第14話 噂
いつもと同じように朝が来て、いつもと同じように目が覚める。
横には⋯⋯。
あーあ。そこにいてほしい人の顔はない。
この人、浮気のこと、弁解しなかったな。それどころか。いつもより激しかった。
だからこそ、最中に都合の悪いことを思い出さなくて済んだわけだけど、本当に彼女とあんなことをしたのか、それが気になった。
「ゆら、おはよう」
その笑顔が穢らわしいものに一瞬、思えて、それじゃ自分も随分汚れたな、と思う。
汚れてしまっては航太に会えない。
都合のいいような、悪いような、微妙な心持ちだった。
それから圭一は毎日のように現れて、冷房の効いた部屋で映画を観たり、水族館やプラネタリウムでデートした。そして、時々泊まっていった。
夏休みも終わろうという頃、圭一はレポートがまだ終わってないからしばらく夜は会えない、と言ってきた。
わたしにとって夜は半分が快楽で、残りの半分、心は苦痛でしかなかったので「わかったよ」と返した。都合が良かった。
あの夜の、雫のようなキスが懐かしかった。航太の唇の感触は不思議なことに残っていて、毎日わたしを切なくさせた。
航太はわたしに圭一とはっきりさせて、とあの時言ってきたけど、わたしは航太に強引に攫われたかった。強い波に引き摺られるように、航太という海に溺れたかった。
わたしと圭一が上手くやってることはきっとすれ違った誰かから聞いているに違いないのに、向こうからは電話一本なかった。そう、メッセージひとつ。
一体わたしはなにをやってるんだろう?
自分をすり減らしてもうすきじゃない男と身体を重ねて。
本当にすきな人からは逃げ回ってる。
本当にすきな人は、心の中にひっそりしまったままだった。
会いたいな、といつでも思った。圭一と抱き合っている時でさえ、これが航太なら、と身長の違いにも気持ちが揺れる。
ただ従兄弟だというだけでこんなに拗れてるのかと思うと、すべてバカらしい。なにもなかった頃に戻れれば⋯⋯それが一番のようで、わたしの中の航太の記憶は反して失いたくなかった。
手を繋いで眠った夜。
そういう純粋なものが毎日、悪いものに侵されていく。
シーツの乱れを見る度に、わたしはそれを嫌悪した。
◇
ピンポーンと明るい音が響いてインターフォンを覗くと、そこにはいつもより早く来たと思った圭一の姿はなく、航太の姿が映っていた。
「航太だけど」
そう言った彼の声は硬質だった。わたしは努めて明るく「すぐ開けるね」と言った。
「バカだな、お前⋯⋯」
部屋に入れると開口一番、彼はそう言った。なんのことかわからなかった。思わず口を開けたままポカンとしてしまった。
航太はあの日、自分からわたしを拒んだのに、やさしくわたしを抱きしめた。
「考えたことなかったの? 圭一が最近来ない理由」
深呼吸する。
「レポートが溜まってるって」
「一緒にやろうとは思わなかったの? もしくは通話しながらとか」
「邪魔したらいけないと思って」
航太は少し屈んで小さな子供にするように、わたしと目線を合わせた。
「アイツ、最近は加奈子とずっと一緒だよ。近場には行かない。誰の目にもつかないように」
「⋯⋯」
「だけど写真科のヤツなら皆知ってる。圭一と同じサークルのヤツがいるんだ。加奈子が誘った日、ビビった圭一のチャックを下ろして口に入れてやったら、アイツすぐにイッたって。
そうしたらアイツはがむしゃらに喰らいついて来たって言ってたよ。加奈子を『もう離さない』ってさ。
そんなヤツ、許せるの?」
「じゃあなんで夜はうちに来るの?」
「知ってるんだよ、ゆら。こんなマンションに住めるほど、お前の実家が金持ちだってこと。加奈子と散々遊んで、ゆらは手放さないって言ってるらしいよ」
目の前が暗くなった。
信じてみようって、身体を重ねてきたのにそんな裏側があったなんて――。
「嘘だよ。加奈子は怖くて震えてたって言ってたもん」
「震えてたのは圭一の方だよ。ゆらに捨てられるのが怖かったんだ。でも、溺れることにしたんだろう、結局」
「嘘だよ、じゃあわたしの努力ってなんだったの? すきでもない男に毎晩のように――」
「バカ。すきでもないなんて言うなよ」
涙がだらだらと頬を伝って、航太はわたしをソファに座らせた。
わたしは顔を覆って泣きたいだけ泣いた。
その間、航太はなにも言わずに背中を擦り続けてくれた。
泣き声が嗚咽に変わる頃、航太が言った。
「だからアイツはやめておけよって言っただろう? きっぱり別れろってあの時言ったのを忘れた? それとも僕のことは忘れたの?」
「忘れられるんじゃないかと思ったの」
「バカだな。どうして僕を一途に想ってくれなかったの? そうしたらこんな風に傷つくことなかったのに」
「だって! すきになっちゃいけないって言ったじゃない」
航太はわたしをギューッときつく抱きしめた。
耳元で声が聞こえる。
「ごめん。こんなことになるなんて思わなくて。でも誰がなんて言っても僕だけはゆらの盾になるから」
沢口先輩をボコボコに殴った時の航太を思い出す。
わたしは航太の首にぶら下がるように腕を回した。
「本当?」
「いつだってそうしてきたつもり」
あの日のように、わたしたちは唇を重ねた。結局それが正解で、間違った方にわたしは進んでいたんだ。
航太だけが、ただのゆらを見ていてくれる。
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