第11話 存在証明のその先

 「どうなってんだ、これは……」


 下界の地獄から見参したばかりの鬼、霊鬼は突如として変化した空気のオーラにただ戸惑い、怯えていた。


 「噂通りだが、まさかこれ程までとはな……」


 その刀は霊鬼含む鬼一族が、異常な程に恐れている唯一の刀。


 他の刀では鼻で笑い片手で潰す鬼も、鬼切丸には腰を抜かし、一目散に帰ってきたという話は地獄では笑い話として有名な話だ。霊鬼は地獄の中で最強クラスと名高い鬼として、その様な話は信じられなかった。いや、信じたくなかったのだ。


 あれだけ得意げに暴力を振るっていた父達が、その刀の話をする時だけはとても情けなく、縮こまって見えた。それを見ると、普段は揺らぐことの無い父達への憧れや彼の羨望の眼差しは、くぐもって、霞む。


 だからこそ、彼は強くなった。


 一族のやわな固定観念をぶち壊してみたい。父達に褒められたい。皆が恐れる物を自らの力で捩じ伏せてみたい。そんな欲望を抱いて。


 時に欲望は扱い方を覚えれば、最大の武器となる。


 それを霊鬼は身をもって実感してきたのだ。



 「俺は、お前を超える」



 霊鬼は神経を研ぎ澄ませ、筋肉を唸らせる。


 既に覚悟は、出来ている。


 地面を踏ん張り、その分収縮した足の筋肉で一気に加速する。物理法則を超える力を持つ鬼は、最早人間に視認の隙すら与えない。


 「ガラ空き貰った!」


 霊鬼は溜めに溜めていた拳を、一発勝負であるかのように全身を乗せて解き放つ。流星が地面に堕ちる様に、拳はするりと相手の鳩尾にめり込んでいく様に思えた。


 しかし。


「なっ!?」


 霊鬼の拳は、瞬きもしていないのにそれこそ時が止まったかのように、次の一コマ後には刀で受け止められていた。


 何が起こったのか全く理解できないで困惑する中、無表情で自らの拳を受け止める人間に、沸々と湧く怒りが確かに現れていく。


 どうして人間如きが、しかもただの小娘が俺の本気を止められる? それが、あたかも当然であるかのように。


 うるさい。


 俺は何も知らねぇ。


 俺は強い。強いんだ。


 強いから、負けるわけがない。負けるわけがないのに……。


 一瞬のためらいだった。


 その一瞬で彼の腕は紙を切るかのように容易く切断され、ただ虚しい音を地面に響かせ、落ちた。



「は」



 呆然とするも、霊鬼は同じ過ちを繰り返さないためにも賢明に距離を取ろうと試みる。鬼はある程度までの身体の損失なら、再生など朝飯前だ。回復するまで逃げ切れれば、勝機はまだ十分にある。そう言い聞かせようとした。


 なのに。


 「どうしてだ……動けよ。どうして動かない!?」


 彼の足は依然として頑なに動こうとしなかった。


 過度な跳躍故の筋肉の故障か。まさかあの小娘に足止めを喰らっているのか。


 只々邪推を巡らすも、頭は全て否定する。本当は、分かっているから。


 理解できていないのは、彼という存在もしくは概念。


 彼のプライドは、全てを許していなかったのだ。


 そして、それにやっと気付いた彼の身体に猶予はもう、残されていなかった。


 小娘―真弓―は相変わらずの無表情で、視線を彼女が持つ鬼切丸の剣先ように尖らせ、ぎらつかせた。その鬼をも超えるような野生的な仕草は、見た者全員の肝を冷やし、凍らせるだろう。実際に見たのは誰一人居ないため、真実は分からないのだが。


 「酷くつまらん闘いだ。この神聖な場に私情を持ち込まれてはかなわんな。まったく吐き気がする。……しかし、やらねばならんのだろうな」


 見た目からは信じられない冷たくうんざりした口調で、真弓は元から持ち合わせていた刀と鬼切丸をこれまた気怠そうに振るった。


 「清和流・源家武勇斬」


 その瞬間鬼の身体はバラバラに切断され、赤い花を白い雪の上に咲き乱した後、力無くその場に崩れ落ちた。弱点の首も斬られては、霊鬼に死を待つ他の術はない。


 「……かは、あっ……」


 言葉にならない叫びの代わりに血反吐を吐きながら、霊鬼は未だ疑問が頭の中で溢れ返ってやまない。まだ聞きたい事は山程あるのに、意識だけがただ朦朧とぼやけて行く。俺の努力は今まで何だったのだと、それだけは疑問ではなく嘆きとして、心の中で断ち切れずにいた。


 (どうせならこの気持ちまで、斬ってくれよ)


 自らに皮肉を抱く霊鬼に、プライドなどは一欠片も残ってはいなかった。


 (プライドを捨てた後って、こんなに楽だったんだな。そうと知っていれば、最初からアイツに怯えて生きていれば良かったんだ……オヤジらみたいに)


 霊鬼は望まぬ所で、父達の賢明さと貪欲さに脱帽した。


 自分は鬼にしては生きる貪欲さがなかったのかもしれない。鬼切丸を潰した後の自分の生きる道など、何も考えた事はなかったのだ。


 自分は達観していると自画自賛していただけで、ただの未熟な小鬼に過ぎなかったのだ。何も分かっていなかった、世間知らずの無駄死に。父達は自らの力量を深く理解した上で、地獄で威張っていたのだと考えると、自らの死で鬼一族に泥を塗る事になってしまう気がして、申し訳ない気持ちにもなった。


 (結局俺って、なんだったんだ)


 ただ今は、自分が生きた事に意味が欲しかった。地獄を支配する鬼が死後にどこに行くのかは知らないが、せめてもの行先の土産になるように。自分の存在証明を終えることはどんなに安らかなことかしれない。

 転がったまま自らで操作できない首からは、嫌でも小娘が毅然と歩み寄ってくるのが見えた。何を言われるかは、大抵察しがついている。


 「お前の敗因はこの娘が弱いと勘違いし、私が強いと警戒していたが故に発生した不可思議に隙を見せた事だ。これ位の区別もつかんとは、未熟過ぎて話にならん」


 そうだよな。俺はお前に対して失礼だったかもしれん。お前にとっては俺など、ゴミも当然だろう。そう思って、霊鬼は自らを嘲笑した。


 しかし、終わりに見えた真弓の言葉は、その後に続いた。


 「だが、若い芽をつめて良かったとだけは言っておこう」


 そう言われた時、霊鬼の切断されたはずの肩は心なしか軽くなった気がした。


 俺って、強かったんだな。


 霊鬼は静かに笑って、空気に溶けて無くなった。



 『お前もきっと、いい剣士になる』

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