第26話 すき
「゛ああ〜、生き返るぅ〜」
どうしようもなく溢れ出てしまう感嘆の声は、噛み締める様に身体中を極楽へと誘う。
意識を無にして仕舞えば、自らの血が湯に同化するような、ふわふわとした感覚になる。
もはや此処こそが天国に最も近い、幸せの境地と言えるだろう。
「そうでしょう〜? 斎藤家伝統の秘湯ですの〜。疲れた身体に効果抜群ですわ〜」
「いやぁ……それにしてもまさか、露天風呂まであるなんてねぇ……」
私、糸綾紬は今、素っ裸で外に居る。勿論露出狂とかその類ではなく、露天風呂に浸かっているという至極一般的な意味で。
しかしこの状況はどう考えても一般的では無い。たった一家族が住んでいるだけの家に、こんなにも大きな浴室……いや、銭湯があるとは誰も思わないだろう。
しかも、こんな市街地のど真ん中で。
外から覗き見が出来ないくらいには敷地が広く、太くて立派な松や楓の木が庭の美しさを醸し出す。
純白の雪と庭木達の深い緑が暖かな色の燈に照らされてとても幻想的で、下手な温泉地に行くより断然こちらの方が贅沢である事には間違いない。
シャワーで倒れた時の汚れを洗い落とすや否や、咲美が私の手を引いて露天風呂まで連れ出したのである。
室内のお風呂も勿論設備されていたが(普通に立派である)、咲美はそんなものにも目もくれないという勢いで外に飛び出したのだった。
「
「そうだね……そんな感じが、する……」
このまま溶けてしまいそうな蕩けた声が、私の心をもほぐしていく。
大胆に腕を大きく広げ、珍重なる熱を全体で受け止める。
手の内で脈が高鳴るのが感じられ、この大きな地球の上で、ちっぽけな私が、今此処で生きている。そんな当たり前のことさえ奇跡に感じられて、感動すら覚える。
今ならいつもお世話になっている人達に素直に感謝できそうであったが、ここは斎藤家で、しかもお風呂なのでそうはいかない。
全てがうまくはいかないこの世界にもどかしさこそ感じるものの、今の快楽に心はたちまちに満たされて、消えてなくなっていった。
……いや、一人いるではないか。今此処で、感謝を述べることのできる人物が。
「その……斎藤さん?」
「咲美でいいですわ。その呼び方ですと、なんだか芸人さんみたいですもの」
自分で言いながら頭の中で想像したのか、咲美はクスッと笑みをこぼす。
「じゃあ……、咲美。…………その、ありがと」
「どういたしまして」
簡潔かつ美麗な一言を湯気漂う空に放った咲美。
その笑顔は、闇夜に眩しく咲くヨルガオの様で。
目が離せなくなるほど妖艶で。綺麗で。美しくて。
もっと近づいて、みたい。
その笑顔を、もっと見たい。
その笑顔が……好きだ。
……そうだ、私は。
咲美を……好きになってしまったんだ。
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