第6話 コライダーが仕込まれてる
どうやら、考えていることは一緒のようだった。今立っているのは1年2109組前。少し引き返せば、目的の教室にたどり着いた。
念のため、間にあった2108〜2104組のドアにも軽く手をかけてみた。やはりどの教室のドアも施錠はされていない。施錠されているのは2103組だけのようだ。どうして膨大にある教室の中で、あたしたちがこの教室に入ろうとしたのか。扉を見れば一目瞭然だった。
「ねえ、このドア何色に見えてる?」
(#000000)
「それは……真っ黒だねえ」
のっぺりと、吸い込まれそうなほど暗い色彩。
数多ある教室の中で、この教室だけが色彩を失ったような闇に包まれている。
改めて、真っ黒だというその教室のドアに手を掛けてみるが、やっぱりびくともしない。
まるで重力に吸い寄せられているかのようだ。
「普通には開かないか」
あたしは車椅子ちゃんと視線を交わしたのち、大きく右足を引き――。
精一杯勢いを込めて、教室のドアを蹴飛ばした。
一発目でドアにヒビが入った。
「やっぱり、
二発目の蹴りで、ドアが壊れた。
ドカとバキの中間くらいの破壊音をたて、ドアが錐揉みして吹っ飛んでいく。
「うわ、やば」
そんな勢いよくぶっ壊れることないじゃん。教室が散らかっちゃう。
あたしは慌てて教室に飛び込む。
だけど次の瞬間、あたしの足は何も踏むことなく、虚空に吸い込まれていた。
「え」
教室の中は、まるで宇宙空間のように真っ暗闇が広がっていて、床の一つもなかったのだ。
落ちる――。
ふわっとした浮遊感とともに、あたしの体が奈落に落ち始める。
反射的に身体をひねると、車椅子ちゃんが慌てたようにあたしに手を伸ばしていた。
無我夢中で手を伸ばす。
いま、こんなところで落下したらどうなるかわからない。夢の世界に落下死はないけれど、落ちた先がどこかは見当がつかないのだ。最悪車椅子ちゃんと二度と会えず、何百時間という探索が無に帰すかもしれない。
ぱしっ。
間一髪で、車椅子ちゃんの手のひらの
夢の世界に、触感や体温はない。
それでもたった一瞬の緊張と緩和の波が、一瞬だけ彼女のしっとりとした手汗の雰囲気を感じ取った、そんな気がする。
無事、あたしは車椅子ちゃんの手に繋ぎ止められた。
教室内に広がる暗闇に宙ぶらりんになりながら、あたしは遅れて悲鳴をあげた。
「ひぇ……はやく引き上げてくれる?」
車椅子ちゃんはこくこくこくと慌てた表情でうなづき、両手であたしを引っ張り上げた。
「危なかった。ありがとね」
(二度と会えなくなるかもでしたね)
「ホントにね」
呼吸を落ち着けてから、二人で教室の中を見渡す。
(すごい、星がいっぱい)
教室の中に広がる暗闇は、まるで宇宙空間。
よく見ると、ところどころに浮島のような足場が浮いている。
「跳び移れってことかしらん。あんた、こういうアスレチック系の夢って得意?」
車椅子ちゃんはふるふると首を横に振り、
(hいj)と筆談。
「ん、ごめん。うまく読めなかった」
(hhj)
「あれ、ラグかな」
(gcT、aそsk人が)
「うーん、急に字が汚くなってるよ」
なんか、筆談の様子がおかしい。万華鏡の通信遅延、あるいは同期ズレが生じてるのかも、とも思った。でもそれなら、少し待てば文字が再同期されてきれいな形に戻るはず。
もしそうならないなら、文字が崩れてるのは通信以前、車椅子ちゃんの万華鏡の処理そのものに遅延が生じているということだ。
そんなことを考えていると、車椅子ちゃんが筆談を諦め、あたしの袖を引っ張る仕草をする。
それから、教室の中に広がる宇宙の一点を指さした。
「ヒト……?」
浮いた足場が連なる先に、誰かが立っている。
目を凝らして見ても、万華鏡の液晶パネルの数十ピクセルといったところか。
よく見えない。
その上、この宇宙みたいな教室、なんだか視界がぼやけている感じもする。
まるで光を重力で歪めたような……。
そこまで考えて、あたしははっとした。
夢ではなく、現実世界側の身体を動かし、額あたりに手を持っていく。
つまり、頭に取り付けた
「発熱している」
これは重力なんかじゃなく――処理落ちだ。
あたしは考えるより早く、車椅子ちゃんの視界を覆った。
全身で動いたから、セーラー服の女子中学生に慌てて抱きつく変質者になってしまったけど。
車椅子ちゃんが抗議するように、じたばたする。
「見ないで。万華鏡ごと落とされるよ」
あたしは自分で言うのも変だけど、結構いい万華鏡を使っている。処理能力が高くて、高性能なやつ。でももしそうじゃなかったら、今ごろ万華鏡の電源ごと落とされていただろう。
この教室は無駄な3D描画処理を見えないところで重ね合わせて、あたしたちの万華鏡の処理能力を上回る負荷を与えようとしてきている。つまりは、この夢が直接的にあたしたちに危害を加えてきたってことだ。電源ごと落とされたらこの夢の探索自体も振り出しだ。
車椅子ちゃんの万年筆の文字が崩れていたのもこれで説明がつく。
横目でちら、と件の人影に視線を向ける。
遠目だけれど、人影が踵を返してあたしたちから遠のいていくのが見えた。
逃げる気……?
「追いかけるよ、車椅子ちゃん。せっかく見つけた人影だもの」
あれが中身のいる人間なのか、中身のいない幽霊なのかすらわからないけど。
せっかく見つけた手がかりだ。
これまで、この一連の夢を中継する中で、明確な害意を向けられたのは初めてなんだから。
追いかけるに値するだろう。
あたしは腰を下ろし、車椅子ちゃんに背中を向けた。
「ん、あたし、背中に
車椅子ちゃんはちょっと不安そうに逡巡してから、背に覆いかぶさった。しっかり掴まってくれたことを確かめてから、彼女の華奢な肢体を背負う。軽くて折れちゃいそうな身体。いや、夢の世界に重さなんてないけど。
右肩越しに見ると、車椅子ちゃんは他人に操作を委ねるのが怖いのか、それともあの人影から視線をそらそうとするあまり思わずなのか、きゅっと目を瞑っていた。
「あたしの背中だけ見てればいいから。それなら万華鏡の負荷も抑えられるよ」
廊下で少し助走をつけてから「いくよ」と告げ、ドアをくぐり抜けるようにジャンプ。
教室の中の宇宙に浮かぶ、動く足場の一つに跳び移る。
すかさず助走をかけて、次の足場へ。
ジャンプ、少し落下、着地。助走、ジャンプ、着地、短く助走、小さくジャンプ、着地。
細かい移動入力を繰り返しながら、人影を追う。
向こうの足取りは遅い。ちょっとずつ距離が縮まっていく。
「大丈夫? 酔ってない?」
肩越しに車椅子ちゃんが首を横に振る。大丈夫そうだ。
少しずつ、人影の全容が見えてきた。
おそらく、おそらくだけど白地のセーラー服。車椅子ちゃんの制服とは意匠が異なる。
この学校の、制服?
「ま、まって!」
あたしの呼びかけに応える気配はない。
追いついてみせる。気持ちを入れ替えて次の足場へ飛び移ろうとした瞬間のことだった。
『私の担当するこの1年2103組は、悪意』
「!」
女の子の声が聞こえてきた。
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