第12話 天から降るは厄災か、救いか
「す、すごい……」
たったの五分も無かったかもしれない。
それほど真弓と鬼の闘いは一瞬だった。
「まぁ当たり前だよ。あの鬼切丸さえあれば鬼には絶対勝てるって言える位には強い妖力を持ってるからね。でもあれじゃあ、器がすぐ壊れてしまいそうだ……」
白猫はまた一人でぶつぶつと何か呟き始めたが、私は自らの息遣いを確認することしか出来ずに茫然自失とするばかりだった。
真弓は私に背を向けながら太刀を鞘に戻すと、突然粉を吸引したかのようにむせてその場に倒れ伏してしまった。その一瞬の内に、彼女の巫女姿も鬼が消滅するように光の粒となって霧消する。
「ま、真弓!?」
急いで我に返り、何とか足を動かして真弓の元へと駆けた。
「はぁ……はぁ……ぐっ、げほっ……」
「ど、どうしたの大丈夫!? やっぱどこか怪我したの!?」
「みんな初めはこんな感じだよ」
「ひゃっ!?」
驚いて振り向けば、いつの間にか白猫は私の元まで忍び寄ってきていた。
「特に憑依を受ける刀巫女だとね。あの世のものに一時的に体を奪われるから、戦っている時に息をしていないようなもんなんだよ。だからこそ産まれ落ちたばかりの赤ん坊のように、息を必死にしないといけない」
「何でそんな大事なことを全部後に言うの!? 真弓がもうボロボロじゃない!」
「契約内容を聞かなかったのは彼女だ。契約条件の中にちゃんと全部書いてあるよ。彼女の自業自得だとしか言いようがない」
「そんな、酷い……」
アリスのチェシャ猫のようによく喋る白猫は、どうやら私の理想の猫像をぶち壊しにかかっているらしかった。彼は冷徹で、薄情で、合理的で、執着が無い。
「でもま、急かした事については謝るよ。なんせ契約してなかったら全滅も目に見えていたからね。それくらい強い相手だったんだよ」
「謝ったら許されると思って……!」
私は人生を懸けて互いに助け合ってきた仲の真弓を此処まで蔑ろにされた事にこれまでに無い怒りを感じていた。相手が猫だろうが関係ない。喋る時点で白猫は私の好きな猫ではないのだ。そう暗示を自らに掛けた。
「申し訳無い、私一人の力では到底敵わなかった。何か策をと考えていた矢先、鬼切丸殿が手を貸してくれたのだ」
真弓の横で空にぷかぷかと浮く椿の精霊「こはる」が謝罪する。礼儀正しいし本当に申し訳無さそうなところが白猫とは全く真反対で、私の怒りも拍子が抜けたようにみるみる萎んでいってしまった。しかもこんな愛らしい姿をしていて、キツく怒るというのもこちらにとっては至難の業である。
「いや、こはるちゃんは悪くないよ。悪いのはこの白猫と『鬼切丸』……? っていう刀だから……」
非難がましく二つの名を強調して指差すも、白猫は知らん顔で上の空。鬼切丸に至っては真弓の腰からからんと落ちた後、うんともすんとも言わず、ただ黙秘権を行使するのみだ。
考えてみれば猫も刀も喋るわけがないのだが、再び沸々と湧いてきた苛立ちと感覚の麻痺によって自らの感情を制御しきれていない事に気づいてはいた。
それを矛盾するように止めてみせたのは背後から近づく足音か、はたまた真弓の安否を最優先と取ったからか。
雪をキュッキュッ、と踏む足音は大体五メートルくらいに近づいてきた時にふと止まった。少し圧を感じるが、直感的にこれは私に向けられたものではないと、なぜかそう感じた。全く、私はこの白猫に会ってからロクな目に会っていない。そのうち白猫恐怖症なんて意味の分からないアレルギー反応が検出されるかもしれない。
「だいふく、何をやっておる」
そう言葉を発したのは未だ私が聞いたことのない声主。私は驚きよりも、また新しい人物のお出ましかと半ば呆れてしまい振り向くことも憚られた。
……はずだった。此処まで発せられた声が美しくなければ。
可憐な
「遅いよヨシツネ! 君が早く帰ってきていれば僕はこんなふうに怒られる事も恨まれることも無かったのに!」
「お前はいつも自分の事ばかりだな。逆に安心してしまうぞ。……それより今の状況を見たところ、随分事が早まっているようだな。今すぐにでも話を聞きたいが、優先事項は彼女の治療だろう」
男とも女とも取れるその美声に聞き惚れていた私は、「ヨシツネ」が近づいて真弓の手を取るために片膝をついた結果顔が急接近し、そんな些細な事に大袈裟に仰け反ってしまった。
「降れ、天照の雫」
「ヨシツネ」はそう呟いて聖なる光を顕現させ、真弓の全体に照射した。
暖かな光に真弓の苦悶に満ちた顔は和らぎ、すぅ……と安らかな息を吹き返した。表情も笑ってはいないのに、口の端が僅かにでも上がっているように見える。
あまりにも優しい顔になったものだから本当に安らかに眠ってしまったのかもと慌てて真弓の胸に耳を当ててみるも、生きている証、心臓の鼓動は限り無くご健在であった。「ヨシツネ」は悪い奴ではないと、少なくとも今は味方だとそう判断し、私の人生の敵味方フィルターは「ヨシツネ」の駒を移動させて警戒を緩めた。
「あ、ありがとうございます……」
その証として一つ例を告げると、「ヨシツネ」は優しく微笑んだ。
「なに、信仰心の有る人間が居るから、私達は此処に居られる。困った時はお互い様という奴です」
「ヨシツネ」はそのまま均等に美しく並んだ真っ白な歯を眩しく光らせ、この世のものとは思えない色白の肌の端が綺麗に吊り上がった。
……のも束の間、私から逸らした「ヨシツネ」の顔はすっ、と厳かな雰囲気を感じさせて凛々しく、鋭い目つきに変わる。その目を当てられたのは案の定というべきか、明らかに空気を読まずに欠伸をして寝転がっている白猫だった。
「……正直、こんな事は絶対に言いたくなかったのだが……早かったな。有難う」
「いえいえ〜それほどでも無いですよ『ヨシツネ』さま〜♡」
「うっ……気持ち悪い。だから言いたく無かったんだ」
過剰に顔を青くさせ、口元を覆う「ヨシツネ」。先程までの澄ました口調が早くも崩壊し始めている。
「……まぁ今回は勝利を収めたから良かったものの、まだ契約して間もない刀巫女が素早く動こうとしてはどうしても身体が拒否反応を起こすか、ついてこないだろう。酷ければむしろ戦闘の邪魔になる。余程の場合でない限り、使用は禁止だ」
「うーん、やっぱ最初にチートを使わせるのは良くないよね。成長段階に支障をきたしかねないし、仕方無い。今後気をつけるよ」
「「…………」」
いつの間にか目を覚まし、さっきの苦悶が嘘のような真顔で一人と一匹の会話を見つめる真弓。彼女の目には少し負の感情が入り混じっているようにみえたが、どちらにせよ彼女も私と同様、話の内容は全く理解できていないらしい。
「ヨシツネ」は白猫の承諾を聞き届けた後、私達の呆けた顔を見てバツが悪そうに苦笑して言った。
「すみません。此方の話だが、いずれ貴女にも話すことになるだろう」
それでもまだ黙っている私達に一瞬怪訝な表情を向け、直ぐに会得した表情に造り変えて言った。当然のように、微笑みながら。
「私は『ヨシツネ』。そう呼ばれているあの世の統治者、つまり神である」
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