19 悪を倒すラストバトル

「アンダーグラウンドを背負う、新生代の大黒柱。その言葉には誰よりも血が滲んでいる──新宿レペゼンギャングスタラップスター・Dependenceーーーーー!!!!!!」

 これまでで最も意気揚々と叫ぶ司会の声をバックに、彼女は登場した。

 Dependence。

 あたしが、今日この日まで、一秒たりともその名前を頭の中から消すことのなかった女。

 人生で一番嫌って、一番憎んで、一番恨んで、一番妬んで、一番究めて、一番気にかけた、女……!

 毎日部屋の壁に貼り付けていたポスターで見ていた憎たらしいくらいに綺麗な顔。今すぐにでも傷つけてやりたいその美貌が、手の届く距離にまで。ついに──!

 全身に入ったおどろおどろしいタトゥーと大量のピアス。金髪ロングに黒インナー。日本人離れしたグラマラスな体系。ともすればなにもかもを奪われてしまいそうな強い眼光。その全てが、スリルに溢れている。

 彼女はあたしを真っ直ぐに見据えて、嘲りの笑みをたたえこう言った。

「お前ならここまで来るって信じてたよ」

 いきなり意味不明な言動。いや、勝ち上がるのは確かにあたしだって信じこんではいたけど、でもなんで、敵のあんたが……!

「とはいえ……ごめんな。先に謝っとくよ」

「はあ?」

 ただでさえ昂ってるのに。やめてほしい。これ以上混乱させられたら、テレビでは絶対にダメなこともしてしまうかもしれない。

「何回やろうが勝つのは俺。それを今日わからせてやるから。二度と歯向かいたくなくなるくらいにな」

 この女……!

「それはラップでわからせればいいだけ。先にこうやって威嚇してるところが、自身のない証拠じゃなくて?」

「そうか、悪かったよ。これを威嚇だと思うくらいに臆病な奴だとは知らなかった……」

 そういって目を見開き犬歯をむき出しにしてあたしをさげすむ様に見下す。失望した……とでも言いたげに、大仰に。

 そんなコテコテの喧嘩を売られたら、今のあたしが買わないわけはない。

「あんた鏡見たことないわけ? その犯罪者面で言われたら、何言っても恐喝と同義よ?」

 売り言葉に買い言葉の応酬はいつまでも続けられてしまいそうだった。

 が、いかつい顔でニコニコと笑うDiavoloに仲裁された。

「はい! これ以上はね、バトルの方でお願いします! そんな因縁満載バチバチの二人に合うビートを頼むぜ DJ BADGRACE!」

  流れ始めたビートはDiavoloで【HIPHOP DREAM】。この番組の司会を担当している彼女の代表作。シンプルながら王道。人々の胸に熱く突き刺さるビート。現実と夢の狭間で揺れ動き、それを成し遂げていくリリック。諦めたものには慰めを、渦中のものには励ましを与える名曲。

「イェイ! では先攻後攻の選択権はチャレ、」

「いちいちもう聞かなくて大丈夫。全部先攻で行くって決めてたから」

 少し嬉しそうにこちらへ質問しようとした彼女のセリフを遮り、宣言する。

 Diavoloはそんな失礼なクソガキの態度にも、にっこりと邪悪に笑って高らかに叫んだ。

「OK! アツいね、サイコーだぜ! では参りましょう! いよいよファイナルステージ、ファーストラウンド! 8小節2ターン! 先攻寧音ねね、後攻Dependence、トバセぇーーーー!!!!」


 目の前には見当違いの方を向き、わざとらしく欠伸をする性悪女。

 殺す。

 それを最後の深呼吸にしてあげる。過呼吸が一生治らないくらいのトラウマを刻み込んでやる。

 響き始めた至高のビートが闘志をより燃え上がらせる。

 何を言えばいいか……? なんてくだらない思考で悩む脳味噌の持ち合わせは一つもなかった。こいつに言いたいことなんて、あり得ないくらいにある。どれをどの順番で言えば勝てるか? いや、違うだろ。あたしが今一番言いたいと思ったことをそのまま吐き出す。完全即興でこいつをぶちのめす。それでこそあたし。それで勝ってこそ、あのマネージャーにも勝ち誇って復帰を請える。27とぬーたんに、悔いのない笑顔でありがとうを言える。AIZIAのみんなに恥じることのない、元センターでいられる。

 ここでもう全てを出し切って終わらせる。あの日からの、屈辱と憤怒は、この一瞬の為だけにあった──!

 マイクをぎゅっと握りしめて、口元へもっていく。瞳の中に、宿敵だけを捉える。今日一番大きく口を開いた。


 ☆。.:*・゜

 とうとう来たわねこの時が!

 あんたを倒すために磨いてきたこのスキル

 屍を踏み越えてなお声を振り絞る

 生き急ぎ死に急ぐのがあたしのスタイル


 大きな火花をあげて、それを火種に別の導火線にすぐ火をつける

 異常ですといわれても気を付けず

 あんたの時代はもうこれで以上です

 あたしがヒップホップのパラダイムシフト like a 地動説!

 ☆。.:*・゜


 決まった──!

 「振り絞る」から、徐々に踏み外しながらも似た響きで踏み続け、自分を最高にセルフボーストしながら最後まで踏み切った!!!

 こいつを倒し、あたしの時代を始める。紛うことなき本心をバイブス全開で怨敵に叩きつける。

 彼女にこれでもかと詰め寄り、肌と肌を触れ合わせながらその憎たらしい顔を見上げる。

 肉体からも言葉からも、敵意を全力で表現する。

 が、彼女はその全てを受け止めて、なお。涼しい顔で微笑んでいた。

 彼女が息を吸い込む音が聞こえる。攻守が、入れ替わる──。


【地動説? 常識に囚われてるwackここで死亡ですwww

 俺が囚われたことがあるのは刑務所だけ

 なにからも自由。だからこそ一流 わかる?

 屍を踏み越えるなんてかわいそうなことするなよ


 倒してきた奴らの想いも背負って戦うのがラッパー

 そのへん芸能界の小汚い倫理観もちこむな。どっちがヴィランかって話だw

 さっきの27戦も酷かった。つまんねぇアイドルごっこいい加減やめろ

 俺よりも依存性の高い悪女だって証明してみろよ? その為に来たんだろうが】


 食らう。右ストレート。左フック。アッパーカット。カウンター。

 絶え間ない反論が宿敵から飛び続けてくる。

 相変わらずとんち・詭弁・論点すり替え……そんな小悪党の手法を臆面もなく駆使して対戦相手の発言を全否定して自分を上げている。しかもそれを大物感のある余裕とダークな実績で補強して、さも絶対的正論かの様に堂々と言い切って見せる。まるでやくざの親分が親切を装い、強引に他者を蛇の道へと誘う時の様な……。

 これがあたしが倒すべき大悪党、ラスボス。

 自分の実力が伴ったからこそ改めてわかる。こいつ、本当にラップとバトルが上手い──!

 でも、その上で、確信する。勝てる。

 誰よりもこいつを倒すためにこいつのラップを研究してきた。

 突くべき弱点を、本人よりも明確に理解している自信がある。そこをこれから思う存分刺激して貶められる。その悦びに、全身の細胞が歓喜に打ち震える。蠕動でトリップしてしまいそうだ。

 だが、その反面。怒りはあたしの心を惑わせていく。たった8小節に、あたしの心を揺さぶる要素が詰め込められすぎている。嘘と感情と人生を言葉に乗せるのが抜群に上手い。あまりにも、役者だ。しかもそれをこんな至近距離から浴びせかけられたら、ぐちゃぐちゃになる……。

 ──27戦が酷かった……? どんな感性してたらそんなクソコメントが浮かぶんだ?このクソ犯罪者が。

 そんな想いも当然浮かぶ。

 言いたいこと。言うべきこと。殺す殺す殺す殺す殺す。

 韻で返す? どこにアンサーする? 思い切ってフロウにシフトする……?

 ……だめだ、スクラッチ音はもうなり始めている。無限に脳内を蝕む罵詈雑言の嵐の中から、どうにか的確なアンサーを探す。何を言えばいい。もう、一秒も猶予はない──と、この刹那、極限、限界ギリギリの土壇場でカチりとハマり出す全てのピース。27とぬーたんからのアドバイス。これまでにあたしが成し得たこと。マネージャーからの提案。Dependenceからたったいま食らったディス。

 いつの間にかその形に口が動いていた。思考を介さずに。

 視界がクリアになる。

 気づいたら、笑顔であの日のバースを口にしていた。


 ☆。.:*・゜

 「アイドルの皮はもう剥いだ 炎上し尽くしてもう灰だ」

 「逆境に燃える超ハイだ 後背位かってくらいの爽快感」

 uh~! ここまでしてきた臥薪嘗胆

 さあ勝利を噛みしめようか!!!


 どう? これがあたし。ラップもアイドルも本気なの

 あんたの方こそ悪党キャラに囚われて雁字搦め

 肝心要、全然深い本心の話 聞いたことない

 何の為にラップしてるわけ? 感じさせて?

 ☆。.:*・゜


 前半2小節は自分が24時間フリースタイルした時のセルフサンプリング。出し尽くして灰になった時に出たあの言葉は、まさにあたしの中から出た本心をそのままに言語化していたという他なく。その究極のリアルさ故に、あたしの生涯を込めた重い重い想いの一撃は、深く深く全聴衆を前後不覚にさせるほどに食らわせる。

 27から言われたサンプリング。ぬーたんから言われた自分のラップへのアティテュード。これまで鍛え続けてきた即興力。マネージャーに言われて完遂した24時間ラップ。Dependenceへの甚大な敵意……。

 それらが高次元に混じり合って生まれたあたしにしか出せなかったこの8小節。

 「アイドルごっこ」なんかじゃ、絶対にここまでのバースは吐けない。それを言外に反論するための、圧倒的実力で魅せきった。このいけ好かない少年院上がりが、いかに的外れなことを言っているか。それを、このあたしのラップスキルだけで、わからせた──。

 そして、そのうえで。じゃあお前はどうなんだと問いかける。

 まだこいつのラップには表面的な事実しか伴っていない。アンダーグラウンド代表を標榜するというのなら、もっと深みから切り込んで来い──。そう、はるか山の高みから見下して見せる。

 会場中すらも俯瞰で見ているような感覚に陥った。クリアに澄み渡る思考。きっと今ゾーンに入っている。

 垂れ下がったロープからロープへと雑技団の様に飛びわたっていく。そんな少しでも間違えれば即死級の限界を乗り越えていく快感。やっと思い人に出会えたかの様な錯覚による感動。勝利へのとめどない渇望。音楽的な原初の快楽。

 脳と心への莫大な刺激が、大自然に聳え立つ滝のように轟轟とあたしを打ち続ける。

 口だけじゃない。目を。もともと大きいけど、それをさらにこれでもかと見開く。

 ──あなたのことをしりたい。

 そんな、人が人に持ち得る初期衝動をこの21世紀最高の美少女の瞳に込めて。

 爛々と輝かせた究極にかわいいこの目でその一挙手一投足を見つめてあげる。

 あなたは、あたしに、どんな感情をくれる──?

 すると、今まで何度も浮かべていた作り笑いではなく、自然な笑みが、眼前から生まれた。

 マイクを持つ手に浮かぶ血管とタトゥー。

 もう片方の手で、彼女は心臓のあたりを強くたたき、あたしの額に自分の額をつけて口を開いた。


【これはキャラじゃない。リアル

 ラップをしている理由? これしかなかったからだ

 父親はクズだから殺した。ママは未だに気が狂ってる

 クソ野郎を否定し、シングルでもここまで育ててくれた母を肯定する為!


 その為にラップしてんだわかるか?

 前科持ちが天下取り。それが、俺こそがヒップホップドリーム

 喧嘩腰のアイドルになんか誰も憧れねえ

 俺のペンだこにキスしとけやBiiiiiiiiiiiiitch!!!!】


 強烈な咆哮で、宿敵はラストバースを締めくくった。

「終了ーーーー! 判定をお願いします!!!」

 わあああああああと、終わらない歓声が鳴り響いている。

 あたしの中でも、彼女の言葉が延々に反響している。

 大嫌いでいけ好かなくて凶悪でどう考えても関わりたくないヤバそうな強面女が、こんなにもあたしに向かってくる。同情を誘う様なシビアな話は陰気だし、かと思えばあり得ないくらいデカい声で全力のビッチ呼ばわり。くっつけられた額からは汗が滲んでいて不快だ。

 なのに。なのに。なのにどうして。

 こんなにも気持ちいいんだろう……!

 目の前で飄々とあたしを睨みつけているその顔面にグーパンチを入れたい。その憎たらしい顔を早く、歪ませたい。

 そう思ってはいるけれど、それと同時にその全身のタトゥーを嘗め回して首筋にかぶりついてやりたい。そんな様な欲望さえわいてくる。

 高揚感で気が触れてしまったのか。

 零れそうになる笑顔と涎をなんとかこらえて、心の中で真空パックされていた殺意を新たに込めて睨み返す。

 音に乗り、言葉で交わす、命の取り合い。その気持ちよさに、復讐心すら彼方へ消えてしまいそう──ということなのかしら……?

 本心と本心。むき出しの精神と精神が交わる官能。それも、真逆で対極の異物との。

 人を殆ど信用せず、虚飾を重ねまくってきたあたしが、今まで決して得ることのできなかった内的エネルギー。それを過剰摂取したことによる猛烈な多幸感。だからあたしは、それを初めて与えてくれた彼女に、こんなにも惹かれていたんだ──。

 認めたくないけど。

 たぶん滅茶苦茶に気に食わなかったからこそ。

 

 そんな様なことを考えていたら、ファーストラウンドの結果がでていた──。

 2対3で、あたしの負け。負け負け負け負け負け。もう二度と負けないと思っていたのに。また。

「くそっ!」

 もう、後がない。

 勝ちたい。絶対に復讐したい。そして何より、今日ここで一秒でも長くこのクソ女とラップがしていたい!

 だから絶対に、勝つ。

 一敗。もう後がない。逆境で勝つ。それがあたしの最愛の人の教えだから。

 必ず。

 勝つ。

 そう思い、司会の進行を遮って、声を上げた。

「はい、ではセカンドラウンドは先攻後攻入れ替わって、」

「いや、あたしが先攻でお願いします!」

 あたしのその言葉に、目の前のクソ女は眉を少し釣り上げてこちらを一瞥した。へぇ?とでも言いたげな感じで。ああ、なによそれ。忘れもしない。あの時と、まったく同じ反応……。

「なるほど……、この窮地にあえて先攻! 変則的ではあるが、それでこそフリースタイルバトル! どうですか? Dependenceがよければ、そうするけど?」

「構わないっすよ。どっちにしろ俺が勝つのに変わりないんで」

 淡々とそう言ってのける彼女に、ありがとうと言って中指を立てる。

「イエス! 本当にアツい。これで今日の主人公が決まります! ではいこうか! 先攻禰寧音ねね! 後攻Dependence! トバセぇ!!!!」

 興奮しきったDiavoloの言葉に合わせて、ビートが流れ出した。しかも、このビートは──。

 27の【king】。

 ああ、言いたいことが全然尽きない。だってそうでしょ。あたしはこいつへの想いだけで24時間のラップを成し遂げた女だ。それが、そこにあの子までも加わったら。

 どうしようか。

 でも一番言いたいことは、もう決まってる。それをただ、この大好きな音にはめ込んでいくだけ。

 小さな純白の英雄に愛をこめて。

 大きくてドス黒い悪党には殺意をこめて。

 今日一かわいく笑顔をつくる。アイドルの笑顔を。

 まぶしすぎたのか、Dependenceが眉をしかめた。しかめた分、あたしがかわいくなった。

 いい気分だ。この笑顔で、こんなに気分がよくなったのは初めてかもしれない。

 日本中を虜にした唇を開く。満開の桜が咲き誇る。


 ☆。.:*・゜

 ヒップホップドリーム

 なら、犯罪者よりもアイドルが頂点に立つ方が夢があるでしょ

 前例のないことを過去にするのがあたし

 先生とないしょのアソビする様な話


 いつだっていけないとされていることをアリにしてきた

 悲しい現実は見せないのがスターだと思ってた

 癒えない傷も言えないキスもたくさんあるよ

 それでもみんなの死ねない理由になれた

 ☆。.:*・゜


 王者から受け取ったバトンで、自称頂点をぶん殴る。

 元荒くれ物が更生してラップに打ち込みスターになる──そんなテンプレアーキタイプより、全く畑違いのあたしがこの業界でトップになった方が、どう考えも前例の無い大偉業。夢がある。

 それを20文字の長韻で補強して、突きつける。

 その後も踏みまくる。彼女の顔面を思いきり踏みつけているくらいの気持ちで。

 Dependenceは自分の悲惨な境遇や過去を乗り越えて、その先で夢を掴むという失敗からのサクセスストーリーを謳う。それに対してあたしは、「常に完璧であり続け、弱みは内に秘めていたが故に、みんなの理想のトップアイドルとなれた」という覇者の偉業を誇る。

 もちろんその幻想は今や砕かれてしまったわけだけれど、それでも相手が自分の人生をかけてラップしてきている以上、こちらもそれで上回って勝ちたい。

 だって、こいつの人生より、あたしの人生の方が物語にしたときに面白いって思いたい! 映画化するなら、あたしだろ!

 27の女子高生ラップ選手権でのライブパフォーマンスを思い出す。あんなにも自分にしか言えない言葉で、ひねくれた彼女なりの自己肯定で観客に勇気を与えてくれた。あたしにシシンまでくれた。あの魂のラップが、あたしにも今出来ていたらいいな。

 最後は客席に向けて。もちろん一番はあの最古参ファンに向けて。声を出した。

 スクラッチが鳴る。

 回るターンテーブルの上のディスクの様に、ぐるんとあたしの前へ巨悪が回り込んできた。


【いけないことをアリにするんじゃねえ。

 いけすかねえやつはぶん殴る。それだけ

 それか見えないとこでやりゃいいだけ

 お前ごときが死ねない理由になる様な薄っぺらい馬鹿は俺の曲を聴け


 アイドルが頂点に立つ様なシーンなら誰もヒップホップを聴かなくなる

 お前の人生に誰が憧れる?

 この前俺に憧れてラップ始めたって言ってくれる奴がいた

 そんな人間になれたことを何よりもママに誇れる】


 本当に暴力も辞さないといった一触即発の緊迫感を保ったまま、至近距離からガンを飛ばし続けての8小節。終始一貫して彼女の十八番的なラップ展開。並みのラッパーならばまず気圧されるし、その覇気に耐えたとしても巧みな論法に丸め込まれるだろう。実績も伴っている彼女の力強い発言は、容易には覆せない。装甲を固めた戦車がぐいぐいと迫って来る様なもの。こちらにもそれ相応のなにか強力な武器や守りがなければ、どうしようもない。

 だが、彼女は地雷を踏んだ。それもいくつも。思いきり。

 ならば、あとはそれをこちらがいかに最高効率で起爆させるかだけだ。

 27のビートの上、あたしは今、最強になる──!!!


 ☆。.:*・゜

 ならパパもママもいないあたしはどうすればいいのかしらね?

 27に負けっぱなしな雑魚の薄っぺらい曲を聴いた方が馬鹿になるでしょ

 てか、あたしの人生に誰が憧れるって、

 27が憧れてる!!!!


 さっきのバトル見てなかったわけ?

 禰寧音ねねを見て、27はステージに立つ覚悟をして王者になった!

 あたしだって、それくらい人生かけてみんなの人生変えてる

 ねえ、あんたの人生も──今日ここで変えてあげる……!

 ☆。.:*・゜


【自分の人生は誰にも変えられねえ

 代えのきかないかけがえのないもんだろ……!

 27も俺も──お前も!!!

 自分が血反吐吐いてでも足掻き続けたから変えられたんだろ! このクソみたいな世界で!


 お前に両親がいないなんて知らなかった

 勝手に恵まれた奴だと思ってた。それは謝るよ

 ここまで上がってきた、リスペクト。

 ただてめえ、俺に薄っぺらいとか心にもねぇこと言ってんな、沈めんぞ!!】


「終了ーーーー!!! ヤバい!!!」


 司会の声が通らないくらい、地響きの様な歓声が響き続ける。

 ぐらつきそうになる。視界も、体も。喉にもだいぶ疲れが溜まってきた。

 長時間のライブ、収録、イベント、フリースタイル……そんなことはいくらでもやってきた。それも比べたら、こんなの、全然。そう思いつつも、こんな至近距離で同格の相手からプレッシャーを与え続けれるバトルは、それらとは疲弊の度合いが全く違う。余程のアウェー現場でもない限り、基本的にあたしを応援する人間しかいないそれらに反し、ここにはあたしをぶちのめそうと本気で思っている人間がいて、その厄介な強敵を倒さなくてはいけない。たった一人で。

 熱暴走しそうなくらい熱くなった体をどうにか、平然を装わせて立って、目の前をまっすぐ見つめる。

 最後の8小節目、120%に声を荒げ、あたしの鼻に自分の鼻を押し当ててまで恫喝した女を。

 恐喝だけで生計を立てられそうな凄み。そのせいでまだビリビリと、鼓膜が落ち着いてくれない。芸能界で、ありとあらゆるパワハラ爺の怒鳴り声を聞いてきたけど、そのどれもが比にならない戦慄。

 けどあたしは、それが彼女の焦りだとわかった。

 それくらいの力技に出ないといけないくらいに追い詰められている──ということを肌で感じた。だから咄嗟に全力のシャウトに切り替えた。きっとそういうことだろう。勝負勘が半端じゃない。

 完全にあたしが空気をもっていった──はずだったのに。

「判定は──!ヒーロー、ヒーロー、ヒーロー、ヒーロー……ヴィラン! ということでセカンドラウンド勝者は禰寧音ねねーーー!!!!」

 正直自分のバースが終わったタイミング、これならクリティカルで勝てる──それくらいのインパクトがあった。Ash Blossomとのバトルでも触れられたあたしの家庭環境の話。そして、27戦で完全に示してみせたあたしの立ち位置。それをぬーたん譲りの罵倒を交えながらあたしにしか言えないパンチラインで締めくくった。悪の理論をあたしなりの正義で徹底的に論破さえしてみせた。200億点満点、最高のトップオブザヘッド。

 それなのに。それでも──。

 完勝できなかった。完璧にキメにいってたのに、あと一歩足りなかった。悔しい。こいつ、本当に手ごわい。ムカつくくらい。

 一勝したとはいえ、百パーセントでは喜べなかった。全てを出しきる勢いで決めたこれの後に、もう一勝しなければならないという重圧は半端ではない。

「全体を通してほぼほぼ互角……、技量はディペデがやや優勢、バイブスとアンサーが禰寧音優勢で、あたしもすんでのところまでは禰寧音かなと思ってた。今日の主役は禰寧音──みたいな流れもあったしね。けど、最後のディペデにひっくり返されたかな。毎回先攻取っている禰寧音はかっこいいし本当ビガップだけど、こればっかりは先攻と後攻の差がでちゃったかな~。ディペデは緩急の使い方が本当に上手いね。とはいえ禰寧音も半端なかった。全然クリティカルも有り得たと思う。2人とも本当にすごいよ。ラストバトルも期待してるね」

 審査員であるRequiemからのコメントが、胸に刺さる。後攻を取っていればクリティカルで勝てていたかもしれない。たしかに、敢えて不利な先攻を取って挑む必要はなかった……。

 いや、それでも。だとしても。

「……すみません。次も先攻でいいですか?」

「おお!? 後攻不利と言われ、なお先攻で行く!? Dependenceがそれで大丈夫なら全く問題ありませんが……」

「俺がそんな器小さい奴だと思われてんなら悲しいです」

 一敗しようと、こちらが意味不明な提案をしようと、彼女はやはり一向に動じていなかった。表情を未だ崩さず、不動。素直にはいと言えばいいものを、いつものしょうもないジョークまで交えて、許諾する。

 明言せず絶妙に話をずらす。その小悪党ぶりは、バトルの外でも健在。それが彼女なりの処世術だったのか、単に性格が悪いだけなのかは、あたしには知る由もない。というかどうでもいい。

「イエス! ではファイナルラウンドも禰寧音の先攻で参りましょう! それでは最後を彩るに相応しいビートをDJ BAD GRACE!」

 流れ出す心揺らす鼓動。

 最後のビートはLFDで【reason for life】。ハードな環境から、実力だけでのし上がった叩き上げである彼女の存在証明的な1曲。重厚なサウンドが生む緊迫感の中で織り交ぜられる生々しくも詩的な表現が胸を打つ名盤。

 対戦相手は、その曲に感じ入るかのように目を伏せ、今まででもっとも穏やかな表情でビートチェックを終えた。

 そして目をカッと見開くと、こちらへかかってこいとでも言いたげに手招いた。

 それに今日何度もかもわからない中指を立てて、負けじと見開いた目。瞳にはもうこいつしか映らない。これでぶちのめして、見納めにする。最後の刹那にみせる断末魔の輝きを、網膜に焼き付けてあげる。


「グレイト!!! ではいこう!! その生涯をかけて叫べ! 先攻禰寧音ねね、後攻Dependence! トバせぇ~!!!!!」


 音が耳に届く。思考が加速していく。胸が熱くなる。心が溢れそうになる。魂が震える。

 目の前の女を超える──。

 これが本当に最後なんだ。なにが起きても絶対に倒れない。全身全霊の想いを言葉に込めて音にのせる。

 勝利する。あたしがこの場の最強になる。

 言う言葉はもう決まってる。泥まみれになってでも得た、美しい感動。綺麗事だと言わせない、本物の輝き。正統派アイドルであろうともがいたあの頃とは違う、ありのまま。なにもかもを取り払って、裸になった胸を張って言える本心。

 これが今一番あたしが伝えたいこと。あたしのラップを、あたしをわかって欲しい。

 そしてなにより、これを伝えた後のその反応と返答が欲しい。心の底から。

 だから叫ぶんだ。だから表現するんだ。

 届け。

 あたしを、禰寧音ねねという人間の全てを、この場に解放する──!


 ☆。.:*・゜

 自分だけで人生は変えてない。マネージャー、ファン、そしてあんた

 みんながいたから今ここに立ってる

 一つでも欠けてたら今もっと違ってる

 今まで出会った中で一番いけ好かない女


 認めたくないけど、全然違うのにどこか似てるから惹かれた

「アイドル続けた方がいいんじゃない?」 最初に浴びた屈辱……!

 それを覆すためにここまで来た!!!

 負けた気分はどう? あたしのラップで震えろよ!!!

 ☆。.:*・゜


 確固たる実力で、確固たるリアルを謳う。

 それだけで、勝てる。それくらいの人生を、誰にも誇れるだけの人生を生きてきた自負がある。

 あんたはどう? 聞かせてよ。

 あたしに勝ちたければ、なにもかもを投げ打ってぶつかってこい。それくらいの覚悟を見せてみろよ。

 あれだけイキがっていたくせに、ワンラウンドとはいえ、普通に負けた気分はどう? そんな蔑みを込めた瞳で彼女の目を見つめる。

 その胸の中央にトンと拳を突き立てる。

 その心臓がどんな音を奏でるのか。教えてよ。

 見つめ返される瞳。Dependenceは今までで一番感情的にそのバースを切り出した。


【ああ確かに震えたよ! でもなあ、それで満足なのかよ? ああ?

 お前俺を倒すためだけにラップしてんだったらもう存在意義失ってんぞ?

 何の為にラップしてる? さっきお前が言ってたこと!

 伝えてぇもんもねぇのに表現者気取り? ハッ笑わせんな!


 ただ稼いだだけの金。喘いだだけの糧。

 その場しのぎの鼓動じゃ駄目。洒落臭いヘッズと同じ!

 バタフライエフェクトみたく連鎖し続けて革命を起こすマスターピース

 それを追い求めるんだよ。一過性じゃねえ、覚醒への切っ掛け!】


 ヤク中かと思う程に人間の限界を超えてかっぴらかれた目。それだけ真剣で必死な目が、あたしを睨んでいる。

 熱を持った声。

 クールなハードコアだったあんたをここまで本気にさせられた事が何よりも嬉しい。ざまぁみろと叫んでしまいたいくらい。でも、その低俗な欲求はぐっと堪えて、彼女の言葉を噛み締める。

 たしかにここまで成るに至った原動力は誰でもないあんただった。

 だけど。もう違うんだ。ムカつくけど、あんたのおかげでその先の高みに来れた。

 ありがとう。

 ここまで連れてきてくれた宿敵に愛を込めてトドメを刺す。その為のラストバースを、心の奥底から解き放つ。


 ☆。.:*・゜

 覚醒の切っ掛け、そうね。それはあんただったかもしれない

 あのままかくれんぼしたって待ってたのは退屈だけ

 ずっと本心で対等に語り合える友達がいなかった  

 でもそれを、ラップが教えてくれた


 あんたが無数に彫ってるタトゥー。今では愛しく思える

 綺麗な身体のあたしにも、唯一刻まれてるものがある!

 禰寧音ねね。最愛の人が与えてくれた名前!

 70億人に刻み付ける!! 音の中で願い続ける女の名前!!! 

 ☆。.:*・゜


 なにか考えて言葉をひねり出したわけではなかった。

 いつも考えて喋ってばかりいたあたしからはまったく想像の出来ない不思議な現象だった。

 恥ずかしくて絶対に言えないようなことも、なんかすらすら言ってしまったような気がする。

 「ねが五つ(いつつ)」で禰寧音ねね。そんなこと今初めて思いついたのに、なぜかぴたっとハマった。まるでずっとそうだったかのように。

 すごく気分がいい。

 酸素を全部吐き出した瞬間に見えた対戦相手の顔。

 忌々しいその顔面を見て、なぜかあたしは笑っていた。

 そんなあたしに、彼女はいまだかつてみたことのない顔で微笑んだ──。


【愛おしいなんて光栄だね──禰寧音ねね、

 その名前俺にも深く深く刻まれたよ。この魂にな

 正直初めて会った時から、ずっと意識してた

 横アリにはまだ立ててないが、来年絶対武道館に立つ


 その時はいちにもなくお前も呼ぶよ

 散々社会のゴミ扱いされてた俺が、今じゃトップアイドルとマイメン

 そして、もはやシーンにいなきゃなんねぇ四番バッター!

 俺こそがDependence。落伍者出身のSixth Man!】


「終了~~~!!!!!」


 火照る体に、観客の熱を持った声が後から後から熱を足して冷めない。

 なにより、気持ちいいくらいにキメて来た因縁の相手のバースが脳にこびりついてとれない。神経回路が焼き切れたのかってくらいに、全身が熱い。すごく、気持ちいい。

生きてる。

命を、これまでの人生で最も激しく感じている。

勝利の女神は、どっちに微笑むんだろう──。


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