第23話 これにて閉廷!

 俺は考え続けた。


 帰り道、夕飯時、風呂に入っている時。予習復習にも手が付けられず、眠りに就くまでずっと。朝起きても、それは変わらない。俺は脳の奥に引きこもりながら、いつの間にか制服へと着替え終え、通学路を進んでいた。


 学校に到着しても、生徒会長とシュウに会うことはなかった。クラスメイトの千石も顔だけは見られたものの、意図的に視線を合わそうとしていないらしい。俺が無意識のうちに千石を目で追うと、彼女はさっと顔を背ける。そんなことが何回かあった。


 普段とは違う仕草を見せられ、俺の方も変に意識してしまう。でも事の重大さを改めて認識できたため、今はその態度がありがたかった。


 そうして俺は、二十四時間使ってじっくりと悩むことができた。

 誰を選ぶか。選ぶってことは、付き合うってことだ。恋人になるって意味だ。

 つまり三人の中の一人と、言ってしまえばイチャイチャできるのである。

 誰と話したい? 誰と手を繋ぎたい? 誰とキスしたい? 誰と……。


「そろそろ時間だよ、野村君。生徒会室へ行こう」

「え?」


 隣に周防が立っていた。


 気づけば、周りのクラスメイトが帰り支度をしている。時計の針が三時四十分を指し、一日の授業過程が修了していることを表していた。


 結局、俺は三人の中から一人を選ぶことができなかった。


「で、誰にするか決めた?」

「…………いや」


 優柔不断な自分を、本気で殴りたくなった。

 いや、今すぐにでもできるな。

 俺は自分の頬を勢いよく引っ叩いてやった。


「なにバカなことしてるんだ。選べないんなら、僕の案を採用ってことでいいね?」

「あぁ、そうする」


 背に腹は代えられない。仕方なく、周防が用意してくれた作戦を決行する。

 でも……本当にそれでいいのか?

 周防の背中を追って生徒会室へ向かう途中、ずっと自問自答していた。

 ふと、シュウの言葉が脳裏を過る。


『六花廷は嘘で真実を塗り潰す場。如何に裁判長や傍聴人を納得させられるかが大事』


 なるほど。確かにその通りだ。完全な被告人の立場になって、六花廷の本質をようやく俺も理解できたような気がする。


 なら俺は六花弁護団として、今回の容疑者として、最後の最後まで嘘を付き通してやるだけだ。誰も傷つけないために。


 最低最悪の嘘を胸に秘め、俺は最後の六花廷へと臨む。






 生徒会室に到着したところで、俺はドン引きしてしまった。


「おい、なんか傍聴人の数が多くないか?」

「ん? あぁ、そうだね」


 昨日はそこそこ空席もあったはずなのに、今日は立ち見まで発生していた。

 いやいや、おかしすぎるだろ。六花廷に興味のある生徒が、こんなにいたなんて。


「今朝、新聞部がこんなもの配ってたからさ」


 周防が折りたたまれた一枚の用紙をポケットから取り出した。


『号外! 三人の女子生徒が一人の男子生徒を巡って争う六花廷!』


 陳腐な書き出しの下には、場所と日時だけが記載してあった。俺たちの個人名を伏せるくらいには良識があって、本当に助かったよ。


「それでこの人数か。ったく、なんで高校生ってのは他人の恋色沙汰に興味津々なんだろうな」

「むしろ君が興味無さすぎだと思うけどねぇ」


 と、周防が漏らした。

 そうか? 俺だって、誰と付き合うか散々悩んだんだぜ。


「鈍感だな。三人もの美少女から告白される男がどんなものか、参考とか嫉妬とかあるだろ。これから七十五日間は夜道に気を付けることだ」


 噂のように自然消滅してくれれば御の字だけどな。

 周防と共に弁護団の席へ向かう。心なしか、昨日よりもシュウとの間に距離があった。


「よう」


 隣に座るのに黙ったままなのは意識しすぎだ。と思ったものの、何を話していいか分からず、結局は挨拶だけに留まった。


 シュウは俺を一瞥した後、「うん」とだけ返事をしてくれた。


「野村君。君はあっちに決まってるだろ?」


 やっぱり被告人席かぁ。俺にとっては、死刑執行するための電気椅子にしか見えない。


 仕方なく移動すると、正面の生徒会長が意味深に微笑んだ。この人が何を考えているのか、今になっても俺には分からない。


「これより六花廷を開廷いたしますので、お静かに願います」


 生徒会長の声と卓上ベルの音で、群衆はそろって口を閉じた。

 痛いほどの静寂が、鼓膜を刺激した。


「昨日の概要を改めて説明するつもりはありません。省略します。みなさん、よろしいですね?」 


 生徒会長が弁護団側を一瞥する。シュウが頷いた。

 今度は繚乱倶楽部側。昨日と同じく、先輩を背後に従えた千石が頷いた。


 前を向いている俺には分からないが、誰も一言も発しないところをみると、傍聴席からも異論はないようだった。


「被告人A……いえ、野村さんも準備はいいですね?」

「はい」

「では、みなさんの貴重な時間を取らせるわけにはいきませんので単刀直入に問います」


 会長が大きく息を吸い込む。

 その場にいる誰もが息を呑み、ピンと張りつめた緊張感が伝わってきた。


「千石千代子。有川シュウ。小鳥遊百合奈。野村さんはこの三人のうち、誰の交際届にサインしますか? お答えください」

「ですがその前に、一つだけ質問をよろしいですか?」

「え……? えぇ、構いませんよ」


 ちょっと意外そうな顔をして、生徒会長が許可を与えてくれた。今後に及んで、俺が余計な発言をするとは思っていなかったらしい。


 俺は立ち上がり、自分の気持ちを述べた。


「みんなが本当に俺のことを好きなのか問いたいんです」

「本当に好きか、ですか?」

「俺のことを好きではない女性とは付き合えない、と言っているんです」


 傍聴席からざわめきが起こった。はっきりと聞き取れないが、大半が「何を偉そうに」といった侮蔑や軽蔑の言葉だった。悪いが、俺もそう思う。


「千石!」

「は、はひっ!?」


 背中の有象無象は完全に無視し、俺は割れんばかりの声で千石の名前を呼んだ。


 不意を突かれた彼女は、本気で驚いたようだ。全身に電撃を浴びたように震え上がった後、兵隊も顔負けの直立不動になった。


「千石の気持ちは昨日聞いた。お前は俺のこと、好きなんだよな?」

「……うん。好き、好き」


 顔を赤らめ、こくこくと何回も頷く。その都度ツインドリルが上下に揺れ、場違いにも可愛らしいと思ってしまった。


「千石の気持ちは今の通りです。ですが生徒会長とシュウの気持ちは、未だ俺の耳には入っていません。会長は自分にも権利があると主張し、シュウは場の雰囲気に呑まれただけだ。本当に、あなたたち二人は俺のことが好きなんですか?」

「えぇ、好きですよ」


 正面の生徒会長が、にっこりと微笑んだ。


 彼女のことを何も知らない男子生徒なら、その笑顔を見ただけで虜になってしまうだろう。しかし素の生徒会長を垣間見たことのある俺からしたら、逆に怖い。今ここに至るまで、まったく緊張した様子がないのも含めて。


 この人、本当に何を考えているんだ?

 とりあえず、今は会長の真意は棚上げしておく。


「シュウはどうなんだ?」


 最後に、弁護団側に向けて問い掛ける。

 胸の前で拳を握ったシュウが、「私は……」と切り出した。


 自分の気持ちが恋心なのか、はたまた弟を想うような家族愛なのか、未だに判断できていない様子。ただ、その葛藤は手に取るように理解できる。十年以上も抱き続けてきたあやふやな気持ちを、たった一日で決めろというのは無茶すぎだった。


 だけどシュウは答えるはずだ。でないと、俺が困る。

 わずかに逡巡した後、決意を固めたシュウが、まっすぐに俺を見据えた。


「私も……野村君のことが、好きです」


 俺は満足げに頷く。気恥ずかしかったが、それ以上に感謝した。

 心の中でシュウに「ありがとう」と呟き、俺は生徒会長へと向き直った。


「三人の気持ちは分かりました。その上で、俺は結論を出します」

「はい、お願いします」

「俺は――、」


 両腕を大きく広げ、肺一杯に空気を吸い込む。

 そして俺は一世一代の大法螺を高らかに宣言した。


「俺は三人とも大大大大大好きだあああああああああ!!!!! だから全員、俺と付き合ってくれえええええええええええ!!!!」


 恥も外聞も捨てた咆哮が、生徒会室中に響き渡った。


 俺が口を閉じるのと同時に、再び静寂が訪れる。六花廷が始まった時よりも静かだ。最後方にいる傍聴人の鼻息すら聞こえそうなほど。この状況を一言で表現するなら、そう、空気が死んだ。


 誰も何も発言しないまま、時間だけが無為に過ぎていく。


 徐々に火照り始める俺の顔。心の中で無限増殖していく羞恥心。ガチのマジで恥ずか死するかと思った。


 そんな悶え転げたくなっている憐れな俺に、救いの手が差し伸べられる。


「だっはっはっはっはっは!」


 傍聴席から轟いた野太い笑い声が、死んだ空気に活を入れた。

 振り向かずとも、あの声が誰だか分かる。弁護団所属の熊、周防先輩だ。


 くっそ~。ほんの一週間前までは、まさかあんたみたいな発言をするとは思わなかったよ。でも周防先輩がいてくれて、本当に助かった。場を混乱させることが六花廷の醍醐味だって、しっかりと学べたんだからな。


 周防先輩の笑い声を皮切りに、傍聴席から波乱のざわめきが起こり始める。中には俺を蔑視するような声や、露骨に中傷している言葉も混じっていた。


 しかしガン無視する。外野の声などいちいち聞いていられない。

 俺は表情を引き締めたまま、生徒会長の瞳をまっすぐ見据えた。


「え、えっと……それはつまり、三人全員の交際届にサインするということですか?」

「はい、その通りです」

「予想外の決断で驚いています。ですが、そんなものは認められません。野村さんは知らないかもしれませんが、過去には二股をかけて校則違反になった生徒もいるんですよ」

「それは交際届を提出していなかったからでしょう。校則にも、二股……いえ三股をしてはいけないという記述はありません」

「むぅ……」


 彼女は押し黙る。しかしまだ諦めてはいなかった。


「しかし私たち個人が許容しても、学園側が許可するとは思いません。二股三股四股を認めてしまったら、交際届の意味が半減し、学園の秩序が乱れてしまいます」

「それには及びませんよ、生徒会長」


 そう発言したのは周防だった。

 彼は弁護団側から歩み出てくると、俺の横に立って、生徒会長に認定状を渡した。


「学園側から特例が出ました。野村君には、この場における三人の女性と同時に交際できる権限が与えられています。ただし学生生活に支障のない範囲で、かつ健全な交際をすること。もし不純異性交遊に発展した場合は、本人たちの意思にかかわらず一定期間の停学を施し、すべての交際届を破棄させる。という条件付きではありますがね」


 認定状を受け取った生徒会長の手は、心なしか震えていた。

 紙面上に目を走らせながら、彼女は呆気に取られた声で呟く。


「学園側が、何故こんな特例を……」

「六花廷は公平であるべきです」


 周防が続けざまに答えた。


「まず第一に、生徒会長は三人の中から誰かを選べと言いました。つまり野村君には、誰も選ばないという権利がなかった。これは少し不公平ですよね。次に一人を選ぶということは、残り二人は選ばれないということになります。もちろん三人とも野村君を好きなんですから、二人は傷つきますよね? 傍聴人も大勢いることですし、いい恥晒しです。個人個人で交際を申し込むのは自由ですが、公平が大前提の場で一人だけ選別するという行為は、やはり六花廷的にも間違っています」

「……生徒が生徒を訴えて、生徒が裁くわけですから、恥晒しとは今さらですけどね」

「そうなんですか? 実は生徒会すら知らない事なんですけど、罰則でボランティアに強制参加させられた生徒は、ちょっぴり内申が上がってるんですよ」


 後ろを向いた周防が、「新聞部の方、今の情報だけは絶対にオフレコでお願いします」と言って念を押した。もし今のが事実なら、成績の悪い生徒がわざと六花廷に訴えられるような悪さをしだすかもしれないからな。


「……なるほど。三人と付き合えば誰も傷つかない。ハッピーエンド。周防さんはそう仰るわけですね?」

「そうです。もちろん一夫多妻制が嫌な人は、交際届を取り下げる権利はありますが」


 周防と会長が話している中、俺はシュウの顔を一瞥した。


 シュウは賛成してくれるはずだ。俺のことをどう想っているのか自分でさえ分からない彼女は、自分の気持ちを知りたいと願っている。しかしシュウと恋人になっても今の関係が変わるとは限らないし、俺が他の女性と付き合ってから恋心に気づいても、もう遅い。だからつかず離れずのこの距離こそが、彼女にとってはベストなんじゃないかと思う。


 会長は会長で納得しかかっていた。彼女の本心は未だ読めないものの、学園側から許可が出て、なおかつ俺の方も望んでいるとなれば、この案を強引に却下する理由がない。三股を認めるか、自ら交際届を取り下げるしか選択肢がないはずだ。


 となれば、残る問題は六花繚乱倶楽部だ。


「異議あり! 納得できません!」


 思い切り机を叩きつけた千石が、金切り声を上げた。

 彼女の背後に控える繚乱倶楽部の先輩方も、あまり穏やかな目つきをしていない。


「三人と同時に付き合うって、どういうことですか! 不健全もいいところです! 認めません! だって私が最初だったのに、最初だったのに……」


 だんだんと覇気がなくなってくる。声に若干の嗚咽が混じっているようだった。


 積もりに積もっていく罪悪感に圧し潰されそうになりながらも、事態の収束を優先するべく、俺は嘘に嘘を重ねた。


「順番はそうだったな、千石。けど悪い。俺は三人とも好きになっちまったんだ。もちろん千石、お前のこともな」

「~~~~っ!?」

「でも勘違いしないでくれ。いつまでも三人と同時に付き合い続ける気はない。いずれは誰が一番なのか決めるつもりだ。今はそれを見極めるための猶予期間だと思ってほしい」


 千石は俯く。

 黙り込んでしまった彼女の代わりに、花澤先輩が異議を唱えた。


「それは三人と付き合う理由になっていません! 健全な学生生活を送るためにも、今一番好意を寄せている人物とだけ交際するべきです。お付き合いを始めて、もし野村さん自身が何か違うなと感じたら、交際届を破棄すればいいだけのことであって……」


 花澤先輩の発言が途切れた。

 見れば、千石が彼女を手で制している。しかも俯いたまま「ふっふっふ」と不気味な笑いを漏らしているもんだから、少し怖かった。


「いいでしょう。有川さんや生徒会長と同時にお付き合いしても、私が一番だってことを教えてあげる。その二人を抑え込んでこそ本物の愛! 絶対に負けないんだから!」


 ビシッと人差し指を突きつける千石。その顔に涙はなかった。


 いつもの千石らしさを目の当たりにできて、俺の方も安堵した。この場を丸く収めるためとはいえ、誰かに悲しんでほしくはなかったからな。


 そしてちょっと油断してたからこそ、こんな言葉も出たのだろう。


「ありがとう、千石。お前はやっぱり、粋がってる時が一番可愛いよ」

「うっ……」


 卑怯だったかなぁ。赤面した千石が、再び俯いてしまった。


「では、みなさん。他に異論はありませんね?」


 生徒会長が室内を見回すと、目が合った者から順に頷いていった。


 傍聴席は未だ納得できない者も多く、不満たらたらな感じではあるが、そこはご愛嬌ということで。


「判決を下します。被告人の野村さんには、有川シュウ、千石千代子、そしてこの私、小鳥遊百合奈の三人と交際することを認めます。以上で、本日の六花廷を閉廷いたします」


 こうして俺の十回目の六花廷は白星で、しかし人間としては真っ黒な感じで幕を引いたのだった。

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