11 愛と依存
【生まれた時の自分が自分なのか
今こうして言葉を紡いでいる自分が自分なのか
不安で不明瞭で仕方がないんだ
好きなものも好きなひとも変化していく中で
姿形も細胞も育ち老いていく中で
どうしてこれが自分だと受け入れられる
なんで私は俺を殺したのだろう
それすらもわからないまま死んでいく僕
大好きな記憶でさえも不鮮明に消えていく
遠い夏に感じた匂いも、
あの子と見た景色も、
眠れない夜を埋めてくれた音色も、
今が全てを塗りつぶしていく
なら一切の情報を遮断したら、連続性を保てるだろうか
そう思って引きこもり眠ったあの日のキミ
目を開けてまた、さよならも言えない
自我の連帯保証人を連れてきてくれ
彼岸の彼方にいるかもしれないもう1人を
今日の自分が昨日の自分の模造品ではないと
奔走し逃走した記憶の誤送信でないと
詰め替え続けられる消耗品でないと
どうか確約してくれないか天界の創造神
らぶちゃん/破壊と再生】
オープニングアクトは終わり、この大会で結果を出したラッパーの格を嫌というほど味あわされた後で、いよいよバトルが始まった。
1回戦はDependence対らぶちゃん。
あたしの出番は2試合目。移動の兼ね合いで、あたしはまた舞台袖からステージを眺めていた。
前回の準優勝者であるあの女と、前々回の準優勝者であるポエトリーリーディングを得意とするラッパーの対決。
どちらもゴリゴリの優勝候補筆頭だ。開幕から1人それを脱落させるトーナメント表をつくる主催者は、中々に肝が据わっている。
けれどその試みはすでに大成功を収めていた。彼女たち二人の後にほぼ同格の成績を残している二人の対決。盛り上がらないわけはなかった。開幕から、会場の熱は渦を巻いている。
あたしも手に汗を握っていた。
「…………っ。」
無意識に、舌打ち。
「あいつに負けて欲しい」という感情と、「あたしに倒されるまで絶対に負けるんじゃないわよ……!」という感情がぶつかり合って、頭がぐちゃぐちゃになる。
ごくんと唾をのみ、気持ちを抑え込む。ぎゅっと両の手を握り締めて前を向く。
ステージで司会者を挟んで向かい合う両者。
相変わらず派手でデンジャーなオーラを放っているDependence。
対するらぶちゃんは、ピンクとパープルのグラデがサブカルチックにかわいいロングヘア―の病み系。ガリガリの痩身に、オーバーサイズのロンT(「あいらぶちゃんじゃ」とプリントされている)+履いてないように見えるくらい短いホットパンツ。ギラついた鋭い目つきのあいつに反して、とろんとしてどこか焦点のずれた目つき。しかし、そのとろけた目に映した万物をも諸共に溶かしてしまいそうな、只者ならぬ妖しさがあった。
先攻後攻を決めるじゃんけん。
らぶちゃんが勝って、自ら先攻を選択。
ルールは八小節の三本。
流れ出すビートは開幕戦に相応しいアゲアゲなクラシック(名盤)。
司会が開戦を宣言し、らぶちゃんはその唇を割いた。
❞
ヒップホップとはなにか? それをキミに問いたい。
型にはまった手法で上手く観衆を沸かすことだろうか?
自分の過去を語り、騙り騙すことだろうか?
ジブンはそうは思わないんだ。 心と心を交わす──それがヒップホップだろう?
なあどうだ? 去年のランナーアップ。
驕らずにまだ戦い続けるのなら、
せめてもっと深みのあるバースを奢ってくれないか?
凍りついた胸の内の綻びや滞りを溶かしてくれるような──。
❝
熱く迸る気持ちが、抑えきれない内面が、飾られずにそのまま出力されているといった印象を与えるラップ。
熱いが、バイブス全開バチバチの獣という感じでもなく、知性は保たれている。
真理を語るような、一点を──対戦相手のみを見据えた眼差し。
深く切り込んでいく論点。
昨今のバトルシーンへの疑問。その最前を歩くDependenceへの尋問。
ともすれば凡百のMCが己の自己紹介や「調子はどう?」、なんなら「お前に言うことないわ」くらいで終わらせてしまってきた、難しい先攻1ターン目という課題を、彼女は百点満点でクリアしていった。
初っ端から、なんて密度なの……。
ここまで言われて、もしDependenceがこれに対してなにもアンサーしなければ、客目線かなりDependenceの印象は悪くなる。かといって、これに対する的確なアンサーを即興で返し、かつこのらぶちゃんという論客に言い勝つというのはかなり難しいことだろう。
自分が大会に出るにあたって、当たる可能性のある相手のリサーチはバッチリとしてきた。もちろん、このらぶちゃんのことも。
そしてその中でも、彼女はかなり特殊なスタイルを持つラッパーだった。
そして、強かった。
クセも実力も。
普通の人間が見過ごしてしまうようなことを見過ごさない。いや、見過ごせないのだろう。
きっと社会に楽に迎合出来ないタイプの人種だ。些細なことでも気になったらそのままに出来ない。
今ラップをしている時の揺れ歪む表情と震えの抑えきれていない危うい手の仕草からそれが察される。
しかし普通の社会では疎まれるそれが、ここでは強さになる。
彼女のラップスタイルはポエトリーリーディング。
詩を想いのままに語る様なそれは、不安定だからこそ、胸に響く。
しかし、そんなものじゃあの女は影響されたりしない。
強過ぎる傲慢な自我は、他者の主張がどれだけ筋が通っていようともそれを認めない。自分の方が正しいと愚かにも思い込むから。
今も、人殺しみたいな顔付きで直立不動している。
そしてスクラッチが鳴り、らぶちゃんの八小節が終わり自分のターンになった途端、力強くマイクを口元に構えた。
【型にはまった? どこが? 俺、はみ出して捕まってる
そんな俺にくらってくれるヤツがいるからやってる
自分の過去を騙ったつもりもない。全部リアル
あんたには規格外過ぎて、そう思うのも無理ないかもね笑
磨くスニーカー、唸るスピーカー。それがヒップホップだろ?
凍り付いた心?
そりゃそうだろ。俺ににらまれりゃビビッて誰もが凍り付く
たじろいでカチコチになった死体があちこちに連なる。アーイ?】
悪どい。
そんな言葉が一番似合う様な八小節。
らぶちゃんが思ったことをそのまま、どこまでもありのままに戦っているリアルさ故に強いのだとしたら、この女はどこまでも悪い故に強かった。
いきなり、逮捕歴の話。そしてそのマイナスをアンサーにすることで相手の発言を打ち消すという荒技。
しかもこれは、言ってしまえば揚げ足取りだ。
恐らくだが、「型にはまった手法で上手く観衆を沸かすことだろうか?」とらぶちゃんが言ったのは27についてだ。正直あたしは27に師事して、そしてぬーたんにしごかれて気付いたが、バトルの時、27は勝つ為のラップをしている。
「バトルなんだから当たり前だろ」、そう思うかもしれないが、違う。普通は、別の何か他の目的の為に勝とうとする。 売名のため、音源を聞いて欲しい、気に食わない奴がいる、言いたいことや伝えたいことがある、地元をあげるため、成り上がるため……などだ。みんな、価値のある信念の為に勝ちたがる。
けれど27は勝つ為だけに、勝つ為の勝ちやすいラップ(=型にハマったラップ)をしている。強いて言えば賞金の為に勝とうとしていると言えなくもないが、それはつまりより勝ちにこだわっているということだ。
そしてその27の勝つ為のラップが、らぶちゃんは嫌だと言ったのだ。そんなものはヒップホップではないと。感性の支配する領域であるヒップホップという芸術に、数学的勝利の方程式を導き出した冒涜を彼女は憂いている。
まあ分かりやすく言い換えれば売れる為にポップな曲を発表した軟派なロックバンドに対して硬派なバンドマンがあんなのはロックじゃないと言い捨てるような構図だ。
なのに、そこに対して自分に言われているととって逮捕されてるから型になんかハマってないとアンサーするDependenceは、なかなかにしたたかだ。表現としてはとんちが効いていて面白いから、客も沸く。更にそのあと熱いファンサもする。
悪どい……。
そして恐らくは「自分の過去を語り、騙り騙すことだろうか?」という自分への問いかけにもきちんと韻を踏みながらアンサーする。相手の理解力が足りていないだけだと貶しながら。自分のヒップホップ観も交えつつ。
その後の残り3小節も見事に言い返している。
殺したくなるくらいの圧倒的余裕と自信をたたえながら、誰よりも堂々と優雅にラップをする。
悪どい。
誇張も嘘も絶対にあるのに、あたかもそれが一切なく本心かつありのままでそうであるかのようにある悪どさ。
改めてこいつのことを嫌いだと再認識した。今すぐにでも叩きのめしたくなるくらいに。
「俺の言うこと、わかるだろ?」そんな顔で、らぶちゃんを見下すDependence。
対するらぶちゃんは、激しく頭を振り、髪をかきむしりながらマイクへ魂の慟哭をする。
❞
ああ悲しいよ。 こうして対面で音の中で会話しているのに!
何一つ! キミには何一つさえ伝わっていないのか。
型にはまったのはキミじゃない。こんなことさえも言わなければ伝わらないんだな。
ホワイトキング。彼女こそ、形作られたただの空の亡骸。
それを崇める無垢の聾者たち。
技巧者が勝者となるのなら、金の亡者たる商社と同じ!
キミはそうじゃない。けれど目に余る。
ジブンは! 事実を誇張するのではなく! 互いの内面を補強するような言葉が! 聞きたい!
❝
本気の悲しみが伝わる悲痛なラップ。時折異様に早口になったり、感情が昂りすぎて聞き取りずらくなったりする。しかし、ビートの上ではそれこそが魅力となる。
恐らくコミユニケーションの苦手な彼女が、唯一本音で語り合えるのがラップなのだろう。
それなのに空回りするもどかしさ、苦しみが伝わってくる。こちらまでそれを追体験させられるくらいに。
売れてなかった頃、必死で歌っても誰も見てくれなかったステージ。そんなありし日の記憶すら紐づいて蘇らせられるほどエモーショナルな、心の奥底からの言葉の羅列。
さっきあたしがクソ女のアンサーを聞いて感じたのと同じ様な指摘を彼女もしていた。
そこについて弁明し、さらに深く掘り下げていくらぶちゃん。それはまるで相手の脳にダイブして思い切り髄液の中をクロールしながら一番奥底の深層心理まで必死に泳いでいくかの様。
韻も小刻みに踏んでいるがいやらしくなく、自然。自分の実力や技量を示す為の押韻ではなく、言葉と響きを補強する為の魅せない韻だ。違和感が無くスっと耳朶に気持ちよく収まる。それは暗に、勝つ為の韻への言外の批判としても機能する。勝つ為に、27を筆頭として多くのラッパーが行ういかにも踏んでますよというアピールをしながらの韻の押し付けを弱体化させる。
彼女はあくまで本来のラップが担っていた役割を取り戻したいのだ。
スタジアムで大勢を魅了する様なスーパープレイによる爆発的な熱狂ではなく、小箱やCDを通して個々人の胸に深く突き刺さり救いを与える針の様な役目を。
けれどそれは理想でしかない。
彼女の言うことにわかったような顔で頷く観客もそれなりにいる。けれど、ここは女子高生ラップ選手権という下品なエンタメの場だった。
わかりやすい韻に沸くような若い客がメインターゲットだし、大抵の客はそれを求めてやって来ている。それは別に悪いことでは無いし、カルチャーがムーブメントを起こして盛り上がるのはいいことだ。けれど、それは本来のヒップホップからは当然ズレる。参加する人数が増えれば増えるほど、関わる人間が増えれば増えるほど、本流とは違う形に発展していく。それは文化のあるべき姿だ。きっとそれをわかった上で、らぶちゃんはそれでもその中の数人にでもいいから届けたいと本気で思っているのだろう。
言うなれば、アウェーだ。それでも以前にこのスタイルで準優勝まで行った彼女は化け物でしかない。客ウケを気にせず自分を貫きそれでもわからせる実力は半端では無いし、その姿は誰よりも美しく気高く映る。
だがここには、大輪の悪の華が咲いていた──。
【目に余る? ああ、それとよく言われるよ、手に余るw
ネイマールみたく蹴り上げてせりあがる音楽界
レイアップだけじゃあ盛り上げれねえしキメるぜダンクを倍!
27を悪く言う気持ちはわかるがアイツを倒さなきゃ活路はない
だろ? どんな悪勾配でも乗り越えなきゃあなあ?
肝心なのはまず勝敗だ
敗者が何言っても響かねえ
内面を補強する前にまずその貧相なまな板豊胸しろガリガリオタク】
笑いだけで、全てをさらっていった。
圧倒的カリスマ。それも、悪辣な悪の。
彼女のことを説明するのにその言葉が今一番適しているかもしれなかった。
なにか言語化しがたい不思議な、けれど抗いがたい危険な魅力が、確実に彼女から膨大に放出されている。
自信、過去、信念それらが彼女を強くしているのか。
上手く論点をずらし、言葉尻を引用し、長韻の連打で返す。
悪どい小悪党の様な小狡い手法。けれど今最も勝つために必要な選択。らぶちゃんとは桁違いに貪欲な勝利へと動く食指。一本目で型になんかハマってないと言ったその口で、27が生み出した勝つ為のラップを自分なりに解釈して再生産している。
強い言葉を臆面もなく断言し、最後には最悪な悪口さえのたまう。
最低な女だ。やっていること、全てが最低で最悪。
なのに。
なのになんで──こうもかっこよく、強いのか……。
並の人間なら、もう今の時点で戦意を喪失してもおかしくない。それくらいに巧妙で末恐ろしい、ヤクザの恫喝の様なラップ。
けれどらぶちゃんは、笑い返していた。
この悪の親玉みたいなゲス女へ。誰よりも果敢に。不敵に。
これでラスト三本目の八小節。お互いにワンターンずつで決着が着く。
あくまでプロレスの様なわかりやすいラップを続けるDependenceへ、彼女は一流の剣道家の様な鋭く深遠な一本を叩き続ける。
❞
はっ、巨乳しか出来ない──そんな縛りはないからな。
ガリガリの貧乳オタクでもかませるのがヒップホップ。
そうだろ27? 人種差別とルッキズムにこの最も長い指を立てるさ。
民衆が吐く言葉よりも、親友が書く言葉を信ずる。
外面をいくら良くしようが、言葉が出るのは内面からだ。
背面から伝わるのは生き様。
泣いてんじゃないかってくらいの背中が好きだ。
愛せんのは本音で話す子だけだ。もっと奥底から返せんもんかな? なあ?
❝
【本音で話すのなんざ家族と仲間だけでいい
ハイセンスな俺について来れん雑魚は置いていく
回転数もっと上げて壊れちまおうぜ
ライセンスなしでも音楽は楽しい。どこまでも自由だ
マイペースでも俺はハイペース
再生数も勝手にうなぎ上り 大抵すぐ
勝利片手に飲む缶ジュース
お前はこれで俺に負けて反省する】
お互いの思惑がぶつかり合う16小節。
勝利の女神は、貪欲な方に微笑んだ──。
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