二十二話 皇后の友人
第31話
らんかは興栄国で、皇后樹蘭として生きることを決めた。
樹蘭が生きていくには、後宮はあまりに厳しい世界で、孫雁の傍で生きていきたいという願いも叶わなかった。
鏡の中で会った樹蘭いわく、生まれ変わりのらんかは、樹蘭が乗り越えられなかった課題を乗り越え、皇后になるための資質を培ったというらしい。それが、日本での女優としての人生だった。
樹蘭の未練が生まれ変わったらんかの中にも残っているのか、らんかは興栄国で新たに生きることを選んだのである。
「朝早くに呼び出してすまないな」
「いいえ、とんでもございません……!」
数日後の早朝、らんかは内之宮の私室に侍女たちを集めた。彼女たちは急な招集に不安そうな表情をしていた。
らんかは凛凛に命じて、侍女たちの前に箱をひとつひとつ用意させる。
これは一体なんだろうと小首を傾げる彼女たちに告げた。
「開けて中を確かめてみよ」
「「は、はい……!」」
皇后の命令に、侍女たちは警戒心を滲ませながら従う。そして、箱の中のものを確認して驚いた。
らんかが用意したのは、全員分の上質な衣と簪だった。後宮の妃たちは侍女に信頼の証として、しばしば褒賞を与える。侍女の給金は少なく、妃からの褒賞をあてにしている女官は多い。しかし、樹蘭は周囲の者たちに気を配るような心の余裕はなく、そうしたことを一度もしてこなかった。
箱の中の衣を手に取り、かざしてみながら戸惑いを浮かべる侍女たち。
「そなたたちにそれを与える」
「よろしいのですか!? このような高価なもの……」
「そなたたちは皇后の侍女なのだ。品の良い身なりをさせなくては、主人として面目が立たぬゆえ」
目下の者を配慮する口ぶりに侍女たちは、皇后はどうしてしまったのかと顔を見合わせる。
らんかは扇子で口元を隠しながら、ゆっくりと唇を開いた。
「長い間、そなたたちに迷惑をかけてすまなかった」
「……!」
「至らぬ点が多い妾だが、これからもどうか、見離さずに仕えてほしい」
悪女と名高い樹蘭の謝罪に、侍女たちは困惑するばかり。
褒賞を与えてから彼女たちを退出させると、帰り際に目配せし合って互いに疑念を確認し合っていた。
侍女の中で唯一褒賞を与えていない凛凛だけを部屋に残す。いつもの仏頂面のまま、黙って立っている彼女。
「どうして凛凛さんの分は渡さなかったか、聞かないの?」
「私には到底、受け取る資格などございません。らんか様こそ……なぜ私をお傍に置くのです? 私は……私は、樹蘭様の尊いお身体を傷つけた罪人なのに、」
らんかは人差し指で、彼女の小さな唇を塞ぐ。
凛凛は、樹蘭を他殺と見せかけて後宮に混乱を招いだ。本来なら死罪になってしかるべき行いだが、らんかは孫雁に頼んだ。彼女の罪を咎めないでほしい――と。彼はその願い通りに、凛凛に罰を与えなかった。
「自死は……この国の宗教で最も重い罪なんでしょう? 凛凛さんは自分が罪を犯してまで、友だちの名誉を守ろうとしたんです。私……感服しました」
「で、ですが、もし上級妃のどなたかに矛先が向いて冤罪になったら、取り返しのないことになっていたかもしれません。それにそのせいで、らんか様は身代わりという大変な役目を強いられたのですよ!?」
「そのおかげで、私は孫雁様と仲良くなれたわ。それにこの日々も結構、楽しかったの」
らんかはにこっと目を細める。
日本で女優をしていたころは、女優として十分すぎるくらいに夢を叶えてきた。けれどその分、私生活で制約が多く、友人を作ったり、恋をすることができなかった。そもそも、仕事が忙しすぎて自分に向き合う暇がなかったのだ。
この世界で生きることを決めたからには、めいいっぱい楽しんでみようと思っている。
「だから今度は、私があなたと、あなたの友達の名誉を守ってみせるわ。樹蘭様のことを、皆からの嫌われ悪女のままにはしない」
「――というと?」
「悪女のふりはおしまい。私は樹蘭としてこれからは、完璧な皇后を演じるの。面白そうでしょ?」
記憶こそないが、樹蘭は前世の自分。彼女が周りに迷惑をかけてきたなら、その尻拭いは自分でしなければならない。
孫雁の寿命を吸い続ける鏡を割るために、興栄国に戻るという選択をした。樹蘭の名前と地位を借りて生きていくのなら、彼女の汚名を返上するために努めるのはその対価だ。
「ま、まさか……樹蘭様の名誉を守ってくださるのですか? これからも、身代わりとして」
「それが、孫雁様といることを樹蘭様に許してもらう見返りかなって」
何ができるか分からないが、自分なりにやれることをやってみるつもりだ。
らんかは立ち上がり、棚の奥から他の侍女に贈ったものよりひと回り大きな箱を引っ張り出した。蓋を開けると、これまた他の侍女に与えたものより上質な生地の衣と簪が出てくる。
花の意匠の簪を手に取り、凛凛の髪に飾る。
「ここに来てからまだ、凛凛さんが笑ったところって一度も見てないの。いつか一緒に笑い合えるような、そんな関係になれたらいいな。私は本物の樹蘭様じゃないけど――あなたと友達になりたい」
「……!」
目を大きく開いた彼女は、おずおずと手を頭に伸ばして簪を撫でた。
凛凛は、皇后がなりすましであることを知っている唯一の同性。
これまでらんかの境遇を理解し、協力してくれたことへの感謝の気持ちを込めて、最も高価な褒賞を用意したのである。
「らんか様と樹蘭様は、似ているようで似ていませんね。樹蘭様はは危うげで、いつか消えてしまいそうな儚さがありました。でもらんか様には、周りさえ惹き込まれるような強さがあると……私は感じました」
「……」
「その強さがあれば、樹蘭様は後宮でも生きていたかもしれません」
すると彼女は、ここまで上がることがなかった口角をゆるりと持ち上げる。ぎこちなく、けれど優しい微笑みだった。
「樹蘭様のことも、らんか様のこともお慕いしております。私などでよければ……ぜひ友にしてください」
らんかは異世界に来て初めて、友人ができたのだった。
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