第12話 えむぴいのバカはどこだ!
バーチャル・リアリティ・ソーシャル・ネットワーキング・サービス。略してVRSNS。言い換えるなら、仮想現実上の会員制交流サービスだ。あたしたちが彷徨う〝夢〟を提供する「ネオンライトカレイドスコープ」も、そんな数多あるVRSNSのひとつとされている。
かつてはメタバースとも呼ばれた。利用者は好きな3D空間を投稿し、好きな3Dモデルを身にまとい、無数に存在する空間の中で交流している。
ツイッターが文章で交流するように。ユーチューブが動画で交流するように。
この世界では、誰もが3Dモデルを使って交流している。
あたしたちは、ヘッドマウントディスプレイ――一六七七万色まで表示できる優れた液晶を載せた〝万華鏡〟を頭に被り、全身の動きを取り込む高価な光学センサーを全身に取り付けて、第三者が投稿した〝夢〟の数々を万華鏡のように覗き込んでいる。
そう、えっと。要は何を言いたいのかというと。例えばVRSNS「ネオンライトカレイドスコープ」の利用者の中には、ライターとして働く酔狂な人間もいるってこと。
VRSNSの世界では独自の経済圏が確立されている。服の3Dモデルを売ってとんでもない収益を上げたり、ダンスや歌で人々を魅了したり、印象的な出来事をニュースサイトにまとめて広告収入を得たり。プログラムと規約が許す限り、ここではどんなことも実現し得る。
とはいえ、だ。ここからが問題なわけで。
今日、あたしはとあるウェブメディアが拠点とする〝夢〟に押しかけ、声を荒げていた。
理由は言うまでもない。
あたしのことをとんでもねえ表現で勝手に紹介した記事に対する、抗議のためだ。
「えむぴいのバカはどこだ!」
「ジャスト淫夢に添い寝フレンドを探すと言って取材へ行きましたよ」
「車椅子のあのクソアホちんちくりんマスゴミを今すぐ呼び戻せって言ってんの!」
「ひぃん!」
あたしが乱暴に机を叩くと、編集長を名乗るお姉さんが怯えたように悲鳴をあげた。物理法則を無視したように天井まで積み上がった紙や本の山が、衝撃でゆらゆら揺れる。現実だったらとっくに崩落してそうだけど、ここは夢。浮世離れしたバランスで崩れずにいる。
いるのは、あたしと編集長のお姉さんの二人だけ。
昭和の編集室を模したような、狭く散らかった夢の中で、あたしは頭を掻きむしった。
「最悪だ! あの車椅子ちゃんがライターだったとか!」
「怖いですね」
「クレーマー対応のお手本みたいなはぐらかし方やめろ!」
らちが明かねえ!
あたしは編集長さんの胸ぐらから手を離して「ちくしょーめ!」と吐き捨てた。
「それで、ご要件は?」
「だから、おたくの無言勢のライターが書いたネット記事についてだってば」
「ああ、じゃ、君がえむぴいさんが記事で紹介してた……」
「ちる子です。いや、あたしの名前なんてどうだっていいでしょう」
「はあ。それでご要望は?」
ん、意外に話が通じる相手かもしれない。少なくとも話を聞く姿勢をとってくれている。
あたしは襟を正すと、
「あたしがお願いしたいのは、記事を書き直してほしいってことだけです」
と、改めて要望を編集長さんに伝えた。
「ふむ」
「あの、あとその格好なんとかなりませんか?」
「その格好って?」
「え、かつて人間だったものみたいなその体勢のこと……」
目の前にいる編集長さんは、それはもう生きた人間とは思えないほど四肢がぐにゃりと曲がりくねっていた。その上、空中に浮かんでいる。ニンゲンをティッシュよろしくくしゃくしゃに丸めて捨てたみたいな体勢で、あたしのクレームに対応しているのだ。舐めてるだろコイツ。
「全身にセンサー付けてるなら、せめて人間らしい動きで応対してくれませんか」
「君はあれだね、えむぴいさんに似てるねぇ。夢の中なのに、非合理で人間的な動作が身に染み付いている。今どき夢の中でそれを貫く人は多くないから、珍しい」
「さっきまで恫喝されて涙目だったくせに、急にタメ口に切り替えてくるのきついな」
「むう。自然体なほうが君も喋りやすいだろうに」
「だからって、ブラックホールに落ちてひしゃげたような人間と対話は嫌ですよ、あたし」
その体勢は、もう楽という次元では説明つかないんだってば。おおかた、足腰につけるセンサーを身体から外して、部屋のどっかにほっぽりだしてるだけなんだろうけど。
確かに、この夢の世界で生きた人間らしく振る舞う人は少ない。夢とは言っても、現実には全身の動きを計測する光学センサーを身体のあちこちに取り付けて、万華鏡を被ったまま四畳半くらいの自分の部屋で動き回ってるだけなんだから。
センサーの数を増やして全身の動きをくまなく読み取るようにすれば、夢の中の分身もそれに応えるように、表情豊かに追従してくれる。でも動き回れば現実の身体は汗をかくし、立ち続ければ足に乳酸も溜まっていく。ましてや夢を見るのは、たいてい寝る前の夜中だ。現実世界で一日過ごした疲労は抜けていないし、明日の朝には仕事にいかなきゃいけない。わざわざ労力を割いて人間らしくその場に直立している方が珍しいのだ。そんなことしなくても、椅子に座ってコントローラーの移動スティックを動かせばいい。この編集長さんみたいに。
編集長さんは「夢といっても、これはビデオゲームと一緒なのに」と諭すように言う。
「ええ、だからこれはこだわりみたいなものです。おたくの車椅子ちゃんも同じだと思っていたんですけどね。せっかくの夢なんだから、生き生きと振る舞いたいって気分は」
あたしは万華鏡を操作して名刺帳を取り出した。
名刺さえ交換しておけば、相手の名前とか相手が今どんな夢を見ているのかとか、リアルタイムで簡単な情報がわかるようになるのだ。
で、車椅子ちゃんの名刺はすぐに見つかった。
セーラー服を着た中学生くらいの女の子の証明写真。割り当てられたアカウントIDとVRSNSに登録した日付。そして彼女の名前は――。
「えむぴいさん」
言葉を喋らず、車椅子に座って万年筆で筆談する〝無言勢〟の女の子。
VRSNSの果てとも言える広大な夢の終着点、マゼンタに染まったマテリアルエラーの屋上で名刺を交換してから別れて、それっきり。もう一ヶ月以上も会っていない。
その間に出回ってしまったのが、先述のでたらめもいいとこなネットニュースというわけ。
そう。彼女はどうやら、ここで活動するライターだったようなのだ。
「未だにあの車椅子ちゃんが、あんな下痢便みたいな文章を書くとは思えないんですけど」
「下痢便」
「だってそうでしょう? これ、見てくださいよ」
あたしは、編集室の壁に貼られた壁新聞をばんばんと叩く。
不眠通信、最新号。
編集長さんや車椅子ちゃんといった有志が隔週発行するネットニュースらしい。VRSNSの話題への特化を謳っており、こうして夢のあちこちに貼られているのをよく見かける。
話題はもっぱら、今一番流行っている夢について。
最新号で触れているのが、あたしと車椅子ちゃんが旅したあの廃校の夢ってわけだ。
問題は、その書き方なのだけれど。
曰く、長らく都市伝説扱いされてきた夢が踏破されたのだという。数千時間にわたって万華鏡を頭に被り続け、遂にその夢の果てに辿り着いたライターが、その体験をつづっている。
〝そこで出会ったのは、魔眼を持つ女性。名前はちる子さん。声だけはきれいだけど風呂にも入らず万華鏡を被り続けて、仲間もいないのに何千時間も無人の夢を探索し続けた修験者みたいな人です。写真は躊躇なくコンドームに飲み込まれていく彼女の後ろ姿で……〟
〝くぅ~ww 疲れましたwww これにて踏破です! 実は編集長に代筆の話を持ちかけられたのが始まりでした。それでは都市伝説とされてきた夢を完走した感想を……〟
あ、ちょっと目を通しただけで寒気がしてきた。
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