第22話 エピローグ

「なんだ、やっぱり付き合うんじゃない。あんなに浮気されたって騒いでたのに。最初から安西くんにしておけばよかったんだよ」

「そういうわけにはいかないよ。従兄弟だよ?」

「よかったじゃん、結婚もできる」

 結婚、結婚、結婚、そればかりだ。お母さんが昨日電話をかけてきて「結納はどうしたらいいかね?」と訊いてきた。大学はまだ3年半あるのに!

 航太にその話をすると、大笑いをした。そして「まだダイヤの指輪資金が足りないよ。いいところのお嬢さんをもらうのに」とコンビニにバイトに行ってしまった。

 いいところのお嬢さんだなんて! あれはわざとだ。

 というわけでわたしは内心プンプン怒っていた。


「それはさぁ、贅沢すぎ。ああ見えて安西くんに泣かされた女の子が何人いることか。まだ後期始まったばかりだよ!?」

「なにそれ、知らない」

「アンタはバカな男を追いかけ回してたから気が付かなかっただろうけど、それは熾烈な戦いだったよ。安西くんてさ、感じいいんだよね、文字通り。気取ってないけどどこか育ちの良さが窺えるし」

 育ちの良さかぁ。確かに分家だからといって、『安西』の名を汚すなと子供の頃から言われてきたけども。

「あーあ、わたしも彼氏の愚痴こぼしてみたい。ゆらの愚痴聞いてばっかり」

 はぁーと優里花ちゃんは大袈裟にため息をついた。

 わたしはなんだか宇宙のどこかの星の話を聞いたような気がして、頭の中でぼんやり考え事をしていた。

 周りの人から見た航太、考えたことがなかったかもしれない。


「ゆら!」

 航太はバイト上がりにわたしたちのいるカフェまで迎えに来てくれた。今日は無地のTシャツに麻のシャツを着ている。

 暑くないのかな、と思う。

 でも聞いても多分『心頭滅却すれば火もまた涼し』とか言って笑うんだろうから、聞かない。うちのお父さんの口癖なんだもん。

 でも麻のシャツをサラッと普段着で着こなす姿は好感が持てる。

 不思議と爽やかに見える。

 分家の航ちゃんはお行儀のいい子だって、そう言えばよく言われてたっけ。航太も航太で、作られたイメージに縛られてたのかもしれない。

 でもわたしと違うのは、それをいい方向に自分の物にしてしまったところだ。

 勝てないなぁ。


「優里花ちゃんもゆらの子守り、お疲れ様。なにか奢らせてよ、いつも悪いから」

「全然悪くなんかないよ。子守りと言えば安西くんの方でしょう? この子、ちょっとポンコツだけど走り出したら一途だからよろしくね」

「知ってる。昔から馬みたいなんだよ」

 馬。

 なにそれ? 人参追いかけて走ってるってこと?

「どっちにしても何事にも一生懸命なところ、ちゃんとわかってるから」

 はぁーと、優里花ちゃんは大袈裟なため息をついた。

「安西くんみたいに心の広い彼氏が欲しい。写真科にいい子いたら紹介して」

「了解」

 それじゃね、と言って親友は帰っていった。


「優里花ちゃん、いい子だよね。⋯⋯なんだよそのジト目」

「ほかの女の子褒めるのやだ」

「ゆらの親友だろう?」

「わたし、優里花ちゃんほど性格良くないし」

 ふぅ、とため息をついた航太はわたしの前髪をすっと持ち上げた。労働をしてきたその逞しい手は汗の匂いがするような気がした。

 航太はわたしの額に軽くキスをすると「リングでも買いに行くか」と言った。

 公衆の面前でキス! えー、今までの女の子ともしたのか、俄然気になる。

「欲しくない? 僕のものになった印」

「⋯⋯航太がわたしのものになった印なら」

「それもいいんじゃない? 悪くないね、ゆらに首輪着けられるのも」

 どこまでが本当かわからない。

 でも彼はすぐに「行こう」と言って、わたしの手を取った。

「ちょっと待ってよ」と言って立ち上がると、荷物を持ってもたもたしているうちに会計を済ませていた。


「ねぇ、バイトしてるのはわかるんだけどね、お金のことは半々にしない?」

 航太は小銭をしまいながらわたしを見た。不思議そうに。

「僕の将来の妻なわけなんだから、今からお金出しても問題なくない?」

「ある。流行んないよ、今頃そういうの」

「ゆらが半分出したって、それ、本家のお金でしょう。リングも半々とか言わないでよ。財産目当てだって言われたら困るからね。買うものもシルバーにするつもりだから値段はたかがしれてるよ」

 悔しい。なにも言い返せない!

 確かに今日、わたしがお金を出したところでそれはうちから出たお金だ。

「⋯⋯バイトする」

「は? 僕のゆらが? しなくていいよ、必要ない。綺麗な手を汚す必要はないから」

「する! 絶対する!」

「しないでよ! ゆらに悪い虫がついたらまた僕の仕事が増える」


 そこでわたしたちは目を合わせた。

 そしてくすっと笑った。

「こういうの?」

 わたしは正拳突きを真似て見せた。

「そういうの」

「今度お父さんにバラすから」

「殴られるのは勘弁。せっかくスルーできたのに」

 航太は両手を上げておどけてみせた。


 沢口先輩を殴った時のことを思い出す。

 正直、航太が怖いと思ったのは初めてだった。

 沢口先輩ももちろん殴り返した。それ相応には。

 でも航太には敵わなかった。

 目付きが違うんだ。あの、鋭い目。あの目がわたしを戦慄させる。身震いするほどの冷たさを伴って――。

「そんなに心配しなくても、ゆらのこと以外で誰かをもう殴ったりしないって約束する」

「ほんとに? 圭一の話した時、優里花ちゃん引いてたよ。信じられないって」

「日頃の行いがいいから、そう見えないんだよな、きっと」

 ムッとする。コイツは絶対裏表を使い分けてるに違いない。

 ほかの女の子の前では完璧なジェントルマンを演じてるんだ。


「もう知らない!」

「なに怒ってるんだよ?」

「航太なんて大ッ嫌い」

「なんだよ、それ」

「うちに帰る」


 変わりかけた信号を、無理に渡ろうとしたわたしの手首を航太がぐいと掴んだ。「ゆら!」


「ほら、だから離れたらダメなんだって。さぁ、買いに行こう、お互いを縛るためのリングを」

 言葉が良くない気がしたけど、本当は欲しかったので諦めて着いていく。

 あー、こういう嫉妬をこれから何回するんだろう? 航太はわたしと違ってモテるからなぁ。

「変なヤキモチ妬かなくても浮気はしないし、ゆらだってなかなか人気あるんだぞ。秘密にしておこうと思ってたけど。前に言わなかったっけ? 僕たちは瞼が違うだけでよく見るとすごく似てるんだって。それに深窓のお嬢様だし」

「浮気はしないって言ったよね」

「はい、誓います」

「⋯⋯よろしい」


 ふたりの指はなんとなく絡まって、恋人繋ぎになった。航太の逞しい指はいつもわたしをドキッとさせる。それはわたしたちがになったことを表していた。


(了)――あとがきに続く

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