第22話 吹けば飛ぶような、泡のような夢
車椅子ちゃんはしばらくの沈黙を挟んだあと、
(ところで、話はまるっきり変わるのですが、あの話には続きがあって)
と述べた。
「あの話って?」
(山田を忘れるなさんのことを、最初は疑っていたのです)
「疑っていたって、何を」
(アバターに望まない動作を引き起こすあのバグのことについてです)
「でもあれは、ただのバグでしょ」
(あのバグにはコミュニティ内でついた通称があって、名をアーマチュアウイルスと言います)
「ウイルスって、それじゃあ」
(その端緒は、ゲームエンジンの脆弱性を逆手にとり、サーバー上のアバターデータを上書きして身体の一部――難しい言い方をすればアバターを構成するアーマチュアのボーンにコンポーネントの形式で侵入してくる悪意あるマルウェアでした)
「ごめん、わかりやすく」
(アバターデータが感染する病気。バグなのは確かですが、それを意図的に引き起こすプログラムをばらまいた人物がかつていたのです。アバターの動きを悪くしたり、視界を遮ったり、症状が進めば万華鏡や万華鏡に接続しているパソコンを壊してしまうくらいに)
「それって、今よりも夢の世界が自由で、プログラムでも3Dモデルでも何でもユーザー間で受け渡しできちゃうっていう、あのネオンVR時代の話?」
(はい。そしてウイルス化したバグの場合、ユーザー間で接触感染も起こり得ました)
「大昔のことでしょ?」
(ええ、アーマチュアウイルスのパンデミックは、旧ネオンVR末期の出来事です。今や語り草でもある、サービス終了疑惑騒動や運営移管の引き金となったような)
車椅子ちゃんは(ですが、それらが最近また流行ってると聞きまして)と続ける。
「そうか、あんたが罹患したのは、半年前だって……」
(半年前のワタシと言えば、あの巨大な廃墟の夢――メモリーカプセルにまつわる一連の夢について潜入取材していたころのことです。ですが、あまり人に会っていないので、どこで病気をもらったのか依然として判然としないのです)
「流行り始めたというのは?」
(お姉さんに出会った直後から、つまりここ一週間で症例をSNSで訴える人が急増してきた感があります。感染者の属性は多様で、ばらつきがあります。規模感で言えば、パンデミックの前のエピデミックの前のエンデミック。つまり流行り病や風土病ぐらいの程度です)
「だから不眠通信社で、エンデミックの原因を調べていた?」
(山田を忘れるなさんは、北品川の写真をたくさん撮っていました。メモリーカプセルの最深部の学校も、元は北品川の中学校の同窓生たちが作った。山田を忘れるなさんが青春時代を過ごした時期と廃校の時期も合致します。そしてワタシはメモリーカプセルシリーズの夢の中で感染したばかり。だから取材を通じて、山田を忘れるなさんが何か知ってないか、つまり感染の遠因が同窓生にあるのではないかと、それを暴こうと思っていました)
「だけど、山田を忘れるなも感染者だった。治し方もわからなくて、人型のアバターを使うのを断念してしまうような……」
車椅子ちゃんは(怖いんです)とタイピングした。
(もしワタシがウイルスを拡げてしまっていたとしたら、って思うと)
「考えすぎでしょ。ウイルスじゃなくて自然由来のバグかもしれないんだろ。それなら接触感染をしないはずだってことでしょう」
(ですがバグを引き起こすようなゲームエンジン規模でのメジャーアップデートは、少なくともこの一年は行われていないんですよ)
あたしは原稿を書き続けながら、昨夜の編集長さんとの会話を思い返していた。ネオンVR末期に通信社に入ってきたえむぴいさん。彼女はVRSNSのサービス終了に対して人一倍敏感だったと、編集長さんはそう話していた。
もしその騒動の原因となったウイルスがまた流行り始めているのだとしたら。
そしてその感染者の一人が自分なのかもしれないと思ったら。
彼女の切実感は本物なのかもしれないと思った。
(ワタシは一度、この世界の終わりを報じたことがあります)
えむぴいさんは、車椅子にふかぶかと背もたれて、温室のガラス張り越しの空を仰いだ。
(COVID19のような破滅的なパンデミックに見舞われても終わることはなかった現実世界の耐久力に比べて、ワタシたちが見ているこの電子の夢はひどく脆い。簡単な伝染病一つで跡形もなく消えてしまうことでしょう。伝染病だけじゃない。SNSという空間自体が、一企業の営利的な都合によっていつでも打ち切られてもしようがないような世界です)
「だからライターをやっている?」
(この夢は一六七七万色の万華鏡って、お姉さんは言いました。万華鏡のように液晶がきらめいて、同じ夢は二度とない。お姉さんがこの世界で本当の空の青色を探しているように、ワタシはこの世界で風景を永遠に残す方法について考え続けています。この夢が永遠に続くという保証はない。永遠を保証できるほど、このコミュニティには持続可能な善意というものが根付いていない。悪意や劣化一つで吹けば飛ぶような、泡のような夢です)
それはきっと、万華鏡を被って今日も夢の中へ誰かに会いに行くあたしたち全員が、ふんわりと感じながら生きている不安ごとなのかもしれない。
「夢があってもなくても一緒じゃないかな」
(そうでしょうか)
「あたしたちはいつだって、もう二度と会えなくなるかもしれない」
(なら、なおのこと出来ることをやりたいと思っているんです。ワタシに出来ることは少ないです。有名人のようにオシャレや会話に優れてるわけじゃないし、イラストやモデリングのような一芸に秀でてるわけじゃない)
「でも忘れ去られた夢を記録は出来るし、山田を忘れるなの思いを伝えられる」
(はい。永遠には残せないけど、善意のバトンはつなげます)
「それがあんたが不眠通信社の遊軍ライター、えむぴいさんである理由?」
車椅子ちゃんは「そうです」と述べた。
そうして現実世界で夜が更けていき、日付が変わる頃、あたしは初稿を書ききった。
「どうかな」
(ふむ、一度データをディスコードで送ってください)
「ん、今送った」
(確認しますね)
データの収受が済み、あたしは伸びをしながらベンチを立った。
と、そんな矢先の出来事だった。
くらりと、めまいがした。
「うぁ」
(お姉さん?)
目の前をよぎった青い燐光を放つ一頭のモルフォ蝶の姿が、三頭くらいに重なって見えた。
まるで度数の合わないメガネをかけているかのように。
次いで視界が暗くなり、がくがくと震えだした。
あわてて万華鏡を操作し、液晶のリフレッシュレートを確かめる。
「7FPS!」
途方もない処理負荷が万華鏡にかかっている。
現実世界側にある万華鏡やパソコンの冷却ファンも、尋常ならざる回転音を唸らせ始めた。
なんで? 急に? どうして?
「まさか」
ふと、あたしがどの夢に行ったのか、車椅子ちゃんがやたらと気にしていたことを思い出す。
――あのあと、人が多い夢とか行きましたか?
――本当の本当に?
どうしてそんなことを気にするのだろうと、そのときは思ったけれど。
今なら少しだけ合点がいく。
そして暗転していく視界のなかで、少し前に聞いた編集長さんの声も脳内にこだましていた。
――君は手伝わざるを得なくなる。君の良心がそれをとがめる。
その瞬間、プツンという音とともにすべてが鳴り止み、視界はただひたすらに真っ暗になる。
ああ、そういうことか。
「ウイルスをもらっていたのは、あたしもか」
そして思い出すのだ。この手口をあたしはよく知っている。
実際に経験したこともあった。
プレイヤーの視界の外で高負荷な描画処理を引き起こし、万華鏡を処理落ちさせる手法。
例えばそう、プレイヤー自身のアバターの頭部を小刻みに動かす、とか。
どうしてこんな単純なことを忘れていたのだろう。
泡の宇宙のように連なる夢のどこか。
西陽の差し込む廃校舎の教室で、誰かが微笑んでいるような気がしていた。
あの教室は、悪意。
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