第8話 ねえ、今、何色に見えてる?

 校舎の見取り図を車椅子ちゃんがカメラで記録するのを待って、あたしたちは教室を出た。録音された言葉を発し終えた同窓生さんは、壊れた人形みたいにあたしと車椅子ちゃんの後ろ姿に手を振り続けていた。目障りだったので壊れた扉を立てかけて、教室の入口を塞いだ。


 再び廊下に戻ったあたしは「いい教室だったね」と隣の車椅子に言った。


(とてもそうは思えませんでしたが)


「いい感じのネタバレで、あたしたちの探索の楽しみを壊してくれたじゃない?」


(台無しの言い間違いでは)


「こうは考えられない? 夢って、縦、横、高さに、作り手の心という座標を足した多次元空間だって。夢が人の心の形なら、そりゃ悪意だってあるでしょ。拒絶するのは簡単だけどさ、きれいな場所しか見ないってのはどうもね」


(まあ、比較的わかりやすい夢ではありましたけど)


「さ、これからどうしようか」


(屋上へ)


「ま、そうだね。とりあえずは横道は忘れてゴールを見てみようか」


 あたしたちはこの夢の終わりを見るために、もと来た廊下を戻り始めた。あたしたちが最初に出会った、あの階段の続きへ向かうために。


 そうして1年14組くらいまで戻ったころ、あたしはあることに気づいて足を止めた。


「窓の外」


(なんです?)


「いや、さっきあの同窓生さんが言ってた窓の外のこと」


(何も無い草原が広がってますね)


「何もない?」


(#339933)


「それは……まあきれいな新緑色だよね。そうじゃなくて、他には?」


 廊下の窓に歩み寄る。


 今更ながら、校舎の外はどこまでも続く草原が広がっている。


 緩やかな丘陵。


 隣に来た車椅子ちゃんが窓ガラスにそぉっと触れて、窓を開ける。


 さぁっていう風の音が聞こえてきた。


(青空と流れていく雲)


「そっか」


 じゃあ〝アレ〟は、あたしにだけしか見えてないってことか。


 車椅子ちゃんは何も無いって言ったけど、あたしには草むらの中に別のものが見えていた。


「行こうか」


 少し歩けば、最初の階段に辿り着いた。


 下へ続く階段の先には、車椅子ちゃんと出会った踊り場がある。


 そして肝心の上へ続く階段だけど、防火シャッターが降りていて進めそうになかった。


(行き止まりですね)


「ん、そこに暗証番号を入れるパネルがある」


(ノーヒントじゃないですか)


「まあ二桁だから、総当たりでもいけるっしょ」


 あたしはそう言って、壁に取り付けられたパネルに〝24〟と打ち込んでみた。


 電子音が短く鳴り、シャッターが開く。


 車椅子ちゃんは目を丸く見開き(なんで)と書き始めた。


 あたしは車椅子ちゃんが言葉を書ききる前に、遮るようにして言った。


「あー、あたし? 視力には自信があるんだ」


(そうじゃなくて、あなたは)


「窓の外、人がいる」


(え)


「二十四人、この学校の周囲の草原に隠れてる。当てずっぽうだったけど当たったね」


 車椅子ちゃんは廊下の窓に駆け寄り、目を凝らした。


 あたしは隣に立って草むらに隠れた人影を一人一人指さした。


(言われてもよくわかりません)


「あはは、視力だけはいいんだ、あたし。ほら、そっちにはさっきの同窓生さん」


(えぇ……)


「多分だけど、七五〇〇人の同窓生なんて嘘なんじゃないかな。実働的にはあの二十四人でこの夢を作ったのかも。ううん、廃校になるくらいだ。そもそも生徒の総数だって……」


 きっと多くはなかったはずだ。暗証番号だってそう。たぶん本気で屋上の道を閉ざそうとしてたんじゃなく、そのことを確かめてから上に行ってほしかったってことなのかもしれない。


(結局、この夢のことほとんどわかりませんでしたね)


「夢なんてそんなものだよ。誰かにとっては永遠に残したい風景。それだけわかれば充分さ」


 車椅子ちゃんは、車椅子で坂を登るように、シャッターの先の階段を駆け上がった。


 現実の車椅子では絶対に出来ない階段ののぼり方だ。


 あたしも後ろを追いかける。


「検索をしても現れない、非公開の夢。その夢の制作者も、夢の名前も、夢の概要も、夢のデータ容量すら、すべて伏せ字。技術的にそんなことが可能なのかどうかすらわからない、か」


 踊り場で、車椅子ちゃんは戸惑ったように(え)と書いた。


「何よ」


(この夢、詳細情報見れますよね?)


「はあっ?」


(万華鏡のメニューを開くと、ちゃんと書いてあります)


 あたしは慌てて万華鏡を操作し、この夢の詳細情報を確かめた。


 やはりメニュー画面には、何も書いてない。


(よく目を凝らしてください)


「ん? あ、あー……そっかぁ。これも、か」


 つい気まずくなって、頬をぽりぽりと掻きながら問うた。


「ねえ、今、何色に見えてる?」


(赤)


「どんな赤」


(#d20a13)


「それは……ずいぶん物騒な赤だね。赤い字で、なんて書いてある?」


 車椅子ちゃんは万年筆で、夢の詳細情報を空中に書き写した。




   夢の名前:Memory Capsule

   夢の概要:Inter homines esse desinere.

   最終アップデート日:二〇一三年五月二十五日

   容量:614MB

   作成者:oosaki

   延べ訪問者:88人




「インター、ホミネス?」


(ラテン語で、人々の間にいることをやめている、という意味です)


「それって、死んでるってこと?」


(景色も人と同じで、活動することをやめたら死ぬということでしょうか)


「二〇一三年。この夢ができたのは十年以上も前だったのかぁ」


(もう人々の間にいることをやめた風景ですね)


 ところで、この万華鏡のメニュー画面は、割と濃い目の緑色の背景を使っている。


 そしてこの夢の詳細情報だけ、赤い文字。


 そのコントラストの違いが、まるで見えてないようになっていたということだ。


 オチとしては、なんとも味気ない。


「つまり、非表示だったわけではなく、単に読みづらい赤文字で書かれてたってことか」


(どちらにせよ、技術的にどうやったんだとは思いますケド)


 車椅子ちゃんは肩をすくめた。


 それからあたしに向き直ると、器用に鏡文字を書いた。


 つまり、あたしの目をしっかり見ながら、筆談でこう問うたのだった。


(色が見えないんですね)


 あたしはうなづいた。隠すつもりはなかったんだけどねえ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る