第5話 従兄弟と従姉妹

 世の中的にはアウトでしょ、ときっぱり優里花は言った。わたしは、そうかなぁと言った。

「だって18年間ずーっと一緒にごろごろ寝てきたのに?」

「それは語弊のある言い方でしょう。かわいそうじゃん、安西くんも。そもそもアンタのものじゃないんだし、手、離してあげなさいよ。それに安西くんだって男なんだからねぇ。もやもやするっしょ? 知ってる? いとこ同士って結婚できるんだよ。だからそういう仲になったって」

 おかしくないんだよ、と続いた。

 まぁ、確かに航太を占有する権利はわたしには無いわけだし。航太の家は分家だから良くしてくれてるだけなのかもしれない。

 だからと言って航太がわたしに手出をするとは到底思えなかった。

 今まで何度も同じことを考えたけど、優里花のその考えはわたしを小さく傷つけた。航太だけは違う、もっとわたしたちは男女の壁を越えたニュートラルな仲だと信じたかった。


「で、植田くんとはどうすんの?」

「圭一? どーすんのもなにもなくない?」

「植田くんの部屋に入り浸るほどお熱だったのに、もう冷めたの!? 未練とかないわけ?」

 未練⋯⋯。未練か⋯⋯。

 それを知るまでその人の腕の中で気持ちよく息をしていたのに、知った瞬間に正直言うと怖くなった。この人もわたしを利用するんじゃないかって。

 そう思うと未練も足が生えてどこかに走り去ってしまった。

「⋯⋯気持ち悪いだけだよ」

「ふーん、不思議な話。まぁ、浮気する方が悪いしね、同情の余地もないけど」

「そうでしょう? 『一度きりって約束』って、わたしになにか利益ある? 浮気なんかしたかしないか、ゼロか1だよ」

「まったくその通り」

 夏休みもやっている学校前のカフェで軽くお茶をして、優里花は帰って行った。わたしはなんだかお腹が空いたような気がして、メニューをぺらっと捲った。


 学校近くにある交差点の車たちが向きを変えて走り出す音がした。学生たちの群れの中に聞き覚えのある声⋯⋯。

「だから千遥ちはるは千遥の色を出せてるんだから、教授の言うことに左右されなくていいと思うんだけど」

「そういうわけにはいかないよ。技術は身につけて損はないでしょう? 撮りたい方向性が決まった時に困る」

 目が合ってしまった。

 まずい! 今更、メニュー表に隠れても遅すぎるって!

「ゆら、ひとりなの?」

「ううん、さっきまで優里花と一緒だったの。気にしないで

 あ、と思ったけど遅かった。これじゃまるで同棲カップルだ。

「あ、噂の従姉妹のゆらさんでしょ? わたし、香田千遥こうだちはる。安西くんと同じく写真やってんの」

「初めまして、安西ゆらです。航太の従姉妹です。教育学部にいます。航太をよろしくお願いします」

 ぺこっとお辞儀をすると、航太が「おいおい、なにをお願いするんだよ」と言ってきた。

 顔を上げると、そこにはがいた。通った鼻筋、パッチリと見開かれた瞳の色は明るい茶色、影を落とすまつ毛、ピンクのグロスを塗ったような初々しい唇。――こんな人って本当にいるんだ。


「ゆら?」

「なんでもないんです。あの、失礼します」

 荷物を持って立ち上がった時、バッグの持ち手がイスに引っかかって派手な音を立てる。航太がオープンテラスの店内に慌てて入ってくる。

「怪我は?」

 首を振る。

「よかった。会計表貸せよ。精算してきてやるから、千遥とおしゃべりでもしてて。気さくなヤツだし」

 そのままスタスタと会計表を持った航太は店内の奥に入っていってしまった。

「ゆらさん、噂通り」

 にや、と香田さんは笑った。

「なんかね、航太にはかわいい妹みたいな従姉妹がいるんだって学科では有名な噂なんだよ」

「かわいい妹⋯⋯」

「妹っていうのはその、気分を害したなら悪いんだけど、つまり古典の掛詞みたいに”かわいい”を強調してる⋯⋯んー、国語は苦手なんだよね」

 はは、と今度は笑った。表情のくるくる変わる人だなぁと思う。

 あの美しい唇がさえずるようにおしゃべりをすると、美しい瞳がキラキラして、まるで生きていることを具現化したような人だ。

 わたしはうっとり彼女を見てしまった。


「遅れましたが安西ゆらです。よろしくお願いします。あのー、妹じゃありません。航太の」

「だから掛詞だってー! 本当はなんて言うのかわかんないけど」

 顔に似合わず大きな声を上げて、香田さんは笑った。ああ、成程。こういう人には惚れてしまうかもしれない。わたしも惚れそう。

「お待たせ。ゆら、大丈夫だった? びっくりしただろう?」

「うん、かなり」

「航太、お金払うよ」

「バーカ、うちにい⋯⋯うちで食べていく時点で食費はなぁなぁだろう?」

「確かに」

 わたしたちを見ながら香田さんはにやにやしていた。うれしそうに。

「仲いいんだねー。いとこ同士なのに」

「え!? こんなもんじゃないの? ゆらとは近所だったから幼稚園も小学校も一緒だったし」

 なぁ、と航太は言った。

 わたしはそれに引きずられるように、慌ててうん、と言った。

「そっか。わたしも同じような従兄弟がいるけど、関係が近すぎると難しいよね」

 香田さんは少し寂しそうな顔をした。


「香田さん、わたしたちそういうの全然ないんで」

 ハッとした顔をして航太はわたしを止めた。

「お前、なにを言い出すんだよ」

「本当のことを言っておくだけだよ」

 くすくすと彼女は笑った。微笑ましいと言うように。

「ほんと、ふたりを見てるとわたしの従兄弟を思い出す。いとこ同士って難しいけどがんばってね」

 それじゃ、と彼女は手を振って先に行ってしまった。航太は「本当に違うんだよ」と言っていたけど、それが香田さんに届いたかは謎だった。

 わたしたちは微妙でも難しくもない、ただのいとこ同士だ。だからこうやって、隣にいられる。


 ◇


「特別講義だったんだ」

「てっきりアルバイトかと」

「バイト」

「バイト」

 わたしは口真似をして言葉を返した。

「ゆらも少しは世俗に染まらないとなぁ」

「染まったよ! 彼氏もできたし! その、浮気されちゃったけど財産目当てよりマシだよ⋯⋯」

 ああ、と言って、ソファに寄りかかっていたわたしをふわっと抱き寄せた。髪をそっと撫でてくれる。

「あれは酷かったよな。忘れろよ。初恋はキレイに終わらないものなんだ」

「そうなの?」

 身体の力を抜くと、くたっと漬物のように航太と密着した。こんなこと、大きくなってからしたことなくて、不思議な感じでいっぱいになる。

「初恋は儚く散るんだよ」

「航太って物知りだね」


 その時わたしは体重のほとんどを航太に預けて、彼の胸に頬をつけていた。

 航太の腕はわたしを抱きとめて、髪をさらさらと撫で続けていた。

 わたしはその気持ちよさに負けて⋯⋯眠気が⋯⋯航太の背中に手を回そうとして⋯⋯。

「ストップ! ごめん、僕の間違いだ。こういうのは良くない。男と女じゃないんだから」

 その言葉はわたしにグサッと刺さった。なにかを踏みにじられたように感じた。

「紛れもなく男と女じゃない!」

「じゃあもう簡単には一緒にいられないよ」

「なんでそうなるのよ! 


 航太は、なぜか酷く傷ついた顔をした。わたしにはその理由がわからなかった。

「もしもゆらが本当にそう思ってるなら、僕はもうゆらを僕の部屋には上げない。普通の男女間の関係だ」

 わたしはすごく戸惑った。

 いつも通りの軽い遊びのような、同じく終わっていくつもりの言い合いで、そんな、他人行儀なことを決定的に言われるなんて――。



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