の打ち所などない料理だ。――しかし。


 らんかは豆腐を飲み込まずに懐紙に吐き出した。そして片手で座卓の上に並ぶ料理を地面に滑り落とす。

 金属がぶつかる音、陶器が割れる音が会場に響き渡り、人々は静まり返った。


 そのまま、視線ひとつ動かさずに声だけで言う。


「不味い。――作り直せ」

「は、はいっ! だだちに……!」


 下女たちが大慌てで食器を片付ける傍らで、らんかはふてぶてしい態度で舞台の上に視線を向けた。

 萎縮する踊り子たちを、氷のように冷ややかな眼差しで見据えて命じる。


「何をしている。さっさと舞を披露せぬか」

「「かしこまりました。皇后陛下……!」」


 踊り子たちが慌てて定位置につくと、その後ろに控えていた楽団が琵琶や二胡の弦を爪弾き始める。その繊細な音に合わせて、年若い娘たちも踊り出した。

 だが、こちらが品定めするかのような視線で見ているため、どことなく身体が強ばっているかのように見えた。


(怖がらせてごめんね。でもこっちもこれが仕事なの。許してね)


 ぐうぅ。らんかの腹部から空腹を訴える切なげな音が漏れるが、演奏に紛れて誰の耳にも届くことはなかった。

 そっと腹部を抑え、肩を竦める。


(お腹が空いて死にそう……。ああもう、カレーとかピザとか食べたい。ていうか日本に帰りたい。なんで私がこんな目に……)


 らんかは今、皇帝の命令により、死んだ皇后のふりをさせられ、彼女の死の真相を解き明かすために協力させられている。

 悪女として振る舞いながら、らんかはふたつ月前のことを思い出していた。



 この異世界に来る前、日本で女優をしていたときのことを――。

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