二話 国民的女優、異世界に転移する
第2話
日差しが照り付ける暑い日。圧しつけられるようなじりじりとした熱気が服の生地を通して肌に伝わる、そんな真夏の昼下がり。
「言ったよね? 前から私が西村部長のことが好きだって。それなのにあの人と一緒に食事に行ったって、どういうつもり!?」
「私も――西原部長のことが好きなの。ごめん由佳。私、由佳のこと……応援できない」
「応援してくれるって言ったのに! 私の好きな人を取らないでよ! 嘘つき!」
らんかは由佳という役を演じながら、相手の女優の頬をばしんと叩いた。
相手は叩かれて赤くなった頬を撫でながら申し訳なさそうに俯く。
「……ごめんね、由佳」
今日は、都内某所の高層ビルの屋上で、連続ドラマの撮影をしていた。社内恋愛がテーマで、人気漫画原作となる作品だ。らんかはヒロインの恋路を邪魔するライバルであり、悪役だった。
女優、宮瀬らんかは、『国民的女優』と世間でもてはやされている。CMや雑誌に引っ張りだこで、多数の映画やドラマに出演。テレビで見かけない日はないほど。
子役としてデビューしたあと、十六歳で恋愛映画の初主演を務めて大ヒット。以降、人気は上がり続けている。特に、悪役の演技が上手いと定評があった。
「はいカット! 休憩入ろうか」
暑さを忘れるほどに役に没頭していた意識が、監督の声とともに現実へと戻された。
真夏の太陽に照らされたセラミックタイルの床が熱を放ち、頭上からも足元からも容赦なく熱が身体をこたえさせていく。ビルの下からセミの鳴き声が耳に届いた。
(あっつい……。体が茹だっちゃいそう)
らんかは相手役の女優にそっと声をかける。彼女は、子役からずっと芸能界にいた自分より芸歴がずっと短い後輩だ。
「頬、大丈夫ですか? 結構強めに叩いちゃってすみません! 痛かったですよね……」
「全然平気です! むしろ宮瀬さんに叩いてもらえてご褒美です!」
「ご褒美」
予想外の返答に、頬を引きつらせる。
彼女はまだ新人女優。らんかの大ファンだったらしく、初めて楽屋に挨拶しに来たときは号泣され、サインと写真を求められた。
するとふいに、視線の先の手すりの奥に、丸い鏡が浮かんでいるのが見えた。
複雑な模様が描かれた、銅合金製の不思議な鏡。
「ねえ見て、どうしてあんなところに鏡が浮いてるんだろう」
「え? 鏡……ですか? どこにもないですけど」
彼女がきょろきょろと辺りを見渡しているのを見て、鏡は自分にしか見えていないのだと理解する。
気になって鏡の方に近づいた瞬間、目を眇めてしまうほどの強い光が鏡面から放出され、らんかの身体が宙に浮いた。
「へっ……?」
こちらの異変に気づいた他の役者やスタッフの悲鳴が耳を掠めたかと思った直後、鏡の中へと身体が吸い込まれていく。
「――きゃあああっ!」
恐怖と不安から、心臓が大きな音を立てた。なんとか逃れようとじたばた暴れるが、抗うすべもなくらんかは鏡の中へと消えた。
鏡の中は真っ暗闇で、どこか遠くへ吸い込まれ続けていく感覚がした。
どうすることもできずに固く瞼を閉じると、男の声が響いた。
『樹蘭! 樹蘭……っ! 頼む、目を開けてくれ……! 私を置いていくな。樹蘭……!』
なんて悲しげな声なのだろう。掠れ、震えたその声からその人が泣いているのが分かった。
男は必死に女の名前を呼び、死なないでくれと訴え、縋っていた。
(誰の名前……? どうしてだろう、自分が呼ばれている訳じゃないのに、泣きたくなるのは……)
初めて聞くはずなのに、なぜか懐かしさを感じる。その男が泣いていると思うと、なぜか胸が苦しくなる。傍に行って、慰めてあげたくなる。
その声を聞いてまもなく、暗闇に呑まれたらんかは意識を手放していた。
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