3 初めて始めて

【女を売って貯める金 女を食って稼ぐ金

 薬を売って焦る彼 薬を打って汗る彼

 また会えるまで喘ぐだけ 股裂けるまでたけくらべ

 そんな腐った街を変えるため


 ヤク漬けのあの子はクスリともしない

 大事なのは格付けと客受け

 グズりだす愚図に直ぐにズプりキメて黙らす

 ズルいクズにフルに金が振るイカれたこの街に

 Squeezeされたら最後 救いも福利もない

 古いしきたりを篩にかけなきゃ狂い続けるだけ


 ママは顔だけの男にマイク握らせる為に何もかも投げ打った

 そんな手弱女に憧れるわけもねえが産んでくれたことだけは感謝

 なあ見えてるかあんたが最後に握らせたマイクはdaughter

 どうだ? 過去だって変えられるんだよMy Mother

 Dickじゃねえ 俺は自分の手でマイク握って何もかも手に入れる


 Dependence/新宿BAD】

『This is Dis.ver4 第1試合! Dependence対禰寧音ねね! ステージにお願いします!』

 入っても300人くらいの小さなハコに、異様な熱狂がどよめいていた。

 真ん中に作られた小さなステージを囲むように観客が立ち並んでいる。普段とは違い、撮影OKのこの会場では、スマホを掲げながら立つ客が大半だった。あたしにとっては珍しいそんな状況にやや面食らう。ただ、彼等にとってはどうやらその方が普通のことのようだった。

 薄暗い室内に詰め込まれた観客たちの顔は明るい。これから自分の胸震わせる何かがあると確信している。

 あたしはそれをステージに上がり不思議な気持ちで眺めていた。

 恋愛スキャンダル──それも相手が複数人でその中には既婚者もいた──をしたばかりのアイドルがステージに立っているにしてはあまりにも呆気ない。

 もっとバッシングなりなんなりを食らうかなとか、ゴミでも投げられるかなとか、なんなら刺されるかも……なんてこのあたしが少し怖気付いてすらいたというのに。拍子抜けだ。

 もう一度客席を見回してみる。よく見ればたしかに見知ったあたしのファンは全然いなかった。アイドルの現場にいるようなオタクっぽいやつは全然いない。だからなのか、むしろこのあたしに対して誰だあいつみたいな目で見ている奴すらいる。腹立たしい。今この瞬間だけはそれもありがたくあるけれど。

 多分この仕事はゲリラ的に敢行されているのだろう。あのマネージャー、そういうの好きだから。実際そういう特殊な演出で話題を攫い、あたし達は有名になった。もちろんその1番の功労者はあたしであり、そのあたしがかわいくてこその結果だったけども。

 実際今も、興奮した顔でスマホになにやら急ぎで入力しているらしき奴がいる。きっとSNSに「あの禰寧音ねねがバトルしてる」的な内容を呟くなり誰かにDMするなりしてるんだろう。おありがたいこと。

「ahー、ahー、……blah!」

 ステージの向かい側に立つ対戦相手がマイクに声を当てていた。

 その野生動物の様に荒々しいのになぜか暗く冷たい声に思わず前を向く。


 瞬間──目を奪われた。


 これまでにあたしが出会ったどんな人間も持っていなかった空気。この場に来なければ一生交わることのなかったであろう危険な香り。

 引き込まれそうになる……この、あたしが?

 彼女は長い金髪に黒のインナーカラーの美少女だった。男子の平均以上はありそうな高身長に、ぴっちりとした黒いトップスがそれをより強調する女子の平均をはるかに上回った規格外に大きな胸。日本人離れした、同い年の高校生とはとても思えないグラマラスなスタイル。首元と太腿にはタトゥー、耳にもゴリゴリのピアス。たぶん見えてないだけで、それ以外の体のあちこちもそんな感じなんだろう。

 圧倒的な華。けれどその花は陽の下ではなく、絶対に闇夜に咲くタイプのそれだ。

 ハリウッドスターみたいに整った目鼻立ちに綺麗系のメイク。ムカつくくらいに、美形。

 彼女の名前はDependence。あたしたちで言う所の芸名なのかな。強そうな外見の割に少しメンヘラっぽい名前なのも不思議としっくりくる。そういうドープでアンダーグラウンドなオーラを彼女は放っていた。事実彼女の経歴は、だいぶ目を背けたくなる様な悪辣なものだ。治安の悪い新宿で育ち、幼い頃から薬や犯罪が身近にあった──。そんな、あたし達とは別世界で過ごしてきた人間だ。

 目が合う。

 プロデューサー、社長、ディレクター、芸人、アイドル、カメラマン、作曲家、ミュージシャン……数え切れないくらいの様々な人間に値踏みをされてきた。

 けれど、そのどれとも違うこちらを見定める険しい瞳。体が震えそうになる。見つめられているだけで、なにか大事なものを奪われてしまいそうな、そんな根源的な恐怖を覚えてしまった。

 なんだろうこの感覚……。胸が熱くて、鼓動が早くて、少しぼーっとして、手が震えて……。こんな感じ久しぶりだ。なんだっけ、これ……。この感じ。


 ──あぁ、もしかしてあたし……ドキドキ、してるの?


 ──いや、そんなワケ……。


 逡巡。


 それは一瞬、ほんのわずかな秒数だった。ただ、はっと我に返った頃には、彼女はこちらから目を逸らしつまらなそうに欠伸をしていた。


 そのことに……イラッときた。


 両者が舞台に立ったところで間に立つ司会者が口を開く。

『それでは、先行後攻を決めるじゃんけんを……』

「いいよ。好きな方にしなよ」

 それを遮って、あたしの対戦相手は勝手にそんなことを言った。


 あたしもこのイベントに出るにあたって予習をしてきたから知っている。

 今から行われるMCバトル──フリースタイルラップバトルとも呼ばれる──は、その場で流されるインスト音楽(ビート)に合わせ、即興でラップによる口喧嘩を行うというもの。

 そしてそれには先攻と後攻があり、多くの場合なぜかジャンケンの勝敗でそれを決めるらしい。

 だが、それを目の前の女は否定した。

 本来ならばより多く言い返せる後攻有利である為に、ジャンケンで勝ち後攻をとるというのがセオリー。

 だが、それを目の前の女は否定した。

 つまり、このあたしに対して、【負けることなど絶対にない】と、そう思っているということだ。

 ……はぁ?

 カチンときた。

 たしかに、あたしはラッパーではない。その分野に関しては素人だ。まあ素人とは言っても、AIZIAの曲で何曲か流行りに乗ってラップを取り入れたりKーPOPっぽい曲調にした曲があり、その時にラップパートを担当したりしたことはあるから、ガチの素人ではない。元々音楽の素養もあるし、努力も人一倍してきたから、その辺の一般人よりははるかに歌もラップも上手いし、なんならアイドル界では一番上手い自信だってある。

 ただ、さすがに本職と比べたらそれは見劣りするだろう。


 ──だが、だからといってどこの誰かも知らねぇクソ地下ラッパー風情がこのあたしに対して絶対負けねぇと思っていやがるだと……?


 ……ふざけてる。


 準備期間は短かったけどリサーチと練習はしっかりしてきてる。

 空き時間にひたすら過去の試合とそのコメントを見て研究して理解した。実際にマネージャーと模擬戦をしたりもして把握した。

 このMCバトルというのは、純粋なラップの技巧を競う競技ではない。もちろんその要素もあるけれど、それだけで勝てるバトルではない。だってこれはステージで行われる口喧嘩という見世物だ。ラップという前提があった上で、口論に勝ち、観客の心をより掴んだ方が勝利する。

 だったら、このあたしが負けるワケなんて──絶対にない。


 目の前に立つ憎たらしい女の顔を、もう一度この世で一番かわいい笑顔のままで睨みつける。


 ……許さない。

 その高い鼻が屈辱でへし折れてヤンキー車の車高並に低くなるくらいズタボロにして勝ってやる。

 アイドルなめんな。そして一度でもあたしを下に見た事を一生後悔させてやる。


 そんな汚い言葉は心の中だけで消化して、努めてキレイな声を声帯から吐き出した。


「えー? いいんですかぁ? じゃあ──先攻で!」


 そう言うと、へぇ?とでも言いたげな感じで、目の前の女は眉を少し釣り上げてこちらを一瞥した。

 その反応すら、ムカつく。

 でもまあ、ここからの口喧嘩でこの鬱憤はいくらでも晴らせる。かわいいということがいかに強いか、わからせてやる。だから、大丈夫。

 今日の為に沢山準備はしてきた。対戦相手の情報も、過去も経歴もスタイルも対戦成績もSNSの投稿も食べ物の好みにいたるまで、徹底的に調べてきてる。

 でも目の前の女はそれを絶対にしてない。あたしのことなんて、最近恋愛スキャンダルが出たアイドル程度の認識でしかないだろう。もしかしたらそれすら知らないという可能性だってある。

 だから、負けるわけがない。

 相手が何を言ってきても返せるように何度もシュミレーションしたし、そのパターンも何個も用意して来た。

 即興でラップするスキルなんてないけど、即興でなにかをするというスキルならばいくらでもある。それは握手会で、バラエティで、ライブで、オーディションで、舞台で、インタビューで、なんならプライーベートでも、いくらでも磨いてきた。

 だからあたしは絶対に負けない。勝負である以上、負けたくない。

 アイドルだから別に負けてもいいとか、そういう考えはありえない。

 何事も一番になりたいから。

 やるなら絶対に一番になる。そうじゃなきゃ、生きてる意味がない。

 敢えて不利な先攻をとったのはその意思表明だ。

 相手の様子なんて見る必要はない。

 あたしがただこの場でいつも通り一番かわいく輝けばいいだけの話だ。

 そう思い観客たちを見回す。既にもう、あたしのかわいさの虜になっているのが丸わかりだ。普段なら環境音程度にしか感じないキャーとかかわいいーという声も、違う場で聞くと不思議と悪くない。

 マイクを今日はいつもより強く握りしめてみた。

 司会がいよいよ開戦を宣言する。


『おお?! ……かしこまりました~。少しイレギュラーではありますがそれでこそフリースタイルということで!

 では先攻禰寧音ねね、後攻Dependence、8小節3ターン、レディファイト!』


 耳馴染みのないスクラッチ音が鳴って、音楽が始まった。会場に爆音で鳴り響くヒップホップの鼓動。

 ここからは、あたしのステージだ。


☆。.:*・゜

 はじめましてみなさんねねねです♡

 日本でいちばんかわいいSJK

 ラップをするのは初めてだけど、

 結構楽しい、ハマっちゃいそう~!

☆。.:*・゜


 用意してきた言葉を、音になんとか合うように嵌めて紡ぐ。即興のミュージカルさながらに。

 少し慣れないから、うわずりそうな声をなんとか制御する。でも、笑顔を振り撒くのは忘れずに。

 声と仕草と内容と、顔。やっぱりあたし、ほんとありえないくらいに全てがかわいい。

 観客が魅了されていくのが手に取るようにわかる。

 ……ほら、どう?

 そんな気持ちで、対戦相手の方に向き直る。

 そして次にどれを言うかを考える。

 これだ!

 呆れた様な顔で観客席にヤレヤレみたいなジェスチャーをしているムカつくこいつを、思い切りかわいく煽ってやる!


☆。.:*・゜

 ていうかDependenceさん顔怖すぎ

 そんなんじゃ絶対業界 『消えていく』 よ?

 あ!もしかして~ 『キレている』 ……んですかぁ?

 やめてよ泣いちゃうplease笑顔♡;

☆。.:*・゜


 相手の顔が怖いというディスを入れつつ、Dependenceの名前で韻を踏む。

 ※ちなみに韻を踏むというのは、「アイドル」と「敗北」みたいに母音が同じ言葉を組み合わせることを言うらしい。これだったら2つとも母音が「あいおう」だから響きが似ていてちゃんと踏めている。要は掛詞とかダジャレのもう少し緩いバージョンということ。

 だからDependenceだと母音が「いえんえんう」なので、「いええいう」になっている「消えていく」と「キレている」で韻が踏めているって感じ?

 厳密には「ん」が間に入っていたり、「ん」が「い」になっているからちょっと違うんだけど、それくらいの誤差は言い方で誤魔化せるから大丈夫。

 実際観客も沸いてるし。いい感じ。

 即興のラップなんて人前でしたことないから、観客にとってあたしの実力は未知数だった。それが、まさかここまで出来るとは~みたいな感じで爆沸きしている。

 気分がいい。

 あたしの1ターン目はここで終わり。

 スクラッチが鳴って、手番が変わる刹那に対戦相手の女を睨みつけてみる。

 彼女はそれを真正面から受け止めて、余裕綽々口を開けた。


【挨拶どうもアイドルさん。つまらねぇネタをありがとな

 まあ先行とったことだけは褒めてやるよ

 思ったより据わってるらしいな、肝っ玉】

 

 彼女は1ターン8小節あるうちの3小節を、皮肉交じりとはいえ、あろうことかあたしを褒める為に使ってきた。

 なのになぜか、負けている。ひしひしと感じる。さっきまであたしに魅了されていた客が、一気に彼女に飲み込まれていくのがわかる。そして、あたしさえも。

 たしかにあたしのは用意してきたネタだ。それの何が悪いのかと思っていた。けれど今、あまりにも、呆気なく理解させられる。完全に即興で出力されたことが明らかにわかる、彼女のありのままな言葉の引力によって。

 かわいくもないし、むしろ怖いのに……彼女の声を、続きを、もっと聞いていたい……。そう、思ってしまう。

 ゆったりとした間の取り方が聴き入らせる。

 しかし。その間隙を埋めるかの如く彼女は大きく息を吸い込み、あたしと唇が触れ合うくらいの距離にまで詰め寄りながら、激情を露わにした──!


【……だがあんま舐めた口きいてっとてめぇ詰めるぞ一斗缶!】


 ビリビリビリ……。

 まるで空間が裂けたかと思った。

 ゆったりと落ち着きのあるフロウ(ラップの仕方)をしていた彼女が、突然に1小節だけ早口で声を荒らげた。

 その緩急が、衝撃が。

 何も考えられなくなる。強くさっきの言葉がリフレインする。

 一斗缶? 詰める? なにそれ、そんなこと有り得ない。殺人鬼かなにかなの? そんなこと出来るわけ……。

 そこまで考えて、でも。脳裏にはありありと情景が浮かぶ。だってあたしもきっと観客達も、彼女の経歴を知っているから。最悪の環境で育ち、実際に女子少年院に入っていたこともあるということを……。

 そしてなにより、その言葉そのものに力がある。単なる脅しで発しただけではこもらない言霊が、確実にそこには込められている。

 しかも、しかも。「肝っ玉」と「一斗缶」で韻まで踏んでいる。

 本気で殺されるかもしれない、そう思わせるだけの迫力。

 なんなんだ、この女──。

 否応なく感じさせられる。格の差。

 歓声もバカみたいに上がっていた。

 なのにまだ、彼女の1ターン目は、まだあと半分も残っている。


【それが嫌ならあとは大人しくしてろじっとな?

 そしたら五体満足で帰れるよ、きっとな?

 俺たちの世界では相手が笑ってる時ほど用心しろっていう常識

 じゃねぇと即掃除されて葬式だぜ正直】


 まるでDV彼氏みたい。

 そんなことを思った。

 荒々しくあたしに顔を突き合わせて啖呵切った直後、優しい声音で肩に手を回しながら、この女は耳元で後半4小節をやり切った。

 素人のあたしでもすぐ分かるくらい分かりやすくバシバシ韻も踏んでいる。

 あたしの「please笑顔」という発言にもちゃんと返答(アンサー)してる。

 パフォーマンスもスキルも対話力もアドリブもリアルさも、ことごとく全てが半端じゃない。

 なんなの、こいつ……。

 でも、負ける訳にはいかない。まだあと2ターンあるから、絶対に巻き返してやる。

 そう思い、思いっ切りこいつの腕を振り解きながら、あたしはステージ端まで駆け出した。


☆。.:*・゜

 やーん怖すぎ助けて~~~!

 マネージャーさんこの人共演NGにしてくださーい!

☆。.:*・゜


 おどろおどろしい空気をぶち壊してもう1回ファンシーにする。

 相手の情報を知っていれば、ああいうことを言ってくることは容易に想像できた。

 だからこの手の返しもちゃんと用意してある。それがネタだと言われるなら、即興でやっているかのように見せればいいだけ。

 その為に、舞台袖にいるマネージャーに話しかけているようなジェスチャーで観客へアピールしてみせる。これくらいの臨機応変さはテレビに出ていればいやでも身につく。毎週毎週大物タレントと微妙な空気にならずに上手く立ち回ってたんだよこちとら。

 トップアイドルをナメんなよ……!


☆。.:*・゜

 ……なーんてウソウソ☆;

 むしろけっこうかっこよくてタイプかも♡;

☆。.:*・゜


 今度は再びあの女の方に戻って、指でバッテン作ったり、ウィンクしたりしつつそう言ってのける。

 女子だってあたしにかかればファンになる。

 だというのに、一切あたしに興味なさそうな顔を続ける目の前の女。

 ムカつく……。

 絶対オトす!


☆。.:*・゜

 上げちゃう私信、きちんと感謝してね?

 自信ありげでかっこいい……地震みたいにグラっときちゃいそう♡;

 でもあたしはしがない市民 ハートはチキン

 あぁ~もう! 怖い怖い! こんな怖い人は通報通報~☆

☆。.:*・゜


 用意してきた韻をどんどん踏む。

 でも会話は成り立っているし、そんなにネタっぽくとないでしょ?

 音にも割と乗れてるはず。

 悪くない。絶対悪くない。

 今いちばんあたしがかわいい。客もちゃんと沸いてる。

 でも……。目の前のこの性悪女を倒すには、これじゃ足りない。

 そんな気がして仕方がなかった。

 その不安を増長させる嫌な微笑をたたえて、女はまた口を開いた。

 彼女のターンがやってくる。


【通報? そんなにしたいならしてみろよほら?

 そんなことでサツが動くと思ってんなら足りてないんじゃない、頭脳?

 富豪の言うことしか聞かねぇ様なバビロンに中指

 苦労して成り上がりやっと出れた明るみ】


 ……はっきり言って、上手い。

 あたしが最後に言った通報という単語に的確に反応して「頭脳、富豪、苦労」と韻まで踏んでいる。更にその最中に「中指」と「明るみ」でも踏んでいる。

 しかも一々ジェスチャーを入れてあたしにプレッシャーをかけつつ、観客の心までも掌握している──。


【素人のお前に当たってるスポットライトとは違う

 己の力だけで輝いて魅せる玄人代表

 つーかお前タイプがどうとかいってるけど、されてたな熱愛報道

 俺にもすんのかよ今夜求愛行動】


 彼女が韻を踏む度に観客の歓声が巻き起こる。もはやあたしさえも魅了されるくらいに、ただかっこいい。言葉にしっかりと真実が宿っていて質量がある。

 音楽にもきちんとあったラップをしていて耳も心地がいい。

 だというのに。

 なぜだろう。ずっとムカついていた。

 なんでだろう、そもそも彼女に会った時から、ずっと心がざわざわしていた。

 それが今、限界に来ていた。

 自分の方が下手というストレス。見下されていることに対する苛立ち。このあたしにむかって「素人」とか言ってきたことに対するプロとしての憤り。

 そしてなにより、このあたしがスキャンダルなんかで地に落ちるという許し難い事実への、あの日以来ずっと感じていたムカつきにたった今直接火をつけられたことに対する、どうしようも無い──怒り!!!


 どうしてか、そんな刹那に脳に去来する、あの日のいけ好かないマネージャーの言葉──。



『私はなぁ、ねねね。お前を今みたいな典型的なアイドルにする気は全くなかったんだ』

『はぁ? 何言ってんのよあんた? イカれた?』

『むしろ私はお前を最初からイカレさせたかったのだ。想像以上にお前がイカれてたから、まともなアイドルを演じ切られてしまったが』

『まあたしかにこんな商売でトップになれたのはある種イカれてたと言えるかもしれないわね』

『ああ。だがな、お前の最悪な本性こそを私は世間様にご開帳してやりたかったんだ。その綺麗なガワじゃなくておぞましい中身を』

『おい殺すぞ』

『思ってもないことを言うな。本心で喋れないですぐ嘘をつくのがお前のいい所でもあり、最悪な所でもある』

『いや思ってるけど。あとなんでいい所はいい所なのに悪い所は最悪なところなのよ。一々悪意のあるボケをしなくていいのよ鬱陶しい』

『……まあ要するにだ。このスキャンダルは、正直私にとっては嬉しい誤算だった』

『あ?』

『だからな、ねねね。次の仕事では思い切りカマしてこい──』



 ──ああ、わかったわよ。

 あいつの思い通り動かされてるっていう苛立ちすら今のあたしには力になりそうだった。

 完全に理解した。これは、新たなあたしを世界に解き放つための神事。

 紛い物の偶像をぶっ壊して、今度は本物の神様になるまでのその第1歩なんだ。

 落ち着き払った冷静な自分と、目の前のこのクソ女ともう1人のクソ女をぶちのめし叩きのめしてやりたいと獣の様な衝動に駆られる自分。

 その両方があたしで、どっちもを表現することが、このフィールドでの正解!

 あたしは自分の中でなにかがカチカチと変革していくのを、人前ではした事の無い不敵な笑みを浮かべながら楽しんでいた。

 果たして、DJがスクラッチ音をかき鳴らす。

 あたしの最後のターンがやってきた。

 唇を鮮烈に裂く。


☆。.:*・゜

 あ? 素人? 誰に向かって言ってんだパンピー!?

 あたしがあんたみたいなチンピラとするわけねぇだろwww

 あたしが何人の前で歌ったことがあると思ってるの? 何本テレビに出たと思ってるワケ?

 2万人と500本、この数字に勝ってから出直せド素人が!


 あんた如きじゃ絶対立てない横浜アリーナ

 それだけで測れるでしょあたしの価値が

 もう決まってんだよあたしの勝ちは

 最後に教えてあげる、正直悪かった、〇〇〇の勃ちはw

☆。.:*・゜

 1度決壊したら、後戻りは出来なかった。

 これまで溜め込んでいた全てが、この8小節で激しく迸って行ったような。

 音楽に合わせるとか、そんなことは一切できてなかったと思う。観客のことなんて一切考えてなかった。自分が気持ちよくなるためだけに、口からありったけの声を出した。

 だけど、これまであたしが感じたことないくらいの熱のこもった歓声が、あたしが悪態をつくたびに上がった──。

 そしたら不思議と、何も考えてないのに韻まで踏めちゃった。

 なにこれ、気持ちイイ……。

 思ったことをそのまま言ってるだけなのに。

 まるで、AIZIAのメジャーデビューが決まった時の、まだ荒削りだった頃のライブみたいな。

 なんなのよ、これ。最悪なのに……最高なんだけど。

 もう悪ノリってレベルじゃない。なんてことを言ってしまったんだ。

 でも後悔はない。

 思いっきり指の真ん中を相手に突き立てる。

 アイドルらしからぬニヒルな笑みを浮かべて、対戦相手を見遣る。

 彼女は今日初めて、楽しそうに破顔していた。


【ははははw 最高だなお前、さっきまでのゲロみたいな演技はなんだったんだよw

 知らなかった、横アリでライブしたことあんのか

 それは素直に尊敬するよ。

 ……でもさぁ、それ本当にお前の実力なの?


 お前を押し上げたマネージャー? ファン? 他のメンバー?

 そういう周りの奴らがすごかっただけじゃねぇの?

 だって俺お前の曲聞いた事あるけど心震えたことねぇよ。俺が狂えた音楽はヒップホップだけ。お前じゃ無理

 なぁ、かわいいんだから、こんなことしてないで──アイドル続けた方がいいんじゃない?】


 ──ホントウニオマエノジツリョクナノ?

 ──ほんとうにおまえのじつりょくなの?

 ──本当にお前の実力なの?


 ……は?


 ──アイドルツヅケタホウガイインジャナイ?

 ──アイドル続けた方がいいんじゃない? ……だと?


 ……あ?


「あんたにあたしのなにがっ──!!!!!」


 叫んだ。2人の出番が終わり、音楽が止まった虚空に感情的な猛りが虚しく響く。

 腸が煮えくり返り自制が一切きかなかった。何も考えられなかった。ただ暴れ回る獣のような怒りに支配されてしまっていた。

 けれど、司会者がそれをさえぎった。

『終了ーーーー!!!』

「何が終了よ!! 終わったまるか!!!」

『はい、もう終わったのでね、暴れないで! 勝敗はお客さんが決めます。では、判定に行きます──』

 目の前の女に詰寄るあたしの間に立ってそれを邪魔しながら、司会者が観客にどちらが勝ったと思うか決を採る。

 観客がそれに歓声でこたえていく。

 残酷なまでの民主主義的な手法によって、どこまでも客観敵に、勝敗は決する。

 結果は虚しくなるくらいに明白だった。

『決まりました。1回戦、勝者はDependence!』

 また、歓声が上がる。勝者を称える声が。

 ああ、うそ……。

 あたしは、負けた。

 底辺の人間より更に下の敗者に成り下がった。


『……続いて、2回戦……ぬーたん 対 Ash Blossom………』


 遠い彼方で、機器によって増幅された肉声が聴こえている。でも、内容が入ってこない。景色も。音も。熱も。匂いも。感触も。なにもかも……。

 敗北。

 敗北敗北敗北敗北敗北敗北敗北敗北敗北敗北敗北。

 それだけが、いまのあたしのすべてを支配していた……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る