第16話 〝山田を忘れるな〟です

 慌てて車椅子ちゃんを見やると、彼女は、ワタシの声じゃありません、とでも言いたげに首を横に振っていた。


「じゃあ、誰の――」


 万華鏡を操作し、夢のインスタンス情報を確認する。夢はインスタンスといって、並行世界のようにいくつも同じ夢を立てる事ができる。例えるなら部屋番号のようなものだ。同じ景観の夢でも、インスタンスが違えば中にいるユーザーが異なる。立て主によって、ユーザーなら誰でも入れるパブリック設定、知り合いしか入れないプライベート設定などを使い分けられる。


 例えばあたしと車椅子ちゃんが出会ったあの廃校舎の夢は、あらゆる人が行き交うことのできるパブリックインスタンスという設定の夢だった。


 で、翻ってこの写真展。


 もちろんインスタンスを立てたのは車椅子ちゃん。


 誰でも入れるパブリック設定だ。


 そして万華鏡のメニュー画面を見やると、このインスタンス内には今三人がいる。


 一覧されているアカウント名は三つ。


「えむぴいさん、ちる子、そしてえーっと……山田を忘れるな?」


 そう〝山田を忘れるな〟というアカウント名のユーザーがこのインスタンスの中にいるのだ。


 怖!


 山田って何だ? いや、何をしたんだ山田は?


 あたしは車椅子ちゃんにカメラを返しつつ、周囲を見渡したが、誰もいない。


 不審過ぎる名前のユーザーがこの夢をうろついてるはずなのに。


「誰もいない」


(いませんね。山田を忘れるなさん)


「本当にすごい名前」


 そうこう会話を交わしていると「こっち。こっちです」と声が聞こえる。


「もしかしてこれ、幻聴」


(集団幻覚かも)


「こっちですってば!」


 声のする方を向いてみると、例の展示写真しかない。


「そう、こっちです!」


「こっちって」


(まさか)


 そう、あたしたちに向けて語りかけていた男性の声は、写真の中から聞こえていたのだ。


 青空を写した縦長の写真。黒い小鳥が飛び去ったあとの電線。


 たった一羽だけ残った、白い小鳥。


 車椅子ちゃんが車椅子を繰り、ずいっと写真を覗き込む。


 声は言った。


「ボクは今、どこにいるでしょーか!」


「テンポが最悪すぎる」


 見つかってからそのセリフを吐くパターンってあるんだ。


 鉄塔を架ける電線から白い小鳥が飛び立ち、こちらへ向かってくる。小鳥はぱたぱたと羽ばたき、写真の中からあたしたちのいる夢の方へと飛び出してきた。驚いて目を丸くする車椅子ちゃんの周囲をぐるぐると飛び回ったあと、車椅子の肘掛けに停まって羽根を休めた。


 そして小鳥らしく小刻みに首を傾げたあと、


「こんにちは。この夢を作った〝山田を忘れるな〟です」


 と自己紹介するのだった。


「鳥がしゃべった」


 驚きはしたけど、何も不思議なことではなかった。


 この夢は、一六七七万色の万華鏡。


 誰もが好きな姿を選べる、VRSNSの世界なんだから。


 やはりこの鳥が、この夢の投稿者。写真展の写真を撮った写真家。そして車椅子ちゃんが取材のために待ち合わせていた張本人なのか。


 車椅子ちゃんが(えと、どこからお話しを聞かれてました?)と鏡文字で問う。


 小鳥は言う。


「いや仮想現実じゃん水没とか関係ないじゃん……ってあたりから」


 あたしは「マジの最初からじゃんね」と頭を抱えた。


 ずぅっとこの写真の中にいて、あたしらのやりとりも一から見ていただなんて。


(人聞きなんて悪いことをしますね。名刺を交換してないから、あなたがこの夢に入ってきても、インスタンスオーナーのワタシの万華鏡には通知も届かないというのに)


「人聞きが悪いのはそっちじゃないですかね。ボクはあくまでこの世界で出来ることの範囲しかやっていませんよ。VRSNSで操作できる範囲のことしかやってないし、規約やガイドラインを逸脱した行為をしたわけでもありません」


 あたしは(でも)と書こうとする車椅子ちゃんの万年筆をさえぎった。


 それはたしかに言い分だった。


「パブリックインスタンスにいながら、夢の中にいる人を確認せずに話し込んじゃったのはあたしたちのほう。自衛を怠っていたのに、相手に非を見つけようとするのは失礼だよ」


「あなたは?」


「ちる子っていいます。このダメ記者の付き添いです」


「ああ、じゃああなたが噂の、コンドームとエロ本に執着を示すという魔眼の」


「では、セクハラで運営に通報をします」


「あっ、待ってください」


 急に慌て始めた白い小鳥を蔑むように見下ろし、あたしは万華鏡を操作する手を止めた。


「えと、じゃあ山田さん」


「ボクは山田ではないですけど」


「なら自分の名前をアカウント名にしろよ!」


「もう忘れました」


「背反もいいところでしょ、そのアカウント名」


 あたし、こいつのこと嫌いかもしれない。


 車椅子ちゃんが見かねたように、ぱんぱんと両手を叩いて場を収拾した。


(そろそろ取材を始めましょうか)

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