第21話 持続可能な善意
こうして幕を閉じた写真展の取材だったが、この話はそれで終わりではない。なんかいい感じの雰囲気だったけど、違うだろ? 肝心のことを思い出したのは、取材が終わってみんなで解散して、自室で万華鏡を外して現実に戻った瞬間だった。
「ア! 記事の訂正のこと忘れてた!」
そう、依然としてあたしのことをヘンタイのように書き殴った不眠通信の最新号はネオンライトカレイドスコープに点在する数多の夢のそこかしこに掲示されたままなのだ。
なんだかんだで、あたしは煙に巻かれたのだ。
結局えむぴいさん――車椅子ちゃんから「今夜会えませんか?」というメッセージがディスコードで届いたのは、そんな取材の翌日のことだった。
夜、万華鏡を被って夢の中に入ると、すぐに車椅子ちゃんからプライベートインスタンスへの
ローディングが終わると、そこは手狭な植物園の温室だった。レンガ畳の箱庭に、ピラミッド型のガラス屋根。紫陽花やレモンの木がいっぱいの陽光を受け、モルフォやアゲハといったちょうちょが飛び交っている。
車椅子ちゃんは温室の隅っこのベンチ脇に、車椅子をつけてあたしを待っていた。
(あ、お姉さん)
「あ、お姉さんじゃねんだ。まんまとだまされたわ」
(編集長さんに連絡をして、記事の非公開を申し入れました。明日中には通信社と提携している配信先の夢でも、記事が無難な広告に差し替えられると思います)
「本当よね?」
(ライターに二言はありません。ですが、問題もございまして)
車椅子ちゃんはあたしにベンチに座るよう促した。
するとあたしの万華鏡がピコっと鳴った。
(今、裏でディスコードからMP3形式の音声ファイルを送りました。山田を忘れるなさんとの取材のやりとりを記録した大事な録音です。それを文字起こししたテキストデータも)
「何をやらせる気?」
(ワタシは遊軍ライター、言うなればお手伝いで不眠通信社で活動しているのでそこまで問題はないのですが、編集長はネットニュースの広告収入で生計を支えてる部分がありまして。次の発行日を一週間前倒しにすることになってしまい、毎日スパゲッティの乾麺に、コンビニのたらこパスタソースをかける貧乏生活を強いられてるそうなんです)
「そうなんだ、ざまあないぜ」
(うちは常に猫の手でも借りたいような自転車操業です。そこで助けを借りられたらなと。今度の記事は、お姉さんが書いてみませんか?)
「嫌だと言ったら?」
(たらこパスタ生活に飽きた編集長が、記事を再掲するかも?)
「露骨に脅してきたなあ」
(それにあの山田を忘れるなさんも、きっとあなたが書いてくれたと知ったら喜ぶはずです)
「何度聞いても慣れないな、その名前」
(ちなみにあとで聞いたんですけど、山田ってVRにのめり込みすぎたことで離婚することになった元伴侶の方の旧姓だそうです)
「ついでの感覚で爆弾情報ぶっこむんじゃないよ!」
ここらへんが引き際かな、と思った。
記事の撤回は聞き入れられたんだ。あたしはそれ以上を望んだつもりはない。
どうせ乗りかかった船だ。
それが最後の条件だというのなら、やってみよう。
「……わかった。何をすればいい?」
(エディタはなんでもいいです。とりあえず一五〇〇文字書いてみてください。画面はOBSで配信すれば、この夢に置かれた動画プレイヤーから作業が見えます)
「うん」
あたしは夢の中でも自分のパソコンやキーボードを操作できる窓を呼び出せるオーバーレイという機能を使って、文字起こしデータとエディタアプリを呼び出した。正直作文には慣れてないけど、きっと大学のレポートと大差ないだろう。
文章に始め、中、終わりがあることは最低限わかるし、こういうのは状況を示す5W1Hを一段落に持ってくればいいこともなんとなく理解している。ものは試しだ。どうとでもなれ。
かたかた、かた。
しばらく、あたしがキーボードを叩く音だけが流れ続けた。
集中していたせいで、一分か、十分か、どれくらい経ったのかはわからない。
あたしは文章に詰まって、
「ここはもっと中立っぽく書いたほうがいいかな」
と助け舟を求めた。
(どちらでも。重要なのは主観と客観の書き分け。そしてそれを明示することです。事実だけを淡々と書き連ねること、人の心に訴えかけること、そのどちらかだけを求める人もいるでしょうが、人を記録するのは人です。客観だけでは伝わらないこともあるし、主観だけでは絶対に偏りが出ます。そこに優劣はありません)
「だから、今書いているのは主観ですよ、客観ですよと逐一明示することが大事なのか」
(そういうことです)
「もしかするとあたしが悪意と感じるものも、その偏りから始まるのかもな……」
車椅子ちゃんは(それでもワタシは、これが永遠の風景を残す最善の方法だと考えました)とつぶやくように空中にインクを書き連ねた。
「最善って?」
(今できる中で最もよい手段だろうということです)
「写真だっていいだろ。主観にはそりゃ、欠けるけどさ」
(あの人は写真には悪意も善意もないっていいました。でもワタシは少し違うと思います)
「違う、とは」
(写真だって切り取り方、被写体の選別、色の濃淡、人の意志の介在する余地はあります)
「山田を忘れるなは、それを自覚していたのかしらん」
(わかりません。それに写真は進化している。昔ではありえなかったような悪意だって、紛れ込んでいるかもしれない。見慣れた拡張子の写真データにだって、マルウェアは仕込めます)
「げ。あんたからさっきもらったMP3データも?」
(ふふ、どうでしょ?)
車椅子ちゃんは万年筆を懐にしまい、空いた両手を空中に持ち上げた。まるでピアノの鍵盤に手を添えるような仕草。あたしはすぐにそれが、車椅子ちゃんが現実の自分の部屋にあるパソコンのキーボードに手を添えたのだと悟った。
長い言葉を伝えようとしている。だから筆談をやめ、キーボードに切り替えたのだ。文字チャットはネオンライトカレイドスコープの標準機能だ。
現実世界の車椅子ちゃんが打鍵した言葉が、夢の中で吹き出しとなって実体化した。
(誰かが何かを伝えようと、何かを残そうとしたとき、そこには必ず悪意や善意が入り込む余地ができます。それは永遠に残る風景を残そうとするVRSNSの夢でも同じ。現実の空間が空気や細菌の化学反応で経年劣化していくように、メディアの中の空間も悪意や善意の化学反応で少しずつですが劣化していきます)
「そうだね。あたしたちが見たマテリアルエラーの屋上もそうだった。あの夢の制作者たちは、同窓生たちは永遠に残る風景のために、凝った表現ができるシェーダーを使った。ネオンライトカレイドスコープの運営者やネオンライトカレイドスコープのゲームエンジンを作るエンジニアたちは、夢の製作者たちがさらに幅広い表現ができるようにクライアントデータをアップデートした。そういった思惑が思わぬ化学反応を起こして、結局あの屋上は壊れてしまった」
(問題は、そうした悪意や劣化を是正できる自浄作用をコミュニティが有しているかということなのだと思います。永遠とは、持続可能な善意のことなんです)
「努力なくして永遠なし、か」
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