第5話 紅白世界の中で
翌日、日曜日。
昨日に続き、鬱陶しいほどの数の雲が空を包み、太陽を閉じ込める。
そして相変わらず、粉雪はこの世界を銀世界に染めつつある。
一刻でも早く征服したいと急いでいるかのような、酷い雪だ。
「うぅ〜、さむさむっ……。雪が酷過ぎで足も重いし……もう家に帰りたい……」
「そう言ったって、糸子がついてきたいって言ったんでしょ? ほら、もうそこに見えてるじゃん。……って言っても屋内にも暖房は点いてないだろうけどね〜。ま、この強い風と大量の雪さえ無けりゃちっとはマシになるでしょ」
「……元はそっちが誘って来たくせに……」
無駄口を叩いている内にも、雪の粉は無情にもコンクリートの灰色を完膚無きまでに埋め尽くす。
酷い雪と言っても、雪の勢いは然程強いわけではなく、あくまで日本の近畿地方の気候らしい程度の雪ではあるのだが、今年はなぜか雪が毎日の様に降り積もるくせに、積もった雪が一向に溶けないせいですっかり豪雪地帯へと化してしまっていた。
それはまるで天の上の神様に、人間が自然に勝てるわけがないと嘲笑われている様にも見える。支配者だと勘違いをして自惚れているのも、所詮井の中の蛙だという滑稽さは、人間に分かるものでは決してないのだろう。
人間は「知ることのできない」生き物なのだから。
……と、私は今向かっている場所にかなり失礼な心の態度で、寒さを紛らわすためか、はたまた暇なだけだからなのか、頷きながら物思いに耽る。
回想始め。
果たしてあの白ヌッコが言っていた通り、まだまだ布団にくるまっていたいし、ましてや朝日も出ていない真っ暗な朝六時ごろに真弓から電話が掛かってきた。
「ねぇねぇ、私今から行きたいところあるんだけどさ、何しろこの大雪の中で一人で出るのは危ないって言われちゃって」
「流石この町随一のお嬢様だね。よっぽど可愛がられてきたらしい」
「私そーゆー皮肉嫌ーい。いや、でさ。友達が同伴なら許してくれるって言うんだよね」
「友達への信頼度たっか。所詮子供じゃん。居ても居なくてももしもの事態にし易くなるとは到底思えないんだけど……」
「あーもういちいち口を挟まないで! ……で! そこで我が大親友の糸子様にお力添えを願いたいのです!!! どうか、なにとぞ!」
「はぁ……。分かった分かった。行けば良いんでしょ行けば」
「いやいや、そこを何とか……って、い、良いの!? いつもなら絶対めんどくさがってテコでも動いてくれないのに。もしかして体調悪い? いや、もしかしたら今日は真冬の真夏日!?」
「理不尽だ……。付いていってあげると言ったのに。付いていく気なくなっちゃったナー」
「え!? ごめんごめんいじった私が悪かったから! お願いします!」
「はぁ……最初から良いって言ってるでしょ……」
確かに真弓の言っている事は百パーセント真実だったのだが、今日は白猫に誘われる必要があったので仕方が無い。冬生まれながらも寒さにはとことん弱い私だが、今回はそんな弱音を吐いていられない理由があるのだ。
そう考え、私は自分から見てもかなりすんなりと、首を縦に振ったのだった。
回想終わり。
先導していた真弓の歩みが止まり、歩くことだけに集中していた私は真弓の背中に鼻をぶつけた。地味に痛い。
「ーーーーーーッ!」
しかし、何故か声にならない悲鳴を上げたのは真弓の方だった。
「? どうかした?」
「な、何でもない! あ、そ、そんなことよりほら! ついたよ!」
最早訝しむことすら面倒だったため、私は素直に真弓がごまかしがちに指をさす先を見た。
純白の侵攻に、めげずに堂々と紅色を放って立っていたのは、大きな赤い橋だった。しかし、本来の目的である場所は見当たらない。
「? ここ、神社じゃないじゃん」
「いやいや、よく見てみなって。そこに鳥居があるじゃん」
「ん? ……ああ」
白空を仰ぎ見ると、空を遮るかの様に、赤橋の前に純白の雪に埋もれた縦横二線重の建造物がそこにはあった。
神社としての風格は、その大きさと時折光る金色の装飾と言葉通り漆黒の漆塗りに保たれている様に見える。
不覚にも驚きと感心の表情が顔に出てしまい、真弓がしたり顔でこちらを見た。
調子に乗った真弓が正面、つまり赤橋を指さして言う。
「へへん、こっからが神社の領域に入りますよーって意味で橋を渡るんだよ。川は異なる世界と世界の境目の役割を果たすからね」
「ほえー」
「んで、この橋を渡ったとこにあるあの正面の石段が、神社に続く階段。階段も、天に住む神様を祀っている神社は高いところに造られるからあるんだよねぇ。『バベルの塔』とかでも言われることだけど、『高いところに居る』ってのは単純に『偉い』事を示せるからね」
「なーほーねー」
遂に真弓ゆっくり豆知識にも飽きて来たので、棒読み且つ空返事を返す。
白猫は絶対的な余裕をぶっかましていたが、本当にあんな適当な約束で今日会うことが出来るのだろうか。糸子は急に心配になってきた。
どうせ会う事はないだろうとか思われて適当に流されてしまったのだろうか。そうすれば、白猫の糸子との友達契約はお遊びだった事になる。
「私との関係はお遊びだったの!?」
「ちょ、急に叫ばないでよ! びっくりしたー」
「やっと出来た二人目、いや二匹目の友達だったのに! 私にとっちゃ尚更辛いよ! 返せよ私の幸福に満ちた
「それだと一生苦しむ事になると思うけど……。ほら、ずっと立ってると寒いし、早く行くよ」
真弓がそう言って足を進めようとした瞬間。
「なおーん」
鳴き声が、聞こえた。
あの白猫だ。その声を聴いた瞬間、そう分かった。
「ね、猫? ……でも、一体どこに……」
どうやら私だけではなく、真弓にも聞こえているらしい。
そして真弓が狼狽えている通り、あんなにもはっきり聴こえたのに、全く姿が見えない。音が何処から聴こえてくるのか分からず、気持ちの悪い感触が私の耳に残る。
と、それに応答するかのように、突然白猫が現れた。
純白の毛並が降り積もった雪と同化して、まるで空気中から一瞬で創造されたかのように、ぬるりと出現したのだ。
猫としての体の柔らかさを活かした結果かもしれないけど、それでも明らかにこの世のものでは無いと説明するには十分すぎる証拠だった。
白猫は振り返り、真弓が狼狽え、私が険しい顔をしているのを確認すると笑った……ように見えた。
そしてその小さな体では登るのにも一苦労しそうな石段を、軽快なステップを踏むかのようにピョンピョンとあっという間に登っていってしまった。
「……追おう!」
「……うん!」
私たちは顔を合わせて頷き合い、我先にと全速力で階段を駆け上がっていった。
空にはまだ、雪が轟々と舞っている。
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