第4話 帰る、帰らない

 そんなわけで、わたしは航太に借りがありありだった。

 と同時に、わたしをいちばんに守ってくれるのも航太になった。

 わたしが「航太と同じ大学に行きたい」と言った時、親はそれについてなにひとつ文句を付けなかった。「勉強しなさい」以外は。

 航太はあの日のこと、あの人のことは絶対触れない。

 わたしはあの日の航太の目を忘れない、絶対。


「ゆらは舌が肥えてるからなぁ」

「ゆら、マックでいいよ」

「最近はマックも高いし、外はもう熱帯気候だよ。外に出るのは勘弁してくれよ」

「なにができる?」

「あー」

 航太が小さい冷蔵庫を開ける。冷気がぶわっと出たような気がする。

「親子丼でどう?」

「いいよ、親子丼大すき」

 バフッとベッドにまた巣ごもりする。航太はいいヤツだ。子供の頃から同い年だからとなにかと比較されてきたけど、航太ほどいいヤツをわたしは知らない。

 圭一のことも、結局突っ込んで来ないし⋯⋯。

 わたしも航太の失恋には突っ込まない。暗黙の了解だ。

 待ってればピカピカの親子丼が出てくるはずで、安心してわたしはクッションを抱きしめた。

 そのクッションはわたしが航太の引越し祝いにあげた、マイクロビーズの入ったそらまめ型の、ちょっとかわいいパステルピンクをしていた。


「美味しい! やっぱり航太の料理がいちばん美味しい」

「嘘つくなよ。実家に帰れば多恵たえさんの料理が、って言うんだろう? バレてんだぞ」

「え? なんのことかなぁ」

 スマホはサイレントに設定したままで、わたしと航太の空間を邪魔する人は誰もいなかった。

 わたしの『長野』は、つまり地元は航太だった。


 ◇


「冗談抜きに今夜は帰りなさい」

「⋯⋯無理」

「無理じゃないよ。僕よりずっといいセキュリティ付きのマンションに住んでるくせに」

「親の趣味だよー」

 航太は一度、口を噤んだ。

 それからまた「いとこ同士だからってこんなのはおかしいってこと、わかった方がいい。一晩だけだと思ったから泊めたのに」と言った。

 小さい時から転がるように遊びながら大きくなったんだもの、なにも問題は無いようにわたしには思えた。

 そう、要するに杞憂。

 もしうちのパパとママが知ったとしても、きっとなんとも思わない。それどころか「娘がいつもお世話になって」くらいのことを言うかもしれない。

 わたしはほかの人がすきだったんだし、航太もほかの人が相当すきだったみたいだから、過ちも起こるまい。

 なにを心配しているのか、さっぱりだ。

 単なる世間体、かなぁ?


 ◇


 お風呂を借りている間、ずっとテレビから大きな音が流れてた。なにかスポーツの中継のようだった。

 なんたら選手にパスが回り、そこを相手選手に突っ込まれ、ボールを取り返してシュート!

 航太が大きな音でテレビを観るなんて、今まで知らなかったので、わたしに遠慮してたのかと思った。

「お風呂上がった」

 航太はテレビを消すと、わたしを振り返った。

「悪い、気が付かなかった。髪は?」

「ちょっと待って。なにか飲んでからにする。お風呂場暑いんだもん。干からびちゃう」

「ゆらの干物」

 ぷ、と笑う。嫌なヤツ。

 冷蔵庫から麦茶を出して、一息に飲む。

 ここの麦茶は水出しじゃなくてきちんと煮出してるので、味が多恵さんの作る麦茶に似てる。ペットボトルの麦茶なんか目じゃない。


 身体の芯まで麦茶で冷ましてから、ドライヤーをかけに洗面所に戻る。

「ゆら、着信履歴くらい見ておけよ」

 ん、と時間が止まる。どうしてそんなこと言うんだろう?

 圭一が浮気をしたということは航太も十分わかってることだろうし、それなのにほかの誰から大事な電話が来るの?

 親か?

 そうかもしれない。お盆にも帰らなかった放蕩娘の首に鎖を着けておかないといけないと、あっちは思ってるだろう。

 ――でも、地元は堅苦しくて息が詰まるんだもの。誰もがわたしをただの『安西ゆら』として見てくれるここの方が居心地がいいのは当たり前じゃないかしら?


「実はさ、誰に聞いたのか、今日バイト先に来たよ、圭一」

「え!?」

 わたしはドライヤーの音のせいで聞こえなかった部分を二度、航太から聞かなきゃいけなかった。決して楽しい報告じゃなかったのに。

「なんだって?」

「⋯⋯よくわかんないな。本気なんだって。浮気はたった一回の約束だったから、もうこれからは安心してほしいって言ってたよ」

「へぇー」

 そうか、浮気というのは回数券みたいなのを買ってからするものなのか、と新しい知識を手に入れる。

「で?」

「で? なんにもないよ。俺が浮気されたわけじゃないし、これはゆらと圭一の問題だろう?」

「かもしれないけど、なんか冷たい」

「そんなことない。早く復縁できるといいなって思ってるよ」

「本気!?」

 わたしはまだ濡れた髪のまま、航太に掴みかかった。航太の目はまだ消えてしまったテレビを観ているようだった。


「なんでもいいよ、ゆらが帰ってくれればね」

「ひどーい!」と殴りかかった腕は、強く手首を握られて止められる。

 ⋯⋯ひょっとして、航太に勝てることはないのでは、という気になる。まさか、そんな。


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