第29話

「それらは全て、そなたが見てきたものだ。忘れていたとしても、そなたの魂に眠っておる。そなたは――妾の生まれ変わりだから。周 樹蘭の魂はすなわち、宮瀬らんかの魂でもある。そなたは日本で、何をし、何を学んだ?」


 らんかが樹蘭の記憶を刹那、自分の記憶かのように鮮明に思い出すことができたということは、本当に生まれ変わりなのだろう。

 驚愕の事実に当惑しながら、彼女の質問に答える。


「私は……芸能界で女優をしていました。体力としぶとさと根性は人一倍……あると思います」


 周家の令嬢として疎まれ、非難されてきた樹蘭と同様に、らんかの元にも誹謗中傷は届いた。らんかの演技や仕事の内容が気に入らない者から、活躍を妬む者、単に日々の鬱憤の捌け口にしたい者。否定的な意見の内容も様々だったが、過激な言葉もしばしばあった。

 ありもしない噂を流され、実家や地元の友人のところまで記者が押しかけたこともあった。


「じゃあ、私が悪役の演技が得意だったのは……」

「前世の経験が活きたのであろうな。悪女としての振る舞いが染み付いていたゆえ」


 そして、誹謗中傷という点で、世界は違っても同じようなことをらんかと樹蘭は経験している。


「妾は壁の前で倒れ、今世の自分が乗り越えられなかった課題を、来世に課すことにした。それをそなたは、乗り越えたのだ」

「…………」


 そして樹蘭は、乗り越えられなかった試練があったのと同時に、死して大きな心残りがあった。

 ひとつは、皇后としての務めを全うできず、悪女として汚名を背負ったまま死んだこと。

 そしてもうひとつについて、彼女は口にしなかったがらんかには分かった。


(きっと、陛下の気持ちに……応えなかったこと)


 興栄国の宗教において、自死は最も重い罪とされる。樹蘭は死後、百年という途方もない時間暗闇の中をさまよった。しかし、長い時間をかけて心の傷を癒し、光へと戻って生まれ変わった。

 それが――宮瀬らんかだ。


「妾が百年焦がれたもの……そなたの中にも妾の未練が強く、残っているはずだ」


 樹蘭の未練とは、孫雁への恋心のこと。


「そしてそなたは、前世のそなたが叶えられなかった願いを叶えることができる。なぜなら妾にはない、周りを惹き込むほどの強さが備わっているから。そなたが望むのならば、妾の名前も、財産も、地位も、全てをそなたに譲る」


 操魂の術は、術者の意思だけではなく、かけられる者の意思があって初めて成り立つものだ。樹蘭は孫雁の呼び戻しに応じず、あえて来世の自分を召還させた。

 自分が孫雁のところに戻っても、その弱さを克服できない限りは同じ失敗を繰り返すだけだから。


(初めて陛下のお声を聞いたとき、涙が出そうになったのは……樹蘭としての未練が魂に刻まれて……いたからなのね)


 そして、らんかの中の樹蘭の魂が、術に反応して転移したのだ。


「ここは日本と興栄国の狭間の鏡の世界。どちらへ行くか、そなたに選択権がある」


 樹蘭は自分の胸に鏡を抱いた。らんかが迷っていると、孫雁がそっとこちらの背を撫でる。


「ただ、お前が望む世界を、強く願えばいい。宮瀬らんかとして」

「私が、望む世界……」


 らんかの頭の中に、女優として過ごしてきた日々が思い浮かぶ。楽しいことばかりではなかったが、充実していた。それに、家族や友人が帰りを待っている。


「行き先が――決まりました」


 そう言って鏡に手を伸ばすと、強い光を放ち始めた。鏡面に引力を感じたそのとき、樹蘭は柔らかく微笑んだ。その表情には、悲しみも、怒りも、苦しみもない。


「孫雁様。幸せを願っておりますわ。ありがとう。そして申し訳ありませんでした。どうかお元気で」

「……ああ」


 彼女の笑顔に、孫雁がどんな表情を返したのか。鏡から放たれる光が強すぎてらんかには見えなかった。

 しかしきっと、彼もまた優しい表情をしているのだろう。

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