三話 生きるか死ぬかの交渉

第4話

驚いて硬直しているらんかに、孫雁は玲瓏とした声で続けた。


「皇后、周 樹蘭は二日前、何者かに首を絞められて殺された。犯人は恐らく、後宮内部の者。そして――上級妃の中にいる」


 樹蘭が死に、孫雁は李家に伝わる秘術で彼女を生き返らそうとしたが失敗した。蘇らせることができないならせめて、彼女の憂いを晴らしてやりたいというのが孫雁の思いだった。

 彼は懐から布の包みを取り出して、中から金の簪を取り出した。飾り部分は中央の宝石がくり抜かれ、台座だけになっている。


「この簪は……?」

「遺体の近くの寝台の下に、血が付着した状態で落ちていた。樹蘭の遺体の首には、圧迫痕と女の手形。胸には――七箇所、刺し痕が残っていた。この簪は上級妃にのみ与えられるもので、それぞれ異なる宝石が埋め込まれる。例えば、樹蘭は――紅玉の簪を持っている」


 胸の傷は、死後につけられたもの。

 樹蘭を刺した簪を寝台の下に落としたあと、犯人は見つけられずに逃げたと推測されている。

 この簪以外に、凶器を含めて、取り立てて疑わしいものは見つからなかった。

 興栄国の皇帝は、皇后の他に多くの妃を抱えている。

 皇后の次の序列に、四夫人という地位があり、上から順に、貴妃、淑妃、徳妃、賢妃となっている。


 そして孫雁は、上級妃の三名を犯人として疑っていた。彼女たちは周家に対立する四代名家の令嬢で、政敵の樹蘭を排除したという可能性がある。


「七箇所も差すなんて、よっぽどの恨みでもあったんですかね。では、その壊れた簪の持ち主を探せば、犯人が分かるのでは?」

「上級妃は全員、簪を持っていた。殺害現場に簪を寝台の下に落とし、遂に見つけられずに逃げたのだろう。だから、証拠隠滅のためにすぐに同じものを作らせたのかもしれない」

「そう簡単に複製できるものなんですか?」

「相手は四代名家だ。たかが簪ひとつ、作らせることなど容易だ」


 このままでは証拠不十分で犯人を捕らえることができない。


 昔から後宮では、何度も毒殺などの殺人事件が起きてきたが、真相が闇に葬られたままの事件がいくつも存在している。

 もしも樹蘭を殺害した動機が、皇后の座を狙ってのものだったら。樹蘭の死から、朝廷ですでに次の皇后を誰にするかという議題が上がっている。特に四代名家は、周家から覇権を奪うために権謀術数に耽っているような者たちばかりだった。

 樹蘭の死を知った四代名家たちは、自分の娘を次の皇后にしてはどうかという話を孫雁に持ちかけた。自分の娘を皇后に据えて、外戚権力を握ろうと。そしてまるで、樹蘭の廃位を待ちわびていたように。


 真相が分からないまま、次の皇后選びを行えば、彼女を殺した者が皇后の座に据わることも考えられる。

 とにかく、犯人の思い通りにはさせたくないというのが、孫雁の考えなのだろう。


「樹蘭の死は、医官の誤診だったことにしておく。お前は樹蘭になりすまし、ただ普通に過ごしていればいい」

「では、犯人が見つかったあと、樹蘭様が亡くなったことを公表なさるんですか?」

「ああ。そうだ」


 ただ普通に、と言っているが、他人になりすまして生活するのは簡単なことではない。

 すると、隣で孫雁の話を黙って聞いていた文英が口を挟む。


「私は反対です、陛下。そのような素性の分からない者に協力させるなど、考えられません! その娘はたった今異国から現れたこの世界の常識を何も知らない娘です。貴賓のふりなどとてもできるとは思えません」


 文英は、操魂の術を知ったことの口封じを兼ねて殺しておくべきだと、再度説得する。


(そんな……。口封じに殺されるなんてご免よ……!)


 孫雁が文英に反応して何かの言葉を発するより先に、らんかはすかさず言った。


「やれます……! 私、皇后陛下の身代わりを完璧に演じてみせます。誰にも悟られせません」


 らんかの威勢に、彼はわずかに眉を上げた。


「心意気だけはいいな。――ではひとつ、お前の実力を試すとしよう。文英。凛凛リンリンをここへ呼べ」

「皇后陛下が生前最も信頼していた侍女ですが……なぜ彼女を?」

「らんかと凛凛を会わせ、別人だと気付かれなければ合格だ。もし気づかれれば不合格。そのときは――死んでもらう」


 淡々と告げられた言葉に、らんかはごくんと固唾を飲んだ。

 なんて冷酷な人なのだろう。

 けれどこのくらいの冷たさを持ち合わせていないと、一国の皇帝など務まらないのかもしれない。


 文英が凛凛を呼びに行っている間、孫雁が樹蘭の普段の口調、仕草、性格や立ち居振る舞いについて説明した。

 彼女は基本的に横暴な性格で、女官や宦官はもちろん、誰に対しても思いやりのない態度で接した。国民への慈悲の心や皇后としての責任感もない。そして、皇帝の寵愛さえ拒み、好き勝手に暮らしていたとか。


「いかなる相手に対しても傲岸不遜で、決して笑顔を見せない。冷酷無慈悲な女。――それが、周 樹蘭だ」


 らんかはしばらく間を置いたあと、おずおずと言う。


「あの……それ、相当な悪女……では」

「そのように揶揄する者は多い。だが、それでも私は……」


 そのとき、一瞬見せた憂いを帯びた瞳は、恋人を想う男のものだった。


「……愛していらっしゃるんですね。樹蘭様のことを」

「彼女をこの腕の中で看取ったときの絶望を超えるものは、後にも先にもないだろう。……なぜ私は、会ったばかりのお前にこんな話を……」


 口に手を添えて気まずそうに目を伏せる彼。初対面の相手に心の内を吐露してしまったことが不本意な様子だ。


「聞いた話は誰にも言いません。どうせ私、あなたに殺されるかもしれないですし」


 拗ねたように訴えると、彼は忌々しげに息を吐いた。


「死にたくなければうまくやればいい。それだけのことだ」


 やっぱり冷酷な人だ。

 孫雁は次に、凛凛について説明した。今からこの部屋にやって来る彼女は、樹蘭が後宮入りする前から仕えていた侍女。そして、樹蘭の遺体の第一発見者だった。


 樹蘭の側仕えは、ひと月と持たずに辞めてばかりだった。けれど、凛凛は孤児であるところを樹蘭に拾ってもらったという恩があり、どんなに樹蘭が横暴を働いても、誠実に仕え続けていたという。


 らんかには凛凛と過ごした記憶がないため、記憶喪失という設定にすればいいと孫雁は言った。


(そんな相手を……騙せるかな)


 拳をぎゅうと握り、緊張から背中に汗が流れるのを感じた。

 その動揺を察した孫雁が傍で囁く。


「じきに来る。そう固くなっていると、凛凛に悟られるぞ」

「…………」

「怖気付いたか? やめるなら今だ」


 誰のせいで緊張していると思っているのかと内心で抗議する。


(やめたいと言ったら、殺すくせに)


 そもそも、彼が脅すようなことを言わなければ、身体をこわばらせることもなかった。緊張しているらんかに、彼は思わぬ提案を投げかける。


「もし、お前が犯人を見つけるまで見事に勤めを果たせたならば、元の世界に帰すことを考えてやらなくもない」

「本当ですか……!?」


 するとそのとき、引き戸の奥に二人の足音が聞こえた。恐らく文英と凛凛だろう。


「樹蘭様は、凛凛さんをなんと呼んでいらっしゃったんですか?」

「――小凛シャオリン、と」

「分かりました」


 らんかはすっと立ち上がり、孫雁のことを見下ろしながら言う。


「絶対に別人であることを悟らせません。そしてきっと、あなたのお役に立つことを証明してみせます」


 そこまで口をついたように言ってから、らんかはふと我に帰る。

 あなたのお役に立ってみせると言ったものの、初めて会った、それも自分をよく分からない世界に勝手に呼び出した相手のために尽くすのは心底馬鹿らしいことではないかと。

 しかし今は、生きるためにはなんでもするしかない。


 まもなく引き戸が開かれて、文英と凛凛が入って来た。

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