第9話 ワタシも欠けているからですか?
その広大な〝夢〟を偶然見つけたのは、一年ほど前のことだった。はじめは大したきっかけじゃなかったように思える。何気なく入った有名な集会用の夢。みんなが当たり前のように出入りする夢の隅っこにあったポータルを見つけたのがきっかけだ。
その先にあった夢にもポータル、その先にもポータル。そうやって夢同士をつなぐポータルを進んでいくと、なんとなく夢に共通点が見えてきた。似たような固有名詞を見かけるとか、あの夢で見たパスワードが別の夢に対応してるとか、そういうの。いつの間にか、その夢の連なりに魅入られ、いつしか連なりの最後を見たいと思っただけ。あたしだけがこの連なりに気づいている。あたしだけにしか見えていない夢がある。それがなんだか心地よかった。
「なんで、こんな変な夢を彷徨ってるのかなって思うでしょ。この世界には、もっと人がたくさん集まる夢がいっぱいある。ツイッターでバズってたきれいな夢とか、初心者さんがたくさん集まる集会所みたいな夢とか、マッチングアプリみたいな出会い系の夢とか、ミニゲームで競い合う夢とか、派手な光の演出で音楽を楽しむ夢とか。そういうのって、あたしも好きだけどさ。ふとした瞬間に自分だけ違う景色を見てるような気がしちゃってね」
そのうち、誰もいない夢を渡り歩くようになった。
この夢と同じ。人々の間にいることをやめたのだ。
現実にもいない、夢の中でもひとり。
あたしは死んだように、電子の廃墟を彷徨いながら、思った。
「あたしは、本物の空の色を知らない。踊り場から見える夕焼けも、インクの色も、自動車や信号機の色も、きれいなガラス瓶の色も、車椅子ちゃん、あんたの髪や瞳の色さえ。見ることはできても、知ることは叶わない。仮に色覚補正をしたところで……」
万華鏡の色覚補正機能をオンにしても、目に痛い、不自然な着彩が広がるだけだ。
だってそれは、似せた色でしかないから。
本物の色じゃないから。
補正された色は、補正された色でしかないと知っているから。
「この世界は、一六七七万色の万華鏡。あたしはずっと、本物の空を探して彷徨ってる。みんなが見ている色を理解したい。みんなと同じ景色を見たい。あたしにとって色って、知識であって体験じゃないんだよ。あたしの目には、その一つ一つが褪せて見えるらしいんだから」
車椅子ちゃんが(らしい?)と久々に文字を書いて、あたしに問い返した。
「だってみんなが、あたしの世界は褪せてるって言うのなら、それは信じるしかないでしょ?」
(そう言われて育ったんですか?)
「そうだよ」
(同じ色を見てる人なんていません。誤差の程度の問題です)
「はは、こんなこと誰かに話したのは初めてだよ。お話ししやすいんだね、車椅子ちゃんは」
(それって、ワタシも欠けているからですか?)
あたしには、答えられなかった。
唐突に冷や水をかけられた気分だった。
そうかもしれない。
少なくとも、その問いを否定することはできなかった。
車椅子、筆談。
何もかもが自由なはずの夢の世界で、不自由なその姿に、親近感を覚えていた。
もし無意識でも、その弱者性に心を開いていたのだとしたら。
それはとても失礼なことで、肯定すること自体が好ましい事柄では決してないのだ。
「それでもあたしも、普通になりたいんだよ」
(あの)
「ん?」
(気づいてますか?)
「何に?」
(もしあなたが普通に色が見えて、情報も読めてたら、この夢に興味を抱いていたでしょうか)
「さあ、どうかしらん」
(あなたの色が、あなたをここまで導いたんです)
車椅子ちゃんはきゅっと車椅子をターンさせると、筆談を続けた。
してやったりと言わんばかりに微笑みながら、
(最後の踊り場ですね)
って。
またインクの色を変えたのか、その筆跡はグラデーションがかかっているように感じた。
本当にいじわるだ。
階段を折り返すと、扉が見えた。
扉の窓から光が射す。
言わずもがな、屋上が近づいてきたのだ。
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