13 テンアワーズではテンパらず

 また、負けた。

 しかも、頭の悪そうなクソビッチ相手に。

 あたしは、弱いのか……?

『ねねねちゃんは負けてなかった! ヘッズがあしゅぶろびいきだっただけです!』

 27はそう励ましてくれた。

 たしかにそういう側面もあった。あたしも発言内容では負けてなかったし。

 けど、だとしても。その場の観客の心を掴んでいたのは間違いなくAsh Blossomの方だったのだ。

 それだけは紛うことなき事実。

「クソッ!」

 あの女への復讐を果たすためのチケット。それを手に入れたのに、戦うことすらなく門前払いを受けてしまった。

 そしてあたしを倒したAsh Blossomは、決勝でDependenceに負けた。つまりあたしはどちらにせよDependenceにも負けていた可能性が高い……。

『いや、そうはならんやろ。たんにお前とあしゅぶろじゃ相性が悪かっただけや』

 意外にもぬーたんさえそう言ってあたしを励ましてくれた。

 だが、あたしはあたたかいはずのファンの声援にだってなんにも感じられない職業アイドル。彼女らのそんな慰めにも、一切心を揺さぶられなかった。

 本当なら、怒りと悔しさをぶち撒けたい。

 けれどそれをひたすらに我慢して、SNSを更新する。まさしく、臥薪嘗胆。この屈辱を忘れない為に、敢えてあたしは笑顔の写真をネット上にアップした。

 いまだに即座につくたくさんのハート。リプライや引リツをみてイラッとするクセは、アイドルは卒業出来ても卒業出来そうにない。最近変わったことと言えば、批判のリプや鍵引用RTが増えたこと。


 ここからどうしよう。


 このまま、ラップを続けることは正しい選択なのだろうか。若い貴重な時間をドブに捨てているだけではないのか……?

 ふと、そんな不安が沸いてきてしまう。

 たぶん客どもが想像している数十倍はガチな練習をして対策も練って挑んだバトル。それで、あっさりと一回戦負け。今までやってきたことの中で、一番努力に結果が伴っていない。

 ……向いてないのかな?

 なんて、珍しく弱気になる。

 けど、その弱者のあたしは一瞬で殺した。壁に貼ったDependenceのポスターを見れば、そんな弱音は速攻で消え失せる。

 あの日の衝動は、一度の敗北程度では消えはしない。それくらいに無尽蔵の怒りをあたしは抱えている。さらに言えば、復讐するべき相手が今回ので1人増えた。この逆襲の炎は、より強く熱く燃え始めている。

 それに結局のところ、そんなこと言ったってあたしにはもうこれしかないのだから。もう、普通にアイドルも出来ない。かといって普通にバイトをするにしても、世間に顔が知られ過ぎている。まだ未成年だから、春を売るにしても非合法な手段に出るしかない。それにそれはきっと、あのマネージャーが許さないだろう。

 どうしたってもう、何かしら特殊な仕事しか出来ないんだ、あたしは。

 だったら、少なくともあのクソ女に勝つまでは、このラップというものを真剣にやってみたい。負けっぱなしで終わったことなんて、これまでになかったし。今回も絶対にあたしがトップになってやる。

 そうじゃないと気が済まない、最悪の気性を抱えてこそあたしなんだもの。

 そしてなにより、そんなごちゃまぜの感情を音に乗せて吐き出したい。

 そうさらっと思えてしまうくらいには、あたしはもうラップにハマっているらしかった。

 端末からビートを再生する。

 あたしは部屋で1人、口を開いた。

 



「……う、うう~ん…………。」

 気怠さの中で目を開ける。体の節々が痛い。床で寝てしまったのか。

「おう、やっと起きたか」

 ぼんやりとした頭に、尖った声が降ってくる。

「あ、ぬーたん……」

 おぼろげな視界を上に広げると、見覚えのある気難しそうな顔の女がそこにいた。

「なんやお前、気絶するまでラップしとったんか」

「あー、うーん、そうみたいね……」

 自分の意志で寝た記憶がないから、寝落ちしたのだろう、たぶん。

 そんなあたしを、彼女は感心したような目で見つめている。

「ほんま熱血よのぉ」

「…………。」

 熱血なつもりはない。実力が足りないから、可能な限り上達しようとしているだけ。それはあたしからすればいたって普通のこと。けれどそれを変な目で見られることはこれまでの人生で多々あった。どうやら世の中の大抵の人間は、楽して適当でそれなりの生を謳歌できれば満足らしい。その普遍的な事実を理屈としては理解できていても、あたしは未だに心では納得できない。

 きっと彼女もあたしと同じタイプ。だからあたしはこいつのことを一度しか会ったことがなかったのにきちんと覚えていたし、人間性はいけ好かないけど、生き様は好いている。

 そんな、大多数に隠れることの出来ないしょうもない女は、濁ってばかりの目を珍しく澄ませてあたしに問いかけた。

「……なあ、なしてそうまでして勝ちたいん?」

「悔しいから」

「さよか。ま~、わしにはそんだけじゃあないよぉな気ぃもするけどな」

 細い顎に指を当てて、なんだかわかったような口を利く。

「はあ?」

「はっ、ま、なんでもええわ。……わしは、お前のことが大嫌いやけどな、そういうとこだけは嫌いじゃないねん」

「ふーん。あたしは割とあんたのこと好きだけどね」

「なっ! はあっ!?」

 普段は細長くて根暗陰キャ丸出しの悪すぎる目つきが嘘みたいに、大きく目を見開いてのけぞった。

「あは、何その反応。あんたモテなさそうだけどちょろそうだもんね~。一応まあ、顔はそれなりにいいし胸もその辺の雑魚一般人よりはあるから穴モテだけはしてそうだし、変な奴に引っかからないように気をつけなさいよ?」

「余計なお世話やわ! 何が悲しくて恋愛スキャンダルで燃えとる女に遊びの指南されなあかんねん。アホか!」

 こうやって毒を浴びせかけると、いつも同じくらいの毒で返してくる。性悪で性根が腐っていて日陰者だからこその、遠慮と悪意と倫理観のない突っ込みが心地いい。

 照れているのか、少し弱めの毒。……甘美。

 年上なのに御しやすい彼女がほんの少しだけかわいくて、思わず口元がほころんでしまう。

「炎上仲間同士仲良くしましょ?」

 そう言ってにっこり笑う。

 界隈では周知の事実だが、彼女は口が悪すぎて一度大炎上したことがある(小規模のものなら多々ある)。そこで一度人気が低迷し、所属していたチームからも追われ、プロゲーマーの肩書も剥奪された。が、その口の悪さを逆手に取り、MCバトルで成功しディスキャラとして再ブレイクしたという異例の経歴を持つ。言うなればある意味ではあたしが目指そうとしてる道を先に通った先駆者と言えなくもない。

 まあ、こんなしょうもない差別主義者のナードオタクと同じルートをたどる気はさらさらないけれど。

「誰が炎上仲間や! うちはになたん一途やねん。なめんな!」

「いいな~。誰かに一途とか、そういうのどうしたらなれるわけ?」

「お前も大概今は一途やろ……」

「はあ? どういう意味?」

 ゲームのし過ぎで正しく現実が俯瞰できなくなったのかしら……と、憐みの目を向けると、彼女はため息とともにこう言った。

「無自覚かいな……。もうええわ。そいえば、お前寝とる間になんか電話かかってきとったで」

「あー、マネージャーからね」

 言われてみれば、着信履歴が残っていた。あいつがメッセージなしで電話だけしてくるなんて珍しい。最近会ってなかったから、あたしの声が恋しくなったのかしら。

「折り返さなくてええのんか?」

 存外に真面目な性格なのかそんな心配をしてくる。けれど、あたしにとっての最重要事項はラップの上達。それ以外のことなんて、心の底からどうでもいい。

 この無限に時間を有り余らせていそうな五流タレントにだって、それなりにやるべきことがある。あたしのスパー相手になってくれる時間は有限だ。実際今ぬーたんしかおらず27がいないのも、仕事が入っているからだった。

「練習終わってからでいいわ。無駄話してる時間ももったいないし、さっそくはじめましょう」

「血気盛んで素晴らしなぁ。ほないこか」

「ええ」

 あたしの首肯に彼女も無言で頷く。

 そしてビートを流すべく端末を右手で操作しながら、こんなご高説を垂れ始めた。

「こないだの試合も、先攻後攻が逆だったらお前が勝ってた。それくらいに上手くなっとる。あとはお前だけの武器をより研ぎ澄ませろ。お前はどんなラッパーで、どんな目標があって、どんなラップがしたいのか。それをより意識しながら今後はラップせえ」

「そんなのずっとしてるわよ」

「たしかに初めて数か月にしてはよう出来とる方やけどな。それでも、あしゅぶろ戦、ちょっとぶれてたやろ」

「はあ?」

 このあたしがブレているだと?

 そう思い、思わず怪訝な顔で返してしまった。

 ただ、言われてみれば彼女の評価は適切だったとすぐに気付いた。

 前回のバトルをその観点から自省すれば、ある程度の理性のある人間なら理解できる。

 それに、アイドル「禰寧音ねね」をブラしたことこそないが、あたしはあたしという存在そのものを確立させられたことなんて、一度もなかった。それがなんなのかを知りたくて、必死で知ろうとして、ただひたすらにもがき、その醜い無様で中身の無い姿を白日の下に晒され、炎の中で溺れ死んだくらいなのだから。

「お前は即興がうまいし、なんでもそつなくこなす。その場に合わせるのが上手い。アイドルなだけあって役者とでもいえばええんかな、演じるのが上手い。せやからか、逆に一貫性がなかった。わしが余計なこと言ってもーたせいっちゅーのもあるやもしれんが……」

「……そういうことね。たしかに、あの家出娘はフロウ重視という軸はずっと保っていた。けれど、あたしはあんたの言う通りディスろうとして──自分でもよくわからないままに──、即興の魔力とでも言うのかしら……言おうとしていなかったディス以外のことを口走ってしまった……」

 リアルタイムなライブ、生放送や現地イベントでのMCなど、収録でごまかせない生の現場に立ったことはこれまでも何度だってあった。けれどそれは音に乗せて自由にという形式ではなかった。それによってより自分の制御化を離れた深層心理が表面化してしまうのだということに、今回の敗北で気付かされた。

「おう、そういうことはフリースタイルやから、ようある。そのへんの慣れがより必要かもしれんな」

「ええ。あたしにはなによりも実戦経験が足りていない。」

「そうや。だからプロのアイドルとしての強さとプロップスはあるが、ラッパーとしてのそれが足りてへんねん」

「ムカつくけど、そこに関してはぐうの音もでないわね」

 拳を握り締めて、なんとかアンガーマネジメントをする。

 ぬーたんはそんなあたしに、いまだ見たことのないやさしげな表情で真摯にこう言った。

「かわいくいきたいのか、ハードな環境をアピールしたいのか、相手をディスりたいのか……はたまたなにか別のモチベーションがあるのか。別にその全てを持っていてもええ。けどな、まだヘッズはお前のことをよう知らん。その状態がシンプルに不利になっとる。ラップにおいて一番大事なのは、誰が何を言うかや。お前が最短でディペデに勝つには、お前がナニモンなのかを観客にわからせる必要がある」

「たしかにね………。だいぶ浸透してきた気はするけど、まだあたしのことを知らない不届きな人間が、この界隈には多すぎる………」

「わしがタイトル取った時ゆうんは、大抵それが上手く行った時やった。自分の失言で炎上して、吹っ切れてドン底からラップで人生逆転──そのストーリーを自分から事前に徹底的に宣伝したし、バトル中もそれを全面に押し出して勝った。お涙頂戴だの、狡いだのと言われようが、勝ったもん勝ちやからな。こっちは人生かけとる。使えるもんはなんでも使う」

 彼女は恥じるでも誇るでもなく淡々とそう言った。

「たいした悪女だこと」

「ねねね様は気高いからそんなこと出来ん、っちゅーならそれでもええけどな。お前のプロ意識とプライドの高さは、鼻にはつくが敬うべきもんやと思うし。そもそも、お前がどうなろうとわしは知ったことないからな。になたんを悲しませたくないから手伝っとるだけやけん。境遇が似とるからって、勘違いしてくれるなよ?」

「するわけないでしょ……。はぁ……、要するに、今のあたしが中途半端って言うことかしら? 口を開けば湯水のように容赦のない罵詈雑言、コンドームなんて概念すら知らなそうな生中至上主義者のあなたが、そうまでオブラートに包んで言ってくれるなんて涙が出そうだけれど?」

「お前も大概口悪いな!?」

「いいえ、悪いのは、このあたしに向かって0か100かを持ち出したあなた」

「怪物の目ぇ覚まさせてしもうたか」

「眠りについていたヒロインにキスをしたと言うべきかしら」

「気色悪いわ。わしがになたん以外に粘膜接触するわけないやろ」

「その表現方法の方が絶望的に気色悪いわよ……。あんたがもし男だったらゴムつけないどころかつけないくせに真珠とか埋め込んでそう」

「おい! お前わしのこと嫌いすぎるやろ!」

「心外ね。さっきも言ったけどけっこう好きよ?」

「だとしたら愛情表現が下手過ぎるわ! お前こそもし男だったら首絞めセックスで三人くらい女殺しそうやわ!」

「まあ、たしかに似たようなことは既に終えているわね」

「こっわ。絶対にわしに欲情するなよクソビッチ」

「じゃああたしの前で絶対に女出さないでね?」

「だすか! わしが女見せんのは27たんとスパチャ送ってくる貢ぎマゾ豚奴隷キモオタクの前でだけや!」

「めちゃくちゃ不特定多数に見せてるじゃない……。阿婆擦れ」

「お前にだけは言われたないわ」

「いじわる……」

「急にかわいい顔すな!」

「はあ? ずっとかわいいんだけど」

「うるさいわあ、この女……」

 そんな風に悪態をつきながらも、なんだかんだあたしの練習につきあってくれるぬーたん。

 流れ出すビート。二人だけのルールなきセッション。

 こういう人に素直に感謝の言葉を言えていたら、もっと幸せな人生を送れるのかもしれないな……。なんて、らしくないことを思いついたけど、なんとかその感情を捨ててラップに集中する。

 でもやっぱり音に嘘はつけなくて──フリースタイルの途中で、目の前の女が底意地の悪い笑みを浮かべた。

 不細工だけど嫌じゃない笑顔。

 そのオタク受けがよさそうなアコギなメイクを決めたしょうもない商業用の顔面に思いっきり中指を立てて、思いついた即興の悪口で韻を踏む。

 それが、今のあたしに出来る最大限のヒップホップだった。



「もしもし、ねねねか?」

「そりゃそうだけど。何の用?」

 ぬーたんとの練習後、またマネージャーから電話がかかってきた。

「ああ、大事な知らせがあってだな……」

「大事な知らせ? 電話でなんて珍しいわね」

「まあ、そういう時もある」

 なんだろう。少し、嫌な予感がした。

 あたしにAIZIAをやめろと言ったあの日でさえ、淡々としていたあいつが。

 なんでこんなに、しおらしい……。

「なによ、歯切れが悪いわね。あんたらしくもない」

「はっ、お前は相変わらずで私は嬉しいよ」

「どこかが相変わらずよ。天変地異かってくらい生き方が変わってるわよ」

「それでも、ブレずにいるところがだよ。お前は常に気高くて醜い。最高だよ」

 やはりどこか覇気がない。でもそれは指摘できない。怖くて。

 なにがと言われても困る。いつだってあたしを安心させてくれていたはずの声が、今だけは漠然とした不安を抱かせていた。

「なんでこうあたしの周りには人を素直に褒められない人間ばかりなのかしら……」

「類は友を呼ぶ」

「死ね」

 普段より元気がないのに、ムカつく軽口は健在なのがムカつく。……本当に、ムカつく。

 怒りで、迫りくる現実から意識を遠ざけようとする。なのに、彼女はそれすら許してくれない。

 次の言葉を待つ静寂はわずかで、前戯のないまぐわいの様に唐突に。

 痛くて固い言葉があたしの中に入ってくる。

「さて、お前とこんな他愛もない会話をするのも、残り僅かかもしれなくなった」

 え。

「──はあ? 難病指定でもされたの?」

 一瞬呼吸の仕方を忘れそうになった。

 動揺している。

 動揺、しているのか? この、あたしが……?

「炎上してより不謹慎になってないかお前?」

「……元からこうなの。知ってるでしょ」

 思考が止まってしまったような気がして、その帳尻を合わせなきゃと早口になってしまいそうだった。そんな変な話し方、絶対にこいつの前で見せたくない。どうにか、口が自分の思い通りに動いてくれていることを願う。

 普段通りにしゃべれているのか、よくわからない。もし違っていたら。嫌だ。

 嫌だ。この人がいなくなるなんて、嫌だ。

 そう思っている自分も嫌だ。

 でも、その選択を彼女が受容したという事実が、何よりも嫌だ。

「出会いも出会いだしな。懐かしいなぁ、お前と初めてお茶した時のことは今でも鮮明に、」

「で? なんなの?」

 なんでこのタイミングでそんな楽しそうな声で話せるの? 

 イライラし過ぎて、おかしくなりそうだ。

「まあ、カッとならずに聞いてほしいんだが……、端的に言うと、お前の戦績が思いのほか悪かったのと、」

「…………チッ」

 会話をシャットアウトしなきゃと遮る。いつもなら本気でしていただろう舌打ちも、今はその場しのぎの空虚な音にしかならない。

「舌打ちのボリュームがデカすぎるだろ」

「伊達にボイスレッスンしてないのよね」

 ちゃんと生意気なことを言えているだろうか。

 このままもう電話を切ってしまいたい。

 けれど聞かなければ。

 嫌なことから逃げないで立ち向かう。それがAIZIAだったから。

 彼女が追い求めた夢は、そこにあったのだから。

「ふっ。……あー、それと今回の一件以降、AIZIAのシノギがありえないくらいガクッと落ちてだな……」

「まあ当然そうなるわよね。それで?」


「──たぶん、来月あたり、私はお前らの担当を降ろされそうだ」


「はあ?! なんでそうなるわけ!? そもそもあたしたちはあんたが!」

 スマホの画面を割ってしまいそうなくらいに強く握り締める。音割れしそうなくらいの大声でまくしたてる。

 嫌な予感は当たった。

 いつもあたしの期待には応えて、予想は裏切ってくれていた彼女が、初めてその真逆のことをしやがった。

「落ち着け」

 あんたがそんなことを言ってきたら、あたしがどうなるかなんて、あたし以上にわかっているはずなのに。なんでそんなひどいことが言えるんだろう。どうしてそんなに落ち着いていられるの?

「そんなの落ち着けるわけないじゃない!!! だって、あたしたちはあんたがいなかったら…………!」

 AIZIAとしての日々が、走馬灯の様に流れてくる。全員がまともに生きることなんて絶対に出来ないような社会不適合者。そんな人間に輝く場を与えておいて、そのまま放置するなんて許されていいわけがない! 原子力発電所を作ったのなら、その処分場も作らないとダメに決まっているじゃない!

 なのに。なのに彼女は達観したような声で告げる。

「それぞれの人生を派手に生きていただろうさ」

「そんなわけない! なんなら一人や二人は死んでたかもしれない!」

「はっ、それもまあ一興じゃないか? 長生きすればいいってもんでもないだろ」

 無責任だ。そうだけど。だからって、そんなの許さない。

 自分で好きだと言っておいて。やることだけやって。それで別れようだなんて。メンヘラって言われてもいい。そんなの絶対に許さない。

「でも生きてたから、あんたに会えた! あんたに会ってアイドルになって! メンバーに会ってファンに会って、いろんな景色をみて! 今もなんでかラップしてる! 途中でたしかに一瞬、つまんない時期もあったけど、少なくとも今は、熱中できてる! それは全部、あんたがあの日あたしを引き留めてくれたからでしょ!? ちがう?」

 

 あたしと春野うるる(マネージャー)の出会い。


 それは──母を失って自棄になったあたしが始めようとしていたパパ活、それがきっかけだった。よくわからないまま適当にSNSで募集をかけたらトントン拍子にことが進み、あれよあれよという間に行くことになった喫茶店。そこで待っていたのが、パパを装い若者をアイドルへと勧誘する悪徳芸能事務所社員の、春野うるるだったのだ。

 彼女は帰ろうとするあたしに、今までのどんな大人も言ってこなかったような、魅力的な詭弁をまくしたてた。


『なあ、まだ、名もなき無名の少女よ、わかるか? 汚れているものこそ、磨けば光る。元から綺麗なものなんて、磨く価値はないんだよ』


『宝石店で定価でジュエリーを買って、何が楽しい? ドブをさらって、さらってさらってさらい続けて、泥まみれになってようやく見つけた百円玉の方が、私にとっては何倍もの価値がある』


『今日本には、70万人もギャンブル依存症の人間がいると言われている。これがどういうことかわかるか? 要するにだ、当たり前のことというのはつまらない。予定調和、既定路線、そんな出来レースなど、なにもおもしろくない。波乱万丈で予測不可能なものこそが一番面白い! おい、私とお前とで、70億人を依存させてやろうじゃないか』


 そんなわけのわからない思想を延々と語る面妖な大人。そんな奇人に出会ったのは初めてだった。

 もう全てがどうでもよくなっていた。はなから、どんな非合法なことでも生活のためにやってやろうという様な気持ちでこの場に来ていた。けれど、だからといってまさかこんなことになるなんて、全く想像していなかった。

 運命の悪戯なのか、必然なのか。

 そんな風にして、あたしは彼女がもちかけてきた衣食住の保証、それがあること以上に、未知の存在である春野うるるに惹かれ、全く興味のなかったアイドルという世界に踏み出すことにした──。


『お前に入ってもらうのは、革新的で破天荒なことをウリにしたアイドルグループだ! 故に、法律を破るのは構わないが、捕まらないように頼むぞ。さすがに監獄で握手会は出来んからなぁ! くはは!』


 その悪魔みたいな満面の笑みは一生忘れない。あたしが見た笑顔の中で、一番好きだ。

 たしかに法律はいくつか破った気がする。それでも、記者には捕まったけど警察には捕まらなかった。

 なのに、なんで──。


「あんたが勝手に引き込んだのに、あんただけ引っ込むなんて許さない!!!」

「お前が許さないからなんだというだ? 今やなんの力もないお前に、何ができる? なんなら、ある意味お前だってアイドルは引退したんだから同じようなものだろう?」

「それだって、あんたの差し金でしょうが!」

「私が男と寝ろとお前にいつ言ったというんだ?」

「あんたほどの女なら、事前にそうさせないなり、そうなってもバレないように出来たでしょうが! ましてや、その後MCバトルに出場させたのは紛れもないあんたじゃない!」

 ここまではこの女の書いた台本通り。それが、こんないいところで途中で降板しようだなんて、意味がわからない。まだメインヒロインのあたしが、勝ってないのに!

「……正直に言えば、もう少し早く芽が出ると踏んでいたんだがな。どうやら私はお前を大きく見積もり過ぎたらしい」

「あぁ?」

 苦虫を噛み潰したような声が、電子機器を通してあたしの鼓膜を叩く。こいつの弱ってる声なんて聴きたくない。そんな声、上げないでよ。あたしが好きなのは、強くて、わけのわからないあんたなのに。

「かなり善戦していたが、結果だけ見れば一回戦負けだ。これを、表面だけをなぞる蒙昧どもがどう判断するかという話だ。ねねね、一度でも頂点に立ったお前ならばわかるだろう?」

「……あんたからまさかそんな常識的な話をされるとはね」

 普通の大人、それと最も遠い位置にいるのが春野うるるだと思っていた。

「昔はもっと自由にできていたが、AIZIAは人気になり過ぎた。かかわる人間も増えた。そんな人間たちの為にも、安定した収入源は確保しなければならない、ということらしい。このまま私がお前にかかりきりになるよりも、新たな才能を発掘し育成する方が金になる……と、社の内外含めた大人たちはどうやら考え始めているようだ」

 アイドル事業というのは得てしてそうだ。アイドルに限らず音楽も芸能も。一度成功したものは、そのネームバリューを武器にプロデュース業をし、次なる成功者を作り上げる。若き才能は次の世代へと引き継がれていく。ひいてはそれが業界全体を肥大化させ、盛り上げていく……。

「まあ、過去の他の成功例を見れば、そうなるのが普通よね……。でもあんたって、そんな枠にハマるようなつまんない人間だったっけ? そんなはずないわよね」

「ああ、だからこそ、新たなステージに進むのもアリかもしれんと思い始めている」

 何を言っても冗談のように聞こえるのに、今日だけはなんだか全然聞こえない。

 少し、さめる。

 だけど、どうしようもない天邪鬼クソ女だから、あたし。

「ふうん、そ」

「なんだ? 泣きじゃくって引き留めたりしないのか?」

 あたしがそれをしたいことも、しないこともわかっているくせにいちいち聞いてくるところが本気で頭にくる。

 段々と、そもそもずっと燃えていた火に、油が注がれ続けていたことに気付いてきた。

 要するに、こいつは。

 このあたしに対して。

 【いつまでも負けっぱなしの負け犬にかまってる暇はねぇんだよ、アイドル崩れのクソ雑魚炎上ラッパー】と、そう言っているのだ。

 舐めてる。

 うざい。

 ムカつく。

 許せない。

 ……だから。

 ──勝ってやる。

 もともと、あたしを負かした奴らをわからせるためにがむしゃらにやってきた。

 けど、いまわかった。悔しいけど、認めるほかない。

 誰よりもこいつをあたしは、わからせたい。

 こいつにあたしは、誰よりも強く認めてもらいたいんだ──。

「あんたの為に流す涙の持ち合わせなんかあるわけないじゃない。むしろあんたに泣いて「お願いだからもう一回プロデュースさせてください」って言わせてやるわよ」

 誰かにお願いなんてあたしは絶対にしない。お願いはするものじゃない。させるものだ。

 どんなにその方が叶えるのが簡単な望みでも、誰かにへりくだるのではなく、踏みつぶすことで叶えてきた。

 それはこの女があたしに教えてくれた生き方だ。

 もともと向かうところ敵なしの人生だったけど、それを百八十度変えなくちゃいけなくなった時期に、今まで以上にそのままでいることを説いたのがこの女なんだ。

 なら、その女に、誰が泣き落としなんかするか。

 彼女はそんなあたしを嗤う。やっぱりこいつの好きなのは、こういうあたしなんだろう。

「はっはっは。それこそ私の目から涙が出るとしたら、過労で血涙が出る時くらいだ。そんなことは一生有り得んな」

「なら、有り得る。あたしは、何度だって有り得ないをアリにしてきた」

 大言壮語ではない、事実。

 それを誰よりも身近で見てきたマネージャー。

「そうか」

「うん」

「誇らしいよ。ねねね、私はお前を誰よりも愛してる」

 胡散臭い言葉。けれど彼女に言われるそれは、ぞっとするくらいうれしい。

 あたしもあんたのこと嫌いじゃない、くらいのことは言いたい。でも、それすら言えないのは、本当に彼女のことを好いているからなのだろう。好きでもない人になら、いくらでも好きと言えるのに。

 厄介な自分の性根は治りそうにない。ことさら治す気もないけれど。

「それ、どうせ他の四人にも言ってるんでしょう?」

「誰から聞いたんだ?」

「別に。どうせそうなんでしょってだけ」

「意外とお前がメンバーの中で一番メンヘラだな」

「どこがよ。どう考えてもふゐか病夢(やむ)じゃない」

 めんどくさい女だという自覚はさすがにあるが、キチガイ女だらけのメンバーの中で一番のメンヘラ呼ばわりはさすがに許しがたい屈辱だった。もし本気で言っている様なら次会った時にあの似合わない眼鏡へし折ってやろうか。

「あいつらはああ見えて結構自立してるからな」

「あたしがまるで自立していないかの様に聞こえるのだけど?」

「…………。」

「なんとかいいなさいよ。あんたから詭弁とトンデモ理論をとったら何も残らないんだから」

 あたしがそう言うと、彼女はようやくいつものトーンで語り始めた。

 自分の考えが常人からは受け入れられないものであることを受け入れているけれどそこにハマろうとしない、愉快と難解の極まったあのトーンで。

「では、次の企画について話そう。もしかしたらこれが、私からお前に出来る最後の提案かもしれない」

「ええ」

「……10時間耐久フリースタイルというのを企画している。出来そうか?」

「はあ? 10時間? あんたいつからそんな日和った女になったわけ? そういうのやるなら相場は決まってるでしょ。24時間。丸一日やってやろうじゃない」

「……そうか。愛してるよねねね」

「ありがと。──だいっきらい」

 そう言いながらあたしは電話を切った。

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