第8話 任務、生徒会長を籠絡せよ!1

 俺はシュウには絶対に逆らえない。昔からそうだった。


 たとえば夏休みの宿題を代わりにやれとか、ドッジボールでシュウが被弾した際、ルール無視で俺が外野に行けとか。


 反論? もちろんしたさ。でも反撃はしなかった。最近では少なくなったが、あいつの二言目には必ず拳が飛んできたからな。当時の圧倒的な体格差もあり、シュウとの喧嘩は一度も勝ったことがなかった。その弱さは、まだ少女だったシュウにお互いの性別が逆だったらいいのにな、とか言わせたほど。


 ……あぁ、嫌なことを思い出してしまった。嫌すぎて語るのもおぞましい。


 何を思ったのか、ハサミを持ったシュウが俺の局部を切り落として自分に付け替えようとした話なんて、誰も聞きたくはないだろ? そういう時代もあったってことだけ、分かってくれればいい。


 というわけで、高校生にもなって未だ従僕の立場が解消されていない俺は、今日も今日とて無理難題を言い渡されてしまった。


 任務内容は生徒会長を籠絡すること。


 正直、あまりにもハードルが高すぎるため、このままぶっちしてやろうかとも考えている。六花廷まであまり時間がないのだし、「ごめん、失敗しちゃった。てへ☆」で済まそうかと。ま、その言い訳が通用する相手ではないんだけどね。


 そんな低空飛行な志でいいのか? いいんです。どうせ罰を受けるのは俺なんだし。


「…………」


 しかし運命とは残酷なものだ。得たい時には得られないのに、無欲な時には向こうから転がり込んでくる。逆もまた然り。面倒事が起こらなければいいと思っている時こそ、余計な仕事が増えるものである。


 端的に言えば、生徒会長を発見してしまった。しかも、とても意外な場所で。


「……さて、どうしよう」


 思わず声に出てしまった。だが構わない。どうせ誰も聞いていないし。


 火曜日の昼休み、俺は一人で食堂を訪れていた。母親が丹精込めて作ってくれた弁当を携えて、である。なぜなら、あまり教室にはいたくなかったからだ。


 だってあのバカどもクラスメイト、六花繚乱倶楽部への侵入は簡単だったかとか、千石の裸はどうだったかとか、執拗に質問攻めしてくるんだもん。しかも千石本人もいる教室内で!


 あまりに鬱陶しかったし、無暗に情報を漏らすのもよくないため、せめて六花廷が終わるまではクラスメイトとの交流は避けよう。そう思い、こうやって一人で食堂へと足を運んだわけだが……そこに生徒会長がいたのだ。


 しかも彼女がいることは一目で分かった。


「……?」


 そう、一発で発見できたのだ。俺の眼光が会長の美貌を自動索敵したのも当然だが、それ以上に、彼女の周囲には誰もいなかったから。


 軽く食堂内を見回してみる。混み合っているわけでもないが、決して空いているというわけでもない。食券売り場は短い列ができているし、そこらかしこから少数グループを作った生徒の話し声が聞こえてくる。乗車率で言えば、五十パーセントといったところ。一人一人が席を一つずつ空けて座れば、ちょうど埋まってしまいそうな程度。


 なのに一人で座る生徒会長の周りの席は、グループを作っている生徒どころか、俺のようにぼっちの生徒ですらも使用してはいなかった。


 まるで皆が皆、その場所を避けているかのように。


「絶好のチャンス……なんだろうけどなぁ」


 どのみち、いつまでも突っ立っているわけにはいかない。離れた場所に座るか、もしくは引き返すという選択肢もあるが……ええい俺も男だ。幼馴染に課せられた任務くらい、しっかりと完遂してやろうじゃないか。


 意を決め、俺は大股で一歩を踏み出した。


 食堂のほぼ中央に陣取っている生徒会長の元へと、一気に詰め寄る。ただ移動中も彼女のことをじっと観察していたのだが、一度も視線を上げず、黙々と食事をしている姿には少しだけ違和感を覚えた。


 長机の対面に立っても気づいてもらえず、結局こちらから声をかけることになった。


「すみません。ここ、いいですか?」

「え?」


 驚きに溢れた瞳が、俺を見据える。俺も負けじと会長の目を見つめようとしたが、照れくさくて二秒で断念した。


 視線が下へスライドし、机の上の物へと移る。なるほど、カルボナーラに少量のサラダか。なかなか女の子らしい食事だ。特盛のカツ丼を完食した後、腹四分目と抜かしたシュウとは大違いである。


「えっと……正面ですが、いいですか?」


 どうやら本気で戸惑っている様子である。長い睫毛を上下させるだけで返答がなかったので、ついついもう一度尋ねてしまった。


「あぁ……えぇ、私は構いませんよ。どうぞお掛けになってください」

「ありがとうございます」


 ようやく許可が出た。拒否られたらどうしようかと思った。


「それにしても、生徒会長が食堂で昼食を取っているなんて、ちょっと意外でした」

「あら。生徒会長だから、いつ何時でも生徒会室にいると?」

「いえ、そういうわけじゃ……」

「トイレの神様だって、ずっとトイレにいるわけではありませんよ」

「そこはトイレにいてください」


 食事中にトイレの話をする神経はどうなんだろうな。


 多少覚悟はしていたが、やはりこの人は会話をする時、ほとんど相手の目から視線を外そうとしない。俺も生粋の日本人であるためか、こういうのはちょっと苦手だなぁ。


「食堂を使うにしても、生徒会長ならもう二つの方に行くと思っていましたので」

「あぁ、そういう意味ですか」


 六花総合学園には、主に三つの食堂がある。大きく分ければ洋食と和食と、そしてこの食堂だ。他の二つは小さいながらも、それぞれカフェテリアや座敷があったりするらしいのだが、もちろんどれもお嬢様御用達しの場所である。一般生徒はとても近づきがたい。金銭的にも、雰囲気的にも。


 その分、ここは六花総合学園が共学になる際に作られた食堂で、一般生徒のために安さと広さを重視している。だからこそ、どこぞのお嬢様っぽい生徒会長がここにいるのは、少しだけ不思議に思えた。


「それで、私に何かご用なんですか?」

「へ?」


 真剣な目つきでこちらを射とめる会長に対し、俺は間抜けな声を上げてしまった。


 ご用? 用ならある。俺はこの生徒会長を籠絡せねばならない。それが週末に行われる六花廷の必勝法であり、無二の幼馴染から言い渡された任務なのだ。一度は放り出しかけたものの、こうやって会長と面と向かい合うことができたのだから、何としても目的を果たしたい。


 ただ、ものすごく大切なことを失念していた。

 会長を籠絡する。……いったい、どうやって?


「えっと……」


 視線を宙に彷徨わせてみたが、どこにも答えらしきものは書いてなかった。


 俺はいったいどうするつもりだったんだ? いや、そもそもシュウは本当に生徒会長を籠絡できると思ってるのか? まさか、いつもの考え無しだったんじゃ? あれ、それに気づいたらなんだか無性に腹が立ってきたぞ。


「あいつ、いっつも俺ばかりに物を押しつけやがって……」

「え?」

「いや、それがですね、木曜の放課後、俺が訴えられた六花廷があるじゃないですか」

「えぇ、存じております。千石さんからの告訴状も拝見しました」

「それで何故かですね、その六花廷で勝つために、俺が生徒会長を籠絡しなきゃならないんですよ」

「籠絡? 私を? 何故です?」

「判決を下す生徒会長を仲間に引き込めば、どんな訴訟内容でも六花廷を意のままに操れるから、だそうです。理屈は分かりますけど、だからってなんで俺が……」


 って。

 なんか変だな。今、心の中で嘆いた愚痴に返答があったぞ。

 まさかとは思うが……。

 恐る恐る、顔を上げてみる。目の前には、無表情の生徒会長がいた。


「それを私に話してはマズいのでは?」

「ですよねー」


 しまったああああ! イラついていたもんで、ついつい愚痴で作戦を暴露してしまった! しかも生徒会張本人を目の前にして! これじゃ籠絡できるできない以前の問題じゃないか!


「なるほど、なるほど。やはり貴方は私が見込んだ通り、なかなか面白い人です」


 なんか太鼓判を押されてしまった。そんな面白い人間に育った覚えはないんだけどな。


 わずかに口元を釣り上げ、笑ったような表情を作った生徒会長は、残り少ないパスタを平らげた。食事をする際、女性が前髪をかき上げる仕草にドキッとしてしまうのは、俺だけではあるまい。


「ちなみに誰かから遣わされたような言い方でしたが、どなたでしょうか?」

「……幼馴染の有川シュウって奴です」

「あぁ、あの背が高くて美人な一年生ですね? 六花廷で何度か貴方に檄を飛ばしている姿を見たことがあります」


 美人かぁ?

 幾度となく見飽きたシュウの姿を思い出してみる。あいつは野蛮でカッコいい。美人である要素なんて皆無だと思うんだけどなぁ。むしろ美しさで言ったら、生徒会長の方が圧倒的だろう。


「分かりました」


 空になったお皿を前にして、会長が姿勢を正す。何が分かったのか。


「もし迷惑でなければ、貴方に籠絡されてあげましょう」

「……はい?」

「ただし、私との勝負に勝てたらですけど」

「勝負?」


 疑問の声を上げると、会長は壁掛け時計をチラリと一瞥した。


「お昼の授業まで、あと三十分くらいあります。予鈴が鳴るまでに、私を大笑いさせてくれたら、木曜の六花廷、弁護団の有利になるように進行させてあげましょう」

「大笑いって……」


 なんなんだ、この流れ。なんで生徒会長と勝負することになってるんだ?


 俺もまた時計を確認してみる。確かに三十分。しかし彼女の顔に視線を戻し、目が合ったところで確信した。この難攻不落な無表情を崩すのは、至難の業だ。とてもじゃないがお笑い芸人でもない俺には、三十分で大笑いさせる自信などこれっぽっちもない。


「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。昼の授業までの余興だと思って」

「はあ」


 余興ね。暇だったんだろうか。

 ふと唐突に、生徒会長が朗らかな笑みを見せた。俺を緊張させないためか、自分が先に肩の力を抜いたのだろう。


「実はですね、貴方は私を疑っているのだと思ってました」

「疑う? 疑うって何をですか?」

「野村さんが訴えられた理由です。元をただせば、私が繚乱倶楽部へ向かわせたのが原因だったでしょう?」

「あぁ、そういえば……」


 そうだった。そして生徒会長が自分で行かなかった理由は、確か……。


「ただ単に行きたくないっていう、曖昧な理由でしたね」

「そうです。それで都合悪く、シャワー中の千石さんと遭遇してしまった」

「つまり会長は、こうなることを知ってて俺を遣わせた。と言いたいんですか?」


 押し黙った生徒会長が、重々しく頷いた。


 けど、どうだろうな。さすがに作為的とは思えない。何度も何度も繰り返し考えてみたが、たとえ生徒会長にどんな思惑があれど、俺が千石の裸を目撃してしまった一点においては、まったくの偶然以外にはないと思うんだけどなぁ。


 そんな感じで、微塵も疑っていないことを伝えようとすると……。

 不意に目が合った。

 まっすぐな視線に乗って、彼女の率直な意思が伝わってくる。

 生徒会長はたぶん今、この質問をされたいはずだ。


「会長は、どうして六花繚乱倶楽部に行きたくなかったんですか?」


 すると彼女は、安堵のような吐息を漏らした。どうやら正解だったようだ。

 言葉もなしに誰かの意思を完璧に汲み取るなんて、初めてのことだった。これも会長の言うリーディングなんたらって能力のせいなんだろうか。


「つまらない話です。それでも聴いてもらえますか?」

「えぇ。もちろん」


 俺と勝負だなんて言い出したのも、自分の身の上話を聞いてほしかったからかもしれない。話を聞くことで生徒会長を懐柔できるのなら、俺としても願ったり叶ったりである。

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