16 フリースタイルヒーロー 死に至る希望

 『フリースタイルヒーロー』。

 それは来月から全国ネットテレビ局の22時から放送される予定の一時間のレギュラー番組。

 昨今シーンを飛び越え一般層まで巻き込みながらの盛り上がりを見せつつあるMCバトルを題材とした、初のテレビ番組だ。企画内容は、挑戦者のゲストMCがヒーローという体で週替わりで参戦、それをヴィラン役のレギュラーメンバーが迎え撃ち、ヒーローがヴィランを全員撃破したら賞金獲得というもの。

 門番的な立ち位置であるヴィラン役を務めるのはAsh Blossom、エウテルペ、らぶちゃん、27、そして最後の関門(ラスボス)であるフィクサー役にDependenceという、そうそうたるメンツ。この五人全員と連戦し、MCバトルでねじ伏せるという偉業を成し遂げた覇者には、賞金の100万円が番組から授与される。テレビでよく見るチャレンジ企画とMCバトルの融合だ。

 そして、あたしは今からこのフリースタイルヒーローに、出演する──。


 もう二度と来ることはないと思っていたテレビ局。

 いつも付き添ってくれていたマネージャーはもういない。いつも楽屋を共にしていたメンバーももういない。何度も来たことのある施設なのに、初めて訪れた場所の様にそわそわする。

 不安なのか。あたしは。

 違う。武者震いだ。これは、Dependenceに念願の復讐を果たせるという喜びに打ち震えているんだ。

 さらに言えば、ついでにAsh Blossomにさえリベンジできる。

 そして──地上波で結果を出せば、きっと春野うるるはあたしの担当に返り咲く。

 こんなにあたしの都合の良い撮影、アイドルの時にだってなかったんじゃないか? なんて、少し笑える。

 肩と膝をゆらす。

 シーンとした一人楽屋に、カタカタと椅子の金具の音が響いた。

 我ながらうるさい。

 Bluetoothイヤホンを両耳に装着して、一瞬の静寂。精神のスイッチの切り替え。動画を見る。

 敗北の悔しさ。勝利への渇望。敗北した怒り。勝利への方程式。

 最終確認を終えたあたしは、手鏡を手に取る。

 大丈夫。

 今日も本当にかわいい。



「続いての挑戦者は、このヒーロー!」

 大スタジオに組まれたセット。ぱっと見渡しただけでも業務用の大きなカメラが複数台視界に映り込む。MCバトル用のセンターステージ。それを取り囲む観覧客。その端に並ぶ五人の審査員。

「日本一のアイドルとなり天下を取るも、スキャンダルによって地に落ち、辛酸を舐めた最低のMC。炎上すらも糧に、むき出しの本性で再びトップを目指す──」

 あたしは司会を務める大御所ラッパーDiavoloの呼び込みに従って、その中心に向かって花道を歩く。

 流れるのは、AIZIAの代表曲【タカイタカイ】。本当はラッパーとして先日リリースした【restart】を登場曲にしてほしかったけど、そこはテレビ的に有名な方が使用されてしまったらしい。

「逆襲のアイドルラッパー・禰寧音ねねーー!!!」

 巻きあがる歓声を聞きながら、あたしはステージ中央にたどり着く。

 観覧客たちの顔触れは、アイドルファンというよりは完全にバトルヘッズが多そうな印象。その中でこの歓声をもらえるのは、なかなかに感慨深い。最初はこの界隈には全然認知されていなかったけれど、二度のMCバトル・24時間フリースタイル・新曲リリース・マイクジャック……などを通して、だいぶシーンに浸透してきたようだ。もちろんそれ以外にもYouTubeやTikTokに動画を投稿したり、小箱でライブしたりもした。

 すべては今日、ここで勝つ為に。

 闘争心むき出しの不敵な笑みはまだ我慢。元アイドルらしくにっこりと笑い、会場を掌握する。

 そこに、悪魔の名を冠するスカーフェイス(Diavolo)が、話題を振ってくる。

「色々と話題に事欠かない禰寧音だけど、最近は24時間フリースタイルしたんだって?」

「はい。スキルもつけたかったし、プロモーションにもなるかなと思って!」

「いやーだからって、なかなか本職がやってもキツいことをやってのけるのはさすがだよ」

「ありがとうございます♡ 新曲も出したので、よろしくお願いします♡」

「抜け目ないね~。みんな、禰寧音の新曲絶対聴けよ!」

「約束だよ~♡;」

「いや! かわいいな! ──でも今日は、かわいくない一面も期待していいんだよね?」

「……もちろん。倒さなきゃいけない女がいるので」

「いいねぇ……。今日はなにかドラマが生まれる予感がします! ではそろそろ、ファーストステージの対戦相手を紹介しましょう!」

 Diavioloが叫び、あたしが出てきたのとは逆側のゲートを指し示す。

「迎え撃つヴィランは、こいつだ!」

 BGMは【パキるえぶりでい】。屈辱が蘇る。あたしがこの曲でするのはバッドトリップだけ。それを今日、覆してやる。

「気持ち良さのみを果てしなく追求した快楽の伝道師。今日もビートの上で誰よりも華麗によがり咲く──」

 ぴょんぴょんと快活にステージへと向かってくるピンク&ブラックのツートーンツインテ少女。初っ端から因縁の相手の到来に、拳を固く握りしめる。

「刹那のエクスタシーフロウ・Ash Blossomーー!!!」

「わふーーー!!! ey! ey!」

 気持ちよさそうに叫びながら、彼女は入場してきた。

 復讐のバトルへ、またも立ち塞がるはこの女か……。

 初手から難敵。わかりきっていたこと。されどそれをいざ現実として味わうと、心臓は鼓動を早める。

「また会ったわね」

 もう王道アイドルモードは捨て去り、バチバチのバトルモードに脳内を切り替える。

 対する彼女は、真正面に立ち、こちらをにたらぁっとしたムカつく笑顔で見つ返してきた。

「また負けにきたん? 相変わらずかわちいねぇ~」

「あんたも相変わらず……頭に何にも詰まってなさそうね」

「へぇ~。……まぁ、楽器ってぇ、空洞な方がいい音出るしね~」

「空虚な音楽は心に響かないわ」

「脳揺らせればそれでよくなーい?」

 そう言って舌を出して見せるAsh Blossom。

 ムカつくメスガキにあたしは中指で返した。

 そんなあたしたちを、Diavoloが微笑みながら眺めている。

「おおー! やる前からバチバチじゃん。禰寧音がリベンジ戦って感じかな?」

「ええ。前哨戦としてはこれ以上ないくらいの相手で嬉しいわ」

「また初戦敗退させちゃうのがぁ、コ・コ・ロ・グ・ル・シ・イー☆」

 むしろ楽しそうに独特の音階でそう言った眼前のビッチに、始まる前から罵詈雑言を乱射しそうになる。

 それを見越したのか、Diavoloが静観から進行に舵を切った。

「ハイ! あんまりバトル前にやり合い過ぎてもあれなので、そろそろ始めましょう! DJ BAD GRACE、ビートをお願いします!」

 その言葉と共にDJがターンテーブルを繰り、流れ出したのは、【仁王/正面突破】。ゴリゴリのアングラ叩き上げMCによる硬派で野太いサウンド。

 英雄が悪党のアジトに殴り込みをかけにきた。そんなシーンが頭に浮かぶ。まさに現状にぴったりだ。

「ナイスDJ! では、先攻後攻を決めましょう! 選択権は全てチャレンジャー側にあります。禰寧音、どうしますか?」

 MCバトルではじゃんけんで先攻後攻を決定することが多いが、この番組ルールでは挑戦者側にその全権が委ねられている。それを自由に選ばせたところでなんら問題のないだけの圧倒的強者を番組側は揃えているという演出なんだろう。巧者の方がチェスで先手を譲るのと似たようなものだ。MCバトルに関して言えば、後攻の方が有利だけどね。

 堅実に勝ちに行くのなら絶対に全試合後攻を選ぶべき。

 でも。

「先攻で」

 あたしの回答に、観客・審査員・司会・対戦相手……そしておそらくはその場にいた全スタッフまでも、アガった。

 ここは先攻で行く。

 前回は確実な勝利を求めて後攻を取り、負けた。日和っていたんだ、きっと。

 だから今日は攻めていく。一試合目から、ここで終わってしまってもいいくらいの全力で。

 逆境に勝機を見出すというマネージャーの教えを体現して勝ってこそ、今日の勝利に価値が生まれる。

「OK! 最高だぜ! じゃあいこう! 8小節2ターン! 先攻禰寧音ねね、後攻Ash Blossom トバセぇ~!!!!」

 大先輩であるラッパーの檄を受けて、あたしのバースが開幕する!


 ☆。.:*・゜

【いまかいまかと待ちわびたやつ

 今から黙らせたちまち沸かす】

 汚らしいビッチバシバシ泣かす

 ひな壇から下ろししばきわからす


 どう? 今日はしにきた復讐劇

 地の底からトップへすぐ襲名

 たまりきった執念 フル充電

 あんたの命は今日終焉

 ☆。.:*・゜


 開幕2小節はとある有名楽曲からのサンプリング。

 この時を待っていたというのをアピールしつつ、クラシックをちゃんと聴いているという観客と審査員へのアピールも同時に行う。いかにもミーハーそうに世間からは見られてしまうあたしには、特効薬的な役目を果たすバース。

 そしてそこからオリジナルの韻踏みながらのディス。今日はバチバチで取りに来ていることをこの場にいる全員にわからせる。後半四小節では、ストーリーテリング的にこいつをぶちのめしたいという境遇と目標を提示する。

 なかなかにかませたはずだ。客も沸いているし、審査員も右手を上げていた。

 マイクを握り締めて、相手を強く睨みつける。

 彼女は楽しそうに破顔していた。

 あたしの方に歩み寄り、顔を近づけてピンク色の唇を開く。


 ♪

 ハイハイ、ネタネタつっまんなーい!

 歌番組で口パクお似合い

 興味ないって、アイドルなんて

 他人が愛書いた歌詞吐いてはにかんだからなに?


 結局前からしてない成長

 non non ご清聴♪ go go ご連行♪ 

 追えんの? 折れんの? 終えんの? ジ・エンド

 笑わせんなビッチ! ノーコメント

 ♪


 またも踊り狂う灰の花──。

 にこやかに煽情的に、彼女はステージを縦横無尽に練り歩き、時にこちらに詰め寄りながら……。三次元上でも音の上でも自由奔放に駆け巡る。うずまき菅へ好き勝手に入り浸る生意気なくらい気持ちのいいフロウ……。

 行間を読んでもギリギリ理解不能なくらいの意味不明さ。

 だがそのわからなさこそが、快楽を増幅させる。

 困惑した脳裏に次々と送り込まれる絶え間ないドーパミン。

 単純だが、故にわかりやすい韻で作られた彼女固有のグルーブ。

 ツボを押さえたピストンに突きまくられていく鼓膜。

 思わず首を揺らしかける。それを見てニヤリといやらしく笑う対戦相手。

 ダメだ!

 首を振る。

 ノーを突きつけ、あたしが勝つ為のバースを!

 口元にマイクを引き寄せる。ここからは、あたしが魅せる!


 ☆。.:*・゜

 気持ちいいだけでつまんない内容

 顔だけの男のセックスみたい

 中身がないのに中に出したがる

 あたしは今日、ここで成り上がる


 口パクじゃない、自分で書いた歌詞がある

 事実誤認。イメージの押し付け。あんたのラップはマジ下がる

 代わりにぶちあげてカーニバル

 今宵は血祭り。レクター・ハンニバル♡

 ☆。.:*・゜


 決まった──!

 こいつに対して用意していた言葉でディスれたし、こいつが言ってきたことに対してもしっかり即興でアンサー出来た。もちろん、こういうことを言われるであろうことは想定していたから、ある程度用意していた韻を使ってはいる。それでも、それを的確に使ってこの場で返すことが出来た。

 あたしの舌と頭はフル回転で稼働している。

 これであたしの勝ち。

 そう確信して、嘲りの眼を彼女に向ける。

 相対するのは、同じくぐにゃりと崩れた笑みの地雷女。


 ♪

 ハンニバル? よくわかんない!

 とにかくみんなうちのフロウで感じちゃう~♪

 aha うちら悪役 ヴィランヴィラン

 いやん淫乱♪ 七つの大罪なら色欲かな?


 てか顔だけの男って、顔だけの女がなんか言ってるw

 かわいいかわいいねねねねね☆ かわいいかわいいねねねねねw

 あんまし魂ゆらせねぇ all right?

 完敗! 惨敗! ここで、敗退! バイバイ???

 ♪


 花ではなく獣の様に獰猛な笑みを浮かべながら、彼女はあたしへ吐いた言葉通り手を振った。

「終了~~!!! それでは審査に参りまぁす! レェッツ、ジャッジ!」

 沸き立つ観衆の声を割いて、司会のDiavoloが叫ぶ。 

「審査は審査員五人の多数決で決まります! また、全バトル三本勝負で二本先取した方の勝ちとなります!」

 彼女の言う通り、今回は観客による声量投票ではなく、MCバトルシーン、ひいてはヒップホップシーンにおいて熱烈な人気を誇る五人のラッパーによる投票によって勝敗が決定する。メンバーは、Requiem、イルミナ、LFD、異挫無未(いざなみ)、ZAKURO。

 個性的な面々がそれぞれに全く違った指標で勝敗を判断する。もちろんそこへの傾向と対策、リサーチは欠かしていない。各人たちが特に重視するであろうポイントは予想して、過半数以上に好まれる様な内容にする努力はした。

 バトル出身で最も成功した音源組のRequiemは音楽性や世界観およびパンチライン、原初にして頂点のギャルラッパーイルミナはバイブスだったり感情や感性的な部分+エンターテインメント性、アンダーグラウンドの重鎮LFDはアティテュードひいてはリアルさ、日本で最も固い韻を踏む押韻至上主義者異挫無未はライミング、ディスることが生きがいのサイコ女ZAKUROはディスや対話力を、それぞれ重視するであろうことが予想できる。

 以前ぬーたんに説明されたMCバトルにおいて必要な六要素──アンサー、アティテュード、パンチライン、バイブス、ライム、フロウ──を結局はいかに強固に誇示できるかということだが、各人のそれらへの重視度合いの違いが今回はかなり重要になってくる気がする。

 観客投票と違い、結果がどうなるか全く読めない。素人の心をつかむのは簡単だが、プロを唸らせるのは相応に困難だ。

 それはあたしのような、天才であっても──。

「では、審査員の皆さんお願いします!」

 さあ、各分野の頂点に立つラッパーたちが、ヒーローがヴィランか、各々どちらかに投票し、その結果がモニターに反映される。

 SEと共に一斉に開示される結果。それをよく通る声が読み上げる。

「ヴィラン、ヒーロー、ヴィラン、ヒーロー、ヒーロー! なんと!? 3対2! 勝者、禰寧音ねね!!!!」

 意外そうな声であたしの勝利を告げたことに、多少の不愉快さを感じつつも、それを遥かに上回る快感が体中を駆け巡った。熱い。奥底から脳天にかけて迸るマグマめいた興奮。

「しゃぁ゛っーーー!!!」

 意識なく、喜びが体内から放出させられていた。

 え……。

 テレビで一度も上げたことの汚い音が体内から発されたことに、後になって気付く。

「いや、すごい声だすじゃんw でもわかるよ。初勝利だもんな」

「あ……まあ、そうね」

 なんだろう。動悸が激しいのにふわふわして、頭がまわらない。けれどありえないくらいに気持ちいい。

 このあたしが、とっさにリアクション出来なかった。なのに、それをやってしまったとも思えない。

 嬉しい。

 こんなに嬉しくて気持ちのいいことが、この世界に存在していたのか。

 正面に立って舌打ちしているAsh Blossomの顔が、あんなに憎らしかったのに──愛おしくさえ感じてくる。

 忘我する空洞に遠くからぼんやりと聞こえてくる観衆のざわめきと、カリスマ達の声。

「審査員のZAKURO、いかがでしたか?」

「え? あたし? うーん……二人とも最高だった、ちゃんとディスってて。特にね、【中身がないのに中にだしたがる】これは超よかったねー。韻も踏んでるし、表現としても面白い。だから、彼女に入れた。あたしは。でもよかったよね、あしゅぶろも。あたし的にはやっぱりバチバチの試合が好きだからさ、美少女二人がかましてくれて、よきでした。しぇいしぇい」

 バトルでは圧倒的なディスで一世を風靡し、楽曲でもビーフを仕掛けることに命を懸ける、ディスの女王ZAKURO。そんな彼女に称賛されるなんて、またとない光栄。こんな新参者にも、一切色眼鏡で見ることなく正当な評価をしてくれていることも嬉しい。

「なるほど、あのZAKUROがこんなに人を褒めるというのも珍しいですね。それだけいい試合だったってことかな」

 そう、いい試合だった。いろんな意味で。票が割れていることからも、僅差だったということがわかる。なんなら審査員が一人別の人間だったら、負けていた可能性だってある。

 勝利の余韻に浸り続けてはいけない。

 今回のバトルは二本先取制だ。これで火のついたAsh Blossomが巻き返してきて負けるかもしれない。

 一本取って終わりじゃないんだ。次をもう考えなければ。

 相手の表情を読め。あの刹那主義のAsh Blossomが、敗北の苛立ちという感情に溺れずに、神妙な面持ちで佇んでいる。これはすなわち、もう次のバトルに向けて何かを考えているということだ。

 瞬間瞬間を生きる彼女がこの数分後のことについて今を使っている。それだけ今の敗北が悔しかったんだ。それでもそれを飲み込んで、復讐の為に、この瞬間を後の為に燃やしている。

 ああ……。なんでだろう……。滾る……。好きになってしまいそう。

 彼女の矜持さえを、己が実力で捻じ曲げて屈服させる悦楽──。

 生意気なガキほど、ぶちのめした時に気持ちがいいのは芸能界で何度も感じてきた。けど、これはその時のそれよりも遥かに──。

 ……いやいや。

 邪念を振り払う。まだ、だめだ。殺してやるくらいの気持ちをキープしなければ。あの日の敗北を思い出せ。まだ完全に勝ったわけではないのだから。まだ、戦いは続いている。その第一歩を踏み出せただけだ。二歩目をしっかりと踏みしめられるかは、未だ闇の中なんだから。

 しかし。この勝利で、立場は逆転した。それだけは明らかなんだ。

 目の前に立つ女の気迫が段違いに変わっている。ゆるかった空気がぱきっと固くなった。余裕であること、ラフでいることをかっこいいと思っている令和のクソ女が、本気になっている。

 自分がそうだからわかる。復讐に燃える手負いの獣が一番手強い。それを倒すために、あたしがどうするべきか。

 それをあと数十秒の後に、披露しなければならない。

 ならば。意を決するときか。

 用意してきたが、リスキーが為に使用するか迷っていた策。使うにしても、最後にあいつにカマそうと思っていた秘策。

 でも、ビート次第では今ここで──。

「では、ファーストステージは第二ラウンドへ参ります。ここで禰寧音が勝てば、第二ステージへと進出です。DJ BAD GRACE、二試合目のビートをお願いします!」

 流れ出したビートは……。

 曲名はあたしにはわからなかったが、ワンチャンあるビート。BPM遅めで太いドラムとギターが迫力満点だ。

 これに、彼女がどう乗せるか……。

 それによって展開は大きく変わってくるが、果たして。

 当の本人はがくんがくんと首を上下に揺らしてビートチェックを終えた。

「それでは行きましょう! 先攻後攻は入れ替わります。先攻Ash Blossom、後攻禰寧音ねね、トバセぇ~!!!」

 視線が交錯する。

 彼女の眼は燃えている。名前通り、灰の花を咲かせる最後の大花火が為に、大きな大きな焔が鎌首もたげて燃えている。

 スクラッチ音が着火剤。大きく息を吸った唇が爆発する。音階を伴った言葉の嵐があたしへと降り注ぐ。


 ♪

 さっきはゆっくりし過ぎたスロースターターだった

 から、早めにいくきみがついてこれないスピードでぶっ飛ばすぶっとんだバース

 まずきみカス 熱いだけの危ないやつ 抱く価値ないカス 恥ずかしいカス

 てかプロモーションの為にラップするって笑わせんなビッチ! mother fuccker!


 sexと同じ。きもちくて楽しくて繋がれるからするもんでしょ

 売れるために書いたオナニー歌詞に感じないよなんも価値

 勝ちにこだわっただけじゃなんの味もしないつまんないってマジ

 コンプラ上等! テレビに映せないようなもんが一番きもちいいんじゃん!

 ♪


 速い──!!!

 とにかく誰もがそう感じたことだろう。ゆっくりめのビートにごんぶとに合わせるのではなく、倍速で乗っかている。バトルではよく使われるテクニックだが、巧者がやるとこうもハマるものなのか──!

 何事もスピードを極めるのは自己満足の独りよがりになりがちなのに。この速さでも気持ちのいいフロウが出来る超絶技巧と音楽的センスは称賛に値する。

 気を抜いていると、気持ちのいい音が奏でられているという情報だけが脳に叩き込まれていく。あまりの速度に、内容を理解するのが難しい。それを追おうとする前にはもう次の次の言葉があたしを通り過ぎていく。

 でも構わない。どうせこいつのバースにほとんど中身はない。返しやすいところだけ拾えばいい──いや、違う。なぜだ。早くなっているのに、中身までもが先ほどとは段違いに詰まっている。これが今一番勢いのある若手ラッパーの本気──!

 必死で聴きに徹する。とめどない言葉、音、情報──。

 そして決断する。

 罠にかかったこの女を──ハメるか否かを。

 こんな少ない観衆の前なのに、万単位で入っている会場でしたライブのことを思い出す。緊張感なんてめったに覚えないこのあたしが、手の震えを抑えられなくなっている。

 でもこれはきっと武者震いだって、素直に思える。

 だっていま、素で笑えてる。

 こんなに楽しいこと、そうそうない。

 噛むなよあたし。

 思い切り息を吸い込む。


 ☆。.:*・゜

 それをテレビにでて言うのはダサいんじゃない? そのへんはどうなのかしら

 こういうフロウをあたしが出来ないと思ってやってみたんだろうけど残念

 それより元々薄い中身が引き延ばされてサガミオリジナルよりぺらっぺら

 ちょっとついただけで破れそう かなり無理がある


 全然韻も踏めないラッパーにクリティカル貫通

 早いだけで内容も韻もなくてつまんないよ~?

 くだらないし、そんなんじゃ一生うだつもあがらなさそう

 コンプラぁ? そもそもあんた自体映す価値なし☆

 ☆。.:*・゜


 やった! 言い切れた!!!!

 わぁっと観客が爆沸きする。審査員も驚きの表情をしていた。見開かれたAsh Blossomの眼。瞳孔が開く。

 半端じゃない快感に、おかしくなりそう。

 これまで一度も披露してこなかった早いフロウ。それを今ここで一回きり、生の完全即興でぶちかましてやった!!!

 27から授かった秘策、まさか初戦で使う羽目になるなんて思わなかったけど、でもそれくらいの女だから。目の前で首を振るツインテビッチは。

 彼女のセリフを思い出しながら、荒い息を抑える──。


『アンサー、アティテュード、パンチライン、バイブス、ライム、フロウ、ぬーたんも言っていたこのバトルで大事な六要素。これを六角形のパラメーターとして考えると、基本的にはどれか一つに特化していて、それに隣り合う二要素もやや強いみたいなラッパーが多いと思います』

『たしかに。あたしもめっちゃバトルの動画見てるけど、そんな印象を受けるわ。まあそれを説明したあんたは全要素に特化してる異常者だけどね』

『それ、よく言われるんですけど、バイブスとアティテュードはそんなことないと思いますけどね……』

『それ、スキルは最強だけど熱意がないって言ってるのと同義じゃない?』

『すすすすみません! ぼくのバイブスはねねねちゃんにのみ向かっているので……!』

『ありがとう♡ で、27ちゃんは結局何が言いたかったのかな?』

『わ、プラべなのに神対応。かわいい……。えーと、つまりですね、ねねねちゃんも全要素最強ってことです』

『はぁ?』

『これまでのバトルやフリースタイルを聞いていて、そう思いました。そもそも初戦のDependence戦の段階で、アンサー、パンチライン、アティテュード、バイブス、ライム……ぶっちゃけ相当完成されてました』

『でも、負けてる』

『それはプロップス負けしただけです。あの会場の観客が、日本の芸能のメインストリームさえもわからないアングラの人間だっただけです』

『まあね。でもそれじゃあ、次の負けの説明が出来ない』

『それは逆に、「アイドルがラッパーに勝つのはどうなんだ?」というナンセンスな空気感がまだ払拭できていなかったからです。逆にねねねちゃんが有名過ぎて負けたという感じです。そこに、唯一こちらが磨き切れていなかったフロウの部分に特化したあしゅぶろが対戦相手だったというのも、噛み合わせが悪かった……』

『うーん、そういう見方も出来るかもしれないけど……』

『いや、これが正当な分析だと思います。贔屓目は全くありません』

『ありがとう』

『そそそんな、こちらこそありがとうございます……!』

『それで?』

『あ、はい。その2戦と、24時間フリースタイル、新曲リリース、マイクジャック。これらで諸々の課題は解決したはずです。そして、フロウも』

『フロウ? 自分でもある程度はバリエーションも増えたし、耳心地もいい感じになってきたとは思っているけど……。特化したあの女にはこのあたしでもそれ単体を比べられたらさすがにまだ……』

『まああしゅぶろは5段階評価で6がついているようなものですからね……。ただ、ねねねちゃんには、一度だけそれに匹敵する火力を叩き出せる瞬間があります』

『どういうこと?』

『高速ラップです』

『?』

『ねねねちゃんは、圧倒的練習量と天性の才能で高速ラップだって今や出来るようになりました。でもそれをまだ、世間の人は知らない。そこにそれをぶつければ、意表をつける。予想してなかった角度からの攻撃は、一番効き目があります。一度しか使えませんが、使い方を間違えなければ、ほぼ確実にそのバトルには勝てるはずです』

『意外と練習すれば誰でも出来る類のものだけど……。わかりやすくすごそうな感じを演出できるというのはたしかに強そうね……』

『全然誰でもってことはないんですが……。そうですね、そういう風に言ってくるラッパーは多い。そこを逆手に利用できるはずです』

『なるほど、高速ラップで自分の隠された実力を披露するという第一波。そして第二波が……』

『なんだかんだバトル巧者であれば高速ラップを出来る者は多い。なのでねねねちゃんがそれをやった場合、その次でマネをして自分もやるなりして、そんなこと誰にでも出来るとイキがるはず』

『そこを、ラッパーが始めたてのアイドルに同じこと出来るって自慢してる痛さをディスればいいわけね?』

『はい! それで絶対に勝てます』

『……なるほどね。あんたがバトルに強い理由の一端が垣間見えた気がするわ』

『かなり姑息なこと考えてますよ、ぼくは。じゃないとあんな魑魅魍魎の中で勝ちあがれません──』


 ──ありがとう、27。

 彼女の言った策を変則的にだが、使用させてもらった。

 先に高速ラップをしかけてきた相手に対して自分が乗っかるという、27が言っていたのとは真逆のパターン。

 だが、確実に成功している。そして、この後の相手の出方次第で、完封できる。

 高速ラップによる仕掛け以外にも、アンサー・韻・パンチラインもばっちりと返せた。

 表面上あまりわからないが、確実に相手は動揺している。

 こちらではなく、観客側を見てマイクを握り始めた対戦相手。

 あたしはその横顔へ回り込んで正面に立ち、次の言葉を待つ。


 ♪

 少しは口が回るみたい でもでもゼンゼンわかってない

 倍速フロウとただの早口の違いがわかってない

 早いだけなら誰でも出来る。感じないよ音楽性

 ビートにゼンゼンハマってない 


 サガミオリジナルよりぺらっぺら かまわない

 ゴムなんか薄い方がいいじゃん 当たり前

 むしろそんなんいらないから全部中に出せ

 うちだけの音でガンギマれ

 ♪


 今までで一番Ash Blossomの目と口が大きく開いていた。

 それをがっちりと受け止める。

 これまでのフロウ偏重とは異なり気持ちよさは控えめに、思いきり対話にシフトしたテイストの八小節。

 前回もそうだったが煽るとカッとなるタイプなのかもしれない。しかも前回とは違い、もう後がない。彼女も必死で食らいつこうとしてくる。音の上を自由気ままに流れていくフロウは鳴りを潜め、荒波を強引に突き進んでいくような豪気なフロウへと変貌していた。言ってしまえば、らしくない。その意外性は、あたしの高速ラップと比べて確実にパンチとしては弱い。なのに、まだあたしは彼女が垂れた早口うんぬんという講釈に的確な反論も出来る。

 そして、もう一つ、反則すれすれのカウンターさえも持っている。彼女が何気なく放ったありきたりな罵倒。それを自分のライフスタイルで突ける。前回は意図せず出てしまったそれで負けた。けど、だからこそそれをフリにして今日は勝つ。

 舞台は整い、カードは出揃った。ならば残りはただ優雅に冷静に。ここはバイブスは抑え、余裕綽々といった雰囲気で行くのが正解だろう。

 目を閉じて深呼吸。

 後は開いて息を吐けば、あたしの勝ちは確定する。


 ☆。.:*・゜

 まだラップはじめて半年くらいのあたしに

 自分の得意分野マネされて必死で言い訳w みっともない

 あたしに向かって音楽性ないとか

 日本中が認めたから売れたのに的外れ


 ディスるために思ってもないこと言っちゃてかわいそう

 中身の無いバース中に出しても子供は出来ないよ?

 マザファカーとかさっき言ってたけど そもそもあたし親いないの

 嘘だらけの援交少女 今ここで現行犯逮捕

 ☆。.:*・゜


「終了~~~~!!! これは、どうなるのかっ! いきましょう! レェッツ、ジャァッジ!!!」

 ビートが鳴りやんだ瞬間、Diavoloが興奮気味に叫ぶ。

 最後のバース中、Ash Blossomはあたしに至近距離でガンを飛ばしてプレッシャーをかけてきた。ここまでされたのは初めてだったが、我ながら全然動じない自分に笑ってしまいそうになった。

「お願いします!」

 司会の宣言に合わせて、モニターに表示される審査結果。映っていたのは、完勝を意味する5つの票。

「おお!? 全員ヒーロー!!? ということでクリティカル! 勝者、禰寧音ねね!!!!」

「やった~♡」

 完全なる勝利に、禰寧音ねねらしくかわいく喜んで見せる。

 ちなみに、Diavoloが言った「クリティカル」とは、全審査員が同じラッパーに票を入れるとクリティカル判定となり、それが1本目の勝利でまだ2本先取していない状態でもその1本のみで勝者となるというルールらしい。実力差が明らかな場合には一発で勝敗が決まってしまう可能性もあるというわけだ。これが2本目の勝利だから今はあまり関係ないが、次回以降のステージでこれが出る可能性もある。

「おお、今度はかわいく喜ぶんだね」

「はい。たまにはファンサもしないといけないですから」

「さすがトップアイドル……なのか?」

 小首をかしげるDiavoloににっこりと微笑む。勝利の美酒に酔うにはまだまだ度数が足りない。さっきは思わず取り乱してしまったが、べろんべろんになるくらいに酔うつもりで来ているのだから。今日は。まだまだ素面で喜ばないと。涙もよだれも汗も脳汁もなにもかも、垂れてきてしまいそうな汁はまだ我慢させる。ためてためてためて出したタガの外れた解放感が気持ちいいのだから。まだあたしの復讐は完遂できていない。

「さて、審査員の方に聞いてみましょう! イルミナ!」

「うん! まー二人ともバリヤバだったね~! ま、でも、そうね。ちゃんねねの方がこの戦いに向けて準備してたんだなって感じカナ。いい意味でね。即興は即興だったし、でもちゃんと今日の為に必死で頑張ってたんだろうなって。そこの差カナ~。フリースタイルに手ぶらできたのか、バイブスを持ち込んできたのか、みたいな?」

 あっけらかんとした態度で、ギャルラッパーの代表はそう告げた。どちらかといわなくても完全にAsh Blossom側の存在だったが、それでもこちらに票を入れてくれたということが気持ちいい。

「なるほど、ありがとうございます! では、ヴィラン側にも聞いてみましょうか! Dependence!」

 審査員の批評の次は、別室で控えている敵側に振られる。映像がモニターに映し出される。あの大嫌いな女の顔がドアップで。

「やるじゃん、禰寧音。上手くなったね、ラップ。またボコボコにしてやるからさ、早く勝ち上がって来いよ」

「ぶち殺す……!」

 スピーカー越しに聞こえた上から目線の感想に、惜しげもなく中指を突き立てる。

 どうせモザイクがかかるのに、カメラは嬉しそうにあたしの美しい指先を抜いていた。

「二人とも血気盛んで最高だな! さて、残念ながら負けてしまったあしゅぶろはどうですか?」

 話を振られる敗者。彼女は歯を食いしばってこちらを睨みつけていた。

「悔しい……。ほんっっっっと悔しい……! なんていうか、うちここまで本気でバトルしたの初めてで、誰かに負けたくないってこんなに強く思ったの初めてで……。なんでなんだろう。楽しければそれでいいと思ってたけど、でも今日はなんかまた別の楽しさがあって……。う~~~、またやろう! ねねたん!」

 悔しそうに震えつつも、最後は笑顔を向けてきた好敵手に、あたしも最高の笑顔で応える。

「喜んで! 何回でも叩き潰してあげるね♡」

「か~、アイドルモードのねねたんまじきゃわ過ぎる~! さっきまであんなにウザかったのに顔好~~~!!! ずるすぎるっ!!!」

 そう言うと彼女はん~~!! とステージ上で地団太を踏んだ。

「あははは。では最後に禰寧音、ファーストステージいかがでしたか?」

 それをまたとない肴にして、あたしは一流のコメントをカメラに提供。

「初勝利出来て、心の底から嬉しいわ。でも、これはまだプロローグ。あいつを倒すまで、あたしは戦い続ける。見逃さないでね?」

「お~! アツいね。では次のステージへと参りましょう! セカンドステージのヴィランは、こいつらだ!!!」

 休む間もなく、次の刺客が発表される──!

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