永遠に残る風景 #FF00FF

第1話 もしかして、喋れない?

 階段の折り返し地点を誰かが〝踊り場〟と呼んだ。


 日本独自の呼び方らしい。他の言語に直すと、英語ならLanding、Middle floor。中国語なら楼梯平台。いずれも踊る要素を含まない。明治時代初期に西洋風の建物が建つようになって、それまで木で出来たハシゴのようなダサい階段しかなかったこの国にも、ようやっとおしゃれで気品ある階段が現れたのだとか。


 国策で開かれた華やかな舞踏会。文明開化の靴音とともに、慣れないドレスを翻して歩く女性たち。そういう後ろ姿を見た人たちが、やはり未だ見慣れない非日常的な空間を〝踊り場〟と名付けた。だけど、時代とともにやがてその風景は、数多くの当たり前にありふれた風景の一つとして日常に組み込まれていった。


 そう、えっと。要は何を言いたいのかというと。初めて見た彼女の後ろ姿も、まるで踊るような佇まいだったってこと。車椅子をきゅっと鳴らして踵を返し、セーラーカラーや束ねたおさげの襟足がひらりと翻る。だけど――。


「あんた、どうやってひとりでここまで来たの」


 思わず声をかけてしまった。放課後の階段の踊り場に、車椅子に座った女子中学生が佇んでいた。冷静に考えると不思議な話で、階段の踊り場というのは、階段と階段をつなぐ中間階。車椅子で来ることも、車椅子で離れることもできない空間。ましてやここは、二〇〇〇年代。今から二十年近くも昔の小学校だ。現代の校舎のように車椅子用の昇降機があったりなんてしない。


 二階から階段を上がってきたあたしの姿を視界に捉えると、その〝車椅子ちゃん〟は困ったような笑みを浮かべた。


 それから何か言いたげに口を開くも、なぜかそのまま言葉を飲み込んでしまった。


「もしかして、喋れない?」


 こく、と車椅子ちゃんはうなづいた。すると何かを思い出したかのように、車椅子ちゃんは胸ポケットから一本の万年筆を取り出した。きゅっきゅっとネジ式のキャップを外すと、彼女はペン先を――メモ帳でも学校の壁でもなく、何も無い空中に向けた。


(ここは――)


 インクが空中に伸びて、字になっていく。最後まで書ききってもらわなくとも、その様子を見るだけで自ずと答えを得ることができた。


「あはは、そのとおりだね。ここは現実じゃあない」


 あたしも困ったような笑みを返すと、空中に(ここは仮想現)とまで書き込んでいた車椅子ちゃんが得心行ったようにうんうんとうなづいた。


「あんまりにも質感がすごいものだから、本物の風景と錯覚していたよ」


 あたしたちが立つこの校舎は、電子で出来た〝夢〟。


 インターネットの向こう側にいる誰かが、3DCGやらプログラムやらで創り上げた空間だ。


 ツイッターが文章を投稿するように、ユーチューブが動画を投稿するように。


 この世界では、誰もが空間を投稿している。


 あたしたちは、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)――一六七七万色まで表示できる優れた液晶画面を頭に被って、全身の動きを取り込む高価な光学センサーを全身に取り付けて、第三者が投稿した〝夢〟の数々を万華鏡のように覗き込んでいるだけ。


 いわばこの世界は、一六七七万色ネオンライト万華鏡カレイドスコープ


 要するに、この世界ならプログラムが許す限り、なんでも起こる。


 車椅子の女子中学生が放課後の踊り場にいるくらい、造作もない出来事なのだ。


 車椅子ちゃんは、空中への筆談を続けた。


(この夢まで来るのに、最低でも一日はかかりますからね)


「そうだね。驚いたよ。こんな場末の夢にあたし以外の人がいるなんて」


 せっかくだし一緒に見て回ろっか。


 あたしがそう言うと車椅子ちゃんは可愛らしくうなづき、ふわふわと浮かび上がった。


 車椅子ごと、だ。


 そのままついーっと、三階まで階段を飛び越していった。


「へんなやつ……」

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