第22話 それぞれの思惑
「どうしてこうなったああああぁぁぁーーー…………」
「鬱々するなら余所でやってくれないか? 僕にまで不幸が移ってしまいそうだ」
周防の嫌味に返す気力もなく、俺は真っ白に燃え尽きたボクサーのように項垂れた。
ってか、ここは弁護団の部室だ。団員じゃないお前の方が出てけよ。
明日の六花廷で、三人のうち誰の交際届を受け取るのか考えてこいと生徒会長に言われたのが、ほんの十分前。解散が言い渡されてから、頭が真っ白のまま、俺と周防は弁護団の部室に戻っていた。
シュウはいない。いつの間にか、どこかへ行ってしまった。
「こういうのはどうだろう。実は君は僕のことが好きだったとか」
「嫌だ」
「やれやれ。嫌だ嫌だと駄々をこねてたら、解決できることもできなくなっちゃうよ」
確かにその方法なら全員の交際届を突っぱねられるだろう。でも、同時に俺の大切な物も失ってしまうに違いない。しかも高校卒業までついて回る、最悪の部類に入る風評だ。
「ちなみに誰の交際届も受け取らないという選択肢はないと思うよ。あるとしても、それ相応の理由が必要だ。例えば他に好きな人がいるから、とか」
「分かってるよ」
その場合、俺の好きな人を暴露せにゃならんだろうがな。いないんだけど。
あー……、何かもう嫌になってきた。少しだけ現実逃避しよう。
「周防さ、あんな手があるんなら最初から言っとけよ」
「あんな手って?」
「千石が目撃したのは俺じゃなかった、って妙案だよ。俺かシュウが俺の犯行と認めてたら使えない方法だっただろ。事前に打ち合わせしとけば、その危険もなかっただろうに」
特に千石の髪形を指摘した件で、被告人Aの目撃談とか言っちゃってたからな。そこを突っ込まれてたら危なかった。
「ま、奥の手……というよりは掟破りの主張だったからね。本来、僕が六花廷の結果を左右させるような発言をしてはいけないし」
「どういう意味だ?」
「……そうだな。君にだけは教えておいてもいいかもしれない」
思案顔で頷いた周防が、おもむろにポケットから生徒手帳を取り出した。
それを俺の顔の前に掲げ、滑らかな口調で言った。その様は、まるで警察手帳を市民に提示する刑事のようだった。
「僕は
「六花特別監査委員会ぃ? なんだそりゃ」
初めて聞いた。名前からして、六花廷に関係がありそうだが。
掲げられている生徒手帳を覗き込む。周防の顔写真が貼られている下の余白に、『貴殿を六花特別監査委員会に任命する』と書かれてあった。
「六花廷は、生徒が生徒を裁くという異例のシステムだ。しかも大人である教師の目が届かないブラックボックスと化している。そこで僕のような一般生徒が監視役として任命され、六花廷と教師を繋ぐパイプ役になっているんだよ。ちなみに弁護団も繚乱倶楽部も、特別監査委員会の存在は知らない。生徒会役員ですら、存在自体は知っていても、誰がメンバーでどれだけの人数がいるのか、内情はまったく把握していないはずだ」
「六花廷の内容を報告するのは、生徒会だけで十分じゃないか?」
「裁くのも生徒会、報告するのも生徒会。万が一にも彼らが不正をするようなことがあれば、それこそ六花廷は公平の場ではなくなってしまう。学校側としても、できるだけ誰も傷つかない健全な法廷であってほしいと願っている。僕のような完全中立な人間が必要なんだ」
中立を謳うんだったら、俺たちに助力したことはマズイんじゃなかろうか?
いや、確か周防は、途中まで完全に黙んまりを決め込んでいたな。
「お前が口を挟んできたのって、繚乱倶楽部が陰口を叩き始めたからか?」
「そう。あのままでは有川さんの名誉が傷つけられる恐れがあったからね。……っと、誰かが来るな」
耳を澄ますと、部室の外で複数の足音が聞こえた。
足音はこの部室の前で止まり、続いてノックの音が響く。
「はい、どうぞ」
「失礼します」
来客は、花澤先輩を筆頭とする繚乱倶楽部のメンバーだった。部室が狭いため彼女だけが敷居を跨ぎ、他の部員は廊下で待機しているようだった。
少しだけ驚く。まさか繚乱倶楽部のお嬢様方が、群れを成してこんな汚い場所へ訪れるとは思わなかった。
「有川さんはいらっしゃらないのですか?」
「あいつは今ちょっと出かけています」
「そうですか」
不遜な態度で、花澤先輩は物珍しそうに部室内を見渡した。
どんな皮肉を言われるのか恐々としていると、意外なことに彼女は俺たちに向かって頭を下げた。
「先ほど我が繚乱倶楽部のメンバーが、有川さん個人を中傷するような発言をしてしまったことを謝罪します。この花澤、六花繚乱倶楽部の代表として心からお詫び申し上げますわ」
「は、はぁ」
謝られた俺の方が、何故か居たたまれない気分になった。謝るのならシュウ本人に言ってほしいし、なによりお嬢様が自ら謝りに来るというギャップに驚かされていた。
「ただし!」
と、花澤先輩がいきなり吼える。下手な態度から、鷹の目つきへと急変した。
「今の謝罪と明日の六花廷は別です。明日は是非とも千石さんを選んでいただきたい! 私たちとしても、彼女の恋路はなんとしても成就させてあげたいのです!」
「はぁ……」
今度は高圧的な態度で説得されてしまった。
良くも悪くも、お嬢様とは自分のペースで話を進める生き物なんだなと実感した。
「それでは、よろしくお願いします」
そう言い残し、花澤先輩とその一同はさっさと退室していった。
台風みたいだったなぁ。被害が無くて幸いだけど。
「ん? また誰かが来るみたいだね」
複数人の足音が遠くなっていく反対側から、駆け足みたいな足取りが一つ。
そしてまたも弁護団部室の前で止まり、今度はノックもなしに扉が開け放たれた。
「野村君は居るか!?」
「うげっ……」
豪快に現れた人物を目の当たりにして、俺は思わず顔を引き攣らせてしまった。
そういえば、この人の存在を完璧に忘れていた。
生徒会副会長、鵜飼先輩その人だ。
周防先輩の話では、彼は会長に取り入ってもらうためだけに生徒会副会長に立候補したという。なのに会長は、どこの馬の骨とも分からない一年坊に交際を申し込んでいる。狙っていた彼としては、心穏やかではないはずだ。
俺を発見した鵜飼先輩は、断りもなしに部室へ入ってくる。力強い足取りもそうだが、顔面に張り付けられた憤怒の形相がなによりも恐かった。
正直ビビっていた俺は、反射的に身を竦める。マジで殴られる覚悟もした。
しかし顔にも腹にも頭にも、鵜飼先輩の拳は飛んでこなかった。代わりに、両肩に重々しい衝撃が奔った。
目を開けると、俺の両肩に手を乗せた鵜飼先輩の顔が間近にあった。
「百合奈を頼む」
「…………へ?」
なんだって? 殴られると思っていたから、理解が追いつかないぞ。
俺の呆けた顔で察したのか、鵜飼先輩は説明を付け加えた。
「明日の六花廷のことだ。僕は君に百合奈と付き合ってほしいと言ってるんだ」
「それは……」
どういう意味だ?
「鵜飼先輩は……生徒会長のこと、好きなんじゃないんですか?」
「もちろん好きに決まっている」
「じゃあなんで俺と会長が交際することを望んでいるんですか?」
「交際? ……あぁ、そういうことか」
手を放してくれた先輩が、勝手に語り始めた。
「僕と百合奈は幼馴染だ。それこそ家族同然だと思っている。だからなのかな、僕は百合奈のことを恋愛対象として見たことは一度もない。お互いが弟妹の関係だと思っているからね。ま、僕にはすでに許嫁もいるし」
「へー」
鵜飼先輩も確か、どこぞの社長の御曹司なんだったっけ? 高校三年生だし、許嫁の一人や二人くらいいてもおかしくはない……のか?
「野村君。君は百合奈の家柄のことを聞いているかい?」
「いえ、あまり……」
「なるほど。では一応は他人である僕が詳しいことを話すわけにはいかないから、大まかにだけ説明しよう」
相手に気を遣わず、個人個人のペースで話を進める。それがお金持ちになるための必須スキルなんだろうか?
「金持ちの家に生まれた令嬢というのは、政略結婚かなにかで親が勝手に相手を決めてしまう場合が多い。小鳥遊家も例に漏れず、古い風習に囚われて政略結婚を惜しまない家系だ。だがしかし、百合奈は兄が三人もいるためか比較的寛大でね、一応男女交際は自由ということになっているらしい。ただそれも大学卒業までだ。彼女は大学卒業とともに、親の決めた家へ嫁がされることになっている」
「それは……本当ですか?」
「うん。百合奈と彼女の父親にも聞いたことだから本当だよ。ただ条件があって、高校大学の間で将来を共にできる男性を見つけられなかった場合のみだ。つまり大学卒業までに相手を見つけることができれば、不本意な結婚をしなくて済む」
「その相手が俺で……いいんですか?」
「いいんだよ。百合奈にすり寄って来る下僕より断然マシ……というより、おそらく彼女は本気で君を好いている。百合奈が男子生徒に交際を申し込んでる姿なんて、初めて見たからな。だからこそ幼馴染として……いや兄同然として、彼女に自由な恋愛をしてほしいと思っているんだ!」
ぐっと拳を握りしめて、鵜飼先輩は涙を堪えるように天井を見上げた。
見た目は周防と同じくインテリメガネなのに、性格は思った以上に熱血だった。
「というわけで、よろしく頼むよ。じゃ!」
爽やかな笑顔を残し、鵜飼先輩は去っていった。
心なしか、室温が上がったような気がした。
「ふむ。この調子だと、たぶん来るな」
「なにが来るって?」
「残りが、だよ。ささ、野村君は隠れて」
「は?」
周防が俺の背中を押す。腕力では決して負けない相手だが、あまりの強引さについつい従ってしまい、俺は無理やり掃除道具ロッカーへと押し込まれることになった。
こんな場所に入ったのは小学生以来だなぁ。
なんて感慨に耽っていると、周防一人となった部室内に、また誰かが訪れたような音が聞こえた。目の高さにある隙間から外を窺う。来訪者はシュウだった。
「あれ、周防君だけ? 野村君はいないの?」
「あぁ、ちょっと出かけてる」
「そう……よかった」
よかった? 俺が居ないことが都合よかったのか?
疑問に思っていると、今まで俺が座っていた席にシュウが腰を下ろした。
「周防君。少し相談があるんだけど、時間いいかな?」
「構わないよ。とはいっても、相談ってのは野村君のことだよね?」
「……うん」
シュウは神妙に頷いた後、いきなり核心を語った。
「周防君。私は、その……どうすればいいのかな?」
「どうするって?」
「成り行きで交際届を渡すことになっちゃったけど、私は本当に野村君と付き合いたいのかなって」
「それは君の気持ち次第だろう? 僕に相談することじゃない」
「うん……そうだね」
「もし不本意だったと言うのなら、取り下げることは簡単だよ」
「…………」
あの場で承諾してしまったのは、場の雰囲気に呑まれたからだ。
そう認めた上で、シュウは自分の気持ちを未だ理解できないでいる。
「率直に訊こう。君は野村君のことが好きなのかい?」
「私は……」
俺のことが好きか、そうでないか。
盗み聞きしているという罪悪感も忘れ、俺は息を呑んでシュウの答えを待った。
「……分からない」
「分からない? 自分の気持ちなのに分からないのかい?」
「野村君とは幼馴染で、特別な存在であることは間違いないんだけど、好きかどうかって訊かれたら……やっぱり分からない。彼に抱いているこの気持ちが、恋心なのかそうじゃないのか」
「ふむ……」
鵜飼先輩は言っていた。家族同然だから、恋愛対象ではない。弟妹の関係だと。
じゃあ俺たちはどうなのだろう。そして俺の気持ちはどうなのだろう。
シュウと同じく、彼女を特別と思っている心に偽りはない。けどそれが恋心なのか、それとも恋心に発展するものなのかと問われれば……俺にも分からなかった。
「なるほど。一応だけど、自分の恋心に気づく方法がある」
周防の発案が、二十秒近く流れていた静寂を途切れさせた。
希望が見えたように、シュウがパッと顔を上げる。
「その方法って?」
「野村君が別の女性と付き合っているのを見て、素直に祝福できれば家族愛、嫉妬すれば恋愛って判断はどうかな?」
「それは……」
悪いがその方法はすでに手遅れだと、俺は思った。
家族愛だったら、まだいい。しかし恋愛だった場合、自らの恋心に気づくと同時に失恋してしまうではないか。
シュウも俺の意見と同じように批判すると、周防が結論を繰り出した。
「だから有川さんは交際届を提出するほかないんだ。後悔しないようにね」
「それも……そうだね」
わずかに思案したシュウが、納得したように頷いた。
そして「相談に乗ってくれて、ありがとね」と周防にお礼を言うと、彼女もまたすぐに退室していってしまった。どうやら俺が戻ってくるのを待つ気はないらしい。恥ずかしくて、顔を合わせづらいわな。
「で、野村君はどうするつもりなのかな?」
「どうするっつってもなぁ」
「というか、君の気持ちはどうなのさ。あの三人の中で誰と付き合いたいんだい?」
「俺は……」
嫌いな奴を除けとか、俺自身がメロメロに惚れている人を選べとかなら何とかなる。しかしあの三人は、誰もが甲乙つけがたかった。
幼い頃から一緒に過ごしているシュウか。
最初に告白してくれた千石か。
冗談だったとはいえ俺の方から求婚してしまった生徒会長か。
結局のところ、優柔不断の童貞野郎には、三人の女の子から同時に告白されて、一人を選ぶ勇気などあるはずがなかった。
見かねた周防が、呆れたため息を漏らした。
「仕方がない。決められないって言うんなら、僕が一つだけ提案してあげよう」
「なにか良い案があるのか?」
周防が淡々と話し出す。
説明を聞き終えた俺は、周防と出会ってから初めてこいつを本物の馬鹿だと思った。
「いやいや、どう考えても無理だろ。不可能だ。校則違反じゃないか」
「校則云々の方は大丈夫だよ。特別監査委員会の権限を振りかざして、そこら辺はちゃんと許可を貰ってくるから。心配なのは、この方法であの御三方が納得するかどうかだろうね。それと君の気持ち次第だ」
御三方というか、繚乱倶楽部や鵜飼先輩など、バックの方が怖いけどなぁ。
「どのみち」と言って、周防は立ち上がった。
「君が一人を選べない以上、この方法しかないと思う。まあ、一晩じっくりと考えればいいさ。君が決められなかった場合のために、こっちはこっちで準備しとくから」
周防の作戦の意訳をすると、要はやけくそになれってことか。
明日の六花廷は波乱を巻き起こしそうだ。
ホント、どうしてこうなった…………。
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