第7話 この教室は悪意なの

 女の子の声が聞こえてきた。


 ずっと聞きたかった車椅子ちゃんの声じゃなさそうだ。声は四方八方から聞こえてくる。


 ということは、あの逃げゆく人影の声か。


 そこはかとなく悪意と怒気を孕んだ声は、おそらく録音だ。


『廃校から数年が経って、同窓会のメンバーから今はなきこの校舎を永遠に残る風景にしようって案内が届いた。いったい、どの口でそんなことを言うのだろう。進路指導のあいつは、生徒の自殺を生徒に伏せた。数学教師のあいつは、勉強ができない生徒の頭に悪ふざけで消毒用アルコールスプレーをふりかける体罰教師だ。校長は区教委での人事を気にしてのことか、学校再編でこの学校の廃校に一切抵抗しなかった。忌まわしい風景だと思う』


 セーラー服の人影は、常に一定の距離感を保ちながらあたしたちから逃げ続ける。あたしたちの速度に同期しているのか、或いは録音の尺を調整しているのか。


 いずれにせよ、プログラムで動いているのが丸わかりだ。


「車椅子ちゃん、ちゃんと掴まってる?」


 ふと振り落とされてないか心配になり、背負った車椅子ちゃんに意識を向ける。


 って、今は筆談も出来ないし答えようがないか。一瞬そう思ったけど、当の彼女はあたしに両足だけ支えられながら、右手に一眼レフカメラ、左手にボイスレコーダーを持って、なんか仕事人みたいな顔つきで記録を取っている。


 目だけはきゅっと瞑り、あたしの背中に押し付けているようだ。


 まだ過負荷をかけられているのか。


 バシャバシャバシャと、勘だけを頼りにシャッターを連射してる。


 いやまあ、あんだけ校舎の細かいところまで撮影してたんだから、今がまさに撮れ高だってことはわかるけど。それにしたってとんでもない野次馬根性じゃない?


『今でこそ国の施策で生徒に高価なタブレット端末が一人一台配布されて、どこもかしこもプログラミング教育を公教育に取り入れ始めようとしているけれど、私たちの世代はまだまだデジタルネイティブからは程遠い世代だった。3Dモデリングのスの字もわからないような連中が、それでもこの夢の世界に思い出を、記憶を保存することを望んだ。誰が言い出しっぺなのかは知らないけれど、知識のない私たち同窓生にも、人数という確かな武器があった』


 なるほど。人海戦術でこの夢を、いやこの夢だけでなく、車椅子ちゃんが言ったところの〝夢のネットワーク〟を作り出したんだ。校内掲示物に記された区立北品川中学校という名前、その同窓生たち。彼らが廃校舎と各教室から構成される核となる夢、そしておそらくは周辺地域を模した夢を作り、それらを夢同士を接続するポータルでつなぎ合わせた。


 どうりで、どの夢も脈絡がないわけだ。あたしや車椅子ちゃんがここに来るまでに探索してきた一連の夢。何度も出たり入ったりを繰り返して辿り着いたこの校舎も。それらはいろんな人の夢の集合体で、記憶の絡み合った姿なんだ。響く声がそれを裏付ける。


『今から何年も昔、先般の災害を教訓に建築基準法が改正されて、都内に残る多くのモクミツ――木造密集地域は都市防災の観点から大きく都市景観の見直しを迫られた。当然、区立で最も古く、現代の基準を満たさなくなったこの校舎は取り壊しを余儀なくされた。周辺の小中学校は公立の小中一貫校に再編されていく中で、その波に乗り切れずに廃校が決まった。だからこの校舎は、もうこの世には存在しない。卒業アルバムや区立図書館に残る記録から、校舎を再現。遡れるだけの同窓生に声をかけて、一人一人に教室の内部をモデリングしてもらった。そして余力のある同窓生には、この校舎の夢の周縁となる、あまたの夢を作ってもらった。たいていはこの廃校舎周辺の街並み、故郷やその後の進路、それらも夢として残すために』


 ――追いついた。〝同窓生〟の人影が足を止める。


 気づくとそこはもう宇宙ではなく、今まで見てきたものと同じ、ありふれた教室だった。


 足元にはべこべこにへこんだ扉の残骸が横たわっている。


「ついさっきあたしが蹴っ飛ばしたやつだ」


 教室の入り口には、車椅子ちゃんの車椅子も取り残されたままだった。


 ならここは、1年2103組。


 あたしたちはこの教室に入ってから、ほんの数メートルしか移動してなかったことになる。


 あたしは恐る恐る車椅子まで歩み寄り、車椅子ちゃんを下ろしてやった。


「もう、視界は大丈夫そう?」


 車椅子ちゃんは目を開け、久々に万年筆を取り出し(よく見えます)と筆談した。


「そう、じゃああの同窓生さんの話をもうちょっと聞こうか」


 あたしは教壇の目の間にある席へ移動し、着座してみた。


 車椅子ちゃんがその隣に車椅子を移動させてくる。


『技術の進歩は早いね』


 同窓生の人影さんは、教壇の前に立っていた。


 西ポストエフェクトが強いのだろうか? 輪郭が曖昧で、その表情は読み取れない。


『ここに誰かが辿り着いちゃうほど、万華鏡の処理性能も上がったってわけだもん。結構、負荷をかけたつもりなんだけどな。君たちの万華鏡に。この夢が完成した頃の万華鏡だったら、それこそ半導体が焼ききれてるくらいの負荷を』


「どうして……」


 どうして、そんなことを。目の前の人物が録音とアニメーションから成り立つ記録に過ぎないのはわかっている。問いかけるというよりは、純粋な疑問として言葉が漏れ出てしまった。同窓生さんは『だから言ったでしょう? この教室は悪意なの』と続ける。


『私の担当したこの教室は、ちょっとした悪意。ネタバラシ。みんなは、制作の意図をなるたけ伏せて、その膨大な風景と思い出だけを、電子の海にこっそり放流することを望んだ。だけど私はあんまりこの学校が好きじゃない。だからこそかな。永遠に残る風景があるのなら、きっと私のこんな悪意ですら永遠にしてくれる気がするの』


 彼女は黒板に駆け寄ると、あたしや車椅子ちゃんの前でチョークを手に取り、板書を始めた。


 カツカツ、カツ。


 おおよそ人間の筆記とは思えない速度で、黒板に図が描かれていく。


 これは、地図だ。校内の見取り図だ。


 あたしと車椅子ちゃんは顔を見合わせ、膨大な情報量を記していく同窓生さんを見守った。


『この学校は三階建て。無限大のように見えるかもしれないけど、各フロアの教室数はそれぞれ2500で頭打ち。つまり1年1組から2500組、2年1組から2500組、3年1組から2500組。当然だけど、7500人も制作に関わってるわけがないから、一人で膨大な数を作ったやばいやつがいる。ううん、もしかしたら卒業生に、ゲーム会社でもやってるプロモデラーがいたのかもね。私はこの教室のデータを幹事に投げただけだから、全貌は知らない』


 何分か、何十分かはわからない。やがて同窓生さんが、黒板に三フロアぶんの見取り図を書き終える。当然だけど、校舎は東西に長い。一フロアに二五〇〇教室あるのだから当然だ。ただ途中で馬鹿らしくなったのか、長い部分は二重の波線で省略していた。


 ちなみにあたしたちが最初に出会った酒瓶のバケモンがいる1年24組。その部分には〝剣道部秋田遠征の記憶〟と記されていた。


『それから、三階より先には屋上があるはず。私にはこの夢を探索して確かめることはできないけど、それでもこの夢が永遠に残る風景なら、ちゃんと再現されていると思う』


 同窓生さんは『同窓会は屋上をこの夢の終着点として捉えていたみたいだね』と告げる。


『いい校舎だったと思うよ、実際。壊されちゃうのはちょっと寂しいな。あたしはこの学校が嫌いだったけど、悪意も好意も、この建物はずぅっとそれを包括してきた。人に罪があっても、建物には罪がないからね。それはとても無垢なことさ』


 無限に広い校舎に対して、屋上の見取り図はちっぽけなものだった。


『ねえ、この学校の外には何があるのかな。窓の外には何が見える? 今喋ってる私は、自分の担当するこの教室だけを作ってる私なわけだから。この夢はまだ未完成。外を知る由もない。だから君たちは屋上に行くべきだと思う。教室を作ってる子たちは、みんなこの学校の全貌を知らずにそれぞれの教室を作ってるわけからね。だからもし今から何年も経って、この校舎に辿り着く人がいたになら、写真をいっぱい撮って色んな人に見せてあげてほしいな』


 同窓生さんがチョークを置く。


 それから、教壇の前の席で授業を受けるように座るあたしたちに、こう問うた。


『永遠に残る景色ってあると思う? こんなに美しい、愛おしい、ううん、愛憎でいっぱいなこの建物が、ヒトの都合だけで永遠に見られなくなっちゃうなんて。景色に罪はないのに』


「……どうかな」


 あたしが苦笑すると、車椅子ちゃんも困ったように微笑んだ。


 窓の外は光に溢れていて、よく見えない。


 あたしたちは屋上に行くべきだ。


 なんとなくそう思った。


 この校舎のなりたちが、少しだけわかったのだから。


 西日が眩しい。気だるい午後の授業のような、まどろっこしい時間が流れている。


 あたしと車椅子ちゃんは、本物の中学生のように、同窓生さんが話し終えるまで座っていた。

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