第3話 性行為のメタファーだと思います
その直後に起こったことを、簡潔にまとめておこう。
簡潔に、短く、わかりやすく。
教室の中央には天井まで届くほど巨大な使用済みコンドームの化け物が鎮座しており、さながら目が退化した地中生物のようにあたしと車椅子ちゃんをじっと見ていた。じっと見ていただけだった。コンドームの化け物はぐわっと口を大きく広げると、別にあたしたちに襲いかかることもなかった。コンドームの化け物の大きく開いた口は山奥のさびれたトンネルになり、中に足を踏み入れると、トンネルは緩やかなカーブを描きながら真っ直ぐ続いていた。あたしたちは落ちていたヘルメットを被って道路を点検しながら、時折すれ違うネクスコのしましまな道路点検車両を運転しているのがおもちゃのアヒルであることに気が付いて、アヒルの起源は1970年代のアメリカのテレビ番組「セサミストリート」にあるのだが、この夢の作者は果たしてそこまで考えて夢を作ったのだろうかと議論を交わしつつトンネルを進んだ。でも終わりが見えないし風景も代わり映えがなくて萎えてきたところで車椅子ちゃんが車椅子のリミッターを解除。あたしをひざに乗せたまま高速道路を時速141キロで爆走した。トンネルを抜けるとそこは雪国だったが特に温泉宿もなく降りしきる雪の中信号が赤になっていることがわからずダンプカーに轢き殺されながら、手近な古ぼけた酒屋さんに逃げ込む。車椅子ちゃんはたくさんの色とりどりの酒瓶の中にだいぶ昔に見たコンドームの化け物と同じ色の瓶があると言い出し、中を覗き込むとあたしたちが最初にいた教室になっていたので無事あの学校に帰ってくることができ、目の前にいるコンドームの化け物は別に使用済みコンドームなどではなく、よく見るとそれっぽい日本酒のラベルがお腹に貼られており、実はぐちゃぐちゃに歪められた酒瓶の化け物だったことが判明するのだった。
「――ふっざけんな!」
脈絡がないにも程があるだろ、この夢は!
あたしは教室の中心で声を荒げた。
「いちいち横道逸れてたら、永遠に探索が終わらないじゃない!」
(わたしが思うに、この教室は)
「この教室は?」
(性行為のメタファーだと思います)
「そういうのいいから」
徒労感で〝1年24組〟の教室の床にうずくまり、あたしは車椅子ちゃんに聞いてみた。
「実際、意味があると思う? こんな風邪ひいてるときに見る悪夢みたいな夢に」
(どうでしょうか)
車椅子ちゃんは酒瓶のバケモンの周囲に万年筆で字を書きながら、あたしに問い返した。
(お姉さんなら、この夢をどんな目的で作りますか?)
「あたしは夢を作ったことないけど」
(もし作るなら?)
「もしあたしがこの夢を作るとしたなら……それはアート作品として、とか?」
(他には?)
「自分にとって居心地いい空間として、他人に楽しんでもらうための空間として」
(普通はそのあたりですよね)
「もう思いつかないよ。何かあるの、他に夢を作る動機って」
(作れるから作っただけ、とか)
「……やっぱり意味なんてないんじゃないの、こんな夢」
夢に意味を見出そうとしようとすること自体が間違っている、その可能性は十分にある。
作れるから作る。
言ってしまえば、この世界そのものが〝作れるから作られている〟だけなのだ。
一説によると、人類の情報伝達力は百年前の一五〇万倍なんて言われる。誰でも情報を発信できる時代に、意味のある情報なんて、干し草の中から針を探すようなものだ。
夢も然り。
明確な意図をもって作られた夢のほうが、よほど珍しい。
「それでも〝夢〟は、人の心の形に最も近い表現方法であってほしいんだけどな……」
(夢が心の形なら)
「形なら?」
(なおさら意味なんて、ないと思います)
車椅子ちゃんは筆談を続けた。
(脳の中の電気信号を、コンピュータの電気信号に置き換えただけですよ、夢なんて)
少し突き放すようなニュアンスを感じた。
車椅子ちゃんは折れそうなくらい細い手首を翻すと、これまた華奢な腕時計を見やった。
(一つ、わかったことがあります)
「それは、何」
(今日はもう探索は諦めて、寝るべきです)
「夢から醒めるべきってこと?」
(万華鏡の電源を切らなければ、また夢の続きで会えます)
要するに、現実ではもう寝るべき時間ってこと。
機械で夢を見るようになった時代でも、時間はまだ有限なまま。こうして万華鏡を覗き込んでいる間も、現実の時間は1倍速で流れ続けている。
なんだかなあ、と思う。
夢なんて言っても、これは物語でなければ、遠い未来の話でもない。どこまで行っても、現実の身体や時間に依拠した、極めて現代的なお話なのだ。
夢を見ていても、夢のある話なんかじゃない。得るものなんてない。
そこにあたしたちは余計な夢を見て、無意味かもしれない探索を続けているのだから。
やるせなさというものは、あるだろう。
今日の探索を通して、この広大な夢についてわかったことなんて、ない。
進展なんて……ああ、一つだけあった。
あたしは「あんたの文字、きれいだね」と言った。
この広大な夢の中でぐうぜん出会った、初めての〝他人〟に。
その存在だけは間違いなく、進展だ。
(なんですか、藪から棒に)
「そういえば褒め忘れてたなって思って。その文字……ねえ、今、何色に見えてる?」
車椅子ちゃんは、目をぱちくりさせて、
(青です)と答えた。
「どんな青」
(#a0d8ef)
「それはちょっと……淡いねえ」
(無意味な質問では)
「人によっては、意味があるかもしれない」
(そうでしょうか?)
うん、やっぱりきれいな字だと思う。
達筆ってわけじゃない。だけどトメハネハライにメリハリがある、気持ちの良い字だ。
「……おやすみ、車椅子ちゃん」
(おやすみなさい)
明日こそは、この長い夢の果てに辿り着けたらいい。
なんとなくだけど、彼女と一緒なら、この入り組んだ夢を解き明かせるんじゃないかって。
そんな淡い期待を込めて。
あたしたちはあいさつを交わして、万華鏡を頭から外した。
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