十二話 皇帝の戸惑い

第14話

らんかが執務室から出て行ったあと、文英を執務室に呼び戻した。彼は、ため息をついている孫雁を見て眉を上げる。


「ため息の訳は、らんか様ですか」

「ああ。彼女のことを考えていた」

「皇后陛下のことばかり考えておられたあなた様が、別の女性のことで悩むとは、珍しいこともあるのですね」

「……そう、だな」


 孫雁はふと、先ほど見たらんかの泣き顔を思い出した。樹蘭のことをひどい人だと貶され、知ったような口を効くなと咎めれば、彼女は泣いて謝罪した。


 また彼女は、怒られたことに対して泣いたのではなく、孫雁を傷つけてしまったことに自責していた。

 彼女にとって孫雁は、異世界に強引に呼び出した憎い相手であるはずなのに。


(彼女は、私のことが憎いんじゃないのか?)


 初めて会った日、文英が剣を突き付けて『殺す』と怖がらせても泣かなかった彼女は、肝が据わっていて、度胸があると思った。しかしふいに、弱い一面を見せることもある。笑ったり泣いたり、表情豊かで、目が離せない。


 そして、らんかのことで思い悩んでいる自分にも戸惑っていた。

 彼女は、見た目こそ樹蘭そっくりで、ふとした表情に樹蘭を重ねさえしてしまうが、全くの別人。樹蘭が悪女のように変貌する前の性格とも違う。

 本来の樹蘭は、優しくて、内気、控えめで模範的な令嬢だった。一方のらんかは、勝ち気で天真爛漫、自由奔放。そんな彼女のことが、なぜか頭から離れない。


 孫雁は彼女のことを一旦頭の端へ追いやり、文英に問いかける。


「文英。事件に関する刑部からの報告は」


 樹蘭は事件後も生き延びていたことになっているが、あの事件の犯人探しはもちろん継続させている。


「はい。皇后陛下の遺体は、眼球に溢血点が見られ、顔の鬱血が確認されました。そして、抵抗した際にできたと思われる首の引っ掻き傷があり、爪の間に繊維が挟まっておりました。それらは絞殺遺体の特徴です。首を布のようなもので締め付けられ、窒息死したと考えられているおります。そして布の圧迫痕の下には女の手形も」


 殺害に使用したと見られる凶器はまだ発見されていない。殺害後、犯人は簪で七箇所突き刺し、簪を落としたまま逃亡。その後、凛凛が朝に遺体を発見したという流れだ。七回も身体を刺したということは、恨みの念は強かったはず。

 あの晩、内之宮で何があったのか、孫雁には想像もつかなかった。


「しかしながら、刑部の調査によると、事件の日、皇后陛下の寝室に外から侵入することは――不可能だそうです」

「なんだと……?」


 皇后を含み、皇族の部屋にはそれぞれ護衛の者をつけている。皇后の寝室は、護衛の者が六名、女官が六名、待機しており、彼らの目を盗んで樹蘭の元まで辿り着くことはできない。


 また、樹蘭の寝室には、戸がひとつしかなく、他に隠し戸もない。小さな窓があるが、外からは高さがあるため、脱出はできても侵入はできない構造になっている。


「では、犯人は元々部屋の中にいた、と?」

「ええ。そして、陛下を暗殺したのち、小窓から脱出したという可能性があります」


 護衛たちの見張りには入れ替わる時間があり、交代に紛れて侵入できる。しかし、最後の交代から、樹蘭の死まで半日の猶予がある。


 文英は刑部の報告を淡々と伝えながら、樹蘭の寝室の見取り図を差し出した。孫雁は顎に手を添えて思案する。


 彼女の寝室にはまず、大きな天蓋付きの寝台が佇んでいる。寝台と床の隙間には、十分人が入る隙間が。次に、衣装棚が左側にり、そこも人が三人は入れるほどの空間になっている。

 他にも、空帷カーテンの裏や屏風の裏など、隠れられそうな場所はいくつか見つかった。


「また、その日に寝所にいた護衛、女官をくまなく調査しておりますが、今のところ怪しい人物は見つかっておりません」

「そうか」

「ですが一点、気になることが。――簪の持ち主についてです」


 寝台から見つかった樹蘭を刺した簪は、上級妃に与えられるもの。台座の宝石が外れていたため特定できなかったが、三人の上級妃たちは持っていた。そして。


リュウ貴妃の遺族の元に使者を送ったところ、簪が見つからなかったのです」


 劉 美帆メイファンは貴妃だったが、病死した。だから今、貴妃の座は空席になっているのだが、彼女も入宮のときに琥珀が埋め込まれたあの意匠の簪を賜っている。しかしそれが見つからないということ。

 劉家は今、潔白を示すために、必死になって簪を探しているそうだ。


「では、樹蘭を殺したのは劉家の関係者だと?」

「あくまで可能性に過ぎませんが。しかし、劉家は四代名家と違い、周家との因縁がありません。美帆様は後宮に入ってからずっと病床に伏せっておりましたし、皇后陛下を殺す理由がないのです」


 だが、樹蘭を刺した簪が、亡き貴妃の持ち物だったという可能性が浮上したという訳だ。


「報告は以上です」

「また進捗があれば報告せよ」

「御意」


 文英は両腕を組んで前に出し、礼を執る。それから、姿勢を正して言った。


「……やはり、らんか様に皇后のなりすましをさせたのは良い判断だったかもしれません。これまで周家に隠れていた四代名家もまた、外戚権力を欲していることがよく分かりましたから」


 周家一強の勢力図が続いており、四代名家は不満を抱いていた。そして今回樹蘭が死んだと知り、自分の血筋を皇后に据えたいという意向を示した。

 その座を奪うために、暗殺を行うような一族がいるのならば、興栄国の膿として出さなくては。


「彼女は予想以上に使える駒だった」

「ええ。演技も申し分ないですし、変装の技術にも驚きました。何より、周りを惹き込むような強さを感じます。彼女が元の世界で役者をしていたというなら、人気があったことにも納得できます」


 彼女は肝が据わっているというか、あっけらかんとしていて、弱そうに見えてちょっとやそっとでは動じない。

 らんかは、頼んでもいないのに、犯人候補の上級妃たちに接触して動機を探っている。度胸があり、それは意外な活躍ぶりだった。あの変装の技術と演技力の高さは、利用価値がある。

 そして、明るく前向きで、その一挙手一投足に目が離せない。


 すると文英は、意味深に言う。


「それに――駒とおっしゃるには、いささか思い入れが強いように思いますが」

「…………」


 ここまで気を遣ってか触れてこなかったが、先ほどらんかを抱き締めていたことをほのめかしているのだろう。


「彼女を泣かせてしまった。詫びがしたいのだが、何をしたら喜ぶだろうか」

「さぁ……分かりませんが、それは私より、陛下の方がご存知なのでは」


 何をしたら喜ぶかを考えたとき、真っ先に彼女が焼き芋を頬張っている姿が思い浮かんだ。



 ◇◇◇



 按摩師のふりをして麗明の東之宮に通い始めてから、一週間が経った。

 彼女は施術に入ると、すぐに眠ってしまうので、今のところ会話すらまともにできていない。その代わりに、施術が終わったあとには焼き芋や焼き栗、果物などを分け与えてくれる。


「これじゃ、お駄賃をもらいに行ってるだけみたい……ん、美味しい」


 内之宮の私室で、もらったすももを食べながら、凛凛に長い髪を梳かしてもらう。


「今日も楊淑妃様はぐっすりお眠りになったわ」

「それは、按摩師鋭利に尽きるというものではありませんか」

「私一応、本業女優だけどね」


 麗明に会いに行ったあと、毎度孫雁に報告をするというのが日課になっている。本物の樹蘭は、初夜に孫雁を拒絶してから、夜伽はもちろん普段の交流すらしていなかったそうなので、孫雁に会いに行くときは中年の按摩師の格好のままだ。


「凛凛さんは、上級妃の中で誰が怪しいと思う? 樹蘭様が生前、仲が悪かった妃はいた?」

「樹蘭様を嫌う方はいても、好いている方は皆無でした」

「あぁ、悪女……」


 誰に恨まれて、殺されてもおかしくはないと思えてきて、ため息を吐く。しかし、凛凛いわく、賢妃月鈴ユーリンとはかなり険悪だったとか。月鈴と樹蘭の仲の悪さは有名で、ふたりが会うと雷雲が垂れ篭めると言われていた。


 らんかも月鈴に会いに行く方法は、まだ模索中だ。今のところ、麗明と翠花に不審な点はなく、月鈴とも早く接触してみたいと思っている。


 ちょうど李を食べ終わったところで、凛凛に話しかける。


「そうだ、昨日皇帝陛下がおっしゃってたんだけど、例の簪の持ち主が分かったそうよ」


 かたん。するとそのとき、凛凛が手に持っていた櫛を床に落とした。振り向けば、顔面蒼白だった。


「一体……分かったのですか」

「どこまで? 亡くなった貴妃、美帆様が下賜されたはずの簪が見つからないんですって。だから、樹蘭様を含めて、上級妃はみんな持っていたから、美帆様の持ち物だと考えるのが妥当だって……ところだけど」

「そう……ですか。まだ、確定はしていないのですね」


 彼女は血の気が引いた様子のまま、櫛を拾い上げた。櫛を持つ手が小刻みに震えているのを見て、違和感を感じる。


「顔が真っ青よ。大丈夫?」

「平気です。ただ、早く犯人が見つかって、報いを受けてほしいです。……樹蘭様を苦しめた報いを」


 今度は櫛を力強く握り締めて、地を這うような声でそう言う彼女。

 らんかは彼女の反応のひとつひとつに違和感を覚えながら尋ねた。


「樹蘭様が亡くなる前、夜中に朝まで暴れたり、奇声を上げたことがあるそうね。これって何か……悪女という言葉で片付けるには、常軌を逸していると思わない? 病的、というか」


 すると凛凛は、冷や汗を滲ませながら、首を横に振った。


「そのような事実はございません……! 夜中に奇声を上げたことも、朝まで暴れたこともありませんでした。事実無根です……!」


 ここまで冷静沈着だった彼女が、急に声を張り上げるので、怪しく思う。


(どうしてそんなに……ムキになるの?)

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