第16話 コンプレックス
ドアチャイムが響く。昼には早かった。
航太は躊躇うことなくドアを開けに行った。
ああ、これから何が起こるのか想像できるなぁと思っていると、圭一は「なんでお前がここにいるんだよ」と止めればいいのに喰ってかかって、要するに一発殴られた。
圭一は航太を睨んで「ゆらの従兄弟だからって、していいことと悪いことがあるだろう?」と叫んだ。殴られた方の頬を押さえて。
航太は「その理由がわからないから皆がお前をバカにするんだろう」と言った。
時間がピタッと止まる。
「なんだよ、それ」
「お姫様の時間は終わって、お前は平民に戻る。ゆらはゴージャスなお姫様じゃなくて、ひとりの普通の女の子だ」
「言ってることがわかんねぇよ」
航太はいちいち説明することをめんどくさく思っているようだったけど、決定的なことを言った。
「加奈子⋯⋯星野加奈子と付き合ってるんだろう? もう皆知ってるよ。バカだな、お前。『最高の女』とか言うか、フツー?」
「な、なんで!?」
「噂は学科内も一周して、後期、お前と口きいてくれるヤツがいるといいな」
バタン、と航太はドアを閉めた。
決別の音だった。
二度とあらゆる意味で関係を持たないだろうと思っても、またあの顔を見るのはゴメンだと思った。航太が正しい。
無理して合わせてないで、航太のところにすぐに行けばよかったんだ。そうしたらこんなに複雑な恋にならずに済んだのに。
もしかしたらわたしは圭一のナンバーワンでいたかったのかもしれない。ナンバーワンでオンリーワン、そんなの幻想だ。
浮気男は二度浮気する。
圭一とはこれでさよなら。
さよならしたくないと言っても、ここにまだ仁王立ちしてる男が許さないだろう――。
「はぁー、ゆら、アイスコーヒーでもいれてよ」
「あ、はい」
気が利きませんでした、という早さでわたしは立ち上がり、牛乳にボトルコーヒーを注ぐ。白と焦げ茶の境目が揺らいで、混ざり合っていく。わたしはそれをなんとはなしに見ていた。
「ゆら?」
「ごめん、すぐ持っていくよ」
真っ白いものなんてこの世にないのかもしれない。わたしはその時、そう思っていた。真っ白なままでいられないことに苛立ちを感じても、それは仕方の無いことだと――。
ソファにちょこんと座って、航太のところのクッションと色違いのそら豆型の黄緑色のクッションを抱きしめた。
ほら、無意識にお揃いとかしてる。
そもそも航太じゃない親戚に、という話だったらわたしはどうしたんだろう?
どうして今まで航太への想いを深掘りしてこなかったんだろう?
だって、こんなにすきなのに。
航太に全部、初めてをあげたかったなぁ。
「また泣いてるの?」
航太はわたしのために甘めのアイスコーヒーを作ってきてくれた。それをテーブルに置くと、ぐいと自分の方にわたしの身体を引いた。
「⋯⋯怖かったもん」
「ごめん。僕、たまに凶暴になるよね?」
「うん、怖いよ」
「でも全部ゆらのためだけだよね?」
「⋯⋯それは全部を見たわけじゃないからわからないけど。武道やる人って、素人を殴ったりしないんじゃないの?」
ふふっ、と航太は笑った。そしてわたしの鼻先をツンと突いた。
「武道やってたって、ゆらを虐めるヤツは殴るよ。まぁ、今はやってないし、ゆらを虐めるヤツを殴って後悔はない」
殴られた人たちは驚くだろうなと思う。航太って、見た目折り目正しい好青年だもの。まさかグーパン来るとは思わないよなぁ。
わたしになんか関わらなきゃよかったのに。
「で、本当のところは?」
わたしは俯いて、脇の髪が顔を隠してくれるようにした。表情は見せたくない。
「自分がどれくらい世間知らずか思い知ったの。先輩の時のこともあったのに『ゆらがいい』って言われるとほいほい着いていっちゃうなんてバカみたい。自分だって相手が好きになる資質のある人か見極めなきゃいけないのに――」
「そうだな。なにがそんなにコンプレックスなの? お嬢様だってこと?」
航太がわたしの髪を耳にかけて、わたしの顔を見た。わたしは観念して航太を見た。じっと、目を開いて。
「わたしは航太みたいに見た目が良くないもん。香田さんみたいに美人なタイプじゃないのは自分がよーくわかってるの。お嬢様じゃなかったらきっと、誰も声をかけてこないタイプだよ」
早口でいっぺんに捲し立てる。
航太はわたしの勢いに驚いた顔をした――。
「誰がそんなことを?」
「皆よ、本家も分家も皆! 『ゆらも目がパッチリしてたらねぇ』って、小さい頃から何度も何度も」
「あのさ、本当にそんなことをずっと長い間気にしてたの? 本家とか分家とか、いちばん嫌ってたのはゆらなのに?」
「だっていちばん身近じゃない?」
「身近だからってさぁ」
はーっと航太は最早、癖になったと思われるため息をついた。
「身近だから口は悪いし、口汚い。遠慮もなにもないんだよ」
「じゃ、じゃあ、航太はどう思う?」
「そうだなぁ。それにはこっちを向いてくれないとなぁ」
それもそうだと思って、わたしは航太の顔を真正面から見上げた。
航太はティッシュを数枚取って、涙とその跡、それから鼻をかませた。子供みたいだと憤慨する。
「そうだなぁ。確かに左目は一重で、右目は奥二重だな。お終い」
「え? 目だけじゃない」
「だからさ、くちうるさい親戚の連中も『二重なら』って目のことしか言わなかったんじゃない?」
「⋯⋯そう言えば」
「容姿に関して言えば、目以外はほどほど僕と一緒でしょう? よく似てるって言われてきたじゃん」
「⋯⋯そうかも」
こうしてわたしの容姿コンプレックスは終わりを告げた。
圭一のことは時折、心に浮上しては沈み、わたしを困らせたけど、航太が隣で「なに難しい顔してるの?」といつも聞いてくるので「なんでもないよ」と答え続けたら、本当にそんな気がしてきたから不思議だ。
あの時、わたしも圭一を、一発くらい蹴り飛ばしてやるべきだった。
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