第1話 パンツが好きで何が悪い!
ここ六花総合学園は、もともと六花女学院というお嬢様学校だった。
政治家のご息女、大企業のご令嬢など、貴族階級の娘たちがわんさかと溢れ返っていたのだが、それも十年くらい前までの話。不況の煽りを逃れられず、富豪という身分が激減した昨今、経営状態が困難となった当校は泣く泣く共学にし、一般の女子や男子にも門戸を解放したのだ。
当初はお嬢様学校というだけでひどく敬遠されていたらしいが、この十年で徐々に一般生徒の数を増やしていき、今では男女の生徒比が半々のところまで届いていた。
外張りは普通の共学高校。しかし実際に通っている俺からしたら、まったくそんなことはないと断言できる。
元々お金持ちのお嬢様方が通う学校だったのだ。物心つく前からちやほやされ、自分は身分が高く、一般市民とは格が違うと教え込まれて成長してきたのだろう。そんな雰囲気を纏うお嬢様ばかりだ
そんな彼女らが、俺たちみたいな庶民と同じ学び舎で過ごすことを是とするだろうか。
いや、ない。
故に内部では、ひどい格差社会が蔓延していた。
卑しい格下の人間と学び舎を共にする、嫌悪感。
男たちを虐げるのは当たり前という、お嬢様方の態度。
女尊男卑の精神。
古くから残る悪しき習慣が、暗黙の了解としてこの六花総合学園には残っていた。
その最たるものが、俺にも関りがある『
六花廷とは、簡単に言えば裁判のことだ。原告側と弁護側に分かれ、訴えられた被疑者を裁判官が裁く。構成はいたってシンプルなものだが、六花廷の特殊な形式上、そのほとんどの内容が刑事裁判であり、被疑者を一方的に断罪することが多かった。
なぜなら六花廷とは、お嬢様の鬱憤を晴らすためだけに開かれるからだ。
もちろん、俺の誇張が入っていることは認めよう。しかしこれまでに行われてきた六花廷の内容を顧みれば、どうしてもそのような捉え方しかできない。
例えば、今回の訴訟人の言い分はこうだ。
「被告人、男子生徒Aは、風で捲れた私のスカートの中を見た後、謝罪の言葉もなく、また紳士的に見て見ぬふりをするわけでもなく、あろうことか私の目を見てにんまりと気味の悪い笑みを浮かべたのです。その人としてあるまじき行為に、私は精神的に耐え難い苦痛を味わいました。よって、そちらの男子生徒Aにも、それと同等の罰則を望みます」
といった感じである。
人によって感じ方は違うかもしれないが、ここはあえて俺の感想を率直に言わせてもらおう。バカなんじゃないか、と。
しかしこんな呆れ返ってしまう発言でも、すんなりまかり通ってしまうのがお嬢様たる所以なのだ。個々の自尊心は富士山のように高くはあるが、目下の者の粗相に対しては団結力が強い。自分たちのような気高き身分が少数派となってきた近年では、特に。
そこで組織されたのが『
主な活動内容は知らない。というか、一般男子生徒である俺が知っているはずもなかろう。お嬢様同士でお茶をしながら、キャッキャウフフと世間話に興じているくらいの妄想くらいしかね。
ただその世間話の大半が、クラスメイトに対する愚痴であることは大いに予想できる。そうでなければ、たかがパンツを見られたくらいで、六花繚乱倶楽部のメンバーが一致団結して訴えてきたりはしないだろう。彼女たちはちょっとした暇つぶしのために訴えを起こし、そして自分よりも格下の人間が惨めな思いをしているのを見て、ただ優越感に浸りたいだけなんじゃないかと思う。
もちろん、たかが余興などで一般生徒を一方的に断罪できるはずもない。だからと言って、お嬢様方の言い分を無碍にするのは、学園側にも少々痛手だ。富豪の娘というのは、今となっては貴重な、いわば金づるだからである。
どうするべきか悩み抜いた末、学園側が出した結論は訴えられた一般生徒たちにも弁解の余地を与える、というものだった。すなわち裁判――この六花廷の誕生だ。だから順番としては、六花廷の方が後になる。
六花繚乱倶楽部は、学校生活での不満があれば、それを書類にして生徒会へ提出できる権利を与えられた。あとは被告人を弁護する『
不本意にも六花弁護団に入団させられた俺としては、大迷惑も甚だしかった。
「異議あり!!」
訴訟人の言い分を聞き終えた俺は、勢いよく立ち上がって向かいの六花繚乱倶楽部側へと人差し指を突きつけた。言わずもがな、某裁判ゲームの真似である。一度堂々とやってみたかったんだよなぁ、これ。
「被告人は、偶然にもその場に立ち会っただけと聞きます。また、突風が吹き荒れたのも自然災害……不慮の事故でしょう。被告人が故意に覗き見たわけでも、ましてや回避する術もなかったと思われます」
「論点はそこではありません」
と言って立ち上がったのが、訴訟人の隣にいる六花繚乱倶楽部のメンバーだった。
宝石のように澄んだ瞳と、仄かに朱に染まる柔らかそうな頬。高校生にしては小柄な姿は、精巧に作られた高価なビスクドールにも見える。今は六花総合学園のブレザーだが、自宅では純白のドレスなんか着て、インテリアのひとつとして活躍しているに違いない。
そして千石千代子を表す一番の象徴と言えば、一目見たら絶対に忘れられそうにない、その髪形にある。
日本人離れした栗毛色の髪は両サイドに分けられ、縦巻きにカールさせられているのである。いわゆる縦ロールだ。あんなドリル、お蝶夫人くらいしか見たことない。
そんな愛玩動物顔負けのお嬢様が、真正面からこちらを睨みつけている。いかにも険悪そうな目つきではあるものの、舌足らずなところにちょっとだけ和んでしまった。
「事の発端が偶然であることは、訴訟人も理解しています。問題は下着を見られたことではなく、その後に微笑まれたこと、かつ謝罪の言葉がなかったことにあります。ばっちし見てやったぞと言わんばかりの笑顔は、問答無用でセクシャルハラスメントに値するかと思われます」
「しかしそれは捉え方の違いでしょう。訴訟人と被告人の目が合った時、たまたま彼が違うことで笑った可能性もあります」
「もちろん、そちらの言い分も否定はできません。けれど被告人の内心がどうあれ、彼の笑みで訴訟人が傷ついたことは事実です。たとえ不慮の事故であっても、加害者側が責任を負うのは当然でしょう?」
むぅ、まずいな。相手は最初から譲歩する姿勢を取っている。こうなると、完璧に無罪にすることは難しい。言わずもがな、どんなに些細で理不尽な主張であろうと、六花廷は六花繚乱倶楽部の有利に運ばれるようになっているのだ。
それにしても、先ほどから何故か一年生の千石しか発言をしていない。経験を積ませようとする先輩方の配慮か、一年生同士の戦いとして静観を決め込んでいるのか。千石の周りに座する繚乱倶楽部のメンバーは、ただただ彼女の主張に頷くのみだった。
と、俺の隣に座る熊が唐突に立ち上がった。いやいや、もちろん本物の熊ではない。熊のような図体のデカい男、という意味である。
俺と同じ六花弁護団として迷える子羊たちを救う二年生、
筋骨隆々な体つきはゴリラと称した方が適切かもしれないが、先輩が巨大な鮭を掲げている写真を見てしまってからは、どうしても熊のイメージが定着してしまっていた。
ま、そんなことはどうでもよくて。
後輩の窮地を救う案があるのだろうか。ここはひとつ、参考のため譲ってみよう。
先ほど俺がやったように、原告側へと人差し指を突き出した周防先輩が、溌剌とした野太い声で叫んだ。
「パンツが好きで何が悪い!」
空気が死んだ。まるで室内中の酸素が無くなってしまったみたいに、息苦しい。外見はどう見ても格闘家の体格だが、実は風を操る魔術師か何かだったのか。先輩の投じた一石は、法廷の厳かな空気を完璧に壊していった。
隣で冷や汗をかく俺は、裁判官である生徒会側を一瞥し、つづいて敵である正面の繚乱倶楽部へと眼差しを向ける。双方もお互い無言の視線を交わし、そして周防先輩を除くこの場のすべての人間の意見が一致した。
無視。
なのにどうして周防先輩は、俺に向けて「一矢報いてやったぞ」と言わんばかりに親指を立ててくるのだろうか。しかも満面の笑みで。相手をするのも面倒なので、返答の代わりに俺の方は腹を立てておいた。
「少し事実関係を整理しませんか?」
風向きが悪いので、一度態勢を整える。
「被告人への質問を求めます」
「許可します」
俺の要求に対し、生徒会長は凛と澄ました声で言った。
「ありがとうございます。まず被告人A、貴方は訴訟人の下着を見ましたか?」
「……はい、見ました」
三つの勢力の中心で項垂れる男子生徒Aが、呟くように答えた。
この六花廷が始まる前に、彼にはできるだけ嘘をつかないようにと釘を刺しておいた。余計な誤魔化しは不利になるだけで、一つの得にもならない。もし見た見ないなどの押し問答になった場合、六花廷ではまず間違いなくこちらが負けてしまうからだ。
「ではその際、貴方は笑いましたか?」
「笑った……かもしれません」
「何故笑ったのですか?」
そう問うたのは千石だった。俺と被告人との問答の中で、ここぞというタイミングで滑り込む尋問。この場の主導権を譲りたくないという意気込みが、ありありと感じ取れた。
「なんで笑ったかっていえば……」
一度言葉を切る。こちらに助けを求めたいのかと思いきや、違った。
被告人Aは上目遣いで千石を一瞥した後、俺の方を見ないまま、視線を虚空へと漂わせ始めた。まるで懐かしき景観を回顧しているよう。
そしてあらかた過去を遡った彼は、口元を綻ばせて断言した。
「そりゃ目の前で女子のスカートが捲れてたら、笑わずにはいられないっしょ。ぐへへ」
俺に味方はいないのか。ぐへへとか、今日びギャグ漫画でも言わねーよ!
「ご覧ください、生徒会長! この悦に入っている醜い笑顔は、まさしく反省の色がない証拠です!」
「待ってください! 今彼が笑ったことは、事件とはまったく関係ない!」
「否! 本法廷の論点は、被告人Aの笑顔で被害者が心の傷を負ったという事実のみ。傍聴席のみなさんも、彼女をご覧ください。彼の醜悪なる笑みのせいで、トラウマが蘇っているではありませんか!」
見れば、原告の女子生徒は両手で顔を覆って泣き真似していた。
くっ。当事者たちの演技力も含め、いくらなんでも分が悪すぎる。ってか被告人Aよ。どうしてお前は千石に罵られて嬉しそうに悶絶しているんだ、気持ち悪い。
「彼の笑顔が醜悪であることは認めます。しかしその程度のことで裁きを与えていたら、キリがないでしょう」
「何度言っても理解できていないようですね。被告人の笑顔が醜悪かどうかなど関係ないのです。論点は、被害者の下着を目撃した際、彼が笑ったというその一点のみ!」
顎を掲げた千石は、完全に勝ち誇ったように鼻を鳴らした。いや、それは別にいいんだが、どうして六花弁護団の味方であるはずの被告人も俺を睨みつけているのだろう。お前の笑顔が醜悪だとか言っちゃったからか?
ふと、肩を叩かれた。隣を見れば周防先輩の色黒な顔が近くにあり、呆れた感じで首を横に振っていた。
「君の笑顔も彼とどっこいどっこいだけどな」
「うるせーよ! あんた、本当に弁護する気あんのか!」
「静粛に!」
うっかり癇癪してしまい、生徒会長から怒られてしまった。
印象最悪。もうこの裁判に勝てる見込みはないだろう。あとは生徒会長の良心の呵責に委ね、どれだけ罰が軽くなるか期待するだけだ。
「それではそろそろ時間ですので、公正なる判決を下します」
……こうして俺の八回目の六花廷もまた、黒星で終わったのだった。
被告人が退室し、生徒会長が席を立つとともに、室内に弛緩したムードが流れる。生徒会役員、六花繚乱倶楽部、六花弁護団のほか、参加していた少数の傍聴人もまた、各々の感想を漏らしながら去っていく。生徒会室の人口密度が徐々に下がっていく中、俺だけはその場から動く気になれなかった。
「で、結局先輩は何がしたかったんですか?」
「ん?」
責めるように睨むと、彼はすでに帰りの支度を整えていた。
今日の反省会もなしかい。ホント、勝つ気あんのかこの人。
「俺はただ、言いたいことを言っただけだが?」
「空気死んでましたよ」
「だろうな」
気づいてたのかよ。
「野村君。君はまだ六花弁護団に入って日が浅いから知らんだろうけど、この法廷は結局は茶番なんだ。俺たちはお嬢様の暇を潰すためだけの道化に等しい。初めから勝てない勝負なのさ。だったら無駄な小細工するよりも、自分の言いたいことを堂々と発言して、相手を混乱させた方が面白くないか? 真面目な弁護は疲れるだけだぜ」
などと諭し、周防先輩は白い歯を剥いた。
もちろん一理ある。どころか、考え方としては全面的に賛成だ。しかしそんな低い志でいいのなら元より弁護団なんか入っていないし、何よりあいつが許さないだろう。今回の敗訴も、後でどれだけ説教されるか分かったもんじゃない。
ふと、ゆっさゆっさと揺れる大きな何かが、視界の端を横切った。
「フンッ。貴方たち、本当に他愛ないわね」
繚乱倶楽部側から近づいてきたのは千石だった。彼女が歩を進めるたびに、頭の横のドリルが生き物のように動く。重くはないのだろうか。元が小顔だから、横幅が倍くらいはありそうだ。
「こう歯ごたえがないと、退屈しのぎにもならないわ。もっと腕を上げなさいな」
「別にお前の暇つぶしのために弁護してるわけじゃないんだけどな」
高圧的な千石の態度に、俺は投げやりな感じで答えた。
軽くあしらわれたのにもかかわらず、千石はフンッと鼻で笑うだけだ。お嬢様という人種には珍しく、千石は俺のぶっきらぼうな対応にも気分を害さない。まあ、負け犬の遠吠えで逆上する奴なんていないか。
「つーか、そもそもが、だ。こんなことで裁判起こすなよ」
「乙女の貞操を、こんなこと、ですって? これだから男という生き物は……」
やや不機嫌そうに目を細めたものの、またも鼻を鳴らすだけで、千石はやれやれといった具合に首を横に振った。その動きに追従して揺れる左右のドリルが、ちょっと面白い。
「ま、次の機会があれば、今度もわたくしがお相手してさしあげるわ。オッホッホッホ」
うわ、やべぇ。こいつ、手の甲を頬に当てて笑ってやがる。漫画でしか見たこともないような仕草に、さすがの俺もドン引きだ。
「ところで千石さん。一つ、お訊きしたいことがあるんだが」
「な、何かしら?」
気持ち良く嘲笑しているところ、いきなり周防先輩から横やりを入れられ、千石はたじろいだ。
当然ながら、お嬢様である千石は、年上の周防先輩に対しても敬語など使ったりはしない。身を引いたのは委縮したわけではなく、単に先ほどの発言のせいで忌避しただけだろう。俺としても、身内でなければ関わりたくなくなるほどの発言だったし。
「その髪形、セットするのにどれくらいかかるんだ?」
「こ、これ?」
周防先輩が指摘すると、千石は間の抜けた声を上げて、自らの触角に触れた。
いや、千石でなくとも呆気に取られる質問だろうに。今の六花廷に関して、どんな皮肉や負け惜しみを言うのかと思いきや、相手の髪形の興味って……。
「毎朝セットに一時間以上使うわ」
「それは自分で?」
「できるわけないじゃない。専属のヘアアーティストを雇ってるのよ」
「はぁー、なるほどなぁ」
何を納得してるんだこの熊は。
にしてもアイドルじゃあるまいし、専属のヘアアーティストまでいるのか。金持ちってのは、無駄なことに金を使いたくなるよなぁ。いやいや、馬鹿みたいに溜め込むよりはよっぽどいいと思いますよ?
「フンッ。とにかく、次の六花廷ではもっとマシな弁護しなさいよね」
説教がましく不遜な態度で高らかに鼻を鳴らした千石は、大股で去って行った。
その小さな背中を見送りながら、周防先輩は満足したように深く頷く。
「ま、こんな感じで適当にあしらえばいいのさ」
「だとしても、空気の読めなさが限界突破してませんか?」
高校生活が始まって早々に黒歴史なんて作りたくないんだよ、俺は。
「ともあれ、あまり堅く考えすぎるなよ、野村君。どうせ訴えられた奴らも、罰則を与えられるだけで名誉を傷つけられるわけじゃないんだ。単なる高校の部活だと思って、気楽にやろうぜ」
痛いくらいに俺の肩を叩いた周防先輩もまた、豪快な笑い声を上げて帰って行った。
そう簡単に割り切ることができれば、どんなにいいことか……。
誰もいなくなった生徒会室の中で、本日の敗訴を苦虫を潰すように噛みしめた俺は、しばらくその場から動くことができなかった。
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