六話 徳妃様は美男子がお好き

第7話

らんかは宦官の格好をしたまま、西之宮に向かった。西之宮に住まうのは、皇帝の第三の妃である沈・翠花。

 孫雁に渡された資料によると、無類の男好きで、大勢の見目の良い宦官を付き従えているとか。

 樹蘭の生家と彼女の生家は対立関係にあり、政敵という意味で樹蘭を排除した可能性がまずひとつ考えられる。


 西之宮の敷地は、人の手によって完璧な状態に維持してある。茂みが丸く整えられ、花壇には美しい花が植えられていた。

 らんかが通ると、下女や女官たちがこちらを見てうっとりとした表情を浮かべる。


「見て……あの人凄くかっこいいわ」

「本当だ。でも見ない顔ね。西之宮の新しい宦官かしら? 話しかけてみる?」


 らんかは日本にいたとき、舞台で男装の麗人を演じたことがあった。女性向けの作品だったので、そのときに、女性が惹かれる魅力的な男の所作や立ち居振る舞いを叩き込んだ。

 今、女官たちがこちらを見つめる眼差しは、客席で歓声を上げていた女性たちと同じだった。女官たちににこりと微笑みかければ、悲鳴に近い歓声が上がった。


「――待って……!」


 すると、茂みの奥から透き通るような声が聞こえた。その直後、白い子猫が飛び出して来る。


「わっ……」


 白い子猫は、らんかの足元までやって来て、顔を擦り寄せた。素足にふわふわの毛が擦れてこそばゆい。

 にゃあと鳴く声はまだあどけなく、生まれてまもないのだと理解する。


「ごめんね、ご飯は持ってないの」


 しゃがんでそう囁き、子猫を抱き上げたとき、今度は茂みの向こうから若い娘が現れた。


 長い桃色の髪を複雑には結い、小さな宝飾品を散りばめている。

 髪の色に合わせた衣も上等なものだった。袖口から覗く手はしなやかで丸みを帯びている。

 手だけではなく、身体全体が美しい曲線を描き、女性的な魅力が強く、庇護欲を掻き立てる風貌だ。


 彼女は侍女ではなく、宦官ばかりを付き従えていた。しかも彼らは全員若く長身で、見目が良い。らんかは煌めく美男子たちに目を眇める。


(何ここ、ホストクラブみたい……)


 らんかの元に優美な足取りで近づいて来た彼女。


「あらあら、猫といえども女の子ですのね。わたくしよりも、美しい殿方の方がお好きみたい」

「……そのようなお言葉、恐縮でございます。――沈徳妃様」


 彼女を見たとき、服装や見た目の特徴から、すぐに徳妃だと確信した。

 中性的で低い作り声で礼を言い、一礼する。彼女はふふ、と柔らかく微笑んだ。


「……今日は寒いですわね」


 翠花が何気なく呟けば、彼女の後ろに控えていた宦官のひとりが、さっと羽織をかける。随分と手懐けているようだ。


(赤い羽織……。薄桃色じゃない)


 彼女の装いは赤が貴重となっているが、樹蘭を絞殺した薄桃色の布は使われていない。


(男の人ばかり付き従えているなんて……『男好き』っていうのは本当なんだわ)


 一応彼女は、この国の皇帝の妃という立場なのに、こういうことをしても構わないのだろうか。後宮の風紀はどうなっているのかという懐疑的な気持ちは胸の奥へとそっとしまい込み、人好きのする笑顔を向ける。


 すると彼女は、もう一歩こちらに近づいて、子猫の頭をそっと撫でた。


「この子猫、足を怪我しているのです。手当てをして差し上げたいのだけれど、わたくしの言うことはちっとも聞いてくれないのですわ」


 西之宮に足を運んだのは、翠花に接触して、樹蘭暗殺の動機を探るため。

 男好きの彼女なら、美しい宦官の姿をして近づけば、放っておかないのではと考えたのだ。実際、らんかは翠花の取り巻き宦官たちの誰よりも麗しかった。


 翠花は、子猫を撫でると見せかけて、らんかの腕を誘惑するように触れた。

 彼女はこちらに視線を上げる。明らかな女の目――いや獲物を狙う獣のような目を向けられ、ごくんと喉の奥を鳴らすらんか。


(これは私……ロックオンされたんじゃ)


 しかし、彼女の腹を探るには好都合だ。これでいい。


「もしよろしければ、お手伝いさせていただけませんか?」

「まぁ、よろしいの……? ありがとう、とても助かりますわ」


 翠花はそのままらんかの腕に自身の腕を絡ませるようにして、宮の中への促した。周りの宦官たちが、妬ましげに、あるいは敵視するかのように、こちらを見ていた。



 ◇◇◇



 翠花は別の宦官に医療箱を用意させた。子猫は、どこかで擦りむいたのか、左の前足首に血が滲んでいた。

 らんかが子猫を抱き抱え、彼女が怪我をした左前足を清潔にしたあとに、軟膏を塗り、包帯を巻いていく。


「にゃあ、にゃあっ」

「ずっと鳴いているけれど、傷が痛いのかしら。それともお腹が空いているのかしら。ねえ、あなたはどう思う?」


 翠花はこちらに問い小首を傾げる。


「空腹なのかもしれませんね」

「子猫ちゃん、お食べ」


 すると彼女は懐から巾着のようなものを取り出し、胡桃を手に乗せて差し出した。らんかは目を丸め、慌てて静止する。


「子猫に種実類は与えては駄目です。下手をすれば死んでしまいますよ!」

「まぁ、そうでしたの? 知りませんでしたわ。ではこれはあなたに」

「……んぐ」


 彼女はおっとりと微笑み、胡桃をらんかの口の中へ入れた。

 

 らんかは実家で猫を飼っていたのである程度の知識はある。例えば種実類は、神経に障害を起こしたり、消化不良になったりするので、食べさせないように管理しなければならないのだ。

 子猫は何なら食べられるのかと聞かれ、思案する。


「キャットフードとか、ササミとかでしょうか」

「きゃっとふー……?」

「あっ、いや、肉食なので、肉や干した魚を食べると思います」

「分かりましたわ。すぐに用意させましょう」


 そう言って彼女は、宦官に指示を出し、子猫の餌を用意させた。上級妃の命令なだけあり、運ばれてきたのはねこ一匹に与えるにはいささか豪勢すぎる料理だった。


 子猫は満腹になるまでそれらを堪能したあと、建物を気まぐれに去って行った。


 すると、翠花はらんかを除く宦官たちに、手で追い払うような仕草をして、下がっているように命じた。だが、宦官のひとりが反発する。


「翠花様。その男は初めて見る顔です。素性の知れぬ怪しげな者と二人きりにする訳には参りません! 最近、皇后陛下が襲われる事件が起きたばかりなのですから」


 彼の言葉を皮切りに、建物の外へと出ようとしていた宦官たちも、口々に「その通りだ」と反論を並べた。

 らんから小さく息を吐き、凛凛に宦官服と一緒に用意させていた偽の身分証の札を見せた。


「私は先日から内之宮に配属された宦官です」

「皇后陛下の宦官がなぜ、西之宮にいらしたの?」

「それは……」


 らんかは口角を上げ、甘く誘うように熱を帯びた眼差しで彼女を見据える。


「――美しい花の匂いに誘われて」


 美しい花というのが、翠花自身のことだと理解した本人は、ほっと頬を朱に染め、今度こそ宦官たちを外へと追い出した。


(美しい男を侍らせ、色欲に囚われる三番目の妃……か。彼女が樹蘭様を殺したとしたら、その動機は……)


 皇帝は見てくれだけはいい。だから、孫雁への憧憬や執着から、正妃の座を狙って……ということも考えられる。

 誰もいなくなった私室で、翠花はらんかの傍に近寄り、身体を密着させる。


(どうしよう、こんなに近づかれたら、女だってバレちゃう)


 もし変装を知られてしまったら大変だと思い、冷や汗をかく。すると、そんならんかの心情を知らない彼女が恍惚と囁く。


「わたくしもあの猫のように、美しい殿方は好きですの」

「……ありがとうございます」

「あなたはわたくしが今まで出会った人の中でもとりわけ美しいわ。わたくしの物になる気は――ない?」

「お戯れを。沈徳妃様には、皇帝陛下がいらっしゃるでしょう」


 そっとあしらうように彼女のことを押し剥がす。

 犯人は簪を使って、七回も樹蘭の遺体を刺している。とてつもない恨みだったはず。ここで、孫雁や樹蘭への思いを聞き出していきたいところだ。


「皇帝陛下もとても麗しいお姿をなさっていますわ。でも、わたくしはね、わたくしに興味がない殿方は好きではありませんの。陛下のお心は――皇后陛下にしか向いておりませんから」

「そう……なんですか?」


 樹蘭は人々に嫌われる悪女で、皇后として最大の務めである夜伽を拒み続けている。

 当然、孫雁から樹蘭への愛情はないものとして認知されているのだとらんかは思っていた。

 翠花が断言するので、首を傾げる。


(じゃあ尚更、寵愛を受ける樹蘭様に嫉妬して殺した……とか)


 すると彼女は、炉の釜で湯を沸かし、茶を用意し始めた。湯を急須に注いだところで、らんかは「代わります」と言って作業を引き受けた。

 らんかが茶を用意する傍らで、翠花が続ける。


「皇后陛下は、あなたもご存知の通り傲岸不遜で冷酷なお方ですわ。でも、愛は理屈ではないのでしょうね。皇帝陛下は、皇后陛下を愛しておられる。樹蘭様のことを語るあのお方の眼差しは、女に恋焦がれる男のそれですもの」


 らんかもその眼差しを見たことがある。この世界に招かれたその日、孫雁はらんかのことを樹蘭だと勘違いし、再会に感激していた。あのときのらんかを見つめる表情は、強い熱を含んでいた。


「……そういうのってやっぱり、分かるものなんですか?」

「目は口ほどに物を言う、と言いますでしょう。誰かを愛する者は、眼差しが違いますわ。皇帝陛下と皇后陛下は幼馴染だったそう。小耳に挟んだ話によると、昔の皇后陛下は、悪女とは程遠い善い方だったとか」

「え、昔は違う性格だったんですか?」

「さぁ……ただの噂話ですわ」


 樹蘭の振る舞いは悪女そのもので、善人とは程遠い。昔は違う性格だったとしたら、どんな人だったのだろうか。それに、何をきっかけに変貌してしまったというのだろう。

 翠花は、孫雁が樹蘭に好意を寄せていたことを知っていた。しかし彼女は、孫雁に愛情はなかったという。そうなると、樹蘭を嫉妬する理由がなくなる。

 色絵を施した茶碗に茶を注ぐと、玉露の芳醇な香りがほんのりと鼻腔を掠めた。


 するとそのとき、らんかは翠花に押し倒されていた。熱を帯びた視線に射抜かれ、喉の奥がごくっと音を立てる。


「樹蘭様を妬ましくは思わないんですか?」


 すると彼女の唇が、不敵に扇の弧を描いた。


「まさか。言いましたでしょう? わたくしはわたくしを愛してくださらない殿方は好きではないと。むしろ、殿下が報いのない恋に心を傾け、わたくしのことは放任してくださっていることに感謝しておりますわ」


 確かに、翠花の自由奔放な行動を黙認しているのなら、孫雁はとても寛大だ。寛大というか、興味がないだけなのだろうが。しかしそのおかげで、翠花との利害関係は成り立っているようにも思える。


 とても彼女が、嘘をついているようには見えなかった。翠花の口調からは、孫雁に対しても樹蘭に対しても、少しの悪意も感じられない。

 翠鼻はすぅとこちらに片手を伸ばし、らんかの腰の帯に触れ、解いた。


「ひっ……」


 思わず、らんかの口から小さな悲鳴が零れる。うわぎの隙間に彼女が手を忍ばせたところで、血の気が引いていく。


(これ、完全に脱がそうとして……っ!?)


 衣の下にはさらしを巻いて胸の膨らみを隠している。服を脱がされては、さすがに男装が分かってしまう。

 らんかは抵抗して半身を起こし、茶碗を手に取って差し出した。


「その前に……お茶をどうぞ。冷めてしまう前に」

「ああ、そうでしたわ。ちょうど喉が渇いておりましたの」


 なんの疑いも持たずに茶を飲む翠花。彼女の小さな喉仏が上下するのを確認し、らんかは意味深な表情を浮かべる。

 茶を飲んで、また擦り寄って来たが、瞼の重さを感じて欠伸をする翠花。


「あら……? なんだか急に、眠たくなって……」


 彼女の上半身がふらりと揺れ、らんかは腕で支える。うとうとし始めた翠花は、まもなく意識を手放していた。

 らんかは翠花を背負って、寝台に運んで寝かせ、そっと囁く。


「知らない相手に出された飲み物を、不用意に飲んではいけませんよ。沈徳妃」


 与えられたものをそのまま口にしてしまうなんて、先ほどの子猫みたいだ。

 疑う心を知らなくて、無垢。そして欲望に忠実。らんかは案外、こういう人が嫌いではない。


 茶碗の底に少しだけ残った液体を飲み干したあと、水指みずさしでしっかり洗い、証拠を隠滅する。

 そっと、自分の懐から空になった薬のパッケージを取り出した。西之宮に来る前に、万が一に備えて服の内側に睡眠薬を忍ばせていた。そして、翠花に出す茶に溶かした。

 彼女は現代の薬に耐性がないのか、気絶するように眠った。


 らんかはパッケージをしまい込み、解けかかった帯を結び直して服を整える。


(翠花様が男好きってことは聞いてたけど、まさか襲われかけることになるとはな……。さすがの私も肝が冷えたわ)


 寝台でぐっすりと眠る翠花を一瞥したあと、らんかは西之宮を後にするのだった。

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