第2話 ジャストミートの心得
「一晩だけだからな」と航太は言ったので、わたしはシャワーを浴びて早々にベッドに入った。
「おい! ゆら、いい加減にしろ! 何様だ、お前は」
「ゆら様」
航太はつかつかとベッドに近づくと、ガバッと布団を捲った。
「なにするのよ、やめてよー。今日くらい布団の中で思い切り泣かせてよー」
「せっかく洗った顔をぐちゃぐちゃにして泣くの?」
「うん」
「仕方ないなぁ。お前のわがままには付き合ってらんないし、僕はちょっと出てくる」と片手に大きなカメラを持って、出かけて行った。
航太の大学での専攻は写真だ。
なんだか詳しくは知らないけど、憧れの写真家がいるらしい。その人の写真を見ると、自分がちっぽけに思えるといつか言っていた。
憧れっていうのはいいなと思う。
憧れは目標になる。
いつもなんの目的もなく、ふらふらしてるわたしにはとても魅力的な話だった。
わたしの専攻は教育学部の国語科で、特になにか志があるわけではなく、教員になるかどうかも怪しく、国語に研究熱心でもなかった。
じゃあなんでここにいるのかと言うと、それは周囲に押されたから。ただそれだけ。
航太の入った工学部は人気があって倍率も高かったけど、わたしの入った教育学部は同じ大学でも偏差値は低めで、文学部より人気もなかった。
ただ、航太と同じ大学に行かせておけば上京させても安心だろうというのが親たちの目論見で、わたしには反対する材料がなにひとつ手の中になかった。
もしわたしが男だったら、同じ部屋で寝起きしてたことだろう。
まぁ、男女でもこうしてたまに遊びに来ちゃうけど。
いとこ、という関係性はすごく便利でやさしい。
突っぱねることはできないし、内側に入りすぎることもない。実に便利な関係だと思う。
わたしが航太なら良かったのか、そういう難しいことは考えないようにしている。
――航太だったら、夢を追いかけてキラキラしてたのかなぁ。
ほらダメだ。想像力の欠如だ。
窓の外にセミが止まったらしく、ミンミンうるさい。それはまるで長野に帰ったようで、わたしは少し憂鬱になり、丸まって布団を被った。
◇
「なんだ、起きたの?」
ビクッとすると、薄暗い部屋の中に頭からタオルを被った航太が洗面所から出てきたところだった。
わたしは夢の中で、ガラスで外と区切られている縁台で、雨の中に咲く朝顔を見ていた。
無惨にも、雨粒を支えきれないその薄い花弁を。
考えてみたらそれは帰ってきた航太の浴びるシャワーの音だったわけだ。成程。
「お腹空いた⋯⋯」
「そう言うと思って」
「いい匂い」
ふふっと笑ってキッチンからテーブルに袋を持ってくる。ぐぅとお腹が鳴る。
「フライドチキン買ってきた」
「ありがとう」
航太は白Tにハーフパンツで、わたしの前にしゃがみ込むとまたよしよしと頭を撫でる。
「胃が満たされれば少しは元気になるよ」
「航太はなる?」
「少しはね」
男の子だから強いのか、航太だから強いのか、それは判別つかなかった。
それにしてもフライドチキンはその魅惑的な匂いでわたしを呼び付けて、わたしはベッドから出るしかなかった。そんなわたしを航太は見守りながら、麦茶を出してくれる。
「セットにしなかったの?」
「お前が起きなかったらドリンクの氷が溶けちゃうだろう?」
つくづく気の回る男だ。
こんな男をフッたのはどんな女だろう、とむくむく好奇心が湧いてくる。余っ程いい女か、彼氏持ちか、プライドが高かったのか、それともその全部だったのか。
「そういうの訊く? 普通」
「訊かない。そっとしておく」
「じゃあそっとしておけよ」
「航太は圭一のことよく知ってるのに、狡いなぁ」
元々、圭一は航太と同じ写真科で、たまたま学内で一緒にいた時に紹介されたのが事の始まりだった。
「だってお前、圭一と付き合うなんて思わなかったし、アイツ軽いからやめとけって釘も刺したのに」
「そういう話をしたいんじゃないの」
航太は器用に口の周りを汚すことなくチキンを食べ、コリコリ音を立てて軟骨を咀嚼した。
そうして麦茶を一口飲むと、ようやく口を開いた。
「キレイな女の子。性格ははすっぱな感じなんだけど、繊細だっていうのは写真を見ればわかる」
「見ればわかるの?」
「わかる。どこかノスタルジックな色合いの、心にずしんと来る寂しい写真を撮る」
「うわー、そこで語っちゃうんだ」
「⋯⋯だってさ、彼氏すごいイケメンで勝てないよ、あんなの」
航太は指に脂がついているのを忘れたのか、両手で額に手をやって頭を支えた。頭の重さと悲しみの重さが比例しているように見えて、なにも言えなくなる。悲しむ男の子になんて言葉をかけたらいいのか迷う。
「でもさ、航太だって結構イケてると思うよ? ほら、わたしの従兄弟なんだし、容姿のことで悩まないの」
彼はわたしの顔をじっと見て、目を落とした。
「女はいいよな、化粧できるし」
「こら! なんてこと言うのよ!」
事実、わたしはずば抜けて美人というタイプではなく、特に目が一重だというのがコンプレックスで、目を大きく見せるためのまつ毛が短いというのがいちばんのコンプレックスだった。マスカラを塗っても、今いちパッとしなかった。
でも航太は母方に似たのか、目がうらやましいことにパッチリ二重でなかなかいい男だった。航太をフる気持ちがわからない。
わたしが言うのもなんだけど、航太は背筋もピンと伸びていて、高校までやっていた剣道着姿もなかなかのものだった。
服のセンスもいいし、こんな男の子を隣に連れて歩いたらなかなか気分がいいんじゃないかと思うんだけど。
性格は言うまでもなく、お人好しというくらいやさしい。
どこに文句がある?
「人の顔、じろじろ見るな」
「お互い様」
わたしは手を伸ばして航太の頬をつねった。
◇
「ねぇ、悲しい時はどうしたら溺れないで済むのかな?」
「溺れそうなの?」
ベッドと平行に敷いた布団の中で、ごろんと彼は姿勢を変えた。
「んー、わかんない。裏切られたっていうのが、心の底に汚泥みたいに溜まってて、それはすごく重いの」
「⋯⋯大変だな」
「航太だって」
「俺のは片想いだから」
わたしはそっとベッドから手を伸ばした。航太はその手を取った。お互いの気持ちが行ったり来たりして繋がる。
「わたしは航太のこと、一生すきだよ」
「なんだよそれ?」
笑われる。ムッとする。元気つけてあげようと思ったのに。
「ゆらはいつもどこかズレてるんだよなぁ」
「どういうこと?」
「狙いはいいけど、もっと真っ直ぐに強く投げないと届かない」
おやすみ、と言って手は離れていった。
その温もりがわたしを包んで、眠気は容赦なく訪れた。
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