第5話 ここにれいぞうこ

 教室を出ると、また永遠に伸びる廊下が続く。


(几帳面に全部の教室に入っていたら、間違いなく寿命を迎えますね)


「いいんじゃない? 余白や想像の余地を残したほうがロマンもある」


 ここと同じくらい広大な夢も、あたしは何度だって見てきた。


 そうした夢を全部踏破してすべてが見慣れた景色になると、いつも思ったものだ。


 慣れればこんなもんか、って。


 全貌を知ってがっかりするくらいなら、見たことのない景色を意図的に残すぐらいが丁度いい。


(未知とは見つけるものではなく、余白として残すべきものってことですか?)


「そゆこと」


(なら、面白そうな教室だけつまみ食いしていきましょう)


「うむ」


(でも、偶然飛ばした教室にエロ本落ちてたらどうします?)


「どうもしないが」


(エロ本が落ちてるかも、という余白を残すってワケ)


「いいえ」


 車椅子ちゃんはスキップをするような車椅子さばきで、踊るように廊下を進む。


 ときおり、めぼしい雰囲気の教室のドアを開けて室内を確かめていく。


 以下、印象的だった教室とそれに対する車椅子ちゃんの感想をダイジェストで。


「1年83組」


(一言で言うなら、腐海)


「1年174組」


(結婚なんてするもんじゃないですね)


「1年492組」


(DJって、好きな曲流してるだけじゃないですか)


「1年1940組」


(性欲こわ)


「1年2103組」


(カギがかかってます。珍しい)


 あいも変わらず、酒瓶のバケモンに負けず劣らずのナンセンスな世界観が繰り広げられていた。


 どの教室も、脈絡がなく、不条理。


 いちいち説明なんてしようものなら、それだけで一日終わってしまうだろう。


 探索再開から、二時間強。車椅子ちゃんはおもむろに言った。


(ちょっと休憩。飲み物取ってきます)


 そうして彼女は廊下の窓際に移動すると――窓ガラスに裏拳をブチかました。


 唐突に、そりゃもう盛大に。


 ドンガラガッシャーン! という破壊音が夢の中の廊下に響き渡った。


「なにやってはりますの!」


 動揺から、口調がおかしくなってしまった。


 慌てて駆け寄ると、車椅子ちゃんは窓ガラスをぶち破ったほうの利き手はそのままに、もう片方の手で器用に万年筆を握り、インクを宙空に走らせた。片手間だからか、雑なひらがなで。


(ここにれいぞうこ)


「そうならそうと先に言ってよ」


 彼女が言っているのは、現実世界側の彼女の部屋のことだろう。あたしたちはそれぞれ、自分の部屋で万華鏡を被って夢の世界を覗き込んでいる。だから夢の世界とあたしたちのそれぞれの自室は、重なり合うようにして存在しているのだ。要するに夢の中の窓に当たる位置は、彼女の部屋だと冷蔵庫の位置に重なるというわけだ。


「てか、自分の部屋に冷蔵庫置いてるの? それも万華鏡の近くに?」


(だめですか?)


「贅沢……自堕落が過ぎない?」


(そうでしょうか)


 車椅子ちゃんは、ぶち破った窓ガラスに追い打ちをかけるように裏拳を繰り返した。


 ガシャン! ガシャン! ガシャン!


 パリン! パリン!


「冷蔵庫漁ってるだけなのにすごい絵面」


 ていうかうるせぇ!


 ほどなくして、車椅子ちゃんは目当てのものを探り当てたのか、窓から離れる。


「何飲むの?」


 車椅子ちゃんはほくほくした表情であたしの前まで戻ってきて、くいくいと手招きした。


「……何よ」


 目の前に立って、少ししゃがんで目線を車椅子ちゃんに合わせる。


 くいくい。


「もっと近づけって? しょうがないなあ」


 視界が車椅子ちゃんの顔で埋まるくらい近づくと、彼女はあたしの耳元に口を近づけた。


 一瞬、彼女が声を発するのではないかとドキドキした。


 だけどその期待は一瞬で砕かれる。


 彼女の口から聞こえてきたのは「カシュッ」という缶の開封音だった。


「ア! こいつ缶ビール飲む気だ!」


 しかも、これみよがしに万華鏡のマイクにお酒の開封音を乗せやがった!


 その後も車椅子ちゃんのマイクはお酒の音を彼女の声と誤認し続け、彼女のちっちゃなお口からは「しゅわしゅわしゅわ〜」っていうマジの発泡音が流れ続ける。


「こんなときだけマイクをオンにしなくていいから」


「しゅわしゅわ、ごくり」


 車椅子ちゃんは嬉しそうに、両手で何かを持ってあおるように飲む仕草をした。当然、夢の世界からはビールそのものを視認することはできないけど、現実世界側で車椅子ちゃんが一杯やり始めたというのは十中八九間違いなかった。


 ていうか、やっぱり未成年じゃなかったのか。喋らないし、女子中学生みたいな格好をしているし、てっきり現実側の素性を隠したいのかなとも思っていたけど、ある程度年代がバレることにも抵抗はないらしい。ということは、喋らないんじゃなくて、本当に喋れないとか……?


(さいこう、さいこう)


「そうでございますか」


 もう会話を広げる気力すら湧かない。車椅子ちゃんはいつまでもぐびぐびと飲んでいる。


 あたしはお酒はきらいだ。頭痛がするし、関節が痛くなるし。


(おねえさんはのまないんですか)


「ここ、学校でしょ」


 流石に学校の施設内でお酒をあおるのは、ちょっと。


 まあ夢とはいえ、校舎の窓を盛大にぶち破った直後に今更何をって感じはあるけれど。


 ん、なんか違和感がある。


「ちょっと待って。なんで今窓ガラスが割れたの」


(え)


 車椅子ちゃんも気づいたのか、目を丸くした。酒をあおる手を止め、今度は丁寧な字で、


(不自然ですね)と筆談。


「そうだよ。夢の中じゃ、窓は割れないほうが普通なのに」


 口を酸っぱくして言うけど、ここは機械で出来た電子の夢。現実とは違い、すべての挙動に作為がある。窓一つ割るにしても、3Dモデルのポリゴン分割、現実の挙動を模倣する物理エンジンの作り込み、衝突判定コライダーや飛び散る破片のアニメーション処理、諸々の制御が必要になる。よっぽどの意図がないかぎりいちいち窓を割れる仕様になんてしないはずなのだ。


(そういえば、カギのかかった教室がありましたね)


「1年2103組」


(引き返しましょう)


 あたしたちはうなづきあった。

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