第12話 スマホの向こう側

 翌日、呼んでもないのに圭一はわたしの部屋に来た。心配だった、と理由を言った。

 わたしは圭一になんと嘘をついて電話を切ったのか忘れてしまったので、適当に「ありがとう」と微笑んでおいた。

 浮気、のことについては強く追求できる立場ではなくなってしまった。わたしの方が軽かったとはいえ航太と⋯⋯キスしてしまった。しかも航太はわたしを拒絶した。

 圭一とのケリをつけること。せめてそうしろと航太は言った。

 わたしはなにも知らない圭一にアイスティーを出しながら、昨夜のキスを思い出していた。

 ――こんなことで、わたしと航太の18年間はダメになっちゃうんだろうか?


「ゆら?」

「はい?」

「いつもよりボーッとしてるけど大丈夫なの? 今日は外出は控えた方が良くない?」

 外出⋯⋯。最近の外出にいい思い出はない。仕方なく同意する。

 お昼ご飯は圭一がナポリタンを作ってくれることになった。同じく一人暮らしをしてる圭一の得意料理はナポリタンだった。ケチャップが豪華に使われている。

「美味しいね」

「ゆらがそう言ってくれるならうれしいね」

「本当に?」

「本当だよ」

 テーブルの向こうから圭一は手を伸ばしてわたしの口元のケチャップを拭った。夕方、少し涼しくなったら買い物に行こうと約束をした。

 ⋯⋯今夜は泊まるのかな?

 ふたりでネトフリの連続ドラマを観ていた時、ふと頭にそれが掠めた。それこそがカレカノだと、飲み込んだ。


 ◇


 エコバッグには財布とスマホだけ入れて、ふたりでぶらぶらスーパーまで歩く。ご丁寧にどんな時でも手を繋ぐ。

 今まで当たり前だったことが、当たり前だからしていることのように感じる。横を見ると圭一は特に無駄なお喋りはせずに、わたしに微笑みかけた。

「ゆらの具合が良くなってよかったよ。電話にも出ないから本当に心配したんだよ」

「ごめんね、寝てるのが一番だって言うじゃない?」

「その通りだ」

 わたしたちはスーパーまでの近道を通り、そのなんでもない住宅地の路地を曲がったところでキスをした。反吐が出るかもしれないと思っていたのに、ちっとも前と変わらない、やさしいキスだった。

 わたしはコンクリート塀を背中に、もたれかかっていた。


「今夜はなににしようか?」

「泊まっていく?」

「ゆらが了解してくれるなら」

 どうしようかな、と思う。断ったら不審に思われるかしら、とか。

 それよりあんなことがあった後でも航太の顔が見たくて、俯いてしまう。

「⋯⋯今日はごめん」

「だよね。夕飯を食べたら帰るよ」

 本当のところはどうだったのか、聞かなくちゃいけないと思った。でも勇気が出ない。聞いたら妄想が爆発して、この男を蒸発させてしまうかもしれない。

 わたしは多分、すごく微妙な顔をしていたんだと思う。圭一はそれ以上なにも言わず、わたしの手を取った。わたしはそれさえも気持ち悪いとは思わなかった。

 ――もしかしたらわたしこそ『誰でもいい』のかもしれない。


 ◇


 言葉の通り、圭一は夕飯を共にすると帰っていった。スマホにはお母さんからクール便で野菜を送ったとメッセージが入っていて、いつも通り、たまには帰ってきなさいと書かれていた。

 地元か⋯⋯。

 わたしが長野に帰りたい理由はひとつもなかった。それどころか、長野と縁が切りたくて仕方がなかった。

 でも子供のわたしにはひとりではそんなことができるはずがなく⋯⋯考えつくことといえば、他県の人と結婚することくらいだった。

 枕元にポーンと投げたスマホに手を伸ばす。メッセージアプリを立ち上げる。


『昨日はごめんね』

 画面をじっと見て、少し待つ。イライラが溜まらないように全力で目力を抜く。

 パッと既読がついて心が明るくなる。心と心が繋がった気になる。

『気にしてないよ』

 ⋯⋯気にしてほしい。でもここは聞きたいことを聞かなくちゃ。

『就職って考えてる?』

 少し待つ。向こうが打ってる『⋯⋯』が揺れる。

『まだ1年だから早いとは思うけど、希望はある』

『長野に帰るの?』

『⋯⋯』が揺れる。

『ゆらは帰らないといけないんじゃないの?』

 すごい衝撃が脳内を走る。そんなこと、考えたこともなかった。

 浅はかだった。

 婿養子の話が出るくらいだから、わたしが帰らなくていいわけがない。

『帰りたくない』

『だよな。僕は長野には帰らないで就職するつもり』


 パタン、とベッドに寝転んだ。

 ああ、航太と本当にお別れなんだ。

 3年後のわたしたちは会う度に「久しぶり」って言う仲になるわけだ。

 ――酷い。

 わたしは安西の家に生まれただけなのに、家から出る期限が決まってるなんて。

 このまま帰ったらきっとお見合いだ。知らない誰かと結婚させられてしまうかもしれない。そんなの嫌だ。


 その時、スマホが着信を告げてわたしはのろのろとスマホを手にした。

『もしもし』

『航太だけど、もしかして今、泣いてるんじゃないかと思って』

 じーんと来た。どうしてこうやって繋がっちゃうんだろう? 手を伸ばせばそこにいるってわけに、どうして行かないんだろう?

『航太、わたし、本家の娘からいつまでも卒業できないの? みんながわたしを”安西の娘”だって思ってるところに帰らないといけないの?』

 畳み掛けるようなわたしの言葉に航太はひとつ、ため息をついた。


『ゆら、それに関して今はなにも言ってあげられなくてごめん』


 プツン。スマホの向こう側は空虚な音しか聴こえなかった。













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