第13話 誤報は良くないです

「絶対こんなんじゃなかったろ、あたしも車椅子ちゃんも」


 とにかく記事としての体裁が最悪だ。滑り散らかした感じのあるオタクっぽい文体は寒気がするほどキッモいし、そもそも書いてあることの五割くらいが車椅子ちゃんによる捏造か印象操作かだし、あたしに対する誹謗中傷か名誉毀損に両足突っ込んでる。


「あたしがお願いしたいのは、この記事を書き直してほしいってことだけです」


「あの、訂正とかお詫び記事だけは勘弁してください」


「うわ、急に下手したてに出てきた」


「なんとか」


「でもなあ、こんな吐瀉物に塗り固められたみたいな文章」


「吐瀉物」


 当然だろ。要するにあたしは不運にも、デマを書き散らかすうんちメディアのライターと出会ってしまい、とんでもない誤情報をインターネット上で拡散されているわけで。


「たしかにあたしは車椅子ちゃん、この記事で言うところのえむぴいさんと会いました。都市伝説って言われてた夢を一緒に踏破したっていうのも本当」


「なら、何が不満なんだい? 君の主観と彼女の主観が完全に一緒だとでも?」


「本気ですか? 文体も写真も、どう考えてもおかしいでしょ」


 そう、この記事、写真もヘッタクソなのだ。


 立派な一眼レフカメラで夢のあちこちを写真に収めていた車椅子ちゃん。


 悲しいかな、出来上がった記事には、まともな構図の写真が一つとして見つからないのだ。


 だっておかしいよ。


 なんであたしの寝顔の写真ばっかり十九枚も記事に載ってるんだ?


 いつ撮った?


 違う、これ記事に関係すらねえだろ。


「たしかに不思議だねえ」


「あの、たぶんこれゴーサイン出した編集長さんにも瑕疵かしがありますよね」


「なんのことやら」


 編集長さんは頬を掻きながら「昔はこんな書き方はしなかったんだけどねえ」と呟いた。


 ほら、やっぱりおかしいと思ってるじゃん。


 白目を剥きかけるあたしをよそに、編集長さんは夢の中を見渡した。


「うちはご覧のとおり、たった二人の小所帯でね、隔週発行の維持だけで精いっぱいなんだ」


「小所帯?」


「いやはや、編集長と遊軍ライターしかいなくてね」


 それってつまり、あんたと車椅子ちゃんしか活動してないってことじゃん。


「さもありなんって感じ」


「いやいや、これでもネオンライトカレイドスコープが今の運営体制に移行する前から活動している老舗メディアだったんだよ」


「今の運営体制?」


「ああ、もう知らない世代のほうが多いのか。ネオンライトカレイドスコープがまだネオンVRっていうサービス名で、運営会社が国内企業だったころの話さね」


「初耳です」


「誰も話したがらないからね。前身であるネオンVRは外部ツールなしでモデリングやプログラミング、データの受け渡しまでできるVRSNSでね。自由度の高さで人気を博したけど、最後は不正や犯罪の温床。あわやサービス終了寸前ってところで外資に買収されたのさ」


 本当に初耳だった。確かに昨今のVRSNSは、ブレンダーやユニティといった専門的なモデリングソフトやゲームエンジンを使って夢や分身をつくる。パソコン作業が必要になるから、敷居は高い。すべての作業が夢の中で完結すれば便利なのにとは、みんなが思うところだ。


 一方で、現状としてそうなっていないのにも相応の理由がある。端的に言えば、高すぎる自由度は夢の治安をも悪くするからだ。夢の中でプログラムやモデルを作り、それを受け渡しできる環境なら、例えば夢の中で感染するウイルスなんてものすら作れてしまうし、不正なマルウェアを取引することだってできてしまう。インターネットは思いの外、悪意に満ちている。編集長さんの言う「サービス終了寸前」は想像に難くない。誇張ではないのだろう。


「不正なマルウェアとか、著作権を侵害する夢や分身を野放しにしていたら、夢を運営するプラットフォーム企業は社会的な信用を失いますからね」


 結果としてVRSNSの運営母体がすげ変わっても、不思議ではない。


 編集長さんは「その頃だね、えむぴいさんが通信社に入ってきたのは」とうなづく。


「ネオンVR末期はもう通信社を抜けてくライターばかり。だけど彼女だけは、もしかしたらネオンVRの文化を残す資料がなくなってしまうかもしれない、だから今のうちにたくさんある夢たちを記録しておきたいって、そう言ってうちへライターをやりに来たんだ」


「で、最終的にネオンVRとやらは外国企業に運営移管することでネオンライトカレイドスコープとして再出発。ここには二人だけの通信社が残されたってわけですか」


 だからこそこの不眠通信社では、日々さまざまな夢を渡り歩いて、記録のためのルポルタージュ記事を更新し続けているということか。


 唯一の遊軍ライターであるえむぴいさん……車椅子ちゃんの目を通して。


 夢はいつか簡単に消えてしまうかもしれないから。


 永遠に残る風景じゃないから。


「一度でも夢の終わりを経験しかけた身からすると、夢から覚めたあとには何も残らないという危機感は本物だよ。特にえむぴいさんは、そのことに人一倍自覚的だった」


「だから、記録して残そうとしている」


「こんなご時世だろう? インターネットと人工衛星が張り巡らされ、この地上に未知というものがなくなって、だけど宇宙や深海を旅するほどには技術が発達していない。人々が外に目を向けるのではなく、無限に拡張する〝心〟という領域を冒険するようになるのは当然だ」


「それがあたしたちのいる〝夢〟ってことですか」


「誰かが記録しなくちゃいけないんだ。今日も誰かが夢を投稿して、別の誰かがその夢を旅している。その供給と消費の目まぐるしさは、もしかすると宇宙の膨張よりも速い」


「劣化する速度も?」


「とかくインターネットの情報は後世に残らないだろう? 3Dモデルとあらば尚更だ」


 あたしの脳裏には、あのマテリアルエラーの屋上がよぎっていた。


 車椅子ちゃんと旅をした、夢の果て。


 永遠に残る風景を否定する、現実世界よりも寿命の短い世界。


 車椅子ちゃんが、それを記録するためにあの踊り場に佇んでいたのだとしたら。


 理念としては、まあわからなくもない話だった。


「だからって、誤報は良くないです」


 編集長さんは「それもそうだ」と白々しく膝を打った。


 いやまあ、その膝は完全に関節と逆に曲がってる大惨事なわけなんだけど。


「名刺は持ってるんだろう? なら、会いに行けばいいじゃないか」


「そういう簡単な感情じゃあないんですよ」


 あたしは深いため息を吐いた。


 言うなればあたしと車椅子ちゃんの冒険は、あの壊れた屋上で終わっているのだ。


 あそこで別れたから、あたしたちの関係は美しいのだと思う。


 なのにその関係に、こんな水の差され方をされたら黙ってられないじゃないか。


「案外、彼女の方は君にまた会いたくてこのうんちみたいな記事を書いたのかもしれないね」


「うんちって認めた」


「はて」


「もう無理ですってば」


 あたしは手にした名刺をひらひらと振って見せた。


 そこには、車椅子ちゃんが今見ているであろう〝夢〟のタイトルも記されている。


 ジャスト淫夢。


 彼女は今、そんな名前の夢にいるらしい。もう名前からしていかがわしい。


「だいたい、あの子が今見てるの、ジャスト淫夢とかいう怪しげすぎる夢なんですよ。こんなとこへ気軽に会いに行けるわけないで……しょ……」


 あたしが言い終わるか終わらないかのうちに、名刺に書かれた文字が変化した。


 たった今、車椅子ちゃんが別の夢に移動したのだ。


 今の今まで記されていた〝ジャスト淫夢〟という胡乱げな文字は、〝イマーシブフォトエキシビション展・バーチャル会場〟という至極真っ当そうな文字に切り替わっていた。


 夢の名前を見たところ、何らかの写真展会場だろうか。彼女の取材先なのかもしれない。


「会えない理由の一つはなくなったようだね」


「……そのようですね」


「記事のことは記事を書いた本人に訊くのが一番手っ取り早い。編集長権限で訂正を出してもいいけど、それは君の本意でもないだろう」


「いや、わりかし本意ですけど」


 編集長さんは「いい機会だから、彼女の仕事を見てくるといい」と遮ってきた。


「あわよくば君が彼女の仕事の助けになってくれたら、なんて思ったりもするんだけどね」


「冗談。さっさとクレームだけつけて縁を切りますよ」


 あたしは名刺を操作して、夢の出入口ポータルを開いた。


 そして「どうかな」と苦笑する編集長さんに背を向け、ポータルの中へ一歩を踏み出した。


 万華鏡の視界が暗転し、編集長さんの声が遠ざかっていく。


「いや、君はきっと手伝わざるを得なくなるよ」


 その捨て台詞に似た言葉の意味を、問いただすことはできなかった。


 ただあたしは、人の心を見透かし、からかうようなこの人の喋り方がどうにも苦手に思えた。


「君の良心がそれをとがめる――」

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