第4話 白銀世界の中で
雪風が吹き荒ぶ如月の半ば。
本来は暮れなずんでいる時であるのに、太陽は地平線に沈むのを待たずして長年積もりに積もった埃のような雲の上にすっかり逃げ隠れてしまっている。
冬は終盤に向かっていると言えども、今から本番が、いや、ラストスパートがかかったような寒さのせいで、人通りは下校時間だというのにまばらだ。
「はあ……。なんでまだあの夢のこと考えてるんだろ……」
いつにもなく溜息を惜しげもなく吐いた私は、油の切れたロボットの成れの果てのような動きで歩みを進める。
私は夕方になってまで、結局授業中にも、ホームルームにも、必ず頭の片隅に「あの夢のこと」がちらついて離れなかった。結局私は未だやはりというべきか、歩きながらもあの夢のことについて無意識にも考えてしまい、今に至る。
考えても考えても、あんな夢の中の世界を知らない私にすっきりする様な解答は浮かばない。
いっそ、脳味噌を頭から外して、何も考えずに天日干ししてやりたい気分だ。もう何も考えたく無いのに、まるで呼吸のように自動的に思考が始まってしまう。
……いや、そもそも単純に考えてみろ。
夢の中の話を信じることなんて、馬鹿らしいにも程があるでは無いか。
夢の中の話など、大半が嘘だし、妄想ではないか。
夜の遊園地で着ぐるみが動き出したり、恐竜に襲われたり、人を殺してしまったりするように、夢の中では
夢なんてものは所詮、そういうものだ。
私は今日という日を無駄に考え、棒に振ってしまった。
有限なものを、無限なものに費やしてしまったのである。
決して無限なものが減ることはないと、わかっていながら……。
そう思うと、言い表せない疲れが背中から湧き出て、私を押し潰してしまうように重みを増していく。なんか、やるせないって感じだ。
「……ちょっと考えたらあんなこと起こるはずないことぐらいわかるはずなのに……なんてバカなんだ私は……はぁ」
ここが公の場でもなければ手で頭を抱えて崩れ落ちてしまいたいくらいの自己嫌悪に苛まれ、私はとうとう何も考えたくないほどの境地に陥っていた。
「誰か私の『今日』を正当化してくれーーーー!!!」
「にゃお〜ん」
私はこの世で最も好きなその声に、現実に引き戻される。
「あ、猫ちゃん」
俯いていた視線に映ったのは、1匹の猫だった。
「な〜」
「かわいい〜!!」
雪景色に突け込んでしまいそうな純白の美しい毛並みに見惚れ、私は思わず歩みを止める。
「こんな綺麗な猫ちゃんなら、どこかの家の猫ちゃんかな〜」
雪兎のようにルビー色の目から放たれる、何か言いたげな視線を合わせるように、私はしゃがみこんだ。
「もしかして、私を慰めてくれたのかな……優しい猫ちゃんだ〜ほれほれ〜」
私は可愛さに我慢できず、柔らかな毛に包まれた愛らしい顔を、揉むようにわしゃわしゃする。そして、私はさらに猫に近づいたことによって小さな違和感に気づいてしまった。
「んん……? ……あ!」
よく見ると、目と同じくらいに、後ろ脚が紅に染まっている。
「大変、早く治療しなきゃ……」
「んにゃ」
「お?」
と、猫は私に急接近し、私を後退するように促した……ように思えた。
その瞬間。
「ファーーン!!!」
右から左へ耳を
身体は半身くらいの高さで飛び上がり、俯いていた顔は勢い余るほどにヘヴィメタ並みの首振りの速度で曇天を見上げてしまう……と思ったのだが、曇天を追い尽くすような巨躯が、見上げた目の前にはあった。
「あぶねえぞ、嬢ちゃん!! しっかり前見て歩きんさい!!!」
唸り声を上げ、闘牛の興奮状態の牛のように、今にも走り出しそうな四つの巨大な脚。背後からは強い臭気を匂わせる。体を目一杯に紫色に光らせ、目の前のちっぽけな私をまるで嘲笑うかのように威嚇する。
そんな恐ろしい化物から、一人の男がのっそりと身を乗り出し、私に一喝をした。私は思わず身震いをせずにはいられなかった。あの怪物を、さらに乗りこなすことのできる人物など、もはや恐ろしいの一言だけでは表せられないような、畏怖の存在であるに違いないからだ。
私は謝罪の言葉も見つからずにただ突っ立っていることしかできなかった。
目の前の化け物が大型トラックだという事も、認識できないまま。
「はぁ……。最近の若いもんは歩きスマホやらイヤホンやらで車に注意散漫で困るわい。あんたらが悪くても結局車のせいにされるんじゃからな、全く。……言っても無駄かもしれんが、次からは気をつけてくれよ!」
男は私を一通り叱り、ついに謝罪も何もしない私を見限ったのか、今まで宥めさせていた怪物−大型トラック−を走らせていった。
結局私は、男が去るまで何が起きたのか、何故怒られたのか、状況を一切把握することができなかった。
後に理解したことには、どうやら大きな道路の交差点で、私が信号が赤になっているにも関わらず、知らぬ間に信号無視をしてしまっていたらしい。危うく私はあの大型トラックに轢かれそうになっていたわけである(もちろん私が悪いのだが)。
あの運転手は私を叱ってくれた良い人だった。謝罪の一つぐらいはしておくべきだったと後悔する。
「それにしても……」
私はこの白猫に後退を急かされなければ、あの大きなタイヤで粉微塵になっていたと思うと身震いを覚える。
だからこそ、この白猫に感謝の辞を示さなければならないことは明確だった。
「私を助けてくれた……のかな。そうだとしたら……ありがとうね」
「なお〜」
礼に応えるように、白猫は小さく唸る。
「あ、そうだ。急いで治療してあげなきゃ」
適切な処置をとるため、私は猫を抱えて、急いで家へと足を向けた。
と、急ぎ過ぎたせいか手元が緩み、白猫は私の腕を液体のように、するりと抜け出てしまった。そこまで軽率に持ち上げていたわけではないはずなのに……。
そう思いながらも、やはり今の状況の中で非があったのは私のはずだ。例えそうでなくても猫に大人気なく愚痴を言うような情けない人にはなりたくないし、猫をこよなく愛する私からはまず考えられない話である。
というか、今はそんな事を気にしている場合ではないだろ! 一刻も早く拾い上げて家に連れ帰って手当てをするのが、今一番のベストを尽くす方法であるはずだ! だから、早く行動を起こせ! 私!!!
そんな思いが私の頭の中を、一秒で地球を七周半してしまいそうな速度で駆け巡る。私は失敗の連続で既に、冷静さを失っていたのだ。
「あわわ、猫ちゃん怪我しちゃってるのに私はなんて事を……どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう……」
「落ち着け、娘よ」
「は」
最早言葉とすら言えないひらがな一文字が、漏れた。
驚いた原因については言わずもがな。
先述の通り、猛吹雪によって周りから人っ子一人の気配も感じられない。
ましてやこの暴風が騒ぐ中で、ここまではっきり聞こえる声。
じゃあ、喋ったのは、誰?
……とてつもなくすごい、嫌な予感がする。
「だ、誰もいない……? う、嘘でしょ!? なんでこんなに近くから声が聞こえたのに誰もいないの! 悪戯!? そうなんだよねぇ!? ねぇ!!??」
もう無理まぢ無理。泣きそう。何も考えたくない。
私のソウルキャパが、限凸しちゃってますわ。
『この世とは思えない、現実の中で起こった予想外の出来事の連続で、糸子は限界を知った!』。ナレーション私。
しかし現実は残酷。私の脳を勝手に働かせて、軽く限界の壁をビヨンドさせるつもりなんだ! ……ビヨーンと。
「落ち着けと言っておるじゃろ。こうなって来ると儂も役目を果たせぬ。かくなる上は脳内に直接流し込むしか無いか……」
「せめて予想を裏切ってよ! まぁそんな事有り得ないよねって笑い倒したかったよ!! 鼻に掛けたかったんだよぉー!!!」
「……自慢なのそれ? 話聞かないと折っちゃうよ?」
「台詞三番目でもうキャラ崩壊!? 勘弁して!! 情報がもう完結しないって!!! 無○空処かよ!!!!????」
「いや〜、人間と話す時くらいはカッコつけたいなと思ったんだけど。二言目で疲れた。コレが平常運転なのでよろしくぅ!」
「ツッコめよ! そこはツッコめ!! そこ隠したら『量』なのか『料』なのか分からんぐらい秒速三四〇mで気づけよ!!! もうこっちが悲しくなって来るんだよ……」
私、膝から崩れ落ちる。
恐らくこの暴言と行動の数々で私の清楚担当イメージは崩れたに違いない。実は 私こんな感じなんです。猫被ってただけなんです。ミンナゴメンネ☆
……あ。痛いわコレ。
「ねぇ、お嬢ちゃん」
「……はい、なんでしょうか」
「君と話してると、しんどい」
「……すいません」
「さては君、友達いないでしょ」
「………………すいません。勘弁してください」
私は最後の力を振り絞り、片目だけを白猫に向ける。
……うわー。すんごい憐憫の目。
実際このノリを解放してしまった結果、受け入れられずに中学は本当に友達居なかったんだよね……。
私のツッコミを面白いと言ってくれたのは、幼馴染の真弓だけ。
そして多分、これからも未来永劫、真弓一人だけだと思う。
だってお世辞だから!
さらに落ち込んで、身を処女雪に委ねた私に、白猫は少し間を置いて言った。
「でもね〜、分かるよ。君の辛さ。僕もさ、人間に理解された事、あんまり無いんだもん」
「ど、同士ですか……?」
希望の光。最後の力を振り絞ったはずの私は、瞬で復活を遂げる。
「うん、同士。だからさ、友達になってくれない?」
「え…………ええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええ!!??」
嬉しい。嬉しすぎる。
私史上二番目の友達が、こんなにも簡単に出来ちゃったんだから。
でもその前に、疑問と驚愕と焦りが私の心を支配した。
「い……いいの!? 私のこと『しんどい』って言ってたのに……」
「まぁ同士であることに共感性と憐れみを感じずには居られないよね。でも一番大きいのは君への興味だよ。これは間違いない。さしずめ、好奇心八割、同情二割ってとこかな」
「そ、そっか…………ありがと」
「どういたしまして〜☆」
二人目だった。私の事をここまでリスペクトして、かつ一緒に居てくれようとさえしてくれた人は。いや、猫は。
こんな偶然、いや奇跡、もう起こらないかもしれない。
絶対モノにしなきゃ、後で一生後悔する!
「じ、じゃあ、私からも、と……友達にっ、なっていただけませんかっ!?」
「何だよ堅苦しい〜。さっきみたいなノリでよかったのに。じゃ、僕の前では敬語禁止ね」
「え……そ、それって…………」
「うん。友達成立ッ! あ、ちなみに友達の証のメダルとかカードやらは無いからね〜。いつでもどこでも、呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン! だからね」
「もしかして悪の組織が私を狙っている!?」
「別に僕は戦わないし、君は狙われてない! まぁ他の畜生は……っておっとっと。思わず口が滑るとこだった。君、勘がいいってよく言われない?」
「いや、別に……」
むしろ協調性がない分悪い方だとは思っている。
「ふーん、まぁいいや。じゃ、せっかく友達になったんだし明日も会おうよ!」
「ふぇ……え!? ど、どこで? な、何時?」
「場所は君の友達一号が教えてくれるよ。時間はいつでもいいけど、夕方がおすすめかな。あ、ちなみに友達二号は僕ね」
「お、教えてくれるって私、真弓にどうやって話せば……っていうかなんで真弓のこと知ってるの!? 後勝手に私の友達いない歴を暗に示すな!」
いつもは他人には絶対に言わないような激しく、汚い言葉が、口から弾き出される。彼女、糸子はさらっと、限界を超えていた。
喋る猫と友達になるという、例を見ない人生が、この平凡な現実の中で歯車を回し始め、糸子の頭は逆に冷静になっていった。
「フフフ。やっぱ君、面白いや。んじゃ、また明日ね〜」
そう言うや否や、白猫は物凄い速さで足元が掬われるであろう雪の中を、走り抜けていった。音もなく、静かに。白塵を、舞い残して。
「あ! ちょっと……って、もう居ないか。はぁ……」
またもや変な事に頭を突っ込んでしまったなとため息を吐きつつも、同じ気持ちであったはずの昨日とはまるで別人のように、頭の中がスッキリしていた。
糸子は家に帰った後も、いつものように機械的に家事と宿題をこなし、そうしてそのままスヤスヤと床に着くことが出来たのだった。
「むにゃむにゃ……大福…………もちもち……」
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