10 Wiener 27

 女子高生ラップ選手権。

 それは、女子高生ラッパーが一躍有名になる為の登竜門。

 大型シンデレラガール出荷牧場。

 うら若きラッパー少女達を集め、バトルさせ、その年の1番を決める大会。

 あえて悪く言うのであれば、蠱毒。

 年に2回開催されるその大会は、HIPHOPに親しむ少女たちの憧れであり、目標だった。

 ネット系の大手配信会社Realeaが主催しているだけあって、適度にエンターテイメントで、適度にリアル。

 今を生きる若者たちにしっかりとコミットしている。

 ぬーたんも27も、この大会によって大きく有名になったようだ。

 また、それ以外にも、イルミナ、Requiem、ZAKURO、仁王、King a.k.a.音葉、エウテルペ、韻韻、らぶちゃん、NEEDLESS、eye/shadow……といった、当時は無名だったものの、今となってはシーンに大きく影響を与え続けているそうそうたるメンツがこの大会で結果を残している。

 そしてなにより。もちろん。あいつも──。


 そこに、このあたしが出場する。


 なぜならば、同じく年齢的には現役高校生なあの女も、絶対出場するから。前回は準決勝で終わったようだから、今度は確実にテッペンを取りに来るはずだ。あいつなら絶対そうする。半端なマネなんてするわけない。1回戦っただけだけど、間違いなくそうするはずだって信じてる。

 なら、出るしかないだろう。勝ち上がるしかないだろう。ぶちのめすしかないだろう。戦うしかないだろう。

 あいつの優勝を阻み、あいつが有名になるのを邪魔して、あたしが人気を取り戻す。

 これ以上ない最高の舞台だ。復讐を果たすには。

 自室の壁に貼り付けたあいつの拡大写真を睨み付ける。これをビリビリに引き裂ける日が、ついにやって来る……。

 幸い、師である27やぬーたんはもう大学生だから出れない。アイドル時代、同ユニット同士で人気争いをしていた時とは違い、身内(と呼んでいいのかはまだ定かではないが……)で潰し合うこともない。気楽だ。思う存分戦える。(まあ、ぶっちゃけその辺のことはそんなに気にしてなかったけど。性格よく見られないといけないから、気にしてる風にすることを気にしてた)。

 ちなみに、大会荒らしの賞金稼ぎとしても知られている27は、三連覇しているくせに、賞金欲しさからまだ大会に出たがっていて、引いた。「ぼく身長低いし、しれっとでちゃえば高校生で通用しないかな?」と世迷言をのたまっていた。

 さすがに自重しろよ。

 やっぱりアイドルオタクっていろいろと終わってるわね……。

 なんて数少ない生え抜きの生き残りにさえ毒を吐く。この最悪な性分は、案外悪いものでもなかった。

 だって、ことラップバトルにおいては、長所だから。容赦なく相手の弱点を指摘出来るということは、論戦においてかなり有効だ。

 MCバトルとは、極論、どんなにラップが下手でも相手を言い負かしさえすれば勝てる可能性がある。言葉と言葉の戦いだからこそ、純粋な技量だけでないそれ以外の要素が大きく関わってくる。

 それはまるで政治家の選挙活動のようでもあった。

 論点、名声(プロップス)、マイクパフォーマンス、ルックス、経歴、人間性、時の運、客層、情熱……、様々なものが絡み合い、その日の勝者を形作る。

 どんな手段であれ、その場の空気を掴んだものが勝つ。

 そんなところに、きっとあたしは、惹かれていた──。



 久しぶりに、イベント会場にきた。

 客入れ前の会場は、広いのにがらんとしていて、なんだか不思議な気分になる。こんなに寂しく感じるこの場所に、数時間後には気分が悪くなるくらいぎゅうぎゅうの有象無象が押し寄せる。

「ねねねちゃん、最前で応援してますね!」

 昨日27から言われたそんな言葉を思い出す。

 散々あたしに面と向かってラップを教えてくれたくせに、未だに距離を気にしているのも不思議だった。どう考えても、その時の距離の方が一番前の座席よりも近いのに。

 未だに彼女は、ステージに立つ禰寧音ねねが好きなのだろう。どこまでも愚かな子だ。

 ただ、その愚かさを少し羨ましくも思う。

 だって、あたしは愚かじゃないから。だからそんなにも愛してくれている彼女の為にだって、勝とうなんて思えない。

 あたしはただ、あたしの為に勝ちたい。復讐の為に。自己満足の為だけに。あたしがあたしである為だけに、勝ちたい。

 わがままで傲岸不遜で自分勝手で承認欲求が永遠に満たされないクソ女。それがあたしだ。そんなあたしが好きだ。あたしはそれが一番女として幸せで賢いって信じてる。だってあたしが一番かわいくて一番優秀で一番賢くて一番尊くて一番好かれてないといやだもん。

 それを今日、証明しに来た。

 あたしのかわいさと、強さを。



【原宿Aquaroom】、キャパは1500人といったところか。

 何度かAIZIAとして埋めたことのある会場。そこに、ラッパーとして立つ。きっとあたし以外の奴目当てで来ている客ばっかりだろう。それを虜にする。アイドルとしてやってきたことを、ラッパーとしてもやるだけ。

 意気を昂らせる。

 アイドルの浮ついたキャピキャピで騒々しい集団待機とは違う、しーんとしているのにギラついた空気。

 トーナメント表で最初にあたる対戦相手以外が集められた無機質な団体楽屋。あたしの他に5人の女子高生ラッパーが間隔を置いて座り、その時を待っていた。このあたしがこんなちんけな所で待たされるなんて、いつ以来だろうか。その屈辱すら、今宵の勝負の原動力だ。無心になり闘志を高める。

 もともと全国から集められたほぼ無名の原石ばかりが集っているのだろう、たぶん。お互い知り合いでもないし、対戦前に話すことなんてない。この数のJKがいてこんなにも静かだなんて、なかなかあることじゃないなって、少し笑える。

 一切知らない同年代のラッパーたち。その中にあいつの姿を探している自分がいるような気がして、イラッとくる。

 あいつとは順当に行けば準決勝くらいであたるはずだから、楽屋が同じである可能性もあるけれど……。

 いないか。そう思って再度雑念を捨て──。


 ガチャ。


 楽屋の入口の扉が開いた。あたしだけじゃない、他の5人も全員がその音のした方を振り向いた。

「……!」

 息を呑む。空気の味が変わる。

 高い背丈、長い金髪に特徴的なインナーカラー。肌を覆うタトゥーとゴールド。

 Dependence──。

 彼女は悠々と入ってきた。部屋に蔓延していた生温い沈黙をぶち破って。

 思わず見惚れそうになる。やっぱり、そのへんにいる張三李四な凡人共とは違う。悔しい──内臓を引きちぎりたくなるくらいに悔しいけど──この女、本当に綺麗だ。

 睨みつけているつもりだけど、はたから見たら見惚れていると思われてしまうかもしれない。そんな状態であたしは思い切り彼女の瞳だけを見つめた。

 それを……彼女はフンと鼻で笑って、こちらに歩み寄ってくる。

 一歩ずつ、目を離さずにズンズンと近づいてくる。なにかあたしに言いたいことでもあるのだろうか。舐めた事言ってきたら、なんと言い返そうか。

 そんなことを考えながら、徐々に大きくなる美貌を睨み返す。

 なのに。

 彼女は何を言うでもなくするっとあたしの横を通り過ぎて視界から消え──そう思った刹那、耳元から嫌いな声が聞こえた。

「あれ、俺のアドバイス忘れちゃったの? 悲しいなぁ……」

「あ?」

 振り返って囁きの主の方を向く。

 触れ合いそうな距離で、Dependenceが口元をへらへらニヤつかせていた。

 目だけを、どこまでも据わらせて。

「そう熱くなんなよ。裏で争っても虚しいだけだ。あんたならわかるだろ?」

「たしかに、腕力では勝てないものね」

「ひどいなあ、俺をなんだと思ってんだよw」

「……別に、なんとも」

「その割にはずいぶんと情熱的な目で見つめてくれるじゃん」

 嘲りの声に全神経が逆撫られる。

 それでも我を忘れず、皮肉にはきちんと皮肉で返す。やられっぱなしは許されない。

「はあ? そう思わせるのがアイドルの仕事なの。わかるかしら?」

「まだやめたわけじゃなかったんだw。……じゃあ、なんでここいるの?」

「あんたをぶちのめすために決まってるでしょ」

「言うねえ……。そういうところ、悪くないんじゃない?」

 そう言い残して、彼女はすっとあたしの元を離れ、部屋の端の席に座った。意外……いつでもその場の中心に居座っていそうな華があるのに──なんて、どうでもいいことを思ってしまった。

 そして、意識を彼女から逸らした途端……殺気。

 ……ああ、そうよね。

 この大会の優勝候補であるDependenceから、自分ではなくてラッパーまがいのアイドルだけが話しかけられた──なんて、そりゃ本職のあなたたちからしたら気に食わないでしょうね。

 狭い楽屋に複数人が詰め込まれているんだもの、小声で話していたって内容がわかる。

 みんなが己の名を今日あげてやろうと意気込んで来ている。当たり前だ。誰も負けるつもりでなんて、遊びでなんてやっていない。それこそ、そのへんの半端なアイドルじゃないんだから。

 いいわ、このピリピリした感じ。

 ながらくホームでばかり仕事していたから忘れていたこのヒリつき。アウェーならではの皮膚の不快感。

 そうだ、そういう現場でこそ、AIZIAは真に輝いていた。

 普通の社会だったら誰もが拒まれて排斥されてしまうような、アクの強い社会不適合者の寄せ集め。見世物小屋と揶揄されたりもしたくらいの。

 見た目こそよかったけど、それだけ。本当に顔面以外終わっていた。あたし以外、全員がテレビに出ちゃいけないタイプのヤバい奴だった。

 で、そんな奴等をまとめあげて大人気アイドルにしてやった一番の功労者であるあたしが、今一番TVにでちゃいけない奴になってるっていう……。ほんっと皮肉。

 けど、ある意味、原点回帰。


『逆境こそ、全てをひっくり返すチャンスなんだ。わかるか? 谷をひっくり返せば山になるが、平地をひっくり返しても平地のまま。つまり追い詰められている時だけが唯一のチャンスなんだ。普通平凡平時平常、そこになんの価値も無い。ピンチこそを愛せ。常に逆境に立て、タレント共よ』


 うちのマネージャーはいつもそんな世迷言をのたまっていた。が、案外外れていない。ある程度はそうだなって思う。だってあたしいま、最高に興奮している──!


 昔のアイドルも言っていた。『ギリギリでいつも生きていたいから』。

 完全に同意する。安全な場所にとどまるなんてつまらない。安定は停滞。変化こそ進化。時の流れに逆らって前進しなきゃ、後退しているのと同じ。

 闘いの場に、あたしは赴く!

 いざ!



 客の入場が終わり、RealeaTVプレゼンツ第9回女子高生ラップ選手権はいよいよ開演した。

 始まりは、オープニングアクトとして前回優勝者の27のライブパフォーマンスから。

 あたしは舞台袖から、それを眺めていた。

 大舞台に立つあたしのファン。けれどその顔つきは、やはりあたしがよく知っていた彼女とは完全に違っていた。マイクを持つ彼女は可憐で儚いけれど……この場にいる誰よりも、目に光が宿っている。

 曲が流れる前に、自己紹介がてら、MCが入る。

「……ぼくって本当に何をやってもダメで、でもマイクを持ってる時だけは一番になれた。今日はまた、そんなスターが一人生まれるみたいです。できたらぼくもまた出場したかったんだけど……、」

 彼女がセンターステージでそう言っただけで、どよめきが起きる。それくらい、彼女のバトルはこの場にいる観客たちに求められているということか。

「なんかさー、もう大学生だからダメだって……厳しくない?」

 その言葉に、がっかりした声と笑いが返ってくる。

「あはは……。でも、だからまあ、その分今からライブでカマすから、ゆるして? みんな、ついてこれるよね!?」

 わあああああと、大きな声が湧き上がる。

「おーけー。じゃあまずは聞いてください。まだ陽の当たってないであろう出場者のみんなに、そして、いま苦しい中で必死にもがいているであろうあなたに捧げます。【My life】」

 イントロとともに暗転。真っ暗な会場で彼女だけがスポットを浴びる。

 人形の様な唇から紡がれる、エモーショナルなラップ。


【あの日の放課後 いつも1人

 世間からの扱いは絶えず酷い

 繰り返し思考、死のう……本気

 天国への志望動機】


 天使の様なビジュアルの27は、その反面、日陰者の自分を自嘲するかのような鬱屈とした楽曲を披露した。

 聞き入る観客には、早々に涙を流しているものもいた。

 熱狂的なファン、それらをそう片付けてしまうのは簡単だが、それは早計。そう言い切ってしまっても構わないくらいの、引き込まれるパフォーマンス。

 これまで、「歌に感情は込められる」、それは当たり前にそう認識していた。けれど、ラップにもここまで感情が込められるものなのかと、衝撃が全身を駆け巡る。なんとなくスタッカートでメロディのない印象があったから、ラップはもっと淡白なものかと思っていた。

 思い知らされる。表現者として、アーティストとして、ラッパーとして、アイドルとしても。こんな形での他者への感情表現があったなんて……。

 半端じゃない。感情だけでは収まらない、それを超えて彼女の人生までもを感じさせるラップ。

 あたしがどんなにこの曲を練習してもこれと同じ感動を誰かに与えることはできないだろう。

 彼女が、彼女の人生を込めて作り上げた楽曲を自分自身で披露する。それによってしか味わえない感情をいま、あたしは――否、この会場の全員が痛いほどに感じ切っている!

『うだつの上がらない日々で死のうとした』『何をやってもうまくいかない』、そんな経験も気持ちもあたしには全然わからない。一切わからない。けれど……。

 それでも、彼女が本気で苦しんでいたんだということは伝わる。その痛みが、鼓膜網膜動脈を通じて脳を揺らす。


【抜け出したいから今日も祈り

 会いに行こう憧れの人に】



 たしかに、彼女が初めて握手会に来た時に言っていた。

「……ぼ、ぼく、あの、ねねねちゃんのおかげで生きようと思えて…………、だ、だから、あの、その……ねねねちゃんがいなかったら死んでたかもしれなくて、えと、つまり、ねねねちゃんは推しで恩人で……」

 そのレベルの重いことを言うファンは、初期の頃にはまだいなかったから未だに印象に残っている。

 そんな彼女がこの舞台で、この曲を歌う──。

 もちろん、ほかにもあるだろう。けど、たくさんの積み重ね、軌跡、各々の歯車と人生の交わり……それら全てを加味しても。

 どう考えても…………、これはあたしへの「私信」であり「指針」だ。

 ──燃える。滾る。

 憎悪だけの炎に、別の色が混ざった。

 これは別に彼女の気持ちにこたえたいとか、そんな生温い腑抜けた動機じゃない。あたしをそんな高尚な人間だと思い込んでいたのは、幸福だったファン達だけだ。

 これだけ多数の人間に感動を与えながらも、特定の個人に向けたメッセージまで詰め込める表現力、余裕。

 なんなんだこの女……! わかってはいたけど、生で見るとさらに尋常じゃない! 傑物だ。

 あたしも同じステージに立つものとして、この女に、勝ちたい!

 闘志が迸る。まだ、あのDependenceにすらリベンジできていないのに、次の標的を見つけてしまった。

 ともすれば、あたしよりも上かもしれない表現者に、自分のファンだなんて名乗られる屈辱に耐えられるほど、あたしは我慢強くも人間出来てもいないのよ!!!

 わなわなと拳が震える。

 また一つ、負けられない理由が増えた。


【人生なんてやる気次第

 でもぼく今日もやる気しない】


 悲痛だけれど、そこに振りかけられた微量のユーモアでほろ苦くもポップな仕上がりの楽曲。自虐をよくして引っ込み思案な彼女をそのままさらけ出した私小説の様なナンバー。それはこの場にいる全員に勇気と日々への活力を、1人の女には絶大な焔を届けた。


 さて。

 一曲目が終わり、自身のラップに皆が聞き入ったそのタイミングで、彼女は再び観客に語り掛ける。

「──というわけで、人生なんてやる気次第。マイペースに生きるのもいいし、ハイペースに生きるのも自由。けどね、出場者のみんなは今日だけはやる気しないとか言ってたら負けちゃうから。今日くらいは…… ”勝つしかない”」

 そう言うとウィンクをして、手招く。

「そして勝って勝って勝って──ここまで、上ってきてね……!」

 刹那、絶叫。

「「「【kiーーーーーng!!!!!】」」」

 深くまで染み入らせた世界観、そこに劇薬を投入する。無音の空間に突如響き渡る銃声の様なインパクト。

 さっきまでのしんみりとした雰囲気を引き裂く咆哮が全観客の心臓を強引に掌握し、本来よりもはるかに速いスピードで血流をむりくりに全身へ駆け巡らさせる。

「アガれ――――――!!!!!」

 跳ねる。手を伸ばす。荒れ狂う。一瞬で変わる温度。

 これが、この大会を三連覇したラッパーの盛り上げ方……!

「……!」

 気持ち良さに我を忘れそうになった──瞬間無意識に額へ伸ばされた手のひら。わずかに湿る人差し指の先端。遅れてやってくる不快感。

 汗をかいていた。この汗が冷や汗でも熱に浮かされた本来の汗でも、悔しい。

 静と動を併せ持ったオールラウンダーな王者。それが無敵ホワイト、27。


【引き立てるくらいなら、引きずりおろせ椅子ごと

 引きこもるくらいなら、引き込めよ自分の方


 膨大な後悔 それ以上の勝敗

 強者淘汰造作なく 玉座以外欲はなく

 

 引きこもりからなった王者 ぼくはジョーカー

 業火毒牙から生き残り得た王冠


 I'm king 27 ついてこいよ いいな?

 I'm king 27 ぼくこそが Wiener!】



 27のライブは、熱狂のままに終演した。もうこの日にこれ以上カマせるラッパーなんていないんじゃないかというくらいの圧倒的なステージ。

 最後に歌った【king】は、まさにこの場で彼女が歌うにふさわしい曲だった。

 あのおどおどした少女が、マイクを持つとここまで攻撃的になれるのかと、改めて驚く。

 でもまあ、あたしだってそうか。ステージがなければ、マイクがなければ、あのマネージャーに出会わなければ。きっと人知れずもっと地味な場所で生きていただろうし。

 このあたしを感傷的にさせるなんて、やるじゃん。そんな想いで、舞台上の小柄な少女を見る。

「ありがとうございました。27でした! えー、次はエウテルペちゃんが盛り上げてくれるみたいだよ。それじゃー、ばい!」

 27はそう言ってステージ上を去った。

 暗転する会場。

 やがて明天とともにイントロが流れ出し、人影が一つステージ上へとやってきた。

 彼女こそエウテルペ。

 まずその背の高さに驚かされる。先ほどまでステージ上にいた27がだいぶ小柄だったからというのもあるが、それでもこれは抜きんでている。女性ではまずみない高身長。遠目でも明らかに180を超えていることがわかる。

 髪はその高い背丈の腰あたりにまで伸びた美しい黒髪。さらに服装はなんと巫女服。日本人離れした体格に、日本人然とした黒髪と巫女服という異様な組み合わせ。それもそんな女がこれからラップをするというのだから、なかなかに意味不明だ。

 けれど、彼女の瞳を一度見れば、そんな強烈な違和感さえも霧散する。

 なぜなら、澄んでいる。たなびかせている長く美しいストレートの黒髪の様に、その目の奥もまっすぐで清らかだった。白い肌に凛とした切れ長の目が美しい。モデルの様な美人。誰もがそんなしょうもない感想を抱く。間違いなく。それくらいすべてが整っているし、綺麗だ。それはもう天女と言っても差し支えないくらいには。

 あたしの方がもちろんかわいいけれど、美しさに限定すれば、ムカつくけど負けを認めてもいいと思えるくらいの美。

 彼女のすることには一切の間違いがない。そう思い込んでしまうような、崇高で神聖なオーラを放っていた。つい、光を幻視するくらいの。それも、日輪ではなく、月光の様な光を。

 その光の中から、艶やかな唇が花開く。

 その時にはもう、彼女がこの世界の担い手になっていた。


【久方に 北から危機 来たから 死期はやし

 否だ愛 に災い 身ば晒し 頂きに 至らない

 未だ死に 惹からない 舌先に 血が乾き

 穢らし 田舎町 いかばかり 島流し

 似合わない 浸らない 見合わない 理が私 今解り


 この地に理性など疾うに絶えたのか

 なんびとたりとも来たなら死

 死ならば死 非跨ぎし身 未だ無き


 カワレ


 わらべ嫌がれど満たされよ癒されよなかで

 買われ飼われ 川は代われど変われないか我

 あわれ離れ離れ鼻で笑え馬鹿め

 婀娜であやせ徒で騙せ嵌れ穴へ

 肌で話せ甘えたまえ股で

 肩で語れ華でたたせ尼め

 墓で焚かれ食まれ奏で茜褪せ

 爛れをたたえ闘え朝まで】


 会場がのまれていた。

 なんのMCもなく、彼女はいきなりラップを始めて、曲が終わると一礼をし、無言で捌けていった。

 そんなことをするヤツ、初めて見た。ステージを舐めてるのか?と、もし現場でなく映像で見ていたら思ったかもしれない。

 けれど、違う。彼女はどこまでも真摯だった。それはまるで神事の様な厳かささえあった。

 異様で神秘的なトラックにストーリー性のある韻を畳み掛ける独特な構成の楽曲。見た目の通り、透き通った美声。

 彼女と対戦する予定もなかったし、そもそもあまりバトルには出ていないらしいから全然チェックしていなくて知らなかった。

 あたしが知っているのは、ぬーたんが優勝した第5回の女子高生ラップ選手権で準優勝をしたという情報だけ。

 なんなんだ、この女…………。

 さっき聞いた27のラップとは正反対だった。なにもわからない。彼女の感情も人生も、こちらに伝えたいメッセージもなにもかも。

 なのに、震えた。打ちひしがれた。

 なんだ、なんなんだ、こいつ。こんなことも出来るのかラップは…………。

 まるで一本の映画を見たかのような感覚。韻と韻が情景を紡ぎ、脳内に像を結ぶ。本当のところはわからない。でも、解釈を迫ってくる音と言霊が、あたしの中で物語を描き出していた。

 忘我する。

 あたしは勝ち負けにこだわっていたけれど、こういうことも出来るのがラップなんだ。

 改めて音楽の芸術性の高さを痛感する。商業的なエリアの最前線を走っていたからこそ、彼女がここでした数分間はこの心に絶大に響いた。

 荘厳な讃美歌の如く肉体と精神を仮初の昇天へ導く体験。

 それは滝行の様に対戦者達を叩き清め、精神を統一させた──。

 

 そして時は満ちて。


「第9回女子高生ラップ選手権、はーじめーるぞぉーーーーーー!!!!」


 司会の叫びと共にDJが叩いたレゲエホーンとガンファイア。

 各々の闘志は、最高潮に達していた……!


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