第3話

「ん……」


 次に気がついたとき、固い木の床の上にらんかは横たわっていた。

 そっと半身を起こすと、足元に円形の陣が描かれており、目の前に白い祭壇が佇んでいた。その中央にらんかを吸い込んだ鏡が置いてある。

 それに、先ほどまで真夏の炎天下にいたのに、身体の芯まで凍えてしまいそうなほどに寒い。


(何かの、儀式みたい)


 顔を上げて辺りを確認すると、荘厳な雰囲気の部屋で、中華風の時代映画や舞台のセットのようだった。

 するとそのとき、後ろから誰かがよろよろと近づいてきて、跪いた。


「樹蘭、なのか……? ああ、よかった……っ」


 突然抱き締められ、当惑するらんか。けれど彼の腕の中は暖かくて、心地が良かった。

 腕から解放されて振り返ると、彼は胡服を身にまとったとりわけ美しい男だった。年齢は二十代後半くらい。長く真っ直ぐ伸びた黒髪が印象的だ。

 男は恐る恐る手を伸ばし、その頬を慈しむように撫でた。


「お前は生き返ったんだ。私のことが……分かるか? 孫雁だ。その格好は一体……」


 彼はらんかのスーツ姿に首を傾げる。

 陶器のような滑らかな肌に、筋の通った鼻梁。そして、こちらを見据える長いまつ毛に縁取られた――青い瞳。

 長らく芸能界にいたらんかは美しい人を見慣れているはずなのに、その上でも戸惑ってしまうくらいに綺麗だ。


(この声は、さっきの……)


 鏡の中で聞いた声、名前と一緒だった。

 孫雁はどうやら、こちらのことを樹蘭という人と勘違いしているらしい。


「あ、あの……私は樹蘭さんではありません。宮瀬らんかと申しまして」

「…………は?」

「屋上でドラマの撮影をしていたら、突然あの鏡に吸い込まれて……。ここは一体どこでしょうか? それにあなたはどちら様ですか?」

「どらま……とは」

「えっと、お芝居のお仕事です」


 ここまでの経緯を打ち明けると、孫雁の表情はみるみる曇っていった。

 彼は先ほどまでの優しさが嘘のようにこちらを冷たく突き放して、すっと立ち上がった。その表情には明らかな落胆が滲んでいる。


 孫雁はこちらを見下ろしながら説明した。彼は興栄国という聞いたこともない国の皇帝をしていて、つい二日前に皇后である樹蘭が暗殺され、皇家に伝わる秘術で蘇らそうとしたのだと。


 しかしなぜか樹蘭ではなく、異世界人のらんかが呼び出されてしまったのだ。


 彼は、部屋の中に控えている部下らしき男に告げる。


文英ブンウェイ。――操魂の術は失敗した。見間違うほど似ているが、その女は……樹蘭ではない」


 すると、文英と呼ばれた部下の男が感を引き抜き、らんかの鼻先へと向けた。撮影の小道具で模造の剣を見たことは何度もあるが、今自分が向けられているのは、明らかにそれとは違う、本物の刃の輝きだった。

 らんかがひっと悲鳴を上げて両手を掲げ、降参の意を示せば、文英は「殺しますか」と孫雁に尋ねる。


 孫雁の答えよりも先に、らんかは訴えた。


「ま、待ってください! 突然呼び出しておいて、殺すなんてあんまりじゃないですか……!? 元いた場所に帰してください!」

「それは無理です。死んだ人間の魂を呼び戻すこの術は、代償を払わなくてはなりません。あなたごときのために、尊い皇帝陛下にこれ以上身を削らせる訳にはいかないのですよ」

「そ、そんな……」


 孫雁が一体何を代償として支払ったのかは、教えてくれなかった。

 文英に願いをばっさりと斬り捨てられたが、らんかからしたら理不尽な話でしかない。

 再び孫雁の方に視線を移すと、彼はこちらを一瞥したあとに、文英に言う。


「殺す必要はない。この女には――利用価値がありそうだからな」


 孫雁はこちらにずいと迫り、らんかの顎を持ち上げて顔をじっくりと観察した。その鋭い眼差しに萎縮する。


「らんかと言ったな。――もしお前が私の役に立つならば、生かしてやってもいい」

「ほ、本当ですか……!? なんでもします、だから命だけは助けてください!」


 生かしてくれると言うなら、それに食いつくしかなかった。いやしかし、自分が人生の中でこんな風に必死に命乞いをすることになるとは思わなかった。映画の中で人質の役をしたことはあったけれども。

 孫雁はらんかの命乞いに眉ひとつ動かさずに冷たく続けた。


「先ほど、芝居の仕事をしていると言っていたな?」

「は、はい。そう……です」

「ではお前には――死んだ皇后になりすまし、彼女の死の真祖を解き明かすまで時間稼ぎをしてもらう」

「…………!」


 彼からの要求に、らんかは息を飲んだ。


(わ、私が――皇后のふり!?)

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