第3話 ゆめゆり
「……こ、……とこ、……いーとーこ!!」
「ふぇっ!? な、何!?」
「『何!?』 じゃないよ! どうしたの今日? 糸子は夜更かしするタイプじゃないで
しょ。なんかあったの?」
気づけば四限は過ぎ、とっくのうちに頭の寂しい(ついでに寒いギャグの受けも寂
しい)初老教師はクラスをトボトボと過ぎ去った後だった。
チャイムにも気づかなかったとは、よほど私の頭は眠気の境地に達しているのだろ
う。しかも今日は小春日和である。特に四限目なんて、心地の良い陽が当たる窓際族の私にとっては自室のベッドにいるのも同然なのだ。
「ゆ、夢だったの……? それにしては、やけにはっきりしていたような……」
しかもめっちゃグロかった。しかも、目の前の奴が殺されている夢なんて思い出すのもおぞましい。というか、そんな想像をしてしまった私が恐ろしい。
「…………うん、夢々!
その代わり、目の前の相手との会話に集中することにする。
「やっぱなんかあったんじゃない? どうしても昨日は夜更かししなきゃいけないことがあったんじゃ……」
「……あー、実は課題やってたんだよねー」
勿論噓である。しかし、この一言だけで取り敢えずこの面倒臭い状況は免れるはずだ。……そう真弓のことを甘く見ていた私は、やはり頭が回っていないらしい。
「今日出す課題はないでしょ? 糸子ならそんな余裕のある勉強しないよ」
「そういう自虐ネタは本人がやってこそだと思うんですけど!?」
「……う~ん、元気はあるみたいだね~。じゃあ尚更だね」
隣で追及を迫る私の友人、
る。きっと私だけが心の内に問題を抱え、そっとしまっているかもしれない事を心配
してくれているのだろう。
「……もしかして、失恋?」
「なぜその発想に至る!? 私そんな兆候一切なかったでしょ!」
「……いや、ほんとだったらどうしよっかなーと思って……」
何故か顔を赤らめて頬を両手で隠すような素振りをする真弓。
声量も急に落ち、弁明した後も何かしらぶつぶつと呟いている。
こいつが時々見せる変な行動は、幼馴染である私でさえ理解できていない。
「……いや、私は猫を見てるだけで幸せだし。彼氏とかそういうのはただの私の趣味の邪魔にしかならないと思ってるから、そーいうのはあり得ないかな」
「そ、そうだよね! ごめんね変なこと聞いて! ははは……」
それはそうと、と私から目をそらしてわざとらしい話題の転換を繰り出してくる真弓。私はもしかしたらこのまま立ち去ってくれるかも、と期待していただけに余計がっくりと来る展開である。私のテンションは失われたも当然の状況だ。
しかし、それは次の真弓の一言で瞬時に取り戻されることになる。
「前から思ってたけど、糸子ってとんでもない変態級の猫好きだよね!」
「変態で何が悪いっ!」
「開き直らないでよ……」
「いーや、私は猫の全てをまだ知らない! 私の猫の知識は猫の背中ほどしかない
のだから! それまでは変態と呼ぶな!!!」
「猫の背中は伸びるからむしろ広すぎじゃい! 背中を推してくる辺りやっぱり変
態だよね糸子は! あと正しくは額!!!」
「にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにいってんにゃ(刀マニアが何言ってんだ)!」
「うるせぇ! 刀マニアは日本の伝統を受け継ぐっていう高潔な使命があるんだ
よ! 平和ボケした猫マニアなんかと一緒にすんな! ついでに何言ってるか分かる
の地味にイラつくぅ!!!」
「刀マニアはミリオタと一緒にされるのは嫌いなのに平和だかウンタラカンタラ言
うな! 大体刀は武器なんだから高潔もクソもないただの紅血撒き散らす狂人の持ち
物だよっ!!!」
「なんだとぉー!」
「にゃにおー!」
一生をかけても終わりそうにもない彼女たちの言い争いは、遂に腕を振り回すだけの単純なケンカに退化していた。
「またやってるよ、あの新婚夫婦」
「果たしてどちらが受けでどちらが攻めなのか……、どっちも良い!」
「どっちでも良いよ!」
「はぁ!? これはもう『ちきゅうはかいばくだん』を押すか押さないか並の選択なんだよ! お前は地球が消えてもいいのか!」
「もうどうでもいいよ!!! ほんとあの二人の事になるとめんどくさくなる娘多いよね…………」
遂にはクラスに残っていた二人の女子生徒が茶番から茶番を繰り広げ始めた。
どうやらこの教室ではいつもの事であるこの光景は、もはや庭のスズメの戯れくらいにしか意識されず、それどころか一部の人には癒やしになっているらしい。
しかし永遠に続くようなこの燃え上がる激しい争い《ちゃばん》は、いつもたった一人の生徒会長の存在によっていつも鎮火されていた。
「あらあら、今日も今日とて、お二人はお盛んですわね〜」
と、彼女は二人の間に割って入り、それにも関わらず行動を無視したかのような爆弾発言を放り投げた(因みに何がとは言わないが、おっさんではないのでセーフである)。
「「誤解されるようなこと言わないでくれる!?」」
案の定、爆心地はたちまち焼野原へと化した。
「いやぁ〜、こんな風景をまさか高校生の身分で拝めるとは、奇跡も起こる確率が
ないわけじゃないんですわね! 絶対なんて絶対無いんですわ!!」
「いや、どっちなんだよ……」
二人のメラメラと
の間にか萎みきって有耶無耶になる。
すると、近くでそれを見ていたクラスメイトが律儀に手を挙げて生徒会長に質問を投げかけた。
「てかさ、会長ちゃんはそういうの見てるのが好きなのになんで自分から止めさせ
ちゃうの?」
「いえ、そこは生徒会長という身分として断腸の思いで止めているのですわ……。
殺傷事件が起こっては私は自らの仕事を怠ったことになります故、責任を持って腹切
りか身売りを行わなければならないのですわ」
「『「私たちそこまで
「もしかして生徒会長ってドM……?」
「あらあら〜、今のは無かったことに♡、ですわ〜」
生徒会長はわざとらしく振り返ってウインクし、唇に人差し指を置いた。
「さて、本日も私、
そして彼女は何故か、軽くスキップして歩いていく。
「いつもの事だが……」
「あの人結局何がしたいんだろ……」
「さぁ……」
多くの謎を残して、ざわついた教室に昼休み終了のチャイムが響き、騒ぎ声たちはどこか残念そうに小さくなっていき、ついには聴こえなくなっていった。
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