第15話 歩く雑学書

 門をくぐり、今は枯れている並木を抜けた先に目的地は存在した。


 「満願寺」と書かれた立派な建物で、ここまでの雰囲気からしても分かってはいたがやはり私たちの目的地はお寺だったらしい。


 「ペットお断り」の看板があり、ここで初めてだいふくがついてこなかった事が分かった。


 ちなみに、こはるは着いて来ている。

 ……が、全く話さないのでほぼ存在感が無に等しい。それとは違う理由で、一般人には普通に物理的に見えないらしかったが。


「というか……ヨシツネさんって神社にいる神だったよね? 何で違う宗教のお寺を紹介したんだろう」


「よくぞ聞いてくれた! それはね、日本の歴史に深く関わってくるんだ。神道と仏教はそれでこそ飛鳥時代ごろは蘇我と物部みたいに対立していたんだけど、奈良時代くらいから日本は仏教中心の国になる。それでも根強く生き残っていたのが神道で、現在に至るまでひっそりと存在し続けたんだ。日本人の心は神道と仏教によって構成されたと言っても過言では無いと思うよ」


「両方とも生き残ってきたってことは、それなら今も対立は続いてるの?」


「それがそうでもなくてね、明治時代に神道と仏教は合併されかけたんだ。キリスト教信者を政府が扱いづらくて困ってた時代だったから、日本人の信じる宗教を一つに絞ってしまいたかったんだろうね。その政策は結局中止されたけど、おかげで神道と仏教の対立関係はほぼなくなって、神社とお寺はほぼほぼ一緒みたいな日本独特の価値観が生まれたんだ。お寺に来たと思ったら参道に鳥居が建ってた、なんて事もよくよく考えれば普通におかしいんだけど、それは日本の歴史から来てるってわけ」


「なるほど……」


 普通にためになる雑学で、深く頷いてしまう私。普通は知らない雑学を持ち合わせている真弓が凄いのか、自国の宗教に関心が薄い日本人がおかしいのかは恐らく両方とも言えてしまうだろう。


 そう話しているうちに本堂に着いた。神社は二礼二拍一礼で音を立てて手を合わせるが、お寺は静かに手を合わせるだけだと真弓に教わる。案外忘れてしまいがちな事で、間違ったお参りの仕方をしていたのはきっと私だけでは無いはずだ。


「さてと……それじゃ、会いに行きますか」

「誰なのかも教えてくれないの? 心の準備が出来ない……」

「いやいや、知った方が緊張するよ。私、今結構ガチガチなんだよね……」


 真弓でも青ざめて苦笑いをするくらいの人物とは誰なのか。こちらまで帰りたくなってきてしまう。しかし、真弓に着いて来てくれと言われたのでは仕方が無い。今はどんな事でも、ただ真弓の役に立ちたいのだ。


 本堂の裏に回り、斜面を踏みしめながら一歩ずつ登る。一歩一歩が重く、鼓動がうるさく鳴り響く。鳥の声も聞こえないのはそれ故か、それともこの場に緊張感が走っているのか。それでも私達は、進み続ける。

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