第10話 永遠に残る風景 #FF00FF
階段の折り返し地点を誰かが〝踊り場〟と呼んだ。
この話にはちょっとした続きがあって、そもそも〝階段〟という日本語自体が江戸時代後期の成立ともされている。〝踊り場〟という言葉ができた明治時代の、ちょっとばかし直前に過ぎないのだという。それより以前は「きざはし」「はしご」「さか」とか。階段という言葉が登場したのは日本最初の建築辞書「紙上蜃気」ともされる。たった二百年くらい前の話だ。
言葉って、曖昧だ。すぐに意味が変わっていってしまうし、時には廃れていってしまうこともある。声に出したときと、筆談で書いたときでも、受け取る印象は簡単に変わってしまう。
永遠に残る風景は、どうすれば実現する? 写真や映像は情報が少なすぎる。じゃあ、文章なら? きっと、写真や映像では残しきれない些末な事情ですら情報化できるだろう。でも、言葉は生き物で、すぐに経年劣化していってしまう。階段一つとっても、その単語が通用していたのは有史以来、たった二百年未満に過ぎないのだから。
夢は、空間の記録。3Dモデルを使って、空間を忠実に描く。それが現実の空間でも、空想の空間でも。ならそれは、最も人の体験に近く、心の形に迫った表現だと思う。記憶のメディアなのだ。そしてそんな技術はもう未来の話なのではなく、現代に存在している。
永遠に残る風景を。いくつもの夢が絡まり合うようにつながったこの夢も、きっとそんな作り手の願いから生まれた。都市計画のせいか、はたまた災害のせいか。理由はわからないけども間違いなく取り壊されてしまった、今は現実世界のどこにも存在しない、古い校舎。
意味なんてないかもしれない。
それでもあたしは、この校舎を既に愛おしく思っている。
夢だからこそ、記憶と体験を共有できたのだ。
あたしは車椅子ちゃんとうなづきあってから、最上階のドアノブに手をかけた。
ここが夢の最深部。あの人たちが記憶として残したかった風景。
だけど、その先に広がっていたのは――。
「永遠に残る風景、ね」
ところで、この夢が作られたのはおよそ十年前だということがわかった。
十年前といえば、まだ初期の万華鏡が出たばかりだ。
まだまだサービスも未熟で、3Dを動かすゲームエンジンも開発ツール(SDK)もエラーと修正を繰り返してばかりだった。後方互換といって、ゲームエンジン側も可能な限り古い夢を正常に表示できるよう努力的な更新を続けていたようだけれど、ものには限度もある。
現実の風景が、腐食とか紫外線とかで経年劣化していくように、この世界の風景も手入れを怠るとすぐに、プログラムの仕様変更で変わっていってしまう。
おそらく同窓生たちは、複雑に絡み合った夢の終着点を、永遠に残しておきたいと思った風景だからこそ、当時用いることの出来る技術を応用して、できうる限り最大限の表現で残したいと願ったのだろう。だけど、それが裏目に出た。
屋上は、すべて同じ色でのっぺりと塗り尽くされていた。
画像処理が正常に機能せず、すべての3Dモデルのテクスチャが剥がれているのだ。
屋上の床も、柵も、ペントハウスも。そこにあったであろう青空も。
すべて、最新式の万華鏡では正常に表示されていなかった。
あたしの目ですら、それが何色なのか、すぐ悟った。
夢を見るあたしたちなら、みんな知ってる。
そのショッキングなピンクは、この夢が既に経年劣化で壊れていたことを示すのだから。
――マテリアルエラー、マゼンタ(#FF00FF)。
車椅子ちゃんの目には、よく見えていたはずだ。
永遠の風景なんて無いとあざ笑うかのような、毒々しいピンクの警戒色が。
「これがみんなの残したかった色?」
そんなわけないことは、わかりきっている。
車椅子ちゃんは静かに、カメラのシャッターを切った。
【永遠に残る風景 #FF00FF 了】
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