十話 元国民的女優は、按摩師を演じる

第11話

「皇帝陛下の命で参りました。本日はよろしくお願いいたします」

「よく来てくれたな。待っていたよ。君の評判は陛下から伺っている。さっそく始めてくれ」

「……承知いたしました」


 若い声だと不審に思われてしまうかもしれないので、低く、掠れた声を絞り出すようにして話す。


 東之宮に着いて早々、麗明はらんかのことを歓迎してくれた。

 茶と菓子まで出してくれて、侍女たちも気さくに接してくれた。西之宮は美男子ばかりで異質だったが、東之宮は和気あいあいとしていた。


 楊 麗明。彼女もまた、周家に対立する四代名家の令嬢だ。

 長身で藍色の長い髪に、つり目がちな青い瞳をした凛々しい女性。中性的な雰囲気を感じた。


 彼女の寝室に案内されるが、翠花の部屋と違って飾り気がなく、簡素だった。


「では、指圧しやすいように上着だけ脱いで横になっていただけますでしょうか」

「ああ、分かった」


 ゆっくりと上衣うわぎを脱ぎ、寝台に横になる彼女。背中の真ん中から外側へ向かって指圧していく。


(雑談をしながら、樹蘭様について聞き出していこう)


 話をする機会を探りつつ、まずは「凝っていますね」と自然に声をかけてみる。……だが、返事が返って来ない。もしかして、施術中は静かにしていたい人なのかと思い口を噤むと、すぅすぅと寝息が聞こえた。

 無防備に小さく唇を開き、肩が上下している。


「寝てる……」


 その後も起きる気配はなく、結局背中をほぐしただけで終わってしまった。

 施術後、声をかけてようやく目を覚ました麗明は満足気に礼を言った。


「いやあ、すごく効いたよ。肩が随分と軽くなった。君、本当に腕がいいんだね」

「……恐縮でございます」

「ぜひまた頼ませてくれ。そうだ、これをあげよう」


 彼女は、侍女に命令して籠を持ってこさせた。差し出された籠の中には、焼き芋が入っていた。


「わ……美味しそう。焼き芋、大好きなんです」

「ふ。それはよかった。ご家族と召し上がってくれ」

「ありがとうございます……!」


 らんかがぱっと表情を明るくさせると、麗明は優しく目を細めた。

 しかし、東之宮を出て、鼻歌交じりで歩いていたらんかははっとする。


(今日は結局、何も聞けなかった……)



 ◇◇◇



 らんかは按摩師の格好のまま、焼き芋が入った籠を持って、本殿の執務室前に立っていた。なんとなく緊張した面持ちで、格子戸に立っている衛兵に中に通してほしいと頼む。

 中から「入れ」と入室の許しを得て、戸を開く。執務机で書類仕事をしている孫雁。そしてその傍らに、文英が立っていた。


 文英は、孫雁を補佐する上級官僚という地位にある。

 すらっとした長身に茶髪で、理知的な雰囲気の男性である。


「報告に来ました。らんかです」


 当たり前のように執務室の中に入るが、孫雁と文英は、一体誰だ、という様子で顔を見合せた。


「あなたは、本当にらんか様なのですか……?」

「ああ、化粧をしたままだと分からないですよね。すみません」


 女官に水が入った洗面器を用意させて、厚塗りの化粧を落とし、らんかの元の顔が露になる。

 冴えない按摩師の姿から一変し、きらきらとした素顔。彼女に後光が差したような錯覚が見える孫雁と文英。


「改めて、お仕事お疲れ様です。楊淑妃様のところに行ってきたので報告に来ました」

「何か収穫があったのか?」

「じゃーん見てください! 焼き芋です!」

「焼き芋」


 満面の笑みで籠を掲げれば、孫雁はいぶかしげな表情をこちらに向けた。


「……それだけか?」

「美味しそうですよ? ひとりじゃ食べきれないので、陛下もどうかなって思って」


 なんの情報も得られなかったことは、笑顔と焼き芋で誤魔化す。呆れたようにため息を漏らす孫雁を見て、彼の目の下にくっきりとくまができているのに気づいた。


「陛下、もしかして……寝不足ですか?」


 その問いに、文英が答える。


「陛下は、昨晩から休まずに仕事をなさっているのです。お身体が心配になって、少し休息を取られてはと進言しに参った次第です」

「昨晩からって……」


 当の本人孫雁は、疲れを表情に見せず、むしろ飄々とした様子で書類に目を通している。


「あ、あの陛下……少し寝た方がいいのでは……」

「これらの認可を遅らせると、困る国民がいる。私の睡眠時間より優先だ」

「それであなたが身体を壊したら、もっと困る人が大勢いるんじゃないですか? 本末転倒ですよ」

「…………」


 文英が隣で、うんうんと大きく頷いている。

 過度な労働により疲労が溜まれば、いつか倒れてしまうかもしれない。父は無理をしすぎて身体と心を壊してしまった。


 もっとも、らんかは旬の女優として引っ張りだこだったので、異世界に来る直前まで、厚生労働省も労働基準監督署も冷や汗を浮かべる程度に体を酷使する働き方をしてきたのだが。


 孫雁はらんかの言葉に作業の手を止めて顔を上げた。彼はこちらを見つめながら、眉間に縦皺を刻み、目を細めた。


「らんかが……三人……だと?」

「しっかりしてください、ひとりしかいませんよ。これ以上無理をしても効率が下がるだけです。ほら、文英様がおっしゃる通り、仮眠を取りましょう?」


 眠すぎて幻覚が見えているようだ。

 らんかが畳み掛けると、孫雁はゆっくりと息を吐いた。


「一刻経ったら起こせ」

「かしこまりました」


 孫雁の命に、文英が泰然と一礼する。

 そして文英は、「陛下をお願いします」とらんかに言い残し退出した。


「子守唄、歌ってあげましょうか?」

「戯け」

「はは、冗談ですよ」


 籠から孫雁と文英の分の焼き芋を取り出し、文机の上に懐紙に包んで置く。


「よかったら後で召し上がってください。それじゃ、私は帰るので」

「食べていかないのか?」

「……へ?」

「ここで食べて行けばいい。東之宮の報告をしに来たんだろう。聞く」

「お休みの邪魔になるんじゃ……」

「構わない」


 孫雁が引き止めて来たことを意外に思い、らんかは目を瞬かせる。


 彼の向かいに腰を下ろし、焼き芋の皮を剥いて、懐紙の上に皮を乗せていく。それから、そっと手を合わせ、「いただきます」と言ってからひと口食べる。


 まだ温かく、柔らかめの食感だった。焼き芋を食べながら、東之宮に行った報告をした。


「今日は麗明様がすぐに寝てしまったので、また行こうと思います」

「彼女は元々口数が少ない方だ。長くなるかもな」

「そうですね……ん、甘い」


 頬袋を膨らませ、黙々と焼き芋を口に運んでいると、孫雁がこちらを凝視していることに気づいた。絶賛寝不足中なので、いつもより迫力がある。


「あの……私の顔に何か付いてます?」

「いや。お前は随分幸せそうに食べるのだと思っただけだ」

「食べることが……大好きなので。食べているだけで幸せな気分になります」

「ふ。そうか」


 彼に微笑ましげな眼差しを向けられ、気恥しくなる。


(陛下が笑ってると……なんだか胸がどきどきする)


 らんかが目を逸らすと、孫雁はこちらの恥じらいを見透かしたように小さく笑った。


「手軽な奴なんだな」

「なっ!?」

「焼き芋だけでそんな風に笑顔になるのは、お前か、あるいはこどもくらいだ」

「……意地悪」


 先ほどの恥じらいを返してほしい。いや、撤回する。

 どうやらあの生暖かい眼差しは、こちらを小馬鹿にしていただけらしい。


「陛下もひと口食べてみてください。美味しくて、きっと頬が緩んじゃいますよ。ああ〜甘くて最高……!」


 頬に手を添えて、恍惚とした表情をしていかに美味しいかを訴える。

 すると直後、孫雁が身を乗り出して、らんかの手から食べかけの焼き芋をひと口食べた。


 薄く形の良い唇が咀嚼し、嚥下するときに喉仏が上下する。ただ、『食べる』という行為を見ているだけなのに、官能的な色香を漂わせていた。


「まぁ、美味いな」


 意地悪に口角を上げる孫雁を間近に見て、心臓が跳ねる。


(これって、間接キス……)


 顔を赤く紅潮させるらんか。

 彼はこちらの朱に染った顔を見て、余裕たっぷりに微笑み、姿勢を戻して座り直した。


 孫雁は、疲れているからか素に近い姿で、無防備だった。いつもより無造作に乱れた深みのある黒髪も、切れ長の瞳にまつ毛が陰を落とす様も、妖艶で、色気がある。


(ああもう。心臓の音、うるさい)


 胸の鼓動が高まっていることに困惑していると、彼は頬杖をつきながら言った。


「私にそのように軽い態度を取る者は、お前が初めてだ。だが不思議と悪い気がしない。それに……お前は見ていて飽きない」


 すっと目を細める彼。今日はやけに笑う。その端正な造形で生まれる笑顔は、暴力的なくらいに魅力があって。


「私のことをからかってないで、さっさと寝てください」


 らんかは照れを隠すように言うのだった。

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