第20話 ワタシは両脚に
あまりにも唐突な出来事で、あたしの脳はすぐに反応する事が出来なかった。こんなにあっさりと、車椅子じゃない姿を見せられるとは思っていなかったから。
急な情報量に頭が耐えきれず、がつんと頭を叩かれたような、そんなめまいを覚えた。
少しくらついた、というか。
だけどあたしはやがて、車椅子ちゃんの足の動きがぎこちないことに気づいた。
その理由が、ありふれたものだということにも。
「三点トラッキングだね。足腰にはセンサーをつけてない」
(ええ、そうです)
山田が「それって」とくちばしをはさむ。
「フルボディトラッキングじゃないってこと。この世界ではありふれたことだね」
「なるほど、ではボクも三点トラッキングなんですね」
その由来は、現実世界での全身の動きを夢の中の分身に反映する際、現実で
(まあ、ワタシの現実世界の身体がどうとかって話をしたいわけじゃなくて)
「うん、大丈夫。わかってるよ」
車椅子ちゃんは安心したように頬をほころばせた。理由はわからないけど、それが少しの一大決心だってことは、ばかでもわかった。結局彼女の現実の身体についてはわからずじまいになるけれど、それを詮索しないくらいのわきまえはあたしにだってあった。
(ワタシの脚を見て、お姉さんや山田を忘れるなさんは何か気づきませんか)
あたしは山田を肩にのせたまま「え?」としゃがみ込んだ。
そのまま、車椅子ちゃんの華奢な脚に顔を近づけた。
「殴ったら、折れそう」
「たぶんそういうサイコパスな回答をえむぴいさんは求めてないのでは」
「うっせ」
あたしはそっと車椅子ちゃんの足首に手を伸ばした。
まあ、セクハラとは言われないはず……。
「あ」
「どうしました、ちる子さん」
「震えている」
あたしが腰をあげると、車椅子ちゃんは小さく頷いた。
彼女の両脚は小刻みに振動していた。それも周期的なものじゃなく、少し大げさに思えるほどのランダム性を持った間断的な震え方だ。言われなければ見落としそうだけど、言われて気づくとずっと気になっちゃいそうな、いやらしい感じの振動だ。言うなればノイズのような。
(大昔からネオンライトカレイドスコープのゲームクライアントに残されているアバター表示にかかる不具合の一つです。運営も把握していますが、ゲームエンジンの脆弱性に由来するものなのでネオンVRの時代から抜本的な解決はされていません)
「症状は、このアバター限定で?」と山田。
(はい)
「何がきっかけとされていますか」
(クライアントのアップデートで時折発生してしまうのがほとんどだとか)
少し含みのある言い方だとは思った。
あたしは山田に「何か心当たりが?」と聞いた。
山田は驚いたような口調で、
「じつはボクもその症状に見舞われたのです」
と言った。
(やっぱりそうだったのですね)
「ボクの症状はメインアバターの頭部と両足に症状が現れました。Unityプロジェクトを再構築して新規にアップロードしても改善しなかったので、もういい歳だし人型のアバターにこだわらなくてもいいかなとなりまして。だから小鳥の姿を選んだわけで、決して嘘を吐いたつもりではなかったのです。申し訳ない」
(責め立てるつもりは……ワタシは両脚に。正確にはアバターのアーマチュア内にあるアンダーレッグボーンという構成要素に症状が出ました。思い入れのあるアバターでしたが治すには若干のコツが要って面倒なので、ボーンそのものを取り外しました。だから脚が動かないんです)
「ほう、アーマチュア。今度やり方を教えてもらえますか」
(喜んで。ですが頭に症状が出るとなると、少し厄介かもしれません)
「構いませんよ。この姿も馴染んできているので」
車椅子ちゃんは万華鏡を操作すると、元の車椅子に座ったアバターに戻った。
彼女はおずおずと、
(知ってしまえば、詮無いことでしょ?)
って上目遣いで述べた。
「あたしにとっての車椅子ちゃんは、今の姿だよ」
(そうですか)
筆談の文字とは裏腹に、車椅子ちゃんはまるで愛の告白を聞いたかのように笑った。
そんな様子を肩の上から見ていた山田がつぶやく。
「やはりこの夢の中の世界で広く写真展を広報したいなら、人間のアバターのほうが通信社さん的には都合が良いですかね」
(そういうきらいがあることは、まあ否定はしません)
「まあ人間同士のほうが共感しやすいからね」
「ボクはこの世界では新参者ですし、これが万人受けした夢ではないことは確かですし、決して作りとして斬新で目新しい夢ってのたまうつもりも毛頭ありません。でも誰にも知られないままひっそりとこの夢が消えてしまうのはもったいないし、せめて誰かが見てくれたということを記録してくれるといいな、と思ったんです」
(そのために、ワタシたちが来たんです。大船に乗ったつもりで掲載を待ってください)
「ですが、誰かにそれを頼むなら、ボクもそれ相応の努力を差し出す必要があると考えます。その一つに、もっと親しみやすい、好かれやすい姿を選ぶということが含まれるのなら……」
あたしは肩にのせたおしゃべりなハクセキレイに人差し指を伸ばすと、毛羽立った頭頂部をそっと撫でて「あたしはそうは思わないな」と続けた。
「この夢では、誰もが好きな姿を選べる。だからこそ、魂の美醜が残酷なまでに明らかになってしまうんだ。あたしは山田を忘れるなさんが、ヒトの姿からその姿を取ったからって態度を改めることはないと思うよ。あたしの魂は、あなたが写真好きで、この夢の世界に魅入られたばかりの初々しいビギナーで、この写真展も頑張って心を込めて作ったんだろうなってことをちゃんと知ってる。そういう人間性はどんなにアバターをとっかえひっかえしても、所作や言動から必ず滲み出てしまって隠せないと思うから」
あたしは肩にのせた山田に「よくも……悪くもね」と苦笑した。
「そうでしたか、隠しきれないものなんでしたか。この夢の世界は、もっと仮面舞踏会のようなものだと思っていました。誰もが好きな姿を選んで、もう一つの人生を歩んでいる。それ自体はウソではないけれど、その人の歩んできた時間を消し去ることなんて、できませんものね」
(だから厄介なんですよね、この夢の世界は)
「そうだね」
(お姉さんにとっては、ワタシの魂は、今、何色に見えていますか?)
「うわ、めんどくさい彼女みたいなこと言い出した」
(すぐ茶化す)
「うーん、そうだなあ」
あたしには、色というものが見えない。
彼女の透き通りそうな髪や虹彩の色も、きっと当分知ることはないのだろう。
もちろん、あんたの本心も。
だからあたしは、この純粋な写真家が撮った〝本物の青空〟の写真を眺めて、願うんだ。
「この空と同じ色だといいなって、そう思ったよ」
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