第24話 四畳半のエンデミック #0000FF
目が覚めるとあたしは、四畳半の自室でベッドに突っ伏していた。カーテンの隙間からは朝陽が燦々と漏れ出している。
「寝てたのか」
寝癖をつけたままもぞもぞとベッドから這い出す。
床に足をつけた途端、足の裏に激痛が奔った。
「いっっっった!」
母親と二人暮らしの月三万程度の都営住宅の一室に、あたしの情けない悲鳴が響く。慌てて見ると床に散らばったVR機器を踏んづけていた。足腰に取り付けるセンサーや万華鏡、万華鏡とパソコンをつなぐ光ファイバーケーブルなどが片付けないままほったらかしになっていた。
あー、昨夜夢から覚めたあと、そのままふて寝しちゃったんだっけ。
そう思いながら部屋を片付けようとしゃがみ込んだ瞬間、パソコンの画面が視界に入った。シンプルな背景にデカ目のQRコードが表示された必要最低限の情報量。上部には「デバイスに問題が発生したため、再起動する必要があります」の一言。あたしは自作ゲーミングパソコンの筐体に歩み寄り、リセットボタンを押下した。電源が消え、数秒後に画面が再点灯し、UEFIが表示されたのち、同じ表示に戻ってまた再起動を促される。いわゆる再起動ループの状態だ。こうなるとまず復元は不可能だ。
「ああ、最悪」
これは凶悪だ。昨夜あたしはアーマチュアウイルスの症状を発症し、そのままネオンライトカレイドスコープのクライアントはおろか、パソコンごと落とされてしまったのだ。それだけならまだ救いあったが、落ちたパソコンが昨夜から正常に復帰してくれない。
いわゆる死のブルースクリーンってやつだ。これはパソコン、本当にお釈迦になってしまったかもしれないなあ。部品ごと買い替えない限り、もう夢に入ることすらできない。
「今日って買いに行ける日だったかな……」
途方にくれたまま、枕元に投げ捨てられたスマートフォンを手に取る。
パソコンが壊れた今、あたしが唯一インターネットとつながることができる端末だ。
画面のロックを解除すると、ふて寝する前に開いていたディスコードのメッセージ画面が映し出されていた。メッセージの送受信時刻は午前零時過ぎで止まっている。
えむぴい:生きてます?
ちる子 :パソコン死んだぁ。
えむぴい:あの、今、何が見えてます?
ちる子 :#0000FF
えむぴい:それは……晴れわたるような青色ですねえ。
ちる子 :死のブルースクリーンっつってんだろ!
えむぴい:ひえ。
ちる子 :パソコン死んだぁ。
そんなようなやり取りが残されていた。アプリをブラウザに切り替えると、寝る前に眺めていたいくつかのサイトもタブが開かれたままになっている。不眠通信社の公式ニュースブログ、それからブルースクリーンを吐いたパソコンの復旧方法について調べた形跡。だんだんと記憶が蘇ってくる。あのあとあたしは強制的に落とされたパソコンをなんとか直そうとして断念し、結局不眠通信の過去記事を読み込んでいるうちにふて寝してしまったのだ。
今日は土曜日だった。同居するシングルマザーの母親はとっくに仕事に出かけていて、壁掛けの時計は午前九時半を示している。幸い、大学に顔を出すような用事もない。
あたしはえむぴいさんに「おはよ。今日は万華鏡買いに行く」とメッセージを入れてから、朝の身支度の準備を始めた。朝ごはんは食べない性格だから、脱いだ服を放り込んでから洗濯機を回して、外出の身支度を整える。窓を開けて澄んだ空気を部屋に取り入れながら、スマホのラジオアプリでFM東京をBGM代わりに流してだらだらと過ごす。
やがて洗濯機が回り終えて、二人分の洗濯物を居間に部屋干しし終えた頃、スマホにえむぴいさんから「お疲れ様です。壊れる前に記事のデータだけ拝受できたのは不幸中の幸いでした」とメッセージが届く。すかさずあたしは、えむぴいさんへの返事を打ち込んだ。
今回の発端となった不眠通信最新号の内容について、改めて問いただそうと思ったからだ。
「ねえ、なんであんな記事書いたの?」
(ワタシの芸風です)
「嘘。あんたの過去記事、ちゃんと読んだよ。いろんな夢見てきたんだね。夢の製作者にインタビューしたり、夢に使われたアセットもしっかり紹介してたし、すごくよかった」
あたしはもう一度「なんであんな記事を書いたの?」と送った。
一息置いて、
「あんな、まるであたしに『もう一度会いに来い』って言ってるような記事を」
と。
すぐにチャットが返ってくる。
(驚いた。いつから気づいてたんですか?)
「予感だけなら、最初から。確信したのは、さっき」
しばしの沈黙。
(あなたがウイルスに罹患していないか心配だったというのはあります。人の多いところにあの内容の壁新聞が掲示されれば、まずあなたは不特定多数のユーザーと接触しようとは思わなくなるでしょう。これでひとつ懸念は防げるということです)
「もうひとつは?」
(あなたともう一度会うには、理由が要るからだと思ったからです)
「ばかだなあ」
会いたいならちゃんと言葉にすればいいのに。
あたしは出かける前にもう一度外の天気を確かめようと、居室のバルコニーに出た。
チャットは(ねえ、ちる子さん)と続く。
(ワタシも、本物の空の色を知りたくなったんです)
がらがらとサッシを横に引いて、あたしは胸いっぱいに外気を吸い込んだ。
相変わらず、現実の世界は色あせている。
万華鏡を覗いていてもいなくても、色が見えてもいなくても、それは自明の理といえた。
「そう、じゃああたしも風景を永遠に残す方法を考えてみようかな」
(それって)
「手伝うよ。あんたの取材。本当にアーマチュアウイルスというものがあの廃校舎から発生していたのなら、あたしにも少なからず責任があるかもしれない」
あたしは背後に広がる安っぽい都営住宅の居室を見やって、苦笑した。
「もしそうなら、まるで四畳半の風土病だけどね」
東京都住宅局が管理する都営西台アパートは、高度経済成長期の1970年に入居が始まった四棟に連なる高層団地。一説によれば、ここ高島平の地にまるでサーバー室かスパコンの筐体のように無数に整列する古い団地群は、日本最古級の団地のひとつともされている。
十四階建ての高層団地は文字通り空中に浮いており、基礎の真下には都営地下鉄の操車場、要するに電車の車庫が広がっている。無数の線路が整列しているのだ。
子どもの頃から、幾度となく見飽きてきた光景。
夢と比べると雑多で、統一感もなくて、まるで無意味な光景に思えてくる街並み。
それがあたしの生きる現実だ。
もう、えむぴいさんからの返信は来なかった。
あの子は今日、何をして過ごすのかな。
相変わらず生活は苦しいけれど、この空の下に現実世界で生きるえむぴいさんがいると思ったら、少しだけこっちでの生活も頑張ってみようと、捨てたもんじゃないのかもしれないと、そう思えるのだから、あたしは結局単細胞なのだった。
チャットを切ったスマートフォンから、無機質なラジオの声だけが流れ続けていた。
(本日の首都圏の天気はくもりでしょう)
たしかに、曇っている。
東京の空は一面薄い雲に覆われ、まるでこの世界に青色なんて存在しないようにも思われた。
ラジオは言う。
(気象庁によると、四九四七日連続でくもり。観測史上最長を今日も更新しています――)
――四畳半のエンデミック #0000FF 了
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