第9話 任務、生徒会長を籠絡せよ!2

「実は私も、一年ほど前までは六花繚乱倶楽部の一員だったんです」

「え、そうだったんですか?」


 意外だった。いや、繚乱倶楽部の一員だったことが、ではない。生徒会長も、見るからにどこぞのお嬢様といった風体なのだ。あの凄まじく金のかかった部室で、高校生活を豪遊していても何ら違和感はないだろう。


 しかし今の言い方では、現在は繚乱倶楽部に所属していないようにも聞こえる。生徒会に入るために、部活動を辞めなければならなかったのだろうか?


「野村さんは知らないと思いますが、入学当初の私はとても凄かったんですよ」

「とても凄いって……たとえば千石みたいな?」

「いえいえ、もっとです。あの方以上に」

「どんな髪形してたんですか!?」

「いえ、髪形の話ではありません」


 くすりと笑った。どうやら大笑いまではほど遠いようだ。


「髪形は今のままでしたけど、そうですね……多い時には五人くらい、下僕の男子生徒を引き連れていました」

「げ、下僕ですか……」


 予想以上だった。今日び下僕なんて従えてる奴、見たことねえぞ。


「自分で言うのも恥ずかしいことですが、一年生でありながら六花繚乱倶楽部の皆からは一目置かれ、一般生徒からの憧れの的でした。女王のような振る舞いをしていましたが、高慢な態度も皆が許容してしまうほどの素質が私にはあったのでしょう」


 そ、想像できねぇ。女王? 大和撫子じゃなくて?


 しかし会長が一年生の時と言えば、ほんの二年前の話だ。たった二年で、人間はこうまで変わるものだろうか。


「あ、下僕の男子生徒がいたとは言いましたが、私はまだ処女ですのでご安心を」

「ぶっ!?」


 思わず噎せてしまった。口に含んでいたお茶が、会長にかからなかったのは幸いだ。


「吹き出しましたね? この勝負、私の勝ちです」

「別に笑ったわけではありませんし、俺が笑ったら負けってルールでもありません」

「それもそうですね」


 無表情のまま舌を出す生徒会長。何気ない会話の中で自分の処女性を告白するなんて、何を考えているんだこの人は。


「冗談は横に置いときまして、改めてお話しします。二年前のとある時期を境に、私の価値観を大きく変える出来事があったからです」

「価値観を変える出来事?」


 頷いた会長が、ゆっくりと目を閉じた。まるでその時を回顧しているかのよう。


「『出来事』というよりも、『物』ですかね。当時の私はありとあらゆるものを見下していました。俗世ではこんな低俗なものが流行っているのかと、常に思い抱いていました。しかし私も自分の知らない物を貶めるようなことはしません。この目で確認してから、馬鹿にしようと。そこで手に取ったのが、一冊のマンガ」

「マンガ?」

「はい」


 驚いたことに、生徒会長が選んだタイトルは底辺高校を舞台とした不良漫画だった。テレビドラマ化されたこともあり、確かに人気はあったのだろう。しかし暴力シーンも多いし、とてもじゃないが女の子が積極的に読むような内容ではない。よく一番に手に取ろうと思ったものだ。


「初めは絵を見るのも苦痛でしたが、読んでいくにつれてどっぷりと嵌まってしまいました。生徒を信じて疑わない熱血教師と、徐々に信頼関係を築き上げていく仲間たち。最終巻まで読み上げたころには、私にもこんな教師がついていたら、こんな仲間たちが身近にいたら、なんてことを常に考えるようになっていましたね」


 久しぶりに笑みを見せた会長が、そして……と続けた。


 同じ雑誌に掲載されていた名作バスケ漫画。スポーツから離れて、異世界で起こる能力バトル。そして今や誰もが知る海賊漫画。さらには他の雑誌にも移り、人気漫画を片っ端から読み漁ったのだという。


 良いとこのお嬢様だからお金には困らないのだろうが、巷で流行っている漫画をすべて読み終えたのが、わずか三ヶ月だというのは驚きだった。


「あぁ……もしかして、その頃から中二病を患わせているんですか?」

「私は高校三年生です」


 怒られてしまった。しかも眉間にしわを寄せて、不機嫌そうに。

 俺の茶化しを咳払いで濁し、生徒会長は続けた。


「マンガを通して、本当の友人とは……いえ、本当の仲間とはなんなのか。とても本気で考えさせられました。そこで私も、今まで下僕にしなかったことを実行してみたのです」

「しなかったこと?」

「目を見ることです」


 澄んだ瞳が、俺を捉える。奇妙な能力を所持していない俺でも、生徒会長の中でどんな感情が渦巻いているのかが、なんとなく読み取れた。


「私の『人格を読む者リーディング・キャラクター』は、あながち冗談でもないんですよ」


 俺の目を見つめたまま、朗らかな笑みを見せた。どこか自嘲気味でもある笑みだ。


「元々、私は家族以外の人とはあまり目を見て話さない人間でした。だからこそ、物足りないと感じたのかもしれません。口で語らう以上に、視線での意思疎通が不足していたんでしょうね。なので私も本当の仲間が欲しくて、まず身近な人間から目を見て話すようにしたのです。でも……」


 まっすぐな視線が揺れた。辛い過去を思い出し、自然と瞳が潤んできたのだろう。その目を見るのが居たたまれなくなり、ついつい俺の方から目を逸らしてしまった。


「私が自分の特殊能力を知ったのは、その時です」


 特殊能力。つまりリーディングなんたら。効果、相手の目を見るだけで性格が分かる。


 少年漫画に影響され、仲間を求めて身近な人間――たぶん六花繚乱倶楽部の部員や下僕どもだろう――の目を見て、彼女は知った。相手の心の内を、そしてそれから連想される自らの評価を。


 しかしそれは自らが望んでいたものには、ほど遠かったに違いない。


「身近な人々の真意を知り、私は愕然としました。誰も、私のことなんて見ていなかったのです」

「見ていなかった?」

「正確には、私を飛び越えて、その後ろを見ていたと言うべきでしょう。簡単に言えば家柄です。六花繚乱倶楽部のみんなも、いつも付き添ってくれていた下僕たちも、全員が全員、私の生まれだけが目当てだったり、評価をしていたのです。彼らを仲間だと信じていた分、余計にショックでしたね」


 とまで言って、会長は首を横に振った。


「いえ、信じていたのは私の勝手ですし、私を利用価値のある人間と見定めていたのも彼らの勝手です。今さら彼らを疎む気はありません。でも、やはり悲しくもあり……寂しくもありました」

「それを機に、六花繚乱倶楽部を?」

「えぇ、辞めました」


 改めて友情を深めていくことはできなかったのだろうか。いや、無理だったのだろう。彼女の受けたショックは、それだけ大きいものだったに違いない。


「それ以来、皆が私を敬遠するようになりましたね。繚乱倶楽部からは裏切り者と揶揄され、一般生徒からは今までの高慢な振る舞いのせいか、なんとなく避けられているような気がします。……いえ、そんなことはどうでもいいですね。以上が、私が六花繚乱倶楽部に行きたくなかった理由です。納得いただけましたか?」


 正直、納得できた。


 確かに、自分が裏切ったと認識している人たちの元へ行くのは躊躇ってしまうだろう。俺も同じ立場なら、できるだけ避けようと思う。


 でも、それとこれとは話が別な気がした。

 俺は重々しく頷いた後、抱いた疑問をぶつける。


「一つだけ、釈然としない点があります」

「どうぞ」

「生徒会って、確か七人いましたよね? そのうち二人が男。会長を除いても、あと四人も女子生徒がいたはずです。なのに、なんで俺に頼んだんですか? よりにもよって、女子の部室へのお遣いですよ?」

「誰もいなかったからです。みんな用事があると。その日は特に集まりもなかったので」

「四人とも、ですか?」

「えぇ……そういえば……」


 俺の指摘に、どうやら会長も疑念を抱いたようだ。考え込むように、視線を伏せる。


 だがしかし、そんな些細なことに時間を浪費しても無意味である。

 俺は会長に気づかれないように時計を確認した。残り十分。意外に長々と話し込んでいたようだ。


「ただ繚乱倶楽部の部室に千石さんがいたらな、という期待はありました」

「期待? どういう意味ですか?」

「それは内緒です」


 なんじゃそりゃ。調書のサインを貰いに行くんだから、本人がいてほしいと思うのは当たり前だろうに。


 それにしても……さて、どうしたものか。


 残り数分で、俺は会長を大笑いさせなければならない。なのに、今まで彼女の話を一方的に聞いてただけで、何の閃きや準備もできていない始末である。俺のミジンコ並みにしか残っていない自尊心をすべて捨てない限り、任務達成は難しそうだ。


 あぁ……いや、捨てるか。自尊心。今までの会話で、会長の性格もちょっとだけ分かってきたことだし。


「会長。突然ですみませんが……」

「はい」


 俺は居住まいを正した。恥ずかしくはあるが、今度は俺の方から彼女の瞳を見つめる。


「会長……いや、小鳥遊百合奈さん」

「はいぃ?」


 いきなり本名で呼ばれ、会長は目を白黒させる。逆に俺は、自分の顔が熱を帯びていくのが分かった。


 身を乗り出し、勝負を仕掛ける。


「結婚しましょう」

「ぶっ!?」


 あー……噎せただけかぁ。頑張ったのになぁ。

 しかし思いのほか威力が強かったようで、会長がまともに呼吸できるようになるまでは数秒を要した。


「いきなり……何を言い出すんですか、貴方は」

「吹き出しましたね? この勝負、俺の勝ちです」

「大笑いにまでは至ってませんよ」

「俺が吹き出した時には勝利宣言したのに?」

「あー……」


 低い声で唸りながら、彼女は視線を空中へと泳がせた。


「負けました。降参です」


 両手を上げて、宣言する。なんかこの人、仕草といい中二病といい、要所要所でとても幼く見えるんだよなぁ。


「私は高校三年生です。ふふふ……」


 心を読まれた。すると会長が唐突に笑い出した。


 あれだけ恥を捨てた決意でもあまり笑わなかったのに、俺が何も言っていないのに破顔されると、それはそれで気分が悪い。


「何を笑っているんですか?」

「いえいえ、些細なことです。降参と高三で、ちょっとツボってしまって……」

「そんなダジャレでよかったのかよ!」


 しかも俺、何も言ってないんだけどな! 会長が勝手に俺の心を読み取って笑っただけなんだけどな! まったく、俺のなけなしの自尊心を返してほしいくらいだ。


 でも、生徒会長って意外と笑うんだな。六花廷の鉄面皮しか見たことがなかったから、たった三十分話しただけでがらりと印象が変わった。


「それでは……」


 と言って、生徒会長は空のトレイを持って立ち上がった。


「大笑いとまではいかなかったので、そう安々と籠絡されるわけにはいきません。しかし約束は約束です。週末の六花廷のみ、私が笑った分だけの特別処置はいたしましょう」

「特別処置?」

「それは今から考えます」

「是非とも贔屓目でお願いします」


 でないと俺がシュウに殺されるからな。


 軽くお辞儀をした会長が、踵を返した。しかし俺はその背中を呼び止める。どうしてもあと一つだけ聞いておきたいことが……いや、言っておきたいことがあったからだ。


「今の話の結末を聞いても、会長って全然孤独には見えないんですが」

「嬉しいことを言ってくれますね。少人数ですが、私には今とても信頼できる仲間がいますので」


 仲間。それはたぶん、生徒会役員たちのことだろう。


「癖のある人たちばかりですが、彼女たちはかけがえのない仲間だと私は思っています」


 この生徒会長の口から、癖のあるとか言わせるか。いったい、どんな奴らなんだ。


「私からも一言いいですか?」

「?」


 不意に、生徒会長が顔を近づけてきた。あまりに唐突だったため、恥ずかしがるどころか全身が強張ってしまう。


 そして動けない俺の耳元で囁いた彼女の言葉は、理解に苦しむものだった。


「千石さんは、貴方に惚れていますよ」

「…………は?」

「それでは、また会いましょう」

「ちょっと待ってくださいよ」


 制止も空しく、会長はわざとらしい大股で去って行ってしまった。


 問いただそうにも、答えが返って来る未来が視えない。なので俺は、その場で立ち尽くしたまま彼女の背中を見送ることしかできなかった。


「なんだよ。どういう比喩なんだ?」


 千石が俺に惚れている? んな馬鹿な。実際は真逆だってーのに。


 言葉の裏に隠れた意味を探ってみるも……ダメだ、見当もつかん。今の一言はたぶん、俺をからかっただけに違いない。そう思うことにしよう。


 腰を下ろして、一息つく。机の上の弁当を見ると、まだ半分くらい残っていた。残り数分で食べきれるか……。

 と、


「…………」


 視線を感じた。一つじゃない。複数、それも結構な数だ。


 いや、生徒会長の前に座った辺りから、周囲の生徒がちらちらとこちらを窺っていたことは知っていた。一人になって改めて感じたのは、その視線の質だ。


 最初は『一年坊が生徒会長と食事を共にしようだなんて、許せん!』といった妬み嫉みの視線だと思っていたが、違った。生徒会長の昔話を聞いた今では、彼らの視線の意味は『あの人には関わらない方がいい』『あの人の本性を知らずに……馬鹿な奴だ』のような、警告や侮蔑のものだと分かった。


 できるだけ周囲の人間と目を合わせないように、俺は弁当に集中する。

 他人の真意を知りたくても知ってしまうことは、意外と辛いことなのかもしれない。

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